小笠原諸島−父島----世界自然遺産、固有種植物、固有種動物、 独特の地質、戦争と文化の歴史 |
世界を旅してみると、日本の自然はなんと素晴らしいのだろうと驚嘆する。地球上にはホットスポットと呼ばれる地域がある。ホットスポットとは、陸地面積の僅か2.3%の場所に、全ての植物の50%と陸上脊椎動物の42%が集中して生息し、生物多様性が極めて豊かであるにもかかわらず、破壊の危機に直面している地域のことである。生物学者ノーマン・マイヤーズが提唱した概念で、国際NGOコンサベーション・インターナショナルが、地球上の34箇所のホットスポットを発表しており、そこには日本列島(2005年登録)も含まれている。 今度訪ねる小笠原諸島は上記の生物多様性の概念とは少し異なるが、特殊な生態系の世界である。小笠原諸島は4800万〜4400万年前に、太平洋プレートがフィリピン海プレートに沈み込む付近で起こった火山活動によって生まれた島々で、大陸と一度も繋がらなかった「海洋島」である。大陸からの生物の移動のチャンスが少ないため、島に生息する生物の種類は少ないが、特殊な種分化(適応放散)が発達し、植物や動物の固有種の割合が高い。小笠原が東洋のガラパゴスといわれる所以である。小笠原諸島とりわけ父島には、火山活動に伴う特殊な地質もあるという。 ぼつぼつ世界自然遺産に登録される頃だとは思っていたが、まさか訪島中に登録が承認されるとは、全くのところ驚いた。小笠原諸島には、自然ばかりではなく、島の発見と帰属の歴史、太平洋戦争の戦跡など見るべきものが多い。 という訳で、妻と二人の6日間の個人旅行に出かけた。 (2011年6月) |
A | ||
ムニンヒメツバキ 無人は小笠原諸島の古称「無人島」に由来する。ムニンヒメツバキはツバキ科で、小笠原固有種。島名のロースードは、rosewoodが訛ったもの。この名にも欧米系住民との歴史が感じられる。 |
|||
|
小笠原諸島はどこ? | |||
A |
|
||
A | ||
小笠原群島は、聟島列島、父島列島、母島列島からなる。 父島列島は、父島、兄島、弟島、その他周辺の島からなる。 国土地理院による | 父島列島の中心である父島 上の画像をクリックすると、地図が新しいウインドウで表示されます。 さらにその地図上でクリックすると、画像が拡大されます。 国土地理院による |
1日目 (6月23日) |
東京竹芝を出港 (船中泊) |
東京湾を出る |
A | A | |||
東京竹芝客船ターミナル |
10:30のおがさわら丸の 乗船時間まで待つ |
ターミナルには島民 のための控室がある |
控室は、財団法人東京都島しょ振興公社が経営するもの。 公社の目的は、伊豆諸島及び小笠原諸島地域の活性化を図るため、地域の産業、観光等の振興に関する事業を行うことによって東京都の島しょ地域の振興と豊かな地域社会の形成に寄与すること。 収支決算書によると、公社の22年度の経常費用は約9億7800万円。 |
A | ||
客船ターミナルからブリッジを通って乗船する | おがさわら丸は、総トン数6,700トン、旅客定員1,043名 |
A | ||
停泊中のおがさわら丸から、東京スカイツリーが見える | 11時に出港するとすぐ東芝ビル、東京タワー、東ガスビルが |
A | ||
東京港を出るとき左舷に赤い航路標識、右舷に白い航路標識が見える。入港するときには当然右に赤、左に白である。 |
A | ||
羽田沖から見える羽田空港の計器着陸装置ILSのアンテナ | 横浜港ではランドマークタワーと横浜ベイブリッジが・・・ |
おがさわら丸の船内 |
A | A | |||
1等船室は、乗降のCデッキの上のBデッキにある |
A | ||
船室で寛ぐ |
八丈島寄港 |
18時に八丈島に入港。八丈に寄港する便は珍しい。 6月25日に父島返還祭があるからだろうか。父島には八丈島出身の人が多いという。 |
A | ||
八丈太鼓で出港を祝う | 八丈島から父島に向かう人が多いのに驚く |
A | ||
テープが投げられ、船出の気分が高まる |
八丈島を離れるとき、ちょうど八丈富士に夕陽が沈む |
2日目 (6月24日) |
父島入港→半日ツアー→ナイトツアー(泊) |
小笠原・父島への海路 |
翌朝6月24日の9:40頃、聟島列島の島影が見えてきた。左から聟島、針之岩、媒島。その右に写っていないが嫁島 飛んでいるのは熱帯や亜熱帯の海洋に生息するペリカン目カツオドリ科のカツオドリ。 |
A | ||
針之岩を望遠で捉える。 | 浮上した潜水艦 日本領海であるから日本の艦船! |
11:00頃には父島列島に近付いた。左から弟島、兄島(手前に西島が重なる)、父島 |
父島に上陸 |
父島の船見山を左に見ながら二見港に入る |
A | ||
この頃から出迎えのレジャーボートが沢山現れる |
A | ||
東京竹芝を出航して25時間後に、二見港の桟橋に着く | 港には予約した宿「サンシャイン小笠原」から出迎え |
A | ||
船客待合所の前の大木はガジュマル | メインストリートに、南国気分のホウオウボクの赤い花 |
A | ||
桟橋から5分ほどで宿「サンシャイン小笠原」 | 宿の庭に咲くアリアケカズラ |
A | ||
宿から1分の所にある小笠原村役場 | 村役場にある方向版 |
A | ||
村役場の前の大神山公園 昭和2年の昭和天皇の行幸記念碑を再建したもの |
半日ツアー |
父島に着いた日の午後、早速半日ツアーに出かけた。(株)小笠原ツーリストの佐藤さんが車を使って効率よく島を一周してくれた。 |
咸臨丸墓地→オガサワラタマムシ→長崎展望台 |
A | ||
道路から100mほど入ったところに咸臨丸墓地がある。咸臨丸は幕府の軍艦で、1861年に小笠原諸島に派遣された。 ここには咸臨丸の乗員の他、漂流して亡くなった人など約25人の追悼碑がある。 |
A | ||
咸臨丸墓地の近くで、固有種ムニンエノキに止まる固有種オガサワラタマムシ(国の天然記念物)を見つけた |
A | ||
長崎展望台の近くで見た溶岩は無人岩(ボニナイト)か? 乳白色のものは単斜エンスタタイト? 緑色のものは古銅輝石か? ボニナイトの模式地は小笠原。古銅輝石が風化して砂になると「うぐいす砂」。うぐいす砂が採れる所は世界でも小笠原のみ。 |
||
上記に対して、金沢大学理工研究域自然システム学系教授の海野進先生から、「長崎展望台にある岩石は無人岩ではあり |
A | ||
ガイドの佐藤さんから生態系保護地域の説明を受ける | 保護地域は、父島の住居地区を除いて全島に及ぶ |
長崎展望台からの眺め。この海の色をムニン・ブルーという。 向うの島は兄島。兄島に空港を作って橋でこちらの父島と結ぼうという話もあるが、止めてもらいたい。 |
A | A | |||
シマイスノキ(固有種) 「乾性低木林」の代表的な木。小笠原の固有種にはムニンが付くものが多いが、ムニンが付かないがこれも固有種である。 |
アカテツ 葉や茎に茶褐色の微細な毛を密生させる。全く毛がなくて樹皮が黒灰色のものは、ムニンノキという別種で固有種だという。 |
テリハハマボウ(固有種) よく似ているオオハマボウでは表面はほとんど無毛で裏面に短い毛が密生するのに対し、テリハハマボウでは両面とも無毛であることが多い。 |
オオハマボウが主に海岸近くで見られるのに対し、テリハハマボウはどちらかというと山の植物。そのためか、オオハマボウで見られた種子が水に浮くという性質がテリハハマボウでは失われており、海流による種子分散ができなくなっているという。適応進化という点で興味深い。 |
国立天文台 小笠原観測所→旧海軍の通信所跡→初寝浦 |
A | ||
オガサワラノスリ(固有亜種) 小笠原の唯一の猛禽類で、小笠原諸島に留鳥し周年生息。 国の天然記念物で、環境省レッドリストの絶滅危惧IB類 |
国立天文台小笠原観測所の20m電波望遠鏡 水沢(岩手県)、入来(鹿児島県)、石垣島(沖縄県) にある同型の電波望遠鏡と組み合わせて、 直径2300kmの望遠鏡に相当する性能を発揮する。 |
A | ||
動物に注意! 陸生のオカヤドカリが道路に出てくる | 野生化した野ヤギ |
A | ||
夜明山登山口の駐車場 | 時空を超えて 南へ1000km 夜明けを迎える島 |
A | ||
ジャングルの中にある旧海軍の通信所跡 内地の送信所からは電波の届かぬ南の島々に展開している海軍部隊との通信をしたのであろう |
A | ||
通信所跡から少し歩くと初寝浦が見下ろせる |
戦時中、ブッシュ海軍中尉(米国第41代大統領。ブッシュ第43代大統領の父)は、爆撃機のパイロットとして小笠原攻撃に参加していた。1944年9月2日、日本軍の対空砲火により被弾し、パラシュートで東の海上に逃れて米潜水艦に救助されたが、残る2人の搭乗員は墜落死したとといわれている。 |
A | ||
ホナガソウ(穂長草)は、南アメリカ原産だが父島には多い |
独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 JAXAの小笠原追跡所 施設の入口近くの交通標識は、JAXAの旧名NASDAのままだった。経費節減か。 |
小港海岸 |
A | A | |||
日中のオオハマボウ | ||||
父島に来て初めて川らしい川に出会った。ここは時雨ダムから流れ出る八瀬川で、小港海岸に注ぐ。今年はかつてない渇水であるという。 | 沖縄などの亜熱帯なら、マングローブが茂っていそうな河畔だが、小笠原にはマングローブはない。代わりにオオハマボウが生育している。 | 夕方のオオハマボウ |
八瀬川で環境省絶滅危惧種U類に指定されている藻類、オオイシソウ(紅藻)が小笠原諸島ではじめて発見されたとの報告があった。発見者の国立科学博物館の北山太樹氏は、「地理的に隔離された小笠原諸島にオオイシソウが生育していたことは植物地理学的にも興味深い。生息地の保護が必要と思われる。」と述べている。
http://blogs.yahoo.co.jp/ichikishigeo_07/63482900.htmlより |
A | 小笠原にはマングローブ(ヒルギ科など3科)がない。マングローブは、熱帯 - 亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地に成立する森林のことである。親を離れた胎生種子は、海流に乗って分散(海流散布)し、泥の表面に落ちつくと成長を始めるが、親植物から離れた後、下の泥に突き刺さり、その場所で成長することもある。どうも火山島には見かけないようなので、泥の存在が関係するのかもしれない。 |
A | ||
小港海岸は村営バスの終点である | バス終点はベンガルボダイジュの大木を回るロータリーになっている |
A | A | |||
バス終点から小港海岸に行く |
陸上で暮らすヤドカリの1種オカヤドカリ 小笠原には4種類のオカヤドカリが生息し、すべてが国の天然記念物に指定されている。オカヤドカリの棲み家が外来種のアフリカマイマイというのも面白い。 |
A | ||
ハスノハギリの実は、漂着種子としても有名 | ||
ハスノハギリの大木からなる海岸林 | ハスノハギリの板根 |
A | ||
モモタマナも海岸林の代表 |
モモタマナの種子の仁(ジン)は食用となり、アーモンドのような味ということだが食べたことがない |
A | ||
小港海岸 山を越えてブタ海岸に行けるという | 小港海岸にあるアオウミガメの足跡 |
アオウミガメは甲長80-100cm、体重70-230kg。日本では小笠原諸島や南西諸島を主な産卵場としている。5-8月に産卵するというが、残念ながら産卵は見れなかった。 |
A | ||
小港海岸の枕状溶岩(pillow lava) 海底火山から噴火した溶岩が海水中で冷却されて出来る。ここのものはサイズが大きく、風化のためか境界が明瞭である。 |
ウェザーステーション→聖ジョージ教会 |
A | ||
父島の北西端三日月山に建てられた展望テラス。すぐ横に気象庁の気象観測ドームがあったことが名前の由来らしい。 |
展望台からの180度の眺めが素晴らしい。南方には手前から、烏帽子岩、野羊山、南島、遠方に母島 |
展望台にザトウクジラの行動を描いたパネルがあった。次回にはぜひホエールウォッチングをやりたい。 |
A | ||
小笠原聖ジョージ教会 1909年、日本聖公会と英国聖公会の援助によって創立した聖ジョージ教会堂は、太平洋戦争の戦火で焼失した。 戦後、島は米国海軍の軍制下に置かれ、欧米島民だけが帰島を許された。 1968年に米国海軍、米国聖公会、および欧米系島民の手によって新聖堂が献堂されたという。 |
ナイトツアー |
貪欲にも、島に着いた日の夜、ナイトツアーに参加した。小笠原エコツアー・マルベリー代表の吉井さんが案内して下さった。 |
A | ||
日没後の扇浦 | 夜の二見港、おがさわら丸が見える |
A | ||
南天のさそり座、北緯35度の東京では、サソリの尻尾は地平線に近くてよく見えないが、北緯27度の小笠原では尻尾までよく見える。中央の赤みを帯びた明るい星はアンタレス | 懐中電灯に照らされて当惑するムラサキオカヤドカリ 国の天然記念物(コペペ海岸) |
A | ||
ナイトツアーでは残念ながら、オガサワラオオコウモリにも、グリーンペペにも会えなかった。 おがさわら丸の船室で見たビデオで我慢する。 |
6月24日の島内のGPS軌跡 |
小笠原ビジターセンター |
山や観光地に行ったときには、ビジターセンターを見学するのを楽しみにしている。海外とりわけ米国の国立公園ではビジターセンターが充実している。ここ小笠原のビジターセンターも、自然史と文化史を含めて、なかなかよい展示をしている。毎日ハイキングに出かけていたので、なかなか見学のためのまとまった時間が取れなかった。3回に分け見学したものをまとめてここで披露しよう。 |
小笠原の自然 |
A |
A |
A | ||
父島の無人岩(ボニナイト)は、プレートの沈み込みが始まって間もない時期にだけ出来る珍しい火成岩 折角だから、偏光顕微鏡写真などを展示して、分り易く説明して欲しかった。 |
小笠原の先史時代 |
A |
小笠原の発見史 |
A |
A |
米ペリー提督の来島と幕府・明治政府の対応 |
幕末から明治にかけての歴史を見ると、いつも当時の日本人は偉かったなと思う。彼らは咸臨丸で小笠原に行き、欧米系住民を説得し、武力を行使せずに日本の領有権を主張した。相手が米国人のペリー提督であり、人望のあるマサチューセッツ州出身の アメリカ人セボレーだったことも幸いしたのであろう。 |
A | ||
A |
A |
企画展 「船とぼくらと小笠原」より |
A | ||
ビジターセンターでは、 ちょうど企画展「船とぼくらと小笠原」を開催していた。 |
NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」でも紹介された櫻島丸 長州藩がグラバー商会から5万両で購入したもの |
太平洋戦争中に多くの軍艦や徴用船が父島二見湾に沈没した。 中でも濱江丸はサイパンより脱出北上中に米軍艦載機の空襲を受け破損するが、漂流を続け二見湾に投錨した。 湾内で再び空襲を受け座礁した。現在も境浦の道路からその残骸を見ることが出来る。 |
3日目 (6月25日) |
終日 森歩きツアー(泊) |
アカガシラカラスバトのサンクチュアリ |
小笠原の固有種で絶滅危惧のアカガシラカラスバトの聖域を訪ねた。ここはガイドの同行がなければ入れない。残念ながらアカガシラカラスバトにはお目にかかれなかったが、多くの固有種の植物を観察できた。 |
A | ||
固有種アカカシラカラスバトを野ネコから守るため サンクチュアリをネットで囲う工事が実施中である |
現在ネットは未完成で、 サンクチュアリの入口は全く無防備である |
A | ||
アカガシラカラスバト 2011.1.31YOMIURI ONLINEより |
||
アカカシラカラスバト サンクチュアリの入口の掲示板は | 1984年発行の切手 |
アカカシラカラスバトは、森林性のハトとして知られ、よく繁った常緑広葉樹の暗い林内を好む。主な食物は、ガジュマル、シマホルトノキ、センダン、クワ類などの木の実、小動物も好んで食べる。おとなしい習性の鳥で、野外で人間と出会っても、まったく恐れずに逃げないという。これは本来、小笠原諸島にアカガシカラスバトの天敵となる生物がいなかったためと考えられている。 現在、推定個体数は小笠原諸島全体で30〜40羽程度と言われている。狭い島の森林を生息地としていたため、そもそも個体数は少なかったと推定されるが、森林開発や捕獲によって個体数がさらに減少したと考えられている。 アカカシラカラスバトを保護している法律等 1.絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律の「国内希少野生動植物種」に指定 2.「環境省レッドリスト(2007)」でNT(準絶滅危惧)に指定 3.鳥獣保護法で「保護繁殖を特に図る必要がある鳥獣」として指定 4.東京都の「保護上重要な野生生物種2011年版」でEN(絶滅危惧TB類)に指定 5.文化財保護法で「天然記念物」に指定 |
A | A | |||
説明するガイドの吉井嘉子さんは 小笠原エコツアー・マルベリー代表吉井信秋氏の奥さん |
靴の裏をよくブラッシュして入場 |
A | ||
入場の目的別で石の色を決める | ルート別に石の入れ場所を決める |
A | ||
広分布種クロガヤ | 固有種ムニンナキリスゲ |
A | ||
固有種オオシラタマカズラ |
A | ||
移入種のリュウキウマツ 赤ペンキは将来伐採予定 戦前に植林されたもので、マツ型の生育形をもつ針葉樹が欠けていた小笠原の植生にうまく溶け込んだ |
A | A | |||
モクマオウ 乾燥に適応し、海岸や乾燥地に多い。根には放線菌が共生し窒素固定している。 日本には元来自生しないが、小笠原諸島に導入されたものが野生化している。 APG分類体系ではブナ目モクマオウ科 。マツの親戚のようにみえるが、針葉樹ではない。 |
A | ||
タマシダ | 固有種オガサワラモクレイシの幼樹 |
A | A | |||
固有種タコヅル | 固有種ムニンシラガゴケ |
タコヅルは雌雄異株、他の樹木に絡みつき覆いかぶさり、時に樹木を枯らしてしまう。アカカシラカラスバトの営巣は地上巣が多く、密生したタコヅルの群落の中に小枝を積んだ簡単な巣を作るという。地上巣だから野ネコに襲われやすい。 |
A | ||
固有種ムニンヒメツバキ 村の花に指定されているムニンヒメツバキは 5〜6月が開花期で山が花で埋まるようで壮観である。 |
シマホルトノキのツボミ |
A | A | |||
固有種マルハチは木生シダ |
マルハチの由来は、葉柄の落ちた跡が漢字の八の字を逆さまにした形だから | 葉柄の落ちた跡 |
父島にある木生シダには、広域分布種のヘゴと小笠原固有種のマルハチと小笠原固有種で父島にしか分布しないメヘゴがある。 |
A | ||
ジャングルの中の沼のような小川 |
このカエルは、移入種のオオヒキガエル 目の後ろに大きな毒の袋(耳腺)を持っている |
A | A | A | ||||
オガサワラヨシノボリ |
エビの名は? |
水中昆虫のようだ |
固有種オガサワラアメンボ なら、国の天然記念物 |
A | ||
林を分け入る | 固有種のメヘゴ |
A | A | |||
固有種ノヤシ | ノヤシの幼葉 | ノヤシの幼木 |
ノヤシは、海辺を好むココヤシとは違い、山地の林内や谷間の土壌の深い場所に好んで生える山の植物。果期は5〜6月ごろで、赤色に熟しているのを亜熱帯農業センターで見た。 |
コペペ海岸 |
コペペ海岸はこじんまりとした落ち着いた砂浜。昔ギルバート諸島出身の「コペペ」じいさんが住んでいたことからその名があるとか。 |
ここでのんびりと昼食の弁当を食べていると、 今パリで開催中の世界遺産委員会において、 小笠原諸島の世界遺産登録が決定したと村内放送が入った。 |
A | ||
この干乾びた溝はいつもは川。今年は特別の渇水だという | 海岸林の代表モモタマナ |
A | ||
海岸林のテリハボクは、大木の風格を持つ | ハスノハギリは、アウトリガーカヌーの材料になった |
中央山登頂 |
A | ||
夜明道路から中央山展望台に登る | 急な階段が続く |
A | ||
固有種オオバシマムラサキは、 小笠原に自生するムラサキシキブ属の1種 |
初めて見たグリーンアノール 外来生物法により特定外来生物に指定されている |
グリーンアノールは、爬虫綱有鱗目トカゲ亜目イグアナ科アノールトカゲ属に分類されるトカゲ。別名アメリカカメレオン。全長15-20cm。体色は緑色だが優れた変色能力を持ち、周囲の環境や気分によって背面は薄黄緑色から暗褐色まで、腹部は白色から灰色まで体色を変化させることが別名の由来になっている。 森林の林縁部や民家の近く、農耕地の周辺の樹木などの樹上に生息する。昼行性の変温動物であり、日中は日当たりのいい場所で日光にあたり、夜間には樹木の枝や葉の隙間などの狭いところで休息する。 食性は動物食で、昆虫類、節足動物等に素早く詰め寄り捕食する。 繁殖形態は卵生で、10-20日間に1回の間隔で数回にわたり1、2個の卵を地中に産卵する。(繁殖力が強い) 小笠原諸島では、1960年代に父島にペットとして持ち込まれた。その後野生化し、島全域に分布を広げている。現在では、総生息数400万匹、1ヘクタールあたりの生息密度では1000匹以上と推定されている。そのため、オガサワラシジミなど固有種を多く含む昆虫類に壊滅的被害を与えている。環境省は2004年から駆除事業を開始した。 |
中央山の山頂(319m)から南東を見る。父島の最高峰(326m)はここから見えず、登山道もない。 この風景は、父島の植生は乾性低木林であることを示している。 |
A | ||
父島の最高峰はこの奥にある。右側の頂直下に砲台が見える |
A | ||
いわゆる山頂に小笠原国立公園の標識 | 標識のすぐそばに三等三角点 |
A | ||
山頂付近に旧日本軍のレーダーの残骸が・・・ 当時の日本のレーダーは性能が低く、電波を発すると 敵に見つかるので、敵が近付くと使用を止めたという。 |
山頂から二見港に停泊している「おがさわら丸」が見えた |
A | A | |||
帰路の尾根道で見たハカラメ(葉から芽) 上の写真はネットから入手 文字通り、葉っぱの縁から新しい芽と根が出て繁殖する。 ハカラメは、ベンケイソウ科・ブリオフィルム属・多年草で、学名はKalanchoe pinnata、原産は不明だが熱帯・亜熱帯に広く分布する |
亜熱帯農業センター |
A | ||
固有種ムニンヤツデ 内地のヤツデは葉の切れ込みが7〜9裂でるが、ムニン ヤツデは5〜7裂で、葉の切れ込み浅く丸みを帯びている |
ゴールデンシャワー 一般にゴールデンシャワー・ツリーと呼ばれる マメ目マメ科ナンバンサイカチ属、原産地インド |
A | A | |||
固有種ノヤシ | 果期は5〜6月ごろで、赤色に熟する |
A | ||
ホウオウボク(鳳凰木) APG植物分類体系ではマメ科の落葉高木、原産はマダガスカル島、熱帯地方で街路樹として植えられる。 |
A | ||
マダガスカルジャスミンはマダガスカル原産 香りはジャスミンに似ているが、ジャスミンとは別の植物 トウワタ科ステファノティス属またはガガイモ科シタキソウ属 |
固有種ムニンツツジ 父島のみに自生する。自生株は1株のみで絶滅が危惧されており、環境省が公表したレッドデータブックの絶滅危惧IA類(CR)で掲載されている。ここにあるものは東大小石川植物園で種子から栽培されたもの |
A | ||
小笠原のパイナップルは小さめ パイナップルは熱帯アメリカ原産でパイナップル科の多年草 日本で始めて植えられたのは小笠原諸島の父島で1830年。 |
イオウジマトウガラシ(硫黄島唐辛子) 刺身を食べる時、ワサビの代わりに使用する 辛さは唐辛子の比ではない |
A | A | |||
ビヨウタコノキ マダカスカル原産の常緑高木 「タコノキ」の仲間の中で最も美しい ことから名づけられたとのこと。 |
タビビトノキ(旅人の木) マダガスカル原産、ゴクラクチョウカ科、茎に雨水を溜めるため非常用飲料として利用され、この名前が付いたという。 |
グリーンアノール ここでは暗緑色をしている |
コーヒー山の戦跡 |
亜熱帯農業センターの南側で、少し登ったところにコーヒー山がある。昔この台地でコーヒーを栽培していたという。台地の上に残された旧日本軍の戦跡を訪ねた。 |
海軍の十二糎高角砲らしい。 壕に入っておらず野ざらしだ。 |
旧陸軍の高射砲は、旧海軍では高角砲と呼ばれた。十二糎高角砲は、1922年(大正11年)ころ正式採用された昭和初期の主要高角砲。重巡洋艦各型、空母の赤城・加賀に搭載された。太平洋戦争中には既に旧式化していたが、軽量で簡便に生産できることが買われ、陸上砲としても使用され、終戦までに2,000門以上が生産された。 |
A | ||
コーヒ山の麓には人家がある 昔から住んでいた旧島民か、返還後やってきた新島民か分らない |
人家ではパパイヤを栽培していた |
父島返還祭 |
1945年(昭和20年)の太平洋戦争終戦以来、小笠原諸島は米海軍の占領下におかれた。1968年(昭和43年)6月26日に南方諸島に関する日米協定が発効し、小笠原諸島は日本に返還された。毎年6月に返還祭が行われる。 |
A | ||
八丈島から参加してフラダンスを披露 |
村長が、父島返還祭の日に、小笠原諸島が 世界自然遺産に承認されたことを祝って村長が乾杯した。 村長の右に立つのはアカガシラカラスバトの縫ぐるみ |
A | ||
ぼにん囃子の披露 | 屋台も出て、大勢の島民が返還祭を楽しんだ |
6月25日の島内のGPS軌跡 |
|
4日目 (6月26日) |
終日 ハートロックツアー(泊) |
ハートロックへの往路 |
父島にはいくつかのハイキングルートがあるが、その中でも一番厳しい島の南部の円縁湾を望む千尋岩(ハートロック)ツアーに出かけることにした。 |
6月25日に小笠原諸島の世界自然遺産登録が伝えられ、 翌日には村役場に写真のような横断幕が掲げられた |
A | A | |||
ツアーの集合地、扇浦に大きなモクマオウの木がある モクマオウは APG分類体系ではブナ目モクマオウ科、松のような針葉樹ではない。 |
扇浦の浜砂には うぐいす砂(鶯)砂が含まれるという |
A | ||
小港園地の駐車場に咲くモモタマナの花 | 常世の滝に向かって八瀬川の支流を遡る |
A | A | |||
魚がいる | ベニヒメトンボ 準絶滅危惧種 | 草陰で見つけたグリーンアノール |
A | A | |||
今日のガイド吉井嘉子さんとゲートを通過する | 靴裏と靴下・ズボンに着いた種子を除く |
A | ||
入山の目的別の石を選ぶ | コース別の缶に入れる |
A | ||
道端に野ヤギの骨 | 新しい野ヤギの糞も |
A | ||
竹の根元に、野ネコ狩りの罠が仕掛けてある |
A | ||
野ネコ狩りは環境省とNPOがやっている。 餌は魚の煮付けで味が付けてあるという |
A | ||
登山口に洒落た民家がある(帰路に撮影) | ここでは今も養蜂が行われている。 |
A | ||
常世の滝は涸れていた | 谷を挟んで時雨ダムが見える |
A | ||
月桃(げっとう)の生い茂る道を進む。 ゲットウ(月桃)はショウガ科ハナミョウガ属(アルピニア属)の多年草。 熱帯から亜熱帯アジアに分布する。 葉から取った油が甘い香を放つので、アロマオイルや香料として使用する。 |
A | ||
軍用道路の名残のある道を行く |
A | ||
道端に軍用車の残骸が残っている | 野ヤギの群れに遭遇した |
A | A | |||
ギンネムに着生したシマオオタニワタリ |
ワラビ畑のジグザグ道を登る |
ワラビ畑の上に出ると 視界が広がる |
A | ||
野ヤギが枕状溶岩の急斜面で草を食む | 格好いい野ヤギ、これが小笠原の植生を荒らしている |
A | ||
固有種シマホルトノキ | シマホルトノキは常緑樹で、葉は順番に交代している |
A | A | |||
固有種タコノキ | タコノキの気根の出始め | アコウザンショウ 陽樹なので、倒木のギャップに出る |
タコノキ(蛸の木、露兜樹、学名Pandanus boninensis)は、タコノキ目タコノキ科の常緑高木。雌雄異株。種名boninensisは、小笠原諸島 (英名 Bonin Islands) に由来する。和名は気根が支柱のように幹を取り巻きタコのように見えることから名付けられた。 |
A | ||
ミツバチの巣がある警告 | 木の幹に作った自然のミツバチの巣 |
A | A | A | A | |||||
インドゴムノキ | オガサワラビロウ | オオノウタケ、菌類 | 威嚇するグリーンアノール | 脱皮するグリーンアノール |
インドゴムノキは、クワ科イチジク属の常緑高木、幹に傷をつけるとゴム質の乳液が出るが、天然ゴム原料はパラゴムノキから採られる生ゴム。インドゴムノキは主に観葉植物として栽培されている。ここのものは明治時代の開拓民が植えた。 | A | オガサワラビロウは、小笠原諸島の固有種、ヤシ科・ビロウ属、島名はシュロ。シュロという植物に外見が似ていることに由来するが、本物のシュロはシュロ属でビロウ属とは異なる。島民の生活と文化を支えてきた植物で、現在でも休憩所の屋根に葉が使われる。 |
A | ||
固有種アサヒエビネ | キバンジロウ |
アサヒエビネは、ラン科に属する多年生草本植物。盗掘、年間降水量の減少等による生育環境の変化、ノヤギ、アフリカマイマイ等による食害等により減少し、現在では個体数が極めて限られている。農林水産省・環
境 省では、アサヒエビネ保護増殖事業計画を進めている。 |
A | キバンジロウは、フトモモ科バンジロウ(グアバ)属に分類される熱帯性の木本植物。世界の侵略的外来種ワースト100リスト選定種の1つである。南アメリカ大陸のブラジル周辺が原産地であるが、日本では小笠原諸島で栽培され、耕作地跡や明るい林内などで広く野生化している。ただしミカンコミバエが寄生するため、近年では極力伐採される。固有種のムニンヒメツバキの成長を阻害しているとの報告がある。 |
A | ||
「この先、崩落ケ所の為、危険です」の標識 | 森を抜けると海が見えた。急斜面をロープに捕まって降りる。 |
ハートロックからの眺め |
千尋岩(ハートロック)の上は、海の見渡せる乾性低木林帯である。 |
A | ||
足下に円縁湾まで続く亀裂が見える | 円縁湾の右手に、沈水カルスト地形の南島が見える |
A | A | |||
旅行者が作ったというハート形の置き石がある。 右手遠方の溶岩塊が気になり調べに行った→ |
流紋岩かデイサイトの溶岩のようだ。 流紋岩(SiO2 69%以上)、デイサイト(63〜69%) |
公共基準点 3級A-1 |
基準点とは、地球上の位置や平均海面からの高さが正確に測定された三角点、水準点、電子基準点などの測量の基準となる点をいう。このうち地方公共団体が設置したものを公共基準点という。この公共基準点は、東京都が設置したもので、都市計画図作成のための基準点のようだ。 |
円縁湾から眺める千尋岩(ハートロック) 赤いハートの部分はデイサイト、両側の上部もデイサイト(成分が異なるのであろうか)、両側の下部は無人岩。ハートと両側の間には断層が見られる。両側の上部と下部の間には凝灰角礫岩が挟まっており、両者が繋がっていることが分る。 日本地質学会ホームページ(http://www.geosociety.jp/faq/content0244.html)ほかを参考 |
ハートロックからの帰路 |
ハートロックからの帰路は、一部往路と異なる道を案内してくれた。 |
ガジュマルに囲われた1辺10m以上の広場に出た。住居跡だという。私はここをガジュマル広場と名付けた。 太平洋戦争終結時に島民が撤去したとすると、66年間放置されたことになる。しかし明らかに生活の匂いがする。 |
A | A | A | ||||
月桃が植えられている | 竹もある | 古井戸を覗くと水があった | 陶器のかけら |
A | A | |||
往路と合流し里に下りる。 固有種ヤロードの花が咲いていた。 ヤロードは英語のyellow woodが訛ったもの。国際的な小笠原に相応しい。 |
A | A | |||
トウワタ(唐綿) 南アメリカ原産の多年草で、園芸種 ランタナ(シチヘンゲ七変化)に 花は似ているが別種 |
小港園地の駐車場に戻ると、ガジュマルの木があった。 ガジュマルはクワ科イチジク属。拾った実の中には芥子粒ほどの種子が沢山入っていた。 |
宿への帰路に境浦の道路から見た沈没船「濱江丸」 |
大神山神社と展望台 |
宿に帰って風呂を浴びて、夕食前の散歩に、近くの大神山神社と展望台に行った。 |
A | ||
大神山神社の参道 |
社殿は1979年(昭和54年)に再建されたもの 天照皇大神、大物主命などが合祀されている |
大神山の山頂からは二見港が一望され、明日乗船する小笠原丸も見えた |
A | ||
大村中央地区を眺めると、 村役場、ビジターセンター宿泊したサンシャイン小笠原等が確認できた。 |
説明板には、「戦時中ここにトーチカがあった、ここの岩は海底火山の溶岩が冷えるときに砕けて堆積した角礫岩である」と書かれている。 |
6月26日の島内のGPS軌跡 |
|
5日目 (6月27日) |
戦跡ツアー→父島出港(船中泊) |
半日戦跡ツアー |
父島滞在最後の日は、小笠原エコツアー・マルベリー代表の吉井信秋氏の案内で、島の戦跡を訪ねた。 |
A | A | |||
固有種タコノキは雌雄異株 雌株にはオガサワラオオコウモリの好物の実がなる |
タコノキの雌株に出来る雌花 |
タコノキの雄株に出来る雄花 |
A | ||
固有種ヒメマサキはニシキギ科・ニシキギ属の常緑低木である。 6月になると淡黄緑色の4弁の小花が咲き、セイヨウミツバチやハエの仲間が集まる。 |
A | A | |||
標識の所で山に入る | 洞窟の中に四一式山砲が置かれていた |
四一式山砲 1911年(明治44年)に四一式山砲として制式制定された。重量540kg、馬6頭で分解運搬可能。山砲として開発されたため人力による分解運搬も可能であり、山岳戦や森林・密林地帯で威力を発揮した。このような古い制式の武器が太平洋戦争中も使われたとは驚く。 |
A | ||
モクタチバナ 名前はタチバナでもミカン科ではなく、ヤブコウジ科 |
オオシラタマカズラ アカネ科常緑の藤本(蔓性の木) |
A | ||
貯水槽、どこからどのようにして水を運んだのだろう。 | トンネルを抜けると高射砲台に近づく |
A | ||
八八式七糎半野戦高射砲 砲台の中から、南の空よりも海岸を睨らんでいたのだろう。 |
砲台の窓から外に出てみると、遥か彼方の水平線まで 見渡せた。手前の境浦には沈没した濱江丸が認められた。 |
八八式七糎半野戦高射砲 1927年(昭和2年、皇紀2588年)に制式化された陸軍の主力野戦高射砲。約2000門が生産された。低空で侵入する航空機に対して威力を発揮したが、最大射高距離9,100mのため、高度1万mで飛来するB-29には届かず、戦時中、伊丹基地の近くに住んでいた国民学校児童としては悔しい思いをした記憶がある。 |
A | ||
ここにも高射砲台跡 当時樹木はなく360度空を睨んでいただろう。 |
高射砲台からほんの少し行くと二見湾から外洋まで見渡せる 当時の兵士はどんな気持ちでこの景色を見たのだろうか。 |
A | ||
望遠レンズで見ると ムニン・ブルーの中に濱江丸が沈没している |
海上自衛隊父島基地に着陸するヘリ 飛行艇用の揚陸スロープも見える |
A | ||
八八式七糎半野戦高射砲が、空でなく海岸を睨んでいる | 旧日本陸軍のマークの付いた湯呑茶碗 |
A | ||
オガサワラビロウに着生するシママンネンタケ サルノコシカケ同様薬用になるという |
東京都防災行政無線夜明山中継所のアンテナ 手前は固有種ムニンヤツデ |
A | ||
固有種 シマクマタケラン ショウガ科・ハナミョウガ属、 花期は6月頃で、2週間程で咲き終わってしまうという。いいタイミングで来島した。 |
A | ||
広い洞窟があった。 弾薬などの貯蔵庫として使われたのだろう。 |
A | ||
帰路の道路脇で見たモクタチバナ ヤブコウジ科・ヤブコウジ属 6月頃に、花弁が5枚で白色の小花(直径5mmほど)を沢山付ける。 |
島料理の昼食 |
昼頃に、半日の戦跡ツアーから帰り、ガイドの紹介で東町にある島寿司・青海亀料理の割烹「丸丈」に入り、島料理に舌鼓を打つ。「丸丈」の主人と話が弾み、料理の写真を撮り忘れたが、幸いおがさわら丸の船室で見たビデオを写真に撮っておいたので、それを使う。 |
A | A |
アオウミガメはワシントン条約附属書Tに記載されているため、国際取引は全面禁止され、ほぼどの国でも法令でその捕獲禁止がうたわれているのだが、現在もなおかなりの数が世界中で捕獲され続けている。 日本でも小笠原諸島の父島および母島において食用目的のウミガメ漁が認められており、年に135頭の捕獲制限が設けられている。近年人工孵化と稚ガメの放流が行われており、生息数は安定しているという。 |
おがさわら丸の出港 |
A | ||
1853年の米国東インド艦隊司令長官ペリーの来日記念碑 この記念碑の中で、「ぺりーが小笠原諸島の第一発見者は日本人であると指摘したことが、 後の小笠原諸島が日本領土として認められる要因となった」と述べている。ペリーの誕生地 ニューポート市、那覇市、小笠原村、横須賀市、下田市、函館市共同の碑である点も面白い。 |
A | ||
船客待合所前のクジラのモニュメント | おがさわら丸に乗船して、父島とお別れ。14:00出港 |
A | ||
お別れの小笠原太鼓 | 海上自衛隊のお別れの整列 |
A | ||
どこから現れたのか、沢山のレジャーボートが見送ってくれる |
A | ||
こんなパフォーマンスをやってくれる。ずいぶん沖合なのに |
A | ||
船中では夕食に、世界自然遺産決定お祝い特別メニューを頂いた。記念タオル付きだった。 |
太平洋に沈む夕陽、残念ながら食堂のガラスが曇っていた。 |
6月27日の島内のGPS軌跡 |
6日目 (6月28日) |
東京入港 |
東京港入港 |
A | ||
東京湾の入り口を出ていくタンカー 観音埼灯台(左)と東京海上交通センター(右) |
横浜ランドマーク・タワーを見ると 浜っ子には帰ってきた実感がわく |
東京港で、思いがけない消防船のお出迎え? 15:30 竹芝ターミナルに帰港 |
今回の小笠原父島の旅は、私の旅行人生の中でも最も思い出深いものの1つとなるだろう 。 それにはいくつかの理由がある。 第1に、動植物と地質に興味がある私にとって、小笠原は格好の地であること、それは島に滞在中に 世界自然遺産の登録が承認されたことに端的に示される。 第2に、小笠原諸島の発見と帰属の歴史が、ちょうど江戸時代から明治時代に当たり、当時の人達の 賢明さがひしひしと伝わってくること。 第3に、小笠原諸島は太平洋戦争の舞台であり、硫黄島こそ訪ねなかったが、父島にも多くの戦争の 爪痕が残されており、鎮魂の気持ちなくしては訪れることができないこと。 このように、動植物、地質、歴史の点で、私には大変勉強になる旅であった。 小笠原はリピーターが多いという。私もぜひもう一度訪ねたい。その時は、ホエールウォッチングもしたい、 沈水カルスト地形の南島、動植物固有種の多い母島も訪ねたいと思う。 最後に、この旅でお世話になった小笠原エコツアー・マルベリーの吉井さんご夫妻と (株)小笠原ツーリストの佐藤さんと山口さんとに、心からお礼申し上げます。 |
|
|
|
ホームページの中で検索したい |
|
ホームページの中で道に迷ったら |
|