キルギス----天山山脈ヘリハイクと花の旅 カザフスタン・チャリン渓谷、キルギスへ、カルカラBC、ヘリでハンテングリ峰BC往復、カラコル、 コチクル、ソンクル湖、ブラナの塔とバラサクン遺跡、アラアルチャ自然公園、ビシュケク市内観光 |
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ハンテングリ峰 キルギス・カザフスタン・中国の3カ国の国境の山で、天山山脈ではポベーダ峰に次ぐ2番目の高さ。海抜6995m(改測標高7010m)。キルギスで2番目の高峰、カザフスタンの最高峰 |
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中央アジアの中のキルギス共和国 |
中央アジアは、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタンの総称 ◍ 首都(キルギスの首都はビシュケク、カザフスタンの首都はアスタナ、アルマティは旧首都) 時差 : キルギス・カザフスタンは日本より3時間遅れ |
キルギスの旅の宿泊地と主要訪問地のGPS地図 |
赤線はGPSによる軌跡 ━ ━ は国境 ①②などは宿泊地 |
1日目 (7月15日) |
成田→韓国・インチョン→アルマティのホテル(泊) |
成田から韓国のソウル・インチョン空港へ、そこで乗り継いでカザフスタンのアルマティ空港に向かう。カザフスタンの時差は、日本より3時間遅れである。 |
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成田空港13:10発のアシアナ航空OZ101便のエアバスA380機でソウル・インチョン空港に向かう。 エアバスA380は総2階建、4発エンジンで、ジャンボ(B747)を越える超大型機。世界初の2クラス600席、モノクラス800席が可能という。 |
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インチョン空港では韓式歓迎があった |
インチョン空港からアシアナ航空OZ577便のA330機で、 カザフスタンのアルマティ空港へ向かう。 |
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ところがインチョン空港でOZ101便の着陸のやり直しがあった。 また、乗継のOZ577便に出発遅れが生じた。空港ビルからは 濃霧が認められた。 |
帰国後、日本気象協会のホームページでPM2.5の濃度を調べると、インチョンでは高濃度が予測される日が多いことがわかった。7月15日の濃霧がPM2.5によるものかどうかは私にはわからない。 |
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現地時刻23:30にカザフスタンのアルマティ空港を出て、バスに乗り込んだ。 このとき迎えに来てくれた現地ガイドが、1か月前の中央アジア旅行の時にお世話になったテンチクさんであったので、再会を喜んだ。 |
2日目 (7月16日) |
アルマティのホテル→ドゥンガン人の村→チャリン渓谷 →カザフスタンからキルギスへの国境越え→カルカラBC(テント泊) |
アルマティ |
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アマルティのホテル | ホテルの部屋から見える不思議な建物 |
不思議な建物は、ユルタの形を模したホテルのレストランである。 ユルタは、中央アジアの遊牧民の移動式家屋である。中国ではパオ、モンゴルではゲルと呼ぶ。 |
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スタンドで見たガソリン価格 | ガソリンスタンドで給油中に見えたアラトーの山々(4000m級か) |
ガソリン価格(レギュラーの場合) カザフスタン(産油国)で115テンゲ(約70円、キルギス(非産油国)で38ソム(約73円)で、あまり違わない。 しかし所得水準の高いカザフスタンを除けば、非産油国の国民にとって石油は高価なものと思われる。因みに 現地ガイドによると、キルギスの平均給与は200ドル、年金は月額100ドルという。 |
ドゥンガン人の村 |
ドゥンガン人は、19世紀に中国西部で迫害され、当時ロシア帝国領であった中央アジアに逃げ込んだ人々の子孫である。ここは道路沿いのドゥンガン人の村で、食品を売る店や羊肉を食べさせる店が並んでいる。 |
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ポプラ並木が村の目印 | 気さくに写真を撮らせてくれる |
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羊肉を焼くお兄さん ドゥンガン人はイスラム教徒なので、豚肉は食べない。 |
チャリン渓谷 |
チャリン渓谷は堆積岩層から湧き出ているチャリン川に沿って形成された渓谷で、その長さは154km。 最も古い堆積岩層は1200万年前のものである。切り立った崖の高さは300mに達するところもある。 ここはチャリン渓谷の中でも見ごたえのあるキャッスル・ヴァレーである。 |
今回の旅仲間である「山の自然学研究会」の6人で最初に撮った記念写真 |
カザフスタンからキルギスへ |
アルマティを朝出発しほぼ東に進んで、チャリン渓谷で南に進路を変えた。走り続けて15:30頃にカザフスタンからキルギスへの国境に着いた。 |
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国境では簡単な審査で出国・入国できた | キルギスに入ると緑が多くなり、牛の放牧も見られた |
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カルカラ川に沿って遡ると・・・ | 突然、ヘリコプタが現れた。ここがカルカラBCである。 |
カルカラBC(ベースキャンプ)到着 |
標高2300mのカルカラBC全景 左から、小さく見えるのがシャワー・サウナ(1棟)、トイレ(2棟)、ゲスト用テント(25張)、間を空けてキッチンテント・ダイニングユルタなどサービス施設 |
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ゲスト用テント(2人用)には、ベッドが入っていて、居住性はよい。 |
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現地エージェントの大きなポスターを貼ったダイニングテント AK-SAI TRAVEL(我々は親しみを込めて「悪妻!」と呼んでいた)は、ビシュケクに事務所があり、キルギス・カザフスタンなどで登山、、ヘリハイク・ヘリスキー、シルクロード旅行などを手掛ける会社 |
ダイニングユルタで、無事カルカラBC到着を祝いビールで乾杯 |
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ユルタの天窓から青空が見えた | 何と、キルギスの国旗はユルタの天窓と太陽をデザインしたもの |
カルカラBCのサービス施設の全景 左から、キッチンテント(大きいもの1張)、物置テント(2張)、ダイニングユルタ(2張)、多分スタッフ用テント(2人用9張) |
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シャワー・サウナ | ダイニングユルタには衛星放送受信機がある |
テント場の周りはエーデルワイスが満開で、足の踏み場もない |
カルカラ川の中州に遊ぶ |
夕食までちょっと時間があるので、カルカラ川の中州に渡る。カルカラ川の中央をキルギスとカザフスタンの国境が通っているが、中州はキルギスに近いのでキルギス領である。中州にはBC側と少し異なる植物がみられた。 |
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中州の中央にテーブルがあり、酒を持って来なかったことを悔やむ | BCとは板橋1本で繋がっている。 ヤナギが繁茂していて、上高地の梓川を思い出す。 |
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Vicia sp. マメ科 ソラマメ属,、 Vicia cracca クサフジのようである |
Ranunculus sp. キンポウゲ科 キンポウゲ属 |
Dactylorhiza umbrosa ラン科 ハクサンチドリ属 |
Ligularia narynensis キク科 メタカラコウ属 |
カルカラBCの夕暮れ |
カルカラBC最初の夜を迎える。明日はヘリコプターが飛んで欲しい。 |
3日目 (7月17日) |
カルカラBC→ヘリでハンテングリ峰BCを往復 →カルカラBC周辺の植物観察→カルカラBC(テント泊) |
今日は、今回のツアーの目玉の1つハンテングリBCへのヘリフライトの日である。天候が気になって早朝から目覚め、月の入りと日の出を眺めてヤキモキする。 |
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ |
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早朝テントを抜け出し、天を仰いだ。 万葉集巻一・四十八の柿本朝臣人麿の歌が想起される風景であった。 |
ヘリでハンテングリ峰BCを往復 |
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9:15にヘリの周りに集合 | ヘリはキルギス軍の所属らしい |
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9:50にヘリは離陸。 ヘリには、シート・ベルトも手すりもなく、ちょっと不安だ。 |
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離陸直後、眼下にカルカラBCのテント群が見えた | 氷山を浮かべた氷河湖 |
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アイスフォールの高さは10m以上あるだろうか | 45分ほどのフライトで、ハンテングリ峰BCの氷河のモレーン上に着陸 ハンテングリ峰に登るクライマー達のテントが20張余りあった。 |
標高4060mの着陸点からハンテングリ峰を眺める。幸運にも山頂を見ることができたが、離陸する頃には雲がかかった。 ハンテングリ峰はキルギス・カザフスタン・中国国境の山で、天山山脈ではポベーダ峰に次ぐ2番目の高さで、 海抜6995m(改測標高7010m)。キルギスで2番目の高峰、カザフスタンの最高峰である。 キルギスの最高峰ポベーダ峰(7439m)の方は、残念ながらガスのために見えない。 |
ハンテングリ峰を背にして全員で記念写真を撮る。滞在時間はちょうど30分。 |
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真っ白な石は石英だろうか | ハンテングリ峰BCの岩はいずれも変成を受けたのか、皺だらけだ |
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モレーンの上に着陸したヘリ | 帰りの飛行時間はほゞ1時間、無事カルカラBCに帰還し記念写真 |
カルカラBC周辺の植物観察 |
ハンテングリ峰へのへり飛行の後、植物学者のアレクサンドルさんの案内で、カルカラBC周辺の植物観察をした。 |
Leontopodium fedschenkoi キク科 ウスユキソウ属 |
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Papaver croceum ケシ科 ケシ属 アラゲヒナゲシ |
Origanum vulgare シソ科 ハナハッカ属 ハナハッカ |
Achillea millefolium キク科 ノコギリソウ属 セイヨウノコギリソウ 本州北部および北海道に帰化している |
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Lathyrus pratensis マメ科 レンリソウ属 キバナノレンリソウ 日本に帰化している |
Ranunculus sp. キンポウゲ科 キンポウゲ属 |
Prunella vulgaris シソ科 ウツボグサ属 セイヨウウツボグサ P. vulgaris subsp. asiatica ウツボグサは日本に自生 |
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Inula rhizocephara キク科 オグルマ属 ここでは地上茎がほとんどないロゼット植物だ |
Myosotis sp. ムラサキ科 ワスレナグサ属 |
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Phlomis pratensis シソ科 |
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Aconitum leucostomum キンポウゲ科トリカブト属 |
Codonopsis clematidea キキョウ科 ツルニンジン属 |
Gentiana turkestanorum リンドウ科 リンドウ属 |
Erigeron sp. キク科 ムカシヨモギ属 ヒメジョオンの仲間 |
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Thymus sp. シソ科 イブキジャコウソウ属 |
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Parnassia laxmannii 分類体系により科と属は異なるが、 ウメバチソウの仲間 |
Galium verum アカネ科 ヤエムグラ属 チョウセンカワラマツバ、G. verum var. leiocarpum (asiaticum) キバナノカワラマツバは日本に分布 | Trifolium repens マメ科 シャジクソウ属 シロツメクサ |
バイケイソウは日本では有毒といわれているが、キルギスの家畜は葉先だけ食べるようである。 |
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Veratrum sp. ユリ科 シュロソウ属 バイケイソウの仲間 |
Rhinanthus sp. ゴマノハグサ科 オクエゾガラガラ属 |
Sanguisorba alpina バラ科 ワレモコウ属 |
Rumex sp. タデ科 スイバ属 ギシギシ・スイバの仲間 |
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Veronica porphyriana オオバコ科 クワガタソウ属 以前はゴマノハグサ科とされていた |
Delphinium iliense キンポウゲ科 デルフィニウム属 ヒエンソウの仲間 |
Aconitum leucostomum キンポウゲ科トリカブト属というが、かなり違う |
Ligularia narynense キク科 メタカラコウ属 |
アザミの草原を観察ハイキング |
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Cirsium sairamense キク科 アザミ属 |
Alfredia nivea キク科ではあるがアザミ属でない |
Ziziphora clinopodioides シソ科 |
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? | Hieracium umbellatum キク科 ヤナギタンポポ属 ヤナギタンポポ、 日本に帰化したコウリンタンポポは H. aurantiacum |
Rosa fedtschenkoana バラ科 バラ属 |
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Campanula glomerata キキョウ科 ホタルブクロ属 ヤツシロソウの仲間、 C. glomerata var. dahuricaヤツシロソウは九州に稀産 |
? | Aquilegia sp. キンポウゲ科 オダマキ属 |
アレクサンドルさんが、いいところですよとおっしゃった場所はマツムシソウが満開 |
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Scabiosa alpestris マツムシソウ科 マツムシソウ属 |
Scabiosa alpestris マツムシソウ科 マツムシソウ属 |
Geranium pratense フウロソウ科 フウロソウ属 ヒロハノハラフウロ |
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Pulsatilla campanulata キンポウゲ科 オキナグサ属 オキナグサの仲間 日本のオキナグサはP. cernua 種子が付いた白い綿毛が翁草の由来であろう |
Silene vulgaris ナデシコ科 マンテマ属 シラタマソウ ヨーロッパ原産で、戦後日本に帰化 |
Picea schrenkiana マツ科 トウヒ属 中央アジアの天山山脈 ・カザフスタン・キルギスなどに分布 |
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Euphorbia latifolia トウダイグサ科 トウダイグサ属 |
Allium pallasii ネギ科 ネギ属 |
Allium pallasii ネギ科 ネギ属 |
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Gentiana turkestanorum リンドウ科 リンドウ属 |
Linaria vulgaris ゴマノハグサ科 ウンラン属(リナリア属) ホソバウンランまたはホザキウンラン、日本に帰化 |
Taraxacum sp. キク科タンポポ属 |
4日目 (7月18日) |
カルカラBC→乗馬体験→カルカラ川上流の自然観察→カルカラBC(テント泊) |
ヘリは無事飛んだし、ハンテングリ峰は眺めたし、カルカラBC周辺の植物観察はできたし、今回の海外巡検は大成功である。そんなわけで、今日は余裕の1日を過ごす。 |
朝のひと時 |
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今朝は冷え込んだ。標高2300mのせいもあるが、内陸性の気候の影響もあるだろう。 |
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標高3千数百mの周囲の山々には、昨夜は降雪があったようだ |
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簡単な朝食を食べて、銘々自由に過ごす | 間近に馬の親子がやってくる |
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釣具を持ってきた人は渓流釣りを楽しむ。釣果は15cmが4尾(魚名は不明)。全部リリースしたという。 |
乗馬体験 |
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交代で乗馬体験をする。元気すぎる馬で、予定の時間になっても帰ってこない。 |
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エーデルワイスを食っているように見える馬 |
昼食 |
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ヨーグルト |
キウリのサラダ 胡瓜といえば西域(中央アジア)の産物だ |
きのこスープ みじん切にしたコリアンダー(香菜)の香りにも慣れた |
スパゲティ・ミートソース ここにもコリアンダーのみじん切が・・・ |
カルカラ川上流の自然観察 |
植物学者のアレクサンドルさんの案内でカルカラ川の上流の自然観察に出かけた。アレクサンドルさんは、かつてサハリンで地質学の仕事に従事し、その後植物学者になった人。今はガーデニングに精を出すという根っからの自然愛好者である。 |
景観と地学観察 |
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カルカラ川の上流に架かる橋、橋の向うはカザフスタンだ | 10kmほど進んだところに駐車して、ここから徒歩で観察する |
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辺りは、美しい針葉樹(トウヒ)の森である |
堆積岩の山に花崗岩が貫入しいる。左の岩壁に近づくと風化した 花崗岩であることがわかる。この辺りで引き返した。 |
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左の岩壁から崩壊して、道端に転がった花崗岩(グラナイト) この種の石は兵庫県の御影で産するので、「御影石」ともいう。 |
暗色包有岩入りの花崗岩(愛称クラゲ石)。信州大学の原山智先生が北アルプスで見つけ、地下のマグマ溜りの中で花崗岩が生まれる過程でできたものだと説明されたものだ。 |
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石灰岩(ライムストーン) 太古の昔に海中でサンゴなどの死骸が堆積し、沈降して圧力を 受けて石になり、地殻変動で隆起し地上に現れたもの。 |
方解石(カルサイト) 石灰岩が深い地中で高温にされされて結晶化したもの。 この種の石は中国の大理で産するので、「大理石」ともいう。 |
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まるで荒砥石のような砂岩(サンドストーン) | 水流で削られた礫岩、滑らかな曲面がみられる |
植物観察 |
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「これはマメ科です」と説明されるアレクサンドルさん | Caragana jubata マメ科 ムレスズメ属 |
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Geranium electa フウロソウ科 フウロソウ属 同じフウロソウ属でもGeranium pratenseとは別種 |
Sorbus sp. バラ科 ナナカマド属 |
Potentilla sp. バラ科 キジムシロ属 ヘビイチゴ属、キンロバイ属などとの関係が論議されるという |
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Papaver croceum ケシ科 ケシ属 |
Primula sp. サクラソウ科 サクラソウ属 |
キノコ |
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Minuartia kryloviana ナデシコ科 タカネツメクサ属 |
Isopyrum anemonoides キンポウゲ科 シロカネソウ属 |
Ziziphora clinopodioides シソ科 |
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Polemonium caucasicum ハナシノブ科 |
Aquilegia sp. キンポウゲ科 オダマキ属 |
Campanula glomerata キキョウ科 ホタルブクロ属 ヤツシロソウ |
Codonopsis clematidea キキョウ科 ツルニンジン属 |
5日目 (7月19日) |
カルカラBC→カラコル(泊) |
カルカラBCからカラコルへ |
早めの昼食を済ませて、3泊したカルカラBCを出発し、カラコルの町に向かう。 |
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麺スープ | 肉野菜煮物と米飯 |
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ユルタの天窓の覆いを閉じるFさんは、免許皆伝の腕前 |
延4日間お世話になったキャンプ・マスタにお礼を言って 別れる。中央はガイドのテンチクさん |
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カルカラBCからカラコルの町への途中、多くの養蜂箱を見かけた。開花時期を追って車で移動するのだ。 市場で買ったキルギスの蜂蜜の土産は、我家では好評である。 |
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カラコルの町に入った | 久しぶりにホテルに泊まる。湯船に浸かれるのが嬉しい。 |
カラコルのホテルの周辺 |
夕食までの自由時間に、1人でカラコルの町を散歩してみた。車窓からではわからない いろいろな光景に出くわす。 |
キルギス・トルコ大学 |
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例のレーニン像も ここでは生きている |
大学キャンパスの並木 中央アジアではロシアに次いでトルコの影響が大きいようだ |
キルギス・トルコ両国の国旗 ハイスクールも併設しているらしい |
通りがかりに見たカラコル市役所らしい建物 |
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「日干し煉瓦」を作っている現場に出くわした。 いまどき日干し煉瓦を使うのだろうか・・・ |
数軒先の改築中の家で、建物は焼き煉瓦だが、 塀に「日干し煉瓦」を使っているのを見て、合点した |
ドゥンガン人家庭で夕食 |
今夜は、カラコルの町にお住いのドゥンガン人の家庭で夕食を頂くことになった。ドゥンガン人はこの町では大多数を占めるという。 |
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キルギスではよく見かける普通の勤め人の家である | 今日はMiさんの誕生日、現地旅行社からプレゼント | 皆でケーキをプレゼントして祝う |
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スープ | 焼き魚 | 蒸し餃子 |
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中華風サラダ | タケノコなどの野菜の煮物 | 肉と野菜の煮物 |
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ニラの煮物 | 肉と瓜の煮物 | 食パン |
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テーブルいっぱいのご馳走 | ご主人は近くのマーケットにお勤めで、奥さんは専業主婦だとか | かわいいお嬢さん |
6日目 (7月20日) |
カラコル→聖三位一体教会→ドゥンガン・モスク→プルジェヴァルスキーの墓と博物館 →ジェティ・オグスの奇岩→コチクルの民家(泊) |
今日は、山屋にとっては単にカラコルからソンクル湖BCへの移動日ということだが、なかなかどうして、歴史や現地の生活に接することができ、楽しい一日だった。 |
聖三位一体教会(ロシア正教) |
ロシア人はキルギスの人口の1割足らずしかいない。カラコルでも同じである。しかし立派な教会が建てられている。この教会は、1870年代初めに焼き煉瓦で作られたが、1880年の地震で壊れてしまい、1897年に木造で再建された。 |
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果樹、花木、ジャガイモ畑などに囲まれた落ち着いた木造教会である | 教会の入口 ミサ中のため中に入れなかった |
ドゥンガン・モスク(イスラム教) |
カラコルの人口は20万人で、その40%がドゥンガン人だという。この小さなモスクが中央モスクになっている。カラコルに住むドゥンガン人にとって大きなモスクを建てることは悲願のように思われた。 |
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バラの庭を通ってモスクに入る | 将来建てたいモスクの構想案2つが、モスクの入り口に掲げられていた |
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中国系イスラム人であるドゥンガン人が建てた現在のドゥンガン・モスク、右手前は木造のミナレット。 桃の木彫りは中国風である。 |
プルジェヴァルスキーの墓と博物館 |
プルジェヴァルスキー(1839年-1888年)はロシアの探検家。4回のチベット・インド・中央アジア探検をしたが、5回目の探検の時に生水を飲んだのが原因でチフスにかかり49歳で亡くなった。博物館には彼の探検の足跡を示す壁いっぱいの地図、当時の探検隊が撮影したモノクロ写真、測量器具、発見者プルジェヴァルスキーの名を付された野生の山羊や馬の剥製などが展示されている。 なお、イシク・クル湖周辺の町カラコルはトルコ語で「黒い手」(労働者)という意味で、プルジェヴァルスキーの死後プルジェヴァルスク市と呼ばれていたが、キルギスの独立後に元のカラコル市という名前に戻された。 |
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プルジェヴァルスキーの墓と博物館のある公園の入口 |
プルジェヴァルスキー博物館には、 プルジェヴァルスキーの功績を示す品々が展示されている |
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スターリンに似ているといわれるプルジェヴァルスキーの肖像画。彼は身長199cm、休重140kgの偉丈夫だった。 | 博物館の正面を飾る地球儀とその背後にある探検の軌跡を示す地図 地球儀をクリックすると地球儀が消えて地図が現れます。 最大化してご覧下さい。ブラウザの[戻る]でお戻り下さい。 |
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博物館の内部 |
彼が使用した測量器具 |
探検隊に与えられた 中国のパスポート |
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彼が発見した野生の馬、山羊などの剥製 |
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1893年に建てられたプルジェヴァルスキー記念碑 碑の石は地元の天山花崗岩製で365トン、オリーブ(豊穣のシンボル)をくわえたウイングスパン2.5mの鷹は意志と大胆の象徴、広げられているのは探検家にとって大切な地図、正面上部にロシア正教の十字架が象られている。 |
記念碑の後にあるプルジェヴァルスキーの墓標 彼の遺志により、首都のセントペテルブルクではなく、イシク・クル湖の湖畔に埋葬された。 |
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記念碑からイシク・クル湖の東の端が見下ろせる。湖畔近くに埋葬されたというが、現在の墓地は湖面から約30mの丘の上である。これは120年余りの間の湖面の低下を暗示する。 | 公園は、トウヒに包まれた静かな憩いの場所であった |
ジェティ・オグスの奇岩 |
カラコルからイシク・クル湖の南岸に出る途中、当初の予定になかったジェティ・オグスの奇岩を訪ねた。 |
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ジェティ・オグスは、キルギス語で「7頭の雄牛」の意味である。 「7頭の雄牛」の前で記念写真を撮った「7人の侍!」 |
ジェティ・オグスのすぐ隣にある奇岩ジャラガンジュロには悲しい伝説がある。ある美しい女性に求婚した二人が決闘して、二人とも死んだ。そのとき女性のハートが裂けたのだという。 |
キルギス人の民家で昼食 |
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中国風の急須 | ||
今日の昼食はキルギス人の家庭で頂いた。 | 黙っていたら禄茶が出るのが嬉しい |
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野菜と魚のサラダ |
ナンと揚げパン |
自家製ジャム2種類 |
四角と三角の餃子(オモロ) 羊肉入りと野菜入りの違い |
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食後、アクマーラちゃんが、馬の仕草を真似た踊りを披露してくれた | 踊りが終わってホッとするアクマーラちゃんとご両親 |
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庭には2軒ユルタが建てられていた 「土産屋さん」と「アクマーラちゃんの生活空間」と |
庭の作業場には農業機械や鍛冶場があり、 農家のご主人の生活ぶりの一端が窺えた |
イシク・クル湖からコチクルへ |
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北岸にアラトー山脈を従えたイシク・クル湖と別れ、さらに西へ進む |
湖を離れチュイ川に向かう途中に小高い丘があり、イシク・クル湖とチュイ川を隔てていることがわかる。これは以前から気になっていたところで、後に詳述する。 |
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チュイ川が現れた。川の両側は土砂が堆積しており、かつてのチュイ川の氾濫域かもしれない。 | チュイ川の川幅が広くなった場所で、これは貯水池だという。 古い地図にはないが、新しい地図には出ている。 |
コチクルに着いた。民家の北側に厚い堆積層の山があり、折からの西日を浴びて西遊記に出てくる火炎山のようだった |
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小麦畑を挟んで火炎山と対峙するところにコチクルの民家がある。 上の写真の右端の民家と3軒隣の白い車を駐車させた民家の2か所に分宿する |
出迎えてくれた民宿の子供たち |
ゲストハウス(民宿)で夕食 |
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夕食は奥の方の民家で一緒に頂くことになった | ハヤシライス (ライスとソバとトウモロコシが出たのが面白い) |
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定番のトマトとキウリのサラダ |
スープ (カボチャだったかな?) |
キルギスタンのビールとキリル文字で書かれている。正式国名はキルギスになったが、キルギスタンを使ってもいいことになっている。 |
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パン | 様々なドライフルーツ | アンズだったかな? |
チュイ川とイシク・クル湖の関係 (こだわりの調査) |
イシク・クル湖には流入する河川はいくつもあるが、流出する河川は1つもないことは有名である。しかし今年の5月にキルギスを訪ねたときに、チュイ川はイシク・クル湖から流れ出ているのではないということがなかなか信じられなかった。今回7月に再度キルギスを訪ねた際に現地の地図を入手し、前回と異なるルートで車窓から眺め、GoogleEarthの画像を精査し、チュイ川とイシク・クル湖の位置関係を納得することができた。 |
A | 今回現地で入手したキルギスの地図のイシク・クル湖周辺 今年の5月にキルギスを訪ねたときに、チュイ川に沿う道路を登り、最後に川が見えなくなったらイシク・クル湖畔に着いた。日本で入手できる中央アジアの地図は縮尺が大きいため、チュイ川がイシク・クル湖から流れ出るように見えてしまう。多くの本に「イシク・クル湖から流れ出る川はない」と書かれているが、信じられないというのが、5月に訪ねた時の印象だった。 今年の7月に再度キルギスを訪ねた際に、地元で出版された縮尺の小さな地図(左の地図)を入手した。この地図から、チュイ川はイシク・クル湖に流れ込まず、また流れ出さないことが地図上で明らかになった。 チュイ川とイシク・クル湖の位置関係と高度関係を明らかにするため左の地図の点線で囲んだ範囲を、GooglEarthで調べたのが下の図である。、 |
A | GoogleEarth拡大画像(上の地図の点線で囲んだ範囲を示す) GoogleEarthは人工衛星から実測した3D画像である。画像上にカーソルを合せるとその点の標高が表示される。この方法で測定した標高を画像に記入した。但し、標高1618mは18と略記した。イシク・クル湖の湖面の標高は1603mであるが、湖岸の西端の水面標高は1606mである。この差3mの原因はわからない。 GoogleEarthの画像から、イシク・クル湖とチュイ川は最も接近したところで約6km離れていることがわかる。この点でチュイ川の水面の標高は1619mで、イシク・クル湖の湖面1603mよりも16m高い。イシク・クル湖とチュイ川の間には標高1620mの丘があり、イシク・クル湖よりも17m高く、チュイ川よりも1m高いことがわかる。 |
もしイシク・クル湖の水位が現在よりも16m以上高ければ、イシク・クル湖の水はチュイ川から流れ出すことになる。西暦635年頃に玄奘三蔵がイシク・クル湖岸を通過した道は現在は湖底に沈んでいるというので、1380年間に水位は上昇したことになる。プルジェヴァルスキーの墓地は彼の遺志により1888年に湖のほとりに作られたが、今は湖面から比高30mの丘の上にある。したがって最近の120年間に水位が下がったことが暗示される。流出河川のない湖の水位は、水源地の雨量・融雪量と湖面からの蒸発量のバランスで決まる。このようにイシク・クル湖の水位は変動しているから、過去においてチュイ川から流れ出したことがあったかもしれない。 |
7日目 (7月21日) |
コチクルの民宿→カルマク・アシュ峠→ソンクル湖BC→ユルタ(泊) |
今日はコチクルの民宿を出発して、3450mの峠を越えて標高3033mのソンクル湖BCまで移動する1日である |
ソンクル湖BCに到着 |
コチクルの民宿を9時過ぎに出発して、カルマク・アシュ峠を越え、12時過ぎにAK-SAI TRAVELが経営するソンクル湖BCに到着した。一休みしてから、ソンクル湖往復2時間弱のミニハイキングを楽しんだ。 |
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ユルタが立ち並ぶソンクル湖BC。 標高はGPSによると3033m | 自分が泊まるユルタはNo.3 |
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ユルタは2人で使用、ベッド、カーペット、ガス暖房が完備していて、快適だ。 直径は6m余りあり、2人には十分な広さだ。 |
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キッチン・ユルタの横におかれた太陽電池パネル |
ソンクル湖に流れ込む小川の水を エンジンポンプで汲み上げて生活水にする |
太陽熱温水器と洗面台 この裏側がシャワー室 |
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BCからソンクル湖まで直線距離で約700m、 その間、満開のエーデルワイスが絨毯のようだ |
ソンクル湖の近くに1軒のユルタがあったので立ち寄った |
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ユルタにはご婦人が1人いたので、ガイドのテンチクさんに通訳を 頼む。「私は漁師で夫とボートで網を使って魚を獲る。20cmで200gのものが1日に100kgほど獲れる。放牧だけの人は冬は居なくなるが私は冬もいる。冬は-40度になり、湖には2mの氷が張る。氷に穴をあけて漁をする。ここでは夏は放牧、冬は漁師をやる人が多い」と話していた。 |
ここのユルタは、一般のユルタのように木製の骨とフェルトではなく、鉄パイプとテント地でできているようだ。ユルタの内部は質素そのもの。 |
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唯一の暖房器、たぶん馬糞ストーブ |
船外機が転がっていた |
彼女の話ぶりは、ふてくされたようでもあり、満足げにも見えた。 |
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ソンクル湖に着く。GPSによると湖面の標高は3017m。 BCよりも16m低い。湖岸には様々な石が転がっている。 |
堆積岩? |
火成岩? |
石英の入った石だとか |
湖岸からBCを眺めると、谷地坊主(やちぼうず、凍結坊主ともいう)が見られた。 英語ではアース・ハンモックという。 大きさは大小あるが、ここでは直径約50cm。 |
谷地坊主のできるメカニズムは、次のように考えられる。寒冷地では冬季に土が凍結する。土中の水分が凍ると体積が増えるため土は持ち上げられる。スゲなどの植物の株も一緒に持ち上げられる。春になると雪解け水などで湿原は冠水し、その際株の周辺の土が洗われたり、削られたりして数ミリから数センチ程度少なくなる。このようにして、毎年少しずつ株は高く大きくなっていく。 |
ソンクル湖BC周辺の植物観察 |
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Leontopodium ochroleucum キク科 ウスユキソウ属 |
地衣類 菌類と藻類からなる共生生物 |
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Cirsium esculentum キク科 アザミ属 レンザアザミ |
Astragalus sp. マメ科 ゲンゲ属 |
Dracocephalum paulseni シソ科 ムシャリンドウ属 |
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Pyrethrum pyrethroides キク科 ムシヨケギク属 |
Parnassia laxmannii ウメバチソウ科 ウメバチソウ属 |
Gentiana sp. リンドウ科 リンドウ属 |
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ソンクル湖に流れ込む小川 | Ranunculus natans キンポウゲ科 キンポウゲ属 ミズキンポウゲ |
ソンクル湖ハイキングからBCに戻る |
夕立の後、午後5時40分から10分間ほどの間、2重の虹が出た |
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夕食に頂いた魚のグリル | ソンクル湖の夕陽 |
夕焼けに染まるユルタ群 |
8日目 (7月22日) |
ソンクル湖BC滞在(ユルタ泊) |
今日は1日ソンクル湖BCに滞在し、昼は植物観察ハイキングを、夜は星空観察をするという 正に至福の1日である。 |
ソンクル湖の背後にある前衛の山に登る |
A | BCから見てソンクル湖の反対側(南側)にある山をソンクル湖の背後の山(最高標高3800m)と呼び、その前にある山(最高標高3175m)を前衛の山と呼ぶことにする。 今日は前衛の山に植物観察ハイキングに行くことになった。ソンクル湖BCの標高がすでに3033mあるので、楽なものである。 ソンクル湖BCから前衛の山までの間は多少岩山もあるが大部分は草原地帯で、馬の放牧がおこなわれ、あちこちにユルタも見られる。 |
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←背後の前衛の山へのハイキングのGPS軌跡 |
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「背後の山」 と 「前衛の山」 | 岩山をよじ登る |
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結構高いところまで馬が放牧されている | 振り返ると、はるかかなたにソンクル湖とBCが見える |
前衛の山に登ると、ソンクル湖背後の山脈(3800m級)が目前に現れる。 大きな窪地地形は、氷河によってできた圏谷(けんこく、カールともいう)のように見えるが、あるいは火山地形かもしれない。 |
ソンクル湖と馬の放牧地 |
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馬は立ったまま休むというが、寝そべっている馬を初めて見た | のんびりと草を食む |
ソンクル湖の前衛の山の植物観察 |
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Rosularia alpestris ベンケイソウ科 ロスラリア属 |
Oxytropis sp.var. マメ科 オヤマノエンドウ属 |
Aster vvedensky キク科 シオン属 |
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Iris sp. アヤメ科 アヤメ属 |
地衣類 | Kobresia カヤツリグサ科 ヒゲハリスゲ属 |
羊の解体 |
植物観察ハイキングから帰ると、BCでは羊をさばいていた。 |
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ちょうど内臓を取り出しているところ | 夕食は羊肉かと思ったが、これは他のグループの特別料理だった |
ソンクル湖の夕日と星空 |
ソンクル湖に沈む夕日 |
ユルタと星空 (左)南斗六星(いて座の一部)、 (右)さそり座 撮影日時:7月22日22時45分 撮影方位:真南 |
9日目 (7月23日) |
ソンクル湖BC→カルマク・アシュ峠→ブラナの塔とバラサグン遺跡→ビシュケク(泊) |
今日は、いよいよソンクル湖を発ち、キルギスの首都ビシュケクにたどり着く長い移動の一日である。 |
草原の朝 |
ソンクル湖放牧地の朝 |
ソンクル湖背後の山の朝 |
カルマク・アシュ峠の植物観察 |
2日前にソンクル湖に来るときに通ったカルマク・アシュ峠の植物が素晴らしかったが、時間がなくて車を停めることができなかった。幸い帰りは時間に余裕があったので、車を止めて素晴らしい植物を観察することができた。GPSによると、峠の最高地点の標高は3450m、植物を観察したところは3250mであった。残念なことにカメラの設定を誤ったため、見苦しい写真で失礼する。 |
2~3mもある大きな花崗岩 氷河によって運ばれた「迷子石」かもしれない |
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Papaver tianschanicum ケシ科 ケシ属、種小名から天山ポピーだと分る |
Schmalhausenia nidulans キク科ではあるがアザミ属でない |
Bistorta sp. タデ科 イブキトラノオ属 |
Geranium sp. フウロソウ科 フウロソウ属 |
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Allium atrosanguineum ネギ科 ネギ属 |
Allium platyspatum ネギ科 ネギ属 |
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ソンクル湖からチュイ川を下る |
ソンクル湖を出発して、ソンクル川を渡り、カルマク・アッシュ峠を越え、チュイ川の上流に出て、ほゞチュイ川に沿って下り、首都のビシュケクに向かう。 |
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3450mの峠を下ると、少しずつ人家が現れる | 突然立派な道路に出くわす |
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道路工事の車には「〇〇有限公司」と記されている。中国が政府開発援助でやっているらしい。 |
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イシク・クル湖畔の町バルクチと首都ビシュケクを結ぶ鉄道線路 | チュイ川に沿って下り平地に出ると、ヒマワリ畑もあって長閑だ |
ブラナの塔とバラサグン遺跡 |
イシク・クル湖からチュイ川に沿ってビシュケクに行く途中で10kmほど南にそれたところに、ブラナの塔とバラサグン遺跡がある。この辺りは10世紀から13世紀のカラ・ハン朝の首都のひとつバラサグンと推定される。ブラナの塔は11世紀初めに建てられた見張り台と思われる。現在の塔の高さは24mだが、かつては45mあった上の部分は15、16世紀の地震で崩壊したという。 |
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ブラナの塔は、地震のために少し傾いているが上まで登ることができる | ブラナの塔の隣にあるバラサグン遺跡には、野外博物館としてキルギス各地から石人が集められている。石人は突厥の戦士の墓だともいわれ、みんな茶碗を持っている。馬乳酒を飲んでいるのだろうか。 |
昼食 |
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いらっしゃいませ! 民家風のレストラン | テラス風のオープンスペースで、気楽な昼食 |
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麺スープと野菜サラダ | 野菜煮物と白身魚 うっかり箸を付けてしまった後で撮影 |
アンズ |
ビシュケクに着く |
ソンクル湖から約10時間のドライブで、キルギスの首都ビシュケクのホテルに到着した。 |
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宿泊したホテル | ホテルの部屋から |
10日目 (7月24日) |
ビシュケク→アラアルチャ国立自然公園→ビシュケク市内観光→ビシュケク(泊) |
アラアルチャ国立自然公園 |
ビシュケクの中心から車で40分ほどのところにある自然公園を訪ねた。 |
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自然公園の入口の表示 | 受付 | 雪豹の像が迎えてくれた |
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カローナ山(4692m)の一部が見える | Chamaenerion angustifolium アカバナ科 ヤナギラン属 アカバナ属に属するとされることがある |
石英の塊 |
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Rosa fedtschenkoana バラ科 バラ属 |
Campanula glomerata キキョウ科ホタルブクロ属 ヤツシロソウの仲間 |
Lonicera stenantha スイカズラ科 スイカズラ属 果実は食用になるが、毒性のあるものも多いという |
(右)アラアルチャ川と(左)アクサイ川が合流するところ(標高2280m)まで、散策路がついている。 上高地のような雰囲気の登山ベースである。ただし、アラアルチャ川は、氷河の融水のせいだろうか白濁している |
昼食 |
アラアルチャ国立自然公園をハイキングした後、公園内のバーベキューハウスで、昼食を頂いた。 |
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野菜サラダ | キウリの浅漬け | カリフラワーのスープ |
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おにぎりとパン | 菓子パン | お姉さんが豪快に切ってくれたスイカ |
国立歴史博物館とアラ・トー広場 |
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アラ・トー広場にある英雄マナス像とキルギスの国旗 | 国立歴史博物館の裏側に建つレーニン像 かつては博物館の表正面にあったが2003年に裏に移された |
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国立歴史博物館の入口を入ったところ。 階段の上にレーニンを先頭にしたロシア革命の戦士の像がある 国立歴史博物館の内部については、小生のホームページ中央アジア(1)をご覧下さい |
アラ・トー広場前の対称形の建物は、官庁街ではなくショッピング街だそうだ |
夕食とキルギス伝統音楽鑑賞 |
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看板は、アラビヤ文字に見えるがキリル文字だ | 今回旅行の最後の夕食 |
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サラダ | 野菜スープ | ポテト・ニンジン・肉のソテー |
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リッチな味のデザート | 植物学者のアレクサンドルさんにお礼の言葉 | アレクサンドルさんから全員に贈れた薬用酒(精がつくとのこと) |
夕食の後、キルギスのアーティストによる伝統音楽を鑑賞した。 |
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テミルコムズは金属製の口琴 アイヌのムックリ(竹製の口琴)とちょっと似ていて面白い |
キルギス大統領の元夫人の哀愁を帯びた歌が素晴らしい |
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コムズは三弦(但し今はナイロン製)でフレットがない点で 津軽三味線に相通じる |
最後に坂本九の「上を向いて歩こう」を歌ってくれた |
11日目 (7月25日) |
ビシュケク→国境を通過してカザフスタンへ→アルマティ→機中泊 |
今日は、キルギスからカザフスタンに移動し、カザフスタンのかつての首都アルマティ(現在はアスタナに遷都)をちょっぴり観光して、アルマティ空港から帰途に就く。 |
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ビシュケクのホテルから最後のアラ・トーの山を眺める |
キルギスからカザフスタンへの国境を出たところ ここで思いがけないトラブル発生。キルギスの出国時のスタンプの日付が誤っていたのが、カザフスタンの入国時に見つかった。6人中5人は発見されなかったが、最後の1人のときに見つかり、全員の日付を訂正するのに1時間半ほどかかった。 |
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アルマティのガソリンスタンドで見た省エネのポスター e4:efficiency, economy, ecology, energy カザフスタンの市民も、この程度の英語は読めるのだろう |
たまたまガソリンスタンドの近くで見かけた風力発電所 VISTA energy のロゴが見えるが、これは米国にあるエネルギー関係のエンジニアリング会社。風力発電機のメーカーはこの写真からは分からない。 |
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アルマティの中心から40分ほどのところにある展望台 スキー場とスケート場があり、2017年の冬季ユニバシアードの開催が決定している。2022年の冬季オリンピック開催を目指している。 |
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フライトの関係で早めの夕食を、アラビックなレストランで | ガイドのテンチクさんとドライバーのアンドレさんにお礼を差し上げる |
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到着時と同じカザフスタンのアルマティ空港 | 22:50にアシアナ航空OZ578便、A330機でアルマティ空港を出発 |
12日目 (7月26日) |
機中泊→韓国インチョン空港で乗継→成田空港 |
アルマティからの夜行便で、07:40にインチョン空港に着き、乗り継いで、成田空港に着いた。 |
インチョン空港発9:00のアシアナ航空OZ102便A380機で、成田空港着11:30 |
1か月前にキルギスを含む中央アジア4か国を訪ねたが、今回の旅は花を訪ねるハイキングということで、前回とはほとんど重ならなかった。今回の旅では沢山の高山植物にお目にかかれたし、ヘリによる氷河への着陸、テントやユルタでの宿泊など楽しい多くの体験ができた。何回かの民家での宿泊や食事、その時の子供たちの歓迎が嬉しかった。お蔭で中央アジア、とりわけキルギスが身近な国になった。 今回の旅でお世話になった現地ガイドのテンチクさん、植物観察を指導して下さったアレクサンドルさんに心からお礼申し上げます。また、今回の海外巡検を企画・実施して下さった我々の仲間でもある(株)ユーラスツアーズの坂田社長に感謝します。同行の仲間の1人源原さんには植物の同定で大変お世話になりました。源原さんのご尽力には心からお礼申し上げます。また今回の巡検を楽しく有意義なものにして下さった同行の日本山岳会・山の自然学研究会の皆さんに感謝したいと思います。 最後に、横浜国立大学名誉教授の大野啓一先生には、植物に関して多くの有益なコメントを頂戴しましたことに、お礼を申し上げます。 |
キルギス-天山山脈ヘリハイクと花の旅は、いかがでしたか。 なお、中央アジア4か国-歴史と文化の旅は、別の頁にありますので、どうぞご覧ください。 |
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