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シチリア----幾多の民族の文化が香る地中海の十字路
 漠然とイタリアの田舎というイメージを持っていたシチリアで発見したものは、幾多の民族の文化がミックスされた独特のシチリア文化である。 「地中海の十字路」 とは言い当てたものだ。

 紀元前7世紀頃に新天地を求めたギリシア人たちは、シチリア島と南イタリアに植民地都市をつくった。 ポエニ戦争の末にカルタゴを破ったローマがシチリアを支配した。 ローマ帝国崩壊後、シチリアは異民族の侵入を受け、最後にビザンチン帝国領となった。
 9〜11世紀にはアラブ支配下となり、11世紀後半にはノルマン人が支配した。
 その後もフランス、スペインなどの支配を受け、1861年にイタリア王国の誕生となる。

 現在もシチリアには社会経済問題が多いという。 そんなことも考えながら、しばし2500年に亘る歴史の旅を楽しんだ。                  
(2001年5月)
 
ライトアップされた
コンコルディア神殿
 

 
タ オ ル ミ ナ
 エトナ山に近いタオルミナは、南イタリア屈指のリゾート。 ギリシア劇場から眺めたイオニア海の美しさは忘れられない。
 
ギリシア劇場  シチリアで2番目に大きな古代劇場
航空写真でなければ全景か写せない! 4枚の写真のパソコンによる合成パノラマ
 
ギリシア劇場からのイオニア海の眺め お土産屋で
 

 
エ ト ナ 山
 シチリアで一番高い標高3340mのエトナ山は、ヨーロッパ最大の活火山。 日本では富士山、阿蘇山、三原山など火山はどこでも見られるが、ヨーロッパのほとんどの山が褶曲作用で隆起してできたので、火山は珍しい。
今日はロープウェイが動かないので、バスで行ける所まで登る。
(パソコンによる合成パノラマ)
いくつかの噴火口を覗く 2500m地点で諦める。山頂は遥か彼方
 

 
チ ェ フ ァ ル
 イオニア海に面した避暑地。 大聖堂には豪華なモザイクがあるというが、到着したのが12時5分。 受付けの人が出てきたが、3時までは昼休みで入れないとのこと。 「教会なのに---」 と割り切れない気持ちで大聖堂を後にした。
 
恨めしの大聖堂 イオニア海で甲羅干しをする人々
 

 
パ レ ル モ
 人口90万人のパレルモは、シチリア州最大の都市で州都。 古くはカルタゴの交易都市として栄え、その後ビザンチン帝国領となり、831年にアラブ人に征服された。 1072年にはノルマン人が支配した。 その後も幾度か支配者が変わり、民衆の反乱もあり、最後はイタリア王国に編入された。 このような歴史的経緯からパレルモの建物はビザンチン、アラブ、ノルマンの折衷様式が多く、興味深い。 
 
パレルモ市内の貧民窟と高層アパート サン・カタルド教会 12世紀ノルマン時代のもの
 
             カテドラーレ  パレルモの代表的建築物
創建は1184年のシチリア・ノルマン様式。 14、15世紀の増改築でイスラム色の濃い折衷様式となった。 中央の丸屋根は18世紀の建設。 (パソコンによる合成パノラマ)
 
サン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会
典型的なアラブ・ノルマン様式。
同教会の中庭
南国情緒を漂わせる空間だ。
 
教会を案内してくれたガイドの植物博士(?)はニレの木と言っていたが 街路樹のカボックの木
綿毛は高級布団綿パンヤになる
 
   ノルマン王宮  現在はシチリア州議会堂
11世紀にアラブ人が築いた城壁の上に12世紀にノルマン人が増改築してアラブ・ノルマン様式となった
王宮の2階にあるパラティーナ礼拝堂(宮廷付属礼拝堂)の中庭から
 
礼拝堂入口のモザイク
アラブとビザンティンの職人が腕を競った
礼拝堂内部のモザイクのキリスト像
(絵葉書より)
 

 
モンレアーレ
 パレルモから内陸に8km入ったモンレアーレでは、ビザンチン様式のモザイクの傑作にお目にかかれた。
ドゥオーモ 回廊つき中庭
 
ドゥオーモの内部 クリスタルの十字架 モザイクのキリスト像の構図は見事
 
ジャカランダの並木  うす紫の花には優雅さが漂う
 

セ ジ ェ ス タ
 セジェスタは内陸の村である。 小高い丘の上に紀元前5世紀に建造されたドーリア式の神殿がある。 中央に神室を持たないこと、柱に縦溝がないことで、なぞの神殿と言われている。
丘を登ると神殿は忽然と現れる 神殿の柱には縦の溝がない

 
エ リ チ ェ
 標高750mの山の上に、古代からギリシア人が住んでいた。 今でも人口3万人も。 都会の喧騒も車の排気ガスもない静かなちょっと不思議な町だった。
 
ノルマン城  晴れた日にはアフリカのチュニジアが見えると言う
(パソコンによる合成パノラマ)
 
通りは独特の石畳
 

 
ト ラ ー パ ニ
 シチリア島の西端の町。 イタリア半島よりもアフリカの方が近い。 300年続く塩田を見学した。
 
                   風車のある塩田風景
塩水は、塩田の幾つかの区域に順次移されて、塩分濃度が高められる。 瓦は雨を防ぎ塩を乾燥させるためのものらしい。
 
塩の博物館
風車は塩を粉砕するのに使われる 博物館を見学するイタリアの子供達
 

 
アグリジェント
 アグリジェントは前582年にドーリス人の植民都市として建設された。 絶頂期には人口は20万人にもなったという。 丘の麓は「神殿の谷」とよばれ、多数のギリシア神殿が見られる。 ギリシア人はどうしてこんなに沢山神殿を造ったのだろうと、驚嘆する。 
 
           コンコルディア神殿
前5世紀に建てられたドーリス式建築の代表作。 キリスト教の聖堂に改修されて18世紀まで使用されたため保存状態がよい。
 アカンサスの花とヘラ神殿
コリント式建築の柱頭文様には、このアカンサスの葉のデザインが用いられている。
 
ヘラクレス神殿 ゼウス神殿を支えていた7.7mの巨大な男像柱(これは複製品、本物は博物館に)
 
オリーブの古木 アーモンドの実
種の中の天神様が食用に
サボテン
食用になるらしい
 
ライトアップされたコンコルディア神殿
手持ちのスローシャッターでなんとか撮影できた
 

 
ピアッツァ・アルメリーナ
 ピアッツァ・アルメリーナの旧市街から離れたところに、帝政時代の大富豪貴族の別荘「カサーレの古代ローマの別荘」 がある。 噴水のある中庭を囲む40室からなる壮大な建物には、いろいろなモチーフで描かれたモザイク画がよい状態で保存されている。
 
「カサーレの古代ローマの別荘」の入口 廊下のモザイク
 
狩のモザイク
 
10人のビキニ娘のモザイク
現在の水着と同じなので驚く (パソコンによる合成パノラマ)
 

 
シ ラ ク ー サ
 シラクーサの歴史は前734年にコリントス人がギリシア本土から移住したのが始まりだという。 物理学者アルキメデスの生誕地。 ここにもギリシア劇場とローマ円形闘技場があり、何世紀も続く彼らの生活スタイルの執念深さ(?)に驚かされる。
 
      アルテミスの噴水
ここはアルキメデスが生まれた地。 「浮力の法則」を発見したとき、彼はこの町を裸で走ったことであろう。
アポロン神殿跡
前7世紀に建てられた最古の石造神殿
 
      ディオニソスの耳
天国の石切り場の中にある。画家カラヴァッジョが名付けたもので、高さ36mのカーブした洞窟の中でヒソヒソ話をしても入口で聞こえることによる。
         ギリシア劇場
前3世紀に造られた1万5千人収容できるシチリア最大のギリシア劇場。 古典劇の上演の準備をしていた。 
 
古代ローマの円形闘技場
3〜4世紀の帝政時代に造られた。 (パソコンによる合成パノラマ)
 

 
ノ ー ト
バロック装飾の美しい小さな町ということだが、「悪趣味のバロックはもう結構」という感じ
 
とある教会 バロック様式で装飾されたバルコニー
 

 
カ タ ー ニ ャ
 カターニアは、シチリアではパレルモに次いで人口が多い。 ヨーロッパ最大の活火山エトナ山を擁し、幾度も噴火を体験してきた町である。
 
     像の噴水
町のシンボル1736年の作
カターニアのドゥオーモ
 
カターニア空港で眺めるエトナ山の夕暮れ  このあとマルタへ向かった。
 

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