ケニア山とキリマンジャロ山 ----アフリカの名山登頂とサファリの動物観察 |
キリマンジャロは標高6007メートル、雪に覆われた山で、アフリカの最高峰と言われている。 その西の山頂は、マサイ語で、”ヌガイエ・ヌガイ”、神の家と呼ばれているが、その近くに、干からびて凍りついた、一頭の豹の屍が横たわっている。 それほど高いところで、豹が何を求めていたのか、説明し得た者は一人もいない。 ヘミングウェイ作 「キリマンジャロの雪」 高見浩訳 新潮文庫 より アフリカは七大大陸の1つに過ぎないが、特別の思い入れがある。 アフリカ探検のリビングストン、「人間みな兄弟」 のシュバイツアー博士、黄熱病研究の野口英世、などを想起するのは子供のときに読んだ本の影響かもしれない。 南アフリカ共和国にはアパルトヘイトがあったし、ソマリアは今も飢餓状態であるという。 しかし山好きの私にとって、キリマンジャロ ( 正式にはキリマンジャロ山、標高はヘミングウェイの記述と異なり5896m ) は上記のヘミングウェイの小説の冒頭に出てくるように赤道直下で氷河が見られる山として魅力的である。 以前に訪問し、ホームページでも紹介したエジプトとは異なる、もう1つのアフリカらしいアフリカ(?)を見ることが出来るだろう。 この度、アルパイン・ツアー・サービス社が主催する15日間のツアーに参加した。ケニア共和国ではケニア山登頂とアンボセリ国立公園でのサファリを、タンザニア連合共和国ではキリマンジャロ山登頂を体験した。 (2001年9月) |
||
赤道直下にある キリマンジャロの氷河 |
||
|
ケ ニ ア 山 登 頂 |
成田からインドのデリー、ムンバイ ( 旧称ボンベイ ) 経由の2日がかりで、ケニアの首都ナイロビに着いた。 キリマンジャロ山に登る前に、高度順応のため、ケニア山( レナナ・ピーク4985m )に登頂する。 ケニア山国立公園は1997年に世界自然遺産に登録されている。 |
近代的なビルが並ぶナイロビ市内 赤道直下でも海抜1600mのため軽井沢のように快適 |
4WD車でケニア山の麓まで行く |
高速道路の横をロバで荷を運ぶ人達 | 沿道で果物を売る女達 |
ケニアの畑 |
バナナ畑 | トウモロコシ畑 | マメ畑 |
ナルモル・リバー・ロッジでトラックに乗換え | ケニア山国立公園のゲート |
メット・ステイション(3048m)でトラックを降りる。 我々(10人)と、ガイド、コック、ポーターなど現地スタッフ ( 約20人 ) はここから歩く。 |
現地チーフガイドの リチャード |
コックが作ってくれた夕食 毎日の食事は楽しみだった |
登るに従って眼下にアフリカ大陸が(?) | 草原帯と湿地帯を登る |
草原に咲く花 |
グラジオラス ワトソニオイデス |
ロべりア デッケニ | ニフォフィア トムソニ (グレート オプト ファイヤ) |
ケニア山を背に、マッキンダーズ・キャンプ(4300m)に勢ぞろい |
左はバチアン( ケニア山の最高峰5199m )、右はネリオン(5189m)、いずれもロック・クライミングの技術が必要 | 我々が登ったのはバチアンとネリオンの背後にあるレナナ・ピーク(4985m) |
早朝12時にマッキンダーズ・キャンプの 山小屋を出発し、レナナ・ピークに登頂 |
登頂証明書 (登頂日、登頂時刻、ガイドの署名がある) |
|
マサイ族の集落訪問 |
ケニアとタンザニアの国境付近には、約23万人のマサイ族が住んでいる。 彼らの生業は牧畜であるが、色彩豊かな男女の服装、男が必ず持っている杖のような棒、ジャンプを繰り返す挨拶などが知られている。 棒は家畜を追うのに使うのだろうが、もともとは武器であり、男達は片時も手放さない。 ちょっと奇異に思われるが、わが国でも武士は130年前まで腰に刀を差していたのと同じだろうか。 いや、棒の方が実用的である。 |
マサイ族の男達 | マサイ族の女達 |
マサイ族の子供達 | 彼らの履物は 車のタイヤの再利用 |
火起しの術 | 羊の放牧から帰宅した少年 |
アンボセリ国立公園でサファリ |
ケニアとタンザニア両国には数多くの国立公園があり、その内の幾つかはサファリに適している。 我々はケニア山とキリマンジャロ山の登頂の間の休養を兼ねて、ケニアにあるアンボセリ国立公園を訪ね、サファリを楽しんだ。 サファリといえばヘミングウェイの小説に数多く描かれている。 当時はライオンでもバッファロでも、じゃんじゃん撃ち殺していた。 今は車で観察するようになった。 動物達にとってサンクチュアリに戻ったかどうかは分らないが--- |
サファリのベースとなるアンボセリ・ セレナ・ロッジはサバンナの中にある |
ロッジの室内 | 夜の訪問者 モンキー |
サファリには早朝、車で出発 | 早朝の行進をする象の家族 |
めすライオン | ハイエナ | ガゼル | ||
ヌー | バッファロ | イボイノシシ |
シマウマ | キリン |
ダチョウ | 水鳥とカバ (眼と鼻だけ) | ウマ |
モメラ・ロッジ ここの衛星テレビでアメリカでの同時多発テロを知った |
ロッジの衛星テレビ 受信用アンテナ |
早朝のキリンの訪問 モメラ・ロッジでガサゴソという音で目を覚ますと、庭をキリンが散歩していた。 急いでカメラを持って外へ出た。怖いとは思わなかった。丁度キリマンジャロ山 が朝焼けだった。キリンがいい位置に移動するのを待って、シャッタを切った。 |
アリ塚 ( 同行のN氏の背丈ほどある ) |
アルーシャにはマサイ牛のマーケットがある。仔牛1頭80,000タンザニア・シリング ( 約1万4千円 )という。 この写真はアフリカらしい野性味が出ていると思う。 |
キリマンジャロ登頂 |
キリマンジャロ山はタンザニアとケニアの国境にあるが、登山口も山頂もタンザニア側である。 この山は富士山をデッカクして山頂を押しつぶしたような形をしている。 裾野の形は楕円形で、その長径は約80kmだから富士山の2倍以上ある。 山頂は大きな噴火口で、登山道から火口壁に登りついたところがギルマンズ・ポイント(5685m)である。 最高峰のウフル・ピーク(5896m)は、さらに火口壁に沿って1時間半程行ったところにある。 ギルマンズ・ポイントで一応の登頂、ウフル・ピークまで行けば完全登頂となる。 これは吉田口から富士山に登ると頂上は久須志神社(3740m)であるが、最高峰の剣ガ峰(3776m)はそこからさらに30分ほど行ったところにあるのと似ている。 登るにしたがって、森林帯、草原帯、砂れき帯、最後は岩場となる。 この間の植物相の変化も興味深い。 キリマンジャロ国立公園は1987年に世界自然遺産に登録された。 なお、東アフリカを南北に走る大きな割れ目リフト・バレーでは、アウストラロピテクスと名付けられた直立猿人の化石が発見されており、「人類発祥の地」 といわれているが、今回訪問できず、残念。 |
キリマンジャロ山概念図 アルパイン・ツアー社のパンフレットを修正したもの |
マラング・ゲート キリマンジャロ国立公園の入口 |
森林帯を行く | ポーターは食料・炊事用具・寝袋などを運んでくれる |
森林帯の花 (どういうわけか紫系の花が多かった) | ||||
マンダラ・ハット(2727m) 屋根に太陽電池が、床下にバッテリーが設置されている。 |
室内に蛍光灯が設置されているが、点灯しないものも多い。 |
草原帯の動植物 |
白銀色のドライフラワーのような花 | 黄金色のドライフラワーのような花 |
神様のジャイアント・セネシオ( 男女の願い事が叶うという ) | 白い首巻をしたカラス |
カメレオン 体長10cm弱の赤ちゃん |
カメレオンがいた木 ガイドが歩きながら見つけた |
ホロンボ・ハット(3720m)の山小屋 | ホロンボ・ハットでテントを張る人もいる キリマンジャロの山頂が見える |
草原帯を登る | 砂れき帯を登る |
キボ・ハット(4703m)の山小屋 山頂アタックの前夜宿泊した |
真夜中12時出発、ヘッドライトを頼りにギルマンズ・ポイントへ登る。途中、マウンジ峰(5151m)からの日の出 |
赤道直下とは思えない氷河ノーザン・アイス・フィールド |
キリマンジャロ最高峰 ウフル・ピーク(5896m) |
||
ギルマンズ・ポイントでの高度計の指示は、5m刻みとしては十分正確だった | ギルマンズ・ポイント(5685m) 気圧は約500ヘクト・パスカルで平地の半分、 比重の大きい酸素はもちろん平地の半分以下 |
ギルマンズ・ポイントに着いたとき、ウフル・ピークまで行くかどうか、一瞬迷った。 体力的には十分可能と思われたが、なぜかここで満ち足りた気持になってしまった。 65歳という自分の年を考えると、いつまでもピーク・ハントは続けられない。 これからは
「展望の山旅」 にしよう、そうすればこれから何年も世界の山を楽しめる、と日頃から思っていたからかもしれない。 気が付くと、ギルマンズ・ポイントで引き返す方の仲間と一緒に下山路についていた。 キリマンジャロは私にとって 「永遠の山」 となった。 |
現地チーフ・ガイドのピーターから、登頂証明書を受取る。 登頂証明書の色はギルマンズ・ポイントは緑、ウフル・ピークは金 |
アフリカよ、サヨウナラ |
ビールのラベル 下山後、ホテルでの登頂祝賀会で飲んだ キリマンジャロ・ビールは格別美味かった。 |
サン・テグジュペリの 「星の王子様」 に出てくるバオバブの木 ( 同行のN氏に撮影してもらう ) |
アルーシャのホテルから見たアフリカの夕焼け |
かくてケニア山とキリマンジャロ山の旅は終った。 ケニアの人々は底抜けに明るい。 スワヒリ語で
Jambo!( こんにちわ!) と声を掛けると、Jambo!と返ってくる。 一方、社会主義政権が長かったタンザニアでは、ホテルの従業員でもほとんど挨拶をしない。 しかし、山に入れば、どちらの国のガイドもポーターも
Jambo!Jambo!である。 裕福ではないが、黒人中心の独立国として頑張っているアフリカの人々の幸せを心から祈りたい。 Asante sana!( 有難うございました!) |
nsdssmhp | ホームページの中で検索したい |
|
ホームページの中で道に迷ったら |
|