アイスランド(1)---- 地球の脈動を感じる旅(アイスランド南部) |
アイスランドと聞いて、皆さんは何を連想されますか。 バイキングが作った国、商業捕鯨をしている国、1986年に冷戦終結のきっかけとなるレーガンとゴルバチョフの米ソ首脳会談が首都レイキャビークで行われた国、最近では2008年に金融危機の激震に見舞われた国、といったところだろうか。 私は今まではそのようなことしか関心がなかったが、地学を勉強してみて、世界中で一番行ってみたい国の1つになった。 地球上の大陸も海も、プレートと呼ばれる十数個の岩板の上に乗ってゆっくりと動いている。 このプレートは、太平洋や大西洋の真ん中にある「海嶺」と呼ばれる長大な山脈で生まれる。 唯一アイスランドでは、このプレートが生まれる場所が、海底に潜らなくても地上で見られるという。 日本山岳会の仲間で作る「山の自然学研究会」は、「山はなぜ高くなったか」をメインテーマにして、地学・生態学・環境学などを学んでいる。 今までに「日本の誕生をめぐる中央構造線の旅」、「プレートの移動を実感するハワイの旅」、など数多くの研修旅行(我々は「巡検」と呼んでいる)を行ってきた。 今回いよいよ本命の「プレートの生まれる国アイスランドの巡検」をすることになった。 今回のホームページは、いささか「地学オタク的」なところがある。 地学に関心のない方には解り難いところもあるかもしれない。 しかし最後までご覧頂ければ、きっと地球の脈動に感動して頂けるのではないかと思う。 最後に、今回の旅をプロモートされた「山の自然学研究会」の船橋氏、旅を催行して頂いたユーラスツアーズの坂田氏に感謝したい。 アイスランドの旅(1)はアイスランド南部の旅 アイスランドの旅(2)はアイスランド中北部の旅 である。 合せてご覧下さい。 (2009年7月)
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レキ山頂から見るラカギーカル火口群 | |||||||||||||||||||
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アイスランド旅行の全ルート |
赤字は宿泊地(丸数字は宿泊順)、 青字は主な訪問地 |
1日目 (7月5日) |
成田→コペンハーゲン→レイキャビーク(泊) |
成田からデンマークの首都コペンハーゲン経由でアイスランドの首都レイキャビークに向かう。 レイキャビーク近郊のホテル・バイキングで旅の最初の夜を迎える。 |
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成田空港からコペンハーゲン空港へ向かう |
コペンハーゲン空港でレイキャビーク空港行に乗り換える 着陸した空港は、正式にはケプラビーク国際空港という |
レイキャビークのホテル・バイキングへ |
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ホテル・バイキング | ホテルの向いにあるレストランは、バイキング時代の家を復元 |
ホテルの外壁のバイキングの紋章 |
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ホテル・バイキングの浴槽には温泉が出た | バイキング時代を彷彿させる質素な木製ベッド |
2日目 (7月6日) |
レイキャビーク→シンクベトリル国立公園→黄金の滝→間欠泉→ スカゥルホルトの教会→セリヤランス滝→スコーガ滝→ミーダルス氷河→ ディルホゥラエイ→キルキュバイヤルクロイストル(泊) |
シンクベトリル国立公園 |
アイスランドの実質初日は、まず首都レイキャビークから約50km東にあるシンクベトリル国立公園へ |
シンクベトリル国立公園へ向かうバスの車窓から見る風景は、氷河で削られた地形 |
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1955年ノーベル文学賞を受賞した ハルドル・ラクスネスの生家を通過 |
国中いたるところで見かけるアイスランド馬 アイスランドの馬は10世紀以上も原種を守っている世界でも非常に珍しい種である。 気性は穏やかで、寒い土地に強く、肉も良質なので、世界的に見ても貴重な馬となっているという。 乗馬用として世界に輸出され、肉は食用になる。 |
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陥没湖であるシンクベトリル湖では、北極イワナが釣れる | ビジターセンターの立体地図で、「今いるところはここ!」 |
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マンテマの仲間 マンテマには 2種あり、こちらは大きな萼筒がある |
キンポウゲ |
タイム(ジャコウソウ) |
地衣かコケか? コケらしい |
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南北に続く地球の裂け目(ギャウ) 左が北米プレート、右がユーラシアプレート |
この川もギャウの1つだろう 手前が北米プレート、川向うがユーラシアプレート |
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ギャウの彼方にアイスランド国旗が建っている。 ここは930年に民主議会アルシング(全島会議)が開かれ、世界初の憲法が制定されたところである。 世界の民主議会の基礎を作ったといわれる英国のマグナカルタ(大憲章)が1215年であるから、それよりも約300年早い成立である。 |
現地のパネルにはアイスランド語と英語で説明されている。 当時は毎年夏の2週間、ここにアルシング(全島会議)のテント村ができたらしい。 |
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北米プレートからユーラシアプレートの方へ橋を渡って歩く | 深いギャウには澄んだ水が流れている |
ギャウに咲く花 |
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縄目状溶岩とその上に咲くタイム(ジャコウソウ) | キジムシロの仲間 |
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フウロソウ | フウリンダイコンソウ | ルピナス | ゴマノハグサの仲間 |
プレートとは何か? プレートテクトニクスを紐解こう! |
ここで、プレートとは何か、地球ができて43億年の中で最近の数億年の地質学的出来事をうまく説明できるプレートテクトニクスを解説しよう。 |
大陸移動説 |
1912年にウェーゲナーは地質・古生物・古気候などの資料を元にして、大陸が別々に漂流したとする「大陸移動説」を主張した。しかし当時の多くの地質学者は、大陸移動の駆動力が説明できないとして認めようとはしなかった。 |
中央海嶺からプレートが生まれる |
1950年代になると海底探査が進み、中央海嶺(海底山脈)の両側で対称的に海底が拡大していることが分った。中央海嶺でプレートが生まれ、その上に乗っている海洋と大陸が一緒に移動していること明らかになり、大陸移動説が正しいことが認められた。 |
http://georoom.hp.infoseek.co.jp/を改変 |
地球は、ジグソーパズルのようにプレートで覆われている |
現在地球の表面は、約15個(小さなものを数えるともっと多くなる)のプレート(固い岩板)で覆われていることが分っている。 プレートは軟らかいマントルの上に浮いていて、マントルの対流に従って移動する。
これがプレートテクトニクスの理論である。プレートテクトニクスにより、大陸移動が説明できるだけでなく、火山、地震など地質学上のいろいろな現象が統一的に説明される。 アイスランドの西半分は北米プレート、東半分はユーラシアプレートからなる。 2つのプレートはアイスランドで生まれている。 日本では、ユーラシアプレート、太平洋プレート、北米プレート、フィリピン海プレートの4つのプレートが押し合いしている。 |
Wikipediaを改変 |
北極を中心にした北半球の地図上に、北米プレートとユーラシアプレートを描く |
アイスランドで生まれた北米プレートとユーラシアプレートは、地球の裏側の日本でぶつかり合っている。 日本周辺における北米プレートの存在は、1983年の日本海中部地震以降に認められたが、まだ研究段階で、プレート境界の位置と境界のタイプには諸説がある。 |
島村英紀「地震と火山の島国−極北アイスランドで考えたこと」、船橋明「やまの自然 第6号」を参考に作成 |
アイスランドは、普通は深い海底にある中央海嶺でしか見られないプレートの発生が、地上で見られる数少ない場所である。 これが我々がアイスランドを訪問する大きな意義である。 |
黄金の滝(グトルフォス) |
黄金の滝(グトルフォス)には、身を挺してこの滝を守った少女シーグリーズルの物語がある。 1907年に英国の企業がここに発電所を計画した。 この計画に反対したのが近くの農夫トーマスとその娘シーグリーズルである。
シーグリーズルはレイキャビークまで歩き、計画の中止を訴えた。 すでに正式の契約が終了しており政府としても計画を中止することは困難な状態であった。
シーグリーズルは「もし滝が外国資本に売られたなら、私は滝に身を投げます」と訴えた。 この強い訴えが功を奏し、英国企業は契約の実行をためらい、滝は守られた。 お蔭で今も「黄金の滝」の雄姿を眺めることができる。 |
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滝を守った少女 シーグリーズルのレリーフ |
黄金の滝は、川幅70m、落差32m。氷河から流れ出た白濁した豊富な水量が壮大である。 |
黄金の滝のパノラマ写真 |
滝の前で集合写真 |
間欠泉 |
アイスランドの間欠泉といえば、ゲイシールが有名である。 間欠泉の英語Geysir(ガイサー)の語源となっている。 最も古くて巨大な本家ゲイシールは現在お休み中で、その隣にあるストロックルが7分ごとに30mの水柱を立てている。 |
間欠泉の周りでは、次の噴出を見る人が待機している。 |
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上の画像をクリックすると、動画をご覧になれます。 短いですが--- |
現地の間欠泉の説明パネルによると、ここの高温地帯は3km2あり、最高温度は250℃とのこと |
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間欠泉の傍らに咲くウメバチソウの花 |
アイスランドの名物飲料スキール 見かけはヨーグルトであるが、クリーム状で濃度が高い。 いろいろなフルーツ・テイストがつけられている |
スカゥルホルトの教会 |
スカゥルホルトは、アイスランドで最初の主教管区があった所で、1056〜1796年のほぼ700年にわたって政治、宗教、文化そして教育の中心となった歴史的な背景をもつ町。
1536〜37年にデンマーク王クリスチャン3世が、アイスランドの「宗教改革」を断行し、ルター派のプロテスタントを導入した。 現在は宗教の自由は保障されているが、ルター派が約90%を占めるという。 現在のスカゥルホルトの教会は、1967年に全面的に建て替えられたもの。 |
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高原の高台に建つ教会はシンプルで清楚な外観 | 内部もシンプルで、正面のキリスト像はモダンアート的である |
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車窓から眺めるヘクラ火山 アイスランドで現在活動する成層火山の1つ。標高1491m 1度噴火すると2度と噴火しない単成火山が多いアイスランドで、めずらしく何度も噴火を繰返す複成火山である。 |
車窓から眺めるウエストマン諸島 アイスランドの南の海に密集する15の島からなるウエストマン諸島には、奴隷達が逃げ込んで主人に殺戮された歴史がある。1973年には火山噴火があり5880人の島民全員が1人の犠牲者もなく本土に避難したという。 |
アイスランドの海岸の砂は、なぜ黒い? |
上の「車窓から眺めるウエストマン諸島」に写っている海岸もそうであるが、次の「ミーダルス氷河」を覆っている砂も黒い。 なぜだろうか? アイスランドでは氷河期だけでなく現在でも多くの噴火が氷河の下で起こる。 噴出した溶岩は氷で急激に冷やされると、ガラス質成分が結晶状態ではなく非晶質状態(アモルファス)になる。 黒い砂は、おそらく黒いガラスを含んだ砂ではないだろうか。 因みに7月9日に訪ねるランズマンナラウガルのキャンプ場では、自然ガラスの代表である黒曜石の塊を見つけた。 |
セリヤランス滝 |
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アイスランドを一周する1号線リングロードの脇にあるセリヤランス滝は、落差40m | 滝の裏をぐるりと周ることができる |
スコーガ滝 |
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海岸を埋めるミーダルス砂原にある落差62mのスコーガ滝 | 足元に現れる虹の浮橋はロマンティックである |
アイスランドでは標高の低い所に滝が多いのは、なぜ? |
今回のアイスランドの旅で数多くの滝を見た。 その多くが標高の低い場所、さらにいえば、海岸に近いところや海岸と余り標高差の大きくない場所にある。
これにはわけがありそうである。 今から2万年前の最終氷期には、アイスランドは全島厚い氷河に覆われていた。 重い氷河のためにアイスランド島を載せたプレートはマントルの中に少し沈んでいた。 ところが後氷期になって氷河がとけると氷の重しがなくなって島が数十mも隆起した。(氷河性アイソスタシー) したがってアイスランドの海岸沿いに比高数十mの段丘が多くみられる。 この段丘が標高の低いところでの滝の生成と関係があるのではないかと思う。 標高の問題は別にして、アイスランドの滝の多くは柱状節理の岩に懸かっている。滝の上には現在も氷河があり、大量の河川水を供給していることも、大きな滝ができる一因だろう。 アイスランドの滝の研究をすると面白いのではないだろうか。 |
ミーダルス氷河 |
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ミーダルス氷河の中のソールヘイマ氷河(氷舌ともいう) | 黒いモレーン(氷河堆石)の上を歩いて、氷河の先端に辿り着く |
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ソールヘイマ氷河が黒いのは、近くの黒い砂原の砂が舞い上がって 落ちたからだとか、氷河の下で噴火が生じたからだとか、いわれている |
アイゼンなしで来たので、安全を考えて中腹で集合写真を撮る |
アイスランドの氷河面積は、南極大陸、グリーンランドに次ぐ。 ヒマラヤやアルプスよりも広い。 その中で最大のものはバトナ氷河である。 バトナ氷河の総面積8400km2というから、東京都、神奈川県、埼玉県を合わせた面積がある。 |
ディルホゥラエイ |
アイスランドの南端レイニス山の麓に大きな窪みがあり、見事な柱状節理が見られる。 |
自然の摂理に驚くばかりである |
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割れた六角柱を見ると、饅頭のように 皮とあんからできていることが分る |
右隣には柱状ではなく板状(フレーク状)の節理がみられる |
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柱状節理のすぐ近くの海岸には、丸い石が敷き詰められていた |
大西洋に突き出した岸壁はディルホゥラエイと呼ばれ、海蝕でできた大きな穴があいている |
キルキュバイヤルクロイストルのホテル |
キルキュバイヤルクロイストルという町は、1186年にアイスランド最初の修道院が建てられた場所である。 当時の修道院は、ラカギーガルの噴火で消滅したが、地名に名残りを偲ぶことができる。 |
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放牧されている羊はいつも3頭、母羊と仔羊2頭である。 お父さんはどこかへ行ったのか、それとも食用になったのか。 |
一面の溶岩台地。表面は地衣類ではなくコケのようである。 |
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溶岩台地の中に忽然と現れたホテル 人口希薄なアイスランドでは観光業も省力化せざるを得ない。 郊外のホテルは平屋でエレベータなし、部屋に電話なし、ご用のある方は帳場までどうぞ。 このホテルに3泊した。 |
今日は、仲間のKさんの誕生日、ホテルが用意してくれたバースデイ・ケーキで、Happy Birthday to You を合唱。 外人さんも唱和してくれた。 |
3日目 (7月5日) |
バトナ氷河→黒い滝→ヨークルサルロン氷河クルーズ→ インゴゥルフスヘプジ岬(島)→キルキュバイヤルクロイストル(泊) |
バトナ氷河 |
アイスランド最大のバトナ氷河、その一部であるスカフタ山氷河 生憎天気が悪いが、手前は、広大なスケイザルアゥル砂原 |
現地のパネル スケイザルアゥル砂原は氷河の下で火山が噴火してできた。 氷河の下で噴火すると、溶岩が急に冷やされてガラス質を含む黒い砂になるらしい。 上の画像をクリックすると1996年の氷河の下の火山噴火のメカニズムのパネルが表示されます |
黒い滝 |
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「黒い滝」まで30分ほどのハイキング |
黒い玄武岩の柱状節理に懸かる滝は見事。 節理がすべてオーバーハングであることにも注意 |
バスへの帰路は花園 |
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ワキアカツグミ Redwing (Turdus iliacus) |
フウロソウ |
Alpine Hawkweed (Hieracium alpinum) |
キキョウの仲間 |
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シシウド | ムシトリスミレ | Alpina Bistort | チョウノスケソウの果実 |
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ハゴロモグサの仲間 | ミミナグサ | ハマカンザシ | ハクサンチドリ |
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3の倍数のヒツジの群れ 母と子で色が違うこともある |
アイスランド随所で見られるルピナスの群落 アイスランドでは溶岩流の上の植生がなかなか回復せず、 これを早めるためにニュージーランドからルピナスを移植した。 これが成功し、防砂効果が期待されている。 |
ヨークルサルロン氷河湖クルーズ |
バトナ氷河の一部が後退してできたヨークルサルロン氷河湖の全景 右にスクロールしてご覧下さい → |
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ライフジャケットを着て、水陸両用車(船)に乗る |
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緊急救助艇が後を付けてくる | 氷河が湖に突っ込んでいる氷河の末端まで行く |
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いろいろな形の氷河が湖に浮かんでいる 湖の深さは200m、面積は20km2 |
上の画像をクリックすると、 氷河湖クルーズの動画をご覧になれます |
船のガイドが英語で説明する 氷河が青く見えるのは、青い光を反射するから、ひっくり返った氷河のように新しい氷河が白いのはすべての光を反射するから |
我々のガイドの山本さんが通訳してくれる |
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海岸に打ち上げられた氷河 吊り橋の先が氷河湖 | 浜辺の黒い砂の中に、まん丸い石が |
インゴゥルフスヘプジ岬(パフィンの島) |
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広い砂原がラグーン化している | 栄養に乏しいラグーンには、ワタスゲが咲いていた |
ラグーンとは、湾が砂州(さす)によって外海から隔てられ湖沼化した地形。 ただし、完全に外海から隔てられておらず、ごく狭い海峡により外海とつながっているものが多い。 したがって、ラグーンは塩湖である。 |
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牧草収穫用のトレーラに乗り、農耕用のトラクタに引かれてラグーンを渡る。 着いた所が、インゴゥルフスヘプジ岬である。 | 砂丘のような崖を登ると、岬(潮によっては島にもなる)の平らな山頂に着く。 下に見えるのがトラクタに引かれたトレーラ |
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山頂には、ここがアイスランド最初の定住地となったインゴゥルブル・アルトナルソンの上陸地であることを示す碑がある。 | ここから見えるのは、左から航空機用のビーコン局、 レスキューハウス、船舶用の灯台だけである。 |
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ヒナを見守る母カモメ | ヒナを狙う盗賊カモメ |
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盗賊カモメに食べられたらしいカモメの卵 | カモメの死骸も転がっている |
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ガイドが双眼鏡でパフィンを探す | バードウォッチャーもパフィンを探す |
崖に巣営しているパフィンを見つけた。 パフィンは、チドリ目、ウミスズメ科、ツノメドリ属 全長35-41cm。 上面は黒、胸部から腹部にかけては白い羽毛で覆われる。 属名のFraterculaはラテン語で「小さな修道士」を指すfraterculusに由来し、ツノメドリの形態が黒衣の修道士を連想させることに由来するという。 北海道に生息するエトピリカ属をこの属に含める説もある。 |
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ちょっとそっぽ向いた番のパフィン | 魚を咥えたパフィン |
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草の上のパフィン | 不器用に飛ぶパフィン |
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鋭い嘴の盗賊カモメが、我々の上空を低空飛行して威嚇する |
島の上で見た見事な構造土? ただしこれは周氷河地形としての構造土ではなく、 柱状節理の上端に草が茂ったもののようだ |
4日目 (7月8日) |
ラキ山(ラカギーガル火口群観察)→レファールダオル・キャニオン→ 柱状節理の教会跡→キルキュバイヤルクロイストル(泊) |
ラキ山(ラカギーガル火口群観察) |
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スカフタ川を遡る。1783年のラカギーガルの噴火のとき、大量の溶岩がこの渓谷を流れ下った。 |
溶岩流が襲った時、小さな町キルキュバイヤルクロイストゥルの全住民が礼拝中だった。 村の教会の牧師が迫りくる溶岩流に向かって「火の説教」をすると、溶岩は町の近くで止まったという。この辺りだろうか。(車窓から) |
ラキ山へ行く途中で、フロイギユリ滝に立ち寄る |
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滝の下流には深い渓谷があった |
アルプスセンノウの仲間 |
マンテマ属には2種類ある。こちらは萼筒が小さく、一見タイムのように見える |
荒涼とした砂と礫の高原(荒原)を通過して、ラキ山に向かう。彼方にミールダルス氷河 |
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ついにラキ山(818m)の麓に着いた | ラキ山の山頂からラカギーガル火口群が見えた。乗ってきたバスも。 |
1783年に噴火したラカギーガルの火口群が南西方向に続いている。この火口群が一斉に噴火すると、 あたかも炎のカーテンになったことだろう。この写真を撮るため、はるばるアイスランドまで来たのだ。 |
ラキ山の山頂から北東方向を眺めると、そちら側もラカギーガル火口群がバトナ氷河まで続いている。 |
ラカギーガル火口群を背景に集合写真を撮る |
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山頂からはるか彼方にミーダルス氷河が見えた |
帰路にキノコが見つかった |
ここは植生が乏しい、これはタデ科 Common Sorrel (Rumex acetosa) |
レキ山を下った後、火口群の1つに登る。 226年前の噴火口はすっかりコケに覆われていた。 |
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火口壁から火口群と一直線にラキ山の中腹に小さな火口が見えた。 このことは、ラキ山の形成が火口群よりも古いことを示す。 |
火口壁に生えているコケは丈が10cmもあり、 マットレスのようにクッション性がよいのに驚いた。 |
世界に影響を与えた1783年のラカギーガルの噴火 |
ラキ山の火山帯は北東−南西方向に横たわり、ミーダルス氷河 とバトナ氷河の間に位置している。934年にも噴火した。1783年6月8日、地下水がマグマに触れて水蒸気爆発が発生し、130もの火口が誕生した。しかし噴火は次第に収まり、溶岩流を主体とする噴火へと変わっていった。この噴火は約15
km3の玄武岩溶岩と0.91 km3のテフラ(火山灰など)を発生した。溶岩噴泉 は高さ800-1400mに達したと推定される。溶岩の噴出は5か月で終わったが、噴火自体は1784年2月7日まで続いた。 ラキ火山近郊のグリームスヴォトン火山でもまた1783年から1785年の間に噴火が起きている。双方の噴火により、8百万トンのフッ化水素ガスと1億2千万トンの二酸化硫黄ガスが噴出し、付近の50%以上の家畜を殺し、飢饉が発生のため住民の21%の命を奪った。噴煙は噴火対流によって高度15kmにまで達した。この粒子の影響で、北半球全体の気温が下がった。ヨーロッパでは「ラキのもや」と呼ばれた。イギリスでも火山灰が降り、1783年の夏は「砂の夏」(sand-summer)と呼ばれた ラキ火山の影響は、その後数年にわたってヨーロッパに異常気象をもたらした。フランスではこの影響で、1785年から数年連続で食糧不足が発生した。これにより生じた貧困と飢饉は、1789年のフランス革命の大きな原因の1つになった。日本でも「天明の大飢饉」の原因になった可能性もあるとされている。(岩木山と浅間山の噴火が原因とする説もある) Wikipediaから引用・改変 |
レファールダオル・キャニオン |
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ラキ山からホテルへの帰路に、レファールダオル・キャニオンを訪ねた。現地の説明パネルによると、 この上流にあった氷河が最終氷期の終わりに融けて湖になり、その水が軟らかい砂状の岩を浸食して 現在のようなゴルジュができたらしい。 |
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ドライバーのビヤニさんの腕前は格別 | レファールダオル・キャニオンで見つけたゲンチアナとチョウノスケソウ |
柱状節理の教会跡 |
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キルキュバイヤルクロイストルに柱状節理の床の教会跡があるという | 教会の建物はないが、見事な柱状節理の床が残っている |
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キルキュバイヤルクロイストルのホテルに戻った夕方、ホテルからテーブル状の山々を見る | ホテルの夕食 |
アイスランドの旅(1)「アイスランド南部の旅」は、いかがでしたか。 アイスランドの旅(2)は、「アイスランド中北部の旅」です。 引き続き、下の [次へ] をクリックして、アイスランドの旅(2)をご覧下さい。 |
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