わが国は、今未曾有の不景気に見舞われている。単に経済が不振なだけでなく、犯罪の増加、学生の学力の低下、急速な高齢化、出生率の低下など、生活全般について将来への不安がつのっている。
10年前までは高度経済成長を誇り、「日本の世紀」とまで言われていたわが国が、いったいどうしてこのようになってしまったのだろうか。どうすれば再び誇りと活力を取り戻せるのか、経済や文化の専門家でない一介の工学者(エンジニア)に過ぎない私にはとてもその処方箋を書く力はない。しかし、敢えてこの課題に論及し、私の「少年少女のためのホームページ」の開設に当ってのメッセージとしたい。 |
日本不振の原因は何だろうか
現在の経済の停滞(むしろ衰退というべきかもしれない)の原因は、バブル崩壊によってもたらされた土地不良債権によるとされている。確かに現象的は「バブル崩壊」であるが、真の原因は他にあると考えなければならないであろう。私は次のような遠因があると思う。
@ 世界で特異な存在である米国の価値観を無批判に真似たこと
ご存知のように米国は、世界有数の農業生産国でかつ産油国、世界の頭脳を集める一方で周辺国から大量の非白人労働力の供給を受ける不思議な国。圧倒的な軍事力を背景にして自国の利益を追求する伝統。ここで生まれた大量生産・大量消費の文化を、環境の全く異なるわが国が無批判に取り入れてきた。
日本の高度成長は早晩破綻が来るべきであった。またわが国の経済的地位の低下の現状は、韓国・台湾の台頭を抜きに論ずることは出来ないし、将来の日本の発展は中国の発展との調和なくしてはありえない。アジアにおいても、EUのように自国の文化を尊重しながら、より大きな経済コミュニティを築くことにより共存を図ることが必要不可欠である。
A 古い世代が次の世代の育成を十分に行わなかったこと
わが国の経済力の衰退の原因の1つは教育の問題である。1930年代生まれの我々世代は、高度成長時代を夢中で駆け抜けてきた。米国の幻を追いかけて、追いついたと思ったときに、自分達が求めていたものは少し違っていることに気がついた。
分数の計算が出来ない大学生、シルバーシートでふんぞり返る若者を見て、我々が次の世代の育成を怠ってきたことに気づき愕然とする。残業と臨時出勤で子供の教育を女房に任せきりだった男達、教育は入社してから行うから大学は学生を集めてくれればそれでよいと言った企業の人事担当者、入試制度が悪いと言いながら抜本的な教育改革を怠ってきた文部省、それを許してきた国民、皆が責任を負わなければならないだろう。
国際教育到達度評価学会の調査によると、今年からの「新学習指導要領」が始まると、わが国の中学3年の数学・理科の授業時間は先進国の中で最低になる。文科省はいったい何を考えているのだろう。 |
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B 工業一流なら、政治三流でもかまわないと諦めてきたこと
わが国の工業は一流だった。しかし、それは家電、半導体、自動車など一部の工業に限られていた。産業の二重構造、公共事業や流通のコスト高は以前から指摘されていた。20年前に競争力に陰りの見えた米国は、先ずは日本に対するITCによる輸入制限で凌ぎ、その間に英知を集めて産業競争力強化策を実施し、現在の圧倒的な力を回復した。そこには将来を見据えた政治の姿があった。
一方わが国には、国民にも産業界にも、「工業が一流ならば政治は三流でも困らない」という、自嘲ともいえる諦めがあった。しかしながら、教育の荒廃、出生率の低下、間違いなく進行する高齢化など、わが国の将来に対する不安は、政治的リーダーシップなくしては解消しない。 |
市民の力で世の中を変えよう
現在のわが国は、明治維新、太平洋戦争敗戦に次ぐ、第3の国難にあるといえるだろう。明治維新は明治の若き志士達の力で、敗戦後は米国の援助と日本人の勤勉で、それぞれ立ち直ったが、第3の国難を救う力は何であろうか。それは、ネットに支えられた市民の力であると思う。市民の力が政治を変え、文化・経済を変えることができると思う。
暗い話ばかりではない。災害救済のためのボランティア活動、環境保護のためのNGO等、若い世代の活躍のきざしが見られる。文科省による「ゆとりのある教育」、「総合的学習」も期待が持たれるが、これが単なる授業時間の削減に終らないためには市民の協力と監視が欠かせない。
この度、私は自分のホームページの中に、従来からの山とスキー・歴史と文化と並んで、少年少女のための みんなのホームページを設けることにした。このホームページは、次世代を担う子供達が、自ら参加して一緒に学ぶサイバースペースを提供しようというものである。力も経験もない私に果たしてどこまで出来るか全く未知である。上に述べた課題の解決には程遠い私のホームページではあるが、皆さんのご支援により小さな芽を育てて頂ければ、幸いである。 |