エジプトのピラミッドを探検しよう
 君は、アフリカ大陸にエジプトという国があることを知っているだろう。 エジプトにはふしぎなものがいっぱい。 その中でもピラミッドは、「いつ」、「何のために」、「どのようにして」 造られたか、分らないのだ。

 いつ造られたかについては、古代エジプトのヒエログリフ(聖刻文字)が解読された結果、今からおよそ4500年前ということが分った。 
ピラミッドは王の墓だというのが定説となっているが、これも確かな証拠はない。 

 エジプトにはピラミッドのほかに不思議なものがいっぱいあるよ。
さあ、探検に行こう。

ラクダに乗って
ピラミッドを探検
 
国名  エジプト・アラブ共和国
首都  カイロ
面積  100万km2(日本の2.7倍)
人口  6836万人(日本の1/2)
言語  アラビヤ語
宗教  イスラム教(94%)、コプト教(6%)
GNP 1人当り1400米ドル(日本の1/23)
 

 
ピ ラ ミ ッ ド
 
                三大ピラミッド
左から第1ピラミッド(クフ王 高さ146mだったが、現在は頂上付近がこわれて137m)、第2ピラミッド(カーフラー王 高さ143m)第3ピラミッド(メンカウラー王 高さ66m)  エジプトの首都カイロの近くのギザという町にある。 町といってもまわりは砂漠。
 
        第2ピラミッドの外観
頂上付近には、石灰岩(せっかいがん)の上にはった上質の石灰石の化粧石(けしょういし)が残っている
ピラミッドは、こんな大きな石灰岩の石を積み重ねて造られている。平均2.5トンの石が230万個も使われている。
 
第3ピラミッドへ入る まっ暗な狭い階段を下る
(フラッシュ撮影)
一番奥には玄室(げんしつ)といわれる部屋がある。王のミイラが置かれていたかもしれないが、今はない。
 
          大スフィンクスと第2ピラミッド
スフィンクスは、頭は人間で、体は動物の形をした石像で、エジプトにはたくさんあるが、ギザのものは最大(長さ57m、高さ20m)。カーフラー王の時代に
第2ピラミッドの守り神としてが造られたというのが定説。しかし、スフィンクスが先に造られていたので、その近くに第2ピラミッドが造られたという説もある。
 
 さきほど私は、ピラミッドは王の墓だというのが定説となっていると言ったが、最近、ピラミッドは農民たちのための失業対策だったという説が現れた。 というのは、エジプトではナイル川が氾濫(はんらん)する7月から11月には農民は農作業ができない。 そこで王は食料を与え、ピラミッドを造らせたのだという。

 さて、ピラミッドは
どのようにして造られたのだろうか。 ピラミッドの建設期間をかりに20年とすると、この間に3トン近い石230万個を2分間に1個の速さで積まなければならない。 こんなことは人間にはできないから、きっと宇宙人が1個づつ積まずに一気にエイヤーと積んだに違いない、という説もある。 ところがピラミッドの底辺(ていへん)の周りは1000mほどあるから、1か所でなく300か所で同時に作業をしたならば、1日に1個づつ積めばよいことになる。 それにしても現代人もおどろくパワーと計画性ではないか。
 

 
王 の 墓
 
 ナイル川の西岸には、たくさんの王墓(おうぼ)があるので「王家の谷」といわれるところがある。ここに王墓が造られるようになったのは今から3500年くらい前からで、ピラミッドよりも1000年ほど後である。ほとんどすべての墓は墓泥棒(はかどろぼう)に盗掘(とうくつ)されて、ミイラや宝物は残っていない。
  
       ラムセス6世の墓
この墓の下、地中深くにツタンカーメン王の墓が見つかった。ツタンカーメン王の墓からは黄金のマスクをつけたミイラが発見された(1922年)。外から分らないところなので、盗掘をまぬがれたのである。
ツタンカーメン王のミイラが着けていた黄金のマスク
(撮影禁止なのでこの写真は本からとりました)
 
ラムセス6世の墓の内部
入口の階段 入口の階段奥の部屋にはミイラが置かれていた。部屋の中はヒエログリフで書かれたお守りが飾ってある。
ミイラの造り方の壁画もある。
古代エジプト人は人間は死んでもミイラにして残しておけば、何年か先に生き返ると考えた。
天井には、太陽神の夜の航海を示す「夜の書」が描かれている
 

神  殿
 
 ナイル川の東岸には、いくつかの神殿がある。 その1つがカイロからナイル川の650km上流にあるルクソール神殿だ。 ここから、さらにナイル川の上流480kmのアブ・シンベルにも神殿がある。 今から3300年も前に、こんなに離れたあちこちに、どうやって大きな神殿を造ったのか、まったく不思議だ。 いずれの神殿も、古代エジプトの神々が祭られているが、ほんとうのところは、神殿を造ったラムセス2世の像が目立つのだ。
 
              カルナック神殿
神殿群の総面積約70万平方メートルというから、東京ドームが15個入るほどの広さだ。メインのアモン大神殿への参道には、牡羊(おひつじ)の頭を持つスフィンクスが並んでいる。
 
  カルナック神殿の列柱室
   (だいれっちゅうしつ

幅102m、奥行き54mの部屋に134本の柱が並んでいる。最大の柱は高さ21m、直径4.5m。ラムセス2世の名前をきざんだ柱もある。
  お供え物の一覧表
だれから何をいくつもらったかを記録したものだ。パソコンのエクセルの表の元祖(がんそ)のようでおもしろい。
 
ナイル川の氾濫(はんらん)を防止し、灌漑(かんがい)と発電に利用するため、1971年にアスワンハイダムが建設された。写真の石の目印の水面下60mに沈むはずだった神殿は、ユネスコのお金で湖岸の高いところに移された。          アブ・シンベル大神殿
移された神殿には、ラムセス2世の座った像が4体(高さ20m)彫られている。ラムセス2世は、66年間もエジプトの王を続け、今から3281年前に亡くなった。
この神殿の中には、ラムセス2世がヒッタイト(いまのトルコにあった国)と戦ったときの壁画がある。このような歴史が分るのは、ヒエログリフのおかげだ。
 

 
エジプト歴史年表
世 界 西暦 エ ジ プ ト 日 本
 メソポタミア文明始まる
 
 
 
 
前5000年
 
 
 
前4000年
 
 王
 朝
 時
 代
 
 代
 エ
 ジ
 プ
 ト
 王
 朝
 時
 代
 
 国
 支
 配
 イ
 ス
 ラ
 ム
 時
 代
 農耕文化始まる
 
 
 
  
 縄

 文

 時

 代
 弥
 生
 時
 代
 貴
 族
 時
 代
 武
 家代
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 エーゲ海文明始まる
 
 
 
 
前3000年
 
 
 
 
 
ヒエログリフ(聖刻文字)生まれる
 
 
 三内丸山遺跡
(青森県)
 
   
 
 
 
 インダス文明始まる
  
 
 
 
 
前2000年
 
 
クフ王
 
カーフラー王
 
メンカウラー王
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 中国いん王朝始まる
 
  
 
 
 
 
前1000年
 
 
 
ツターカーメン王
 
ラムセス2世
 
ラムセス6世 
 
 
 
 
  
 
 ギリシア文明栄える

 共和政ローマ始まる

 ローマ帝国始まる 
 
 
 
 
0年
 
 
 
 
アレクサンドロス大王
 
クレオパトラ7世 
 
 
 水田稲作広がる
 
 吉野ヶ里遺跡
(佐賀県) 
 
 
 ローマ帝国東西に分裂
 
 
 
 
 
 
1000年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 古墳・飛鳥
・奈良・平安時代
  
 各国でルネッサンス
   (1300-1600)
 マゼラン世界一周(1522)
 フランス革命(1789)

 
 
 
 
 
2000年
 
 
 
ナポレオンのエジプト遠征(1798-99)
 
ナセル大統領就任(1956)
 
アスワン・ハイダム完成(1971) 
 
 鎌倉・室町時代
 安土・桃山・江戸時代

 
 明治・大正・昭和・平成

 
ヒエログリフ(聖刻文字)について
 
 エジプトで5000年以上前のことが分るのは、文字があったからだ。古代エジプトの文字の中でもっとも古いものはヒエログリフ(聖刻(せいこく)文字)である。このほかに、ヒエラティック(神官(しんかん)文字)、デモティック(民衆(みんしゅう)文字)も使われた。

 
ヒエログリフは、神や人間、動物、植物、天体などをかたどった象形文字(しょうけいもじ)であることは、君も知っているだろう。おもしろいことに、日本語に似ているのだ。というのは、日本語では、例えば、「学ぶ」というのは、「学」という意味ある字(表意(ひょうい)文字)と、「ぶ」という意味がなく音だけの文字(表音(ひょうおん)文字)の組み合わせで表されるだろう。「漢字かなまじり文」というのだ。

 
ヒエログリフは、同じように「表意文字・表音文字併用体系」なのだ。それから、横書と縦書きの両方ができる点でも日本語と似ているね。
パピルスに描かれた古代エジプトの神とヒエログリフ(私がお土産に買ったもの)

パピルスは草から作られた古代の紙、英語のペーパー(paper)の語源になっている。
 
 ヒエログリフという文字があっても現代人が解読(かいどく)できなければ、何が書いてあるのか分らない。解読をやってのけたのがシャンポリオンという人だ

 フランスのナポレオン(後の皇帝)は、イギリス軍と戦うためにエジプトに遠征した。これには170人の学者・技術者が同行した。1799年、ナイル川河口付近のラシード(英語名ロゼッタ)で、黒色玄武岩製の石碑(せきひ)を発見した。これがロゼッタ石なのだ。ロゼッタ石には、一番上にヒエログリフが、真中にデモティックが、一番下に古代ギリシア文字
が書かれていた。ナポレオンはこの碑文のコピーをとって持ち帰った。

 ヒエログリフの解読に多くの人が挑戦したが、成功しなかった。フランス人のシャンポリオンは、3つの文字の文章は同じ内容が書いてあるはずだと考えた。東洋語やコプト語(最後の古代エジプト語)に明るかった彼は、上に述べた「ヒエログリフは、表意文字・表音文字併用体系だ」ということに気付き、14年かけて、ついに1822年に解読に成功した

これが新しい学問、エジプト学の誕生であった。世界にはまだ解読されていない言葉がいくつかある。君も挑戦してみないか。
ロゼッタ石(高さ114cm)
画家コニエによるシャンポリオンの肖像
(新潮社 「エジプト 驚異の古代文明」より)

 
   今日のインターネットによる世界探検はおもしろかったかな。

エジプトには今日紹介したもののほかに、クレオパトラ女王、アレクサンドロス大王、ナセル大統領(アスワン・ハイダムを造った人)など、人間にまつわるすばらしい歴史があるんだよ。現在のエジプトはイスラム教の国として、世界の平和のために努力している国の1つだよ。

この探検の感想や、次に探検したいところを、メールで私に知らせてね。

 
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