エジプト----ナイルが育む5000年の歴史 | ||
ピラミッド、王家の谷,ナイル川、砂漠等、が我々がエジプトでイメージすることであろう。 ピラミッドは、何時、誰が、何のために作ったのかなど、専門家でない私には全くのミステリーである。 百聞は一見に如かず、私の「歴史と文化の旅」は、先ずエジプトから始めることにした。 (1999年10月) |
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ギザの三大ピラミッド |
カイロ・ギザ |
三大ピラミッド(前2500年頃) 左から、第1ピラミッド(クフ王 高さ146m 現在は137m)、第2ピラミッド(カーフラー王 高さ143m)、第3ピラミッド(メンカウラー王 高さ66m) ギリシアの歴史家ヘロドトスが「ピラミッドは奴隷が作った王の墓」と書いたので、これが通説となった。しかし最近「ナイル川の氾濫の季節の失業対策公共事業」という説が出てきた。 |
大スフィンクスと第2ピラミッド エジプトにはスフィンクスは多いが、これは最古最大(長さ57m、高さ20m) |
アレキサンドリア |
アレキサンドリア 前332年にエジプトを征服したアレキサンドロス大王が築いた地中海に面する都市。 ユークリッド、アルキメデスなどの学者を輩出した。 エジプト王朝最後のクレオパトラ女王のときローマに征服され、さらに7世紀にイスラム化したが、今でもどこかヨーロッパの匂いが感じられる。 最近、近くの海中にクレオパトラ時代の遺跡が発見され話題になっている。 |
水キセルを使う男たち | 路面電車とロバ |
ポンペイの柱 アレキサンドリアにある3世紀頃のコリント式の柱(高さ30m) 赤色花崗岩はナイル川1200km上流のアスワンから運ばれたもの。 |
ア ス ワ ン |
アスワンの古代の石切り場 赤色花崗岩を切り出した所。切りかけのオベリスク(長さ42m、1200トン)が残っている。 |
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ナイロメーターの目盛 | ||
イシス神殿にあるナイロメーター ナイル川の水位を測定するもの。川へ下る階段の側壁に彫り刻まれた目盛から測る。 |
アスワン・ハイダム ナセル大統領が1971年に完成した。幅3600m、高さ111m。ナイル川の流量安定化による農業の発展と水力発電に役立っている。 |
アスワン・ハイダムの完成により水中に没する運命のアブ・シンベル神殿(岩上のモニュメントの下方62m)はユネスコの基金により現在の高い所へ移設された。 |
アブ・シンベル |
アブ・シンベル大神殿 ラムセス2世(在位前1279-1213年)の坐像4体(像高20m) |
アブ・シンベル小神殿 ラムセス2世の立像4体と王妃ネフェルタリの立像2体(像高20m) |
小神殿の内部の浮彫り 奴隷を殴る王 |
大神殿の内部の浮彫り ラムセス2世とヒッタイトとの戦闘場面 |
王 家 の 谷 |
ハトシェプスト女王(在位前1479-1457)の葬祭殿 ルクソール市のナイル川西岸は太陽が沈む側として、王の再生・復活を祈る葬祭殿と王家の谷(多数の王墓)がある。 |
ハトシェプスト女王の葬祭殿は3層の立派なもの |
黄金のマスク エジプト考古学博物館では撮影禁止(写真はトマス・ホーヴィング著「ツタンカーメン秘話」より) |
王家の谷にあるツタンカーメン王(在位前1336-1327)の墓はラムセス6世の墓の下にあり、外から分からなかったので盗掘を免れ、1922年に黄金のミイラマスクが発見された。 |
ラムセス6世の墓の内部 ヒエログリフは1799年ナポレオンのエジプト遠征の際発見したロゼッタ石から解読された |
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ルクソール |
カルナック神殿 ルクソール市のナイル川東岸は太陽が昇る側として神殿が多い。かつてこの神殿 にあったオベリスクの1本は、4世紀に現在のトルコのイスタンブールに移された。 |
カルナック神殿の大柱列室 高さ21m、最大直径4.7mの柱が134本 |
ヒエログリフで書かれた供物の一覧表は表計算ソフトExcelの源流か |
ルクソール神殿 1対あったオベリスクのうち1本はパリのコンコルド広場に建っている。 |
← これより下は砂漠の中に埋もれていた |
コプト教(エジプトキリスト教)に改装された古代遺跡 | 古代遺跡の上に建てられたイスラム教のモスク |
ナイル川の夕景 |
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