西田進のホームページ
のトップへ戻る
富士・箱根の自然----山の自然学シリーズ(2)
  
 自然界には、どうしてこのようなものが出来たのだろうと不思議に思うものがある。 山の美しさもそうだし、怪石奇岩もそうである。 美しい高山植物や蝶のような生物も然りである。 この不思議さを研究することが自然を愛し、自然を保護することにつながると思う。 私に理解できる範囲で、自然界の不思議をホームページで紹介するのが、山の自然学シリーズ。 今回は、第1回の 「富士山の青木ケ原樹海」 に続く第2回であるである。

 私が参加している NPO(特定非営利活動法人) 「山の自然学クラブ」が主催する講座の第200回 記念として行なった 「富士・箱根の自然を観察する旅」 を紹介しよう。 
 (2003年5月)
クラブの植林予定地
  
富士・箱根周辺の概念図 (赤字は訪問地)
  

  
箱 根 大 観 山
 
箱根は、二重の陥没カルデラをはじめ、成層火山、溶岩ドームなど様々な火山地形が見られることから火山地形の博物館といわれる。小田原を出発した専用車はターンパイクを通って大観山に着いた。箱根を遠望するには大観山が最適である。ところが、生憎一寸先も見えない濃霧である。しかし有難いことに展望説明板があった。
  
展望説明板を見ながら小泉先生の説明を聞く
40〜25万年前
25〜18万年前

13〜8万年前
6万年前 

3,000年前
古箱根火山(成層型火山)が活動した。山の標高は3000mに達したと思われる。
軽石・火砕流を噴出し、陥没した。このとき残ったのが金時山などの古期外輪山である。古期外輪山の標高は1000m前後。
厚さ150mの大量の溶岩がカルデラを埋め、楯状火山ができた。
楯状火山が噴火した。このときの軽石は関東平野一面に降灰(東京パミストといわれる)
因みに、箱根の大噴火はこれが最後。その後は富士山の噴火が関東ローム層を作る。
神山の北西斜面で大規模な水蒸気爆発が発生し、崩壊した岩屑が仙石原に流出し、早川をせき止めて、芦ノ湖が誕生した。大湧谷はこのときの爆発でできた爆裂火口である。

 
丹 那 断 層
 
1930年11月26日(昭和5年)の北伊豆地震(M7.3)で生じた断層跡は、昭和10年に国の天然記念物に指定された。

1915年(大正4年)に熱海-三島間に鉄道トンネルを建設することが認可されたとき、本格的な地質調査が行なわれた。その結果、北伊豆では過去8000年の間に9回の大きな地震があり、1000年に2mの割で南北にずれを生じてきたことが分った。
 
丹那・田代盆地周辺の立体模型(きれいに拭いてから撮影すればよかった!)
 
丹 那 断 層
 
向う側の水路と円形石組みゴミ捨て場が、2.6m
左にずれている。典型的な 「左横ずれ断層」 だ。
それ、そこが、ずれているでしょう!
 
 
断 層 の 分 類
正断層

引っ張りの力が働いた
地層の逆転はない
逆断層

圧縮の力が働いた
地層の逆転がある
右横ずれ断層

向う側が右にずれている
左横ずれ断層

向う側が左にずれている
運動が水平または垂直面内でない場合は、複合断層になる
 
近くに覆屋のある断層地下観察室がある。貝塚などの古代遺跡の保存と同じ要領である。
 
火雷神社の断層
 
丹那盆地から約3km北の田代盆地にある火雷神社では、階段の正面にあった鳥居が、断層のためと左にずれてしまった。ここも左横ずれ断層で、移動距離は約1m。
 

 
三 国 山
 
箱根では、海に近く温暖で湿度が高いという特有の気象条件によって独特の植生が発達している。標高750m以上では夏緑樹林が分布し、神山、金時山、三國山にはまとまった森林が残されている。日本海側と違い降雪が少ないため、樹型は枝を横に張ったものが見られる。我々は芦ノ湖スカイラインから三國山の遊歩道に入り、樹木を観察した。
 
アセビ イヌツゲ ヒメシャラ(左) マメザクラ(フジザクラ)
これらの植物は、栄養の少ない土壌中に菌と共生しているらしい
 
ブナとミツバツツジ
霧の中のブナの大木
大きいものは樹周4.2mあった
ブナの種子 ブナの若木
この辺りは湿度が高いのでブナが育つ。苔の生えた岩の上に種子が落ちで更新するという。
 
カジカエデの若木 イロハモミジ カナダの国旗みたい
(サトウカエデ?)
ホウノキ
  
三国山の山頂で記念写真
  

  
俵 石 の 宿
  
今日の宿は、仙石原の俵石にある 「ウェルテル俵石」。 ウェルテルとは,
Welfare+Hotel の意味、自然の中でゆったりと過ごして欲しいとオーナーが名付けた。
  
「ウェルテル俵石」 のレストラン 「燦」。 ここの温泉は大湧谷から引いたもの。
  
夕食後、小泉先生(左、東京学芸大学) と 福永先生(右、東京農業大学) のレクチャーを聞く
 

  
箱 根 用 水
  
芦ノ湖には二つ水門がある。芦ノ湖キャンプ村近くの逆川口に造られた湖尻水門と西岸にある深良水門(いわゆる箱根用水)である。

深良水門から、芦ノ湖の清流は外輪山をぶち抜いた隧道を通って静岡県裾野市深良地域へと流れ出している。隧道の長さは、全長1280m。新田開発のために湖尻峠の真下を掘り抜こうというこの壮大な箱根用水の掘削が始まったのは寛文六年(1666)のことである。友野与右衛門たちをはじめとする江戸の商人たちが工事を請け負い、4年後の寛文十年(1670)に完成。二百町歩の新田が生まれた。

隧道は、芦ノ湖側と深良側の両方からツチ、ノミ、ツルハシという素朴な工具で手作業で掘られていった。固い地盤にぶつかるとそれを避けながら進められたので隧道はジグザグ状である。だが出会い地点はわずか1mの誤差しかない。精密な機器のない時代に成し遂げられたその高い測量技術は後世の人々を驚嘆させている。
  
湖尻水門  近代的な水門であるが、常時閉鎖され、水位調節以外に使われることはない。 湖尻水門から深良水門までは、芦ノ湖を眺めながら20分の散歩である。突然カシの落葉に出くわす。カシは常緑樹といわれるが、本当は葉が落ちきらないうちに新しい葉が出るのだ。
  
深良水門
明治43年(1910年)に木造から石造り鉄扉に改修されたが、現在も補強しながら史跡として保存されている。
  
            深良水門付近から眺める芦ノ湖、霧の向うの断崖は大湧谷。
3000年前、神山が大規模な水蒸気爆発をし、崩壊した岩屑が仙石原に流出し、早川がせき止めてられて、芦ノ湖が誕生した。その時の爆裂火口が、今の大湧谷である。
  

                     箱根用水余話
四代将軍徳川家綱の世のこと、一商人と農民がこのような大事業を行うのは体制にとって危険と見た幕府は、メンツを潰されたこともあって、この灌漑用水工事をことごとく邪魔し、友野与右衛門は何度も捕らえられ、命を狙われる。しかし、農民の篤い後押しがあって、幕府も公然とは与右衛門を殺めることは出来ないでいた。寛文10年(1670年)、箱根用水が完成し、深良水門が開かれたその日、冤罪を受けた友野与右衛門は、農民の見ている前で謀殺されてしまうのであった。
                     (映画「箱根風雲禄(1952)」の説明文より)


  
西 臼 塚
 
富士山南麓の国有林内に富士山自然休養林があり、遊歩道が整備されている。西臼塚は、標高1293mの頂上に噴火口を持つ小山(寄生火山)で、山頂には山ノ神を祭る神木がある。植林がなされ、樹種も多い。
 
フジザクラ シラベ(別名シラビソ) ヒノキ(土壌を保ち難い)
 
マユミ(弓を作ることから真弓) エゴノキ(喉を刺激してえごい) カジカエデ(雌雄別株) アズキナシ(小豆梨)
 
ゴマギ(胡麻の香りがする) ゴマギを嗅ぐ大森さん ウラジロモミ(左は裏、右は表)
 
今回のリーダーの中村さんは大活躍 ミヤマザクラ バッコヤナギ(野山に跋扈する) オオモミジ
 
ブナ(温帯落葉高木の代表) チドリノキ(別名ヤマシバカエデ) サワシバ 樹齢推定300年のご神木(ミズナラ)
 
遊歩道は整備されているが、標識はやり過ぎ? サンショウバラ カツラ(湿った谷間に生える)
 
コクサギと福永先生(枝と葉に特有の臭気がある) オオイタヤメイゲツ ウリノキ(葉が瓜を思わせる)
江戸時代に、ハウチワカエデの仲間を「明月」と呼んでいたことに由来する
 
ヒメシャラ(姫娑羅) シナノキ(樹皮は布・紙の原料) メグスリノキ(樹皮は煎じて目薬に) シカの食害を防ぐため
朝咲いた花が夕方に落ちることから、「平家物語」でも「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」と、世の無常の象徴として、描くかれている。

  
 植 林 予 定 地
  
NPO「山の自然学クラブ」が、関東森林管理局から植林のために5haの土地を10年間借用することになった。富士山の南斜面標高1000m前後の林道に隣接した土地である。ここにどんな木を植えるのか、種子はどうする、苗木はどうする、その土地で育った品種でないと生態系を壊さないか、今後の世話をどうするか、等々問題は山積である。先ずは、以前に富士市主催で行われた植林がなぜ失敗したのかの分析が必要だろう。今日の植林予定地の観察は、第一歩である。
  
かつてこの地で富士市主催で植林が行われた カヤを分け入ると植林の跡が見られる
  
我々の植林予定地の全貌 (6枚つないだパノラマ) 所々いろいろな木が植わっている
  
ミズナラ ヒノキ カエデ マメザクラ
  
我々のクラブの標識を建てる 向いの植林地のようになるかな?
  
植林予定地を観察し、標識を建てて、さあやるぞ! 帰る頃には富士山が顔を
  

  
大 室 山 山 麓
  
大室山(1468m)は富士山の北西にある寄生火山の1つである。3000年前に噴火し、斜面下層には当時の溶岩が残っているが、上層には土壌が発達している。

864年(貞観6年)に大室山の東に位置する長尾山(1424m)が噴火し、その溶岩流で青木ケ原ができた。そのとき溶岩流が大室山を避けて流れたため、大室山では原植生が残った。大室山北側はブナを中心とする広葉樹林となっている。

一方、青木ケ原は溶岩の上の土壌が乏しく、アカマツ、ツガ、モミなどの針葉樹が中心となっている。両者の植生の境界はきわめて明瞭である。
  
入口の掲示板(青木ケ原と長尾山を加筆した)
  我々は大室山の北斜面、即ち大室山と青木ケ原樹海の間を歩いた
  
大室山・青木ケ原の境界の風景(上) と 私が想像した地層断面図(下)
  
青木ケ原 の 富士風穴
  
 青木ケ原の一角にある富士風穴。
溶岩の表面が固まった後、側面が抜けて流れ出し、空洞ができたもの
溶岩が流れた跡
この溶岩は粘性が大きかったようだ。
 
イラモミの種子
この辺りには針葉樹が多い
 
  
大 室 山
  
一方、大室山には、青木が原と違って原植生が残った。
  
広葉樹が多い カエデ 今の時期にすでに種子が落ちている? 原植生のブナの大木が多い
  
    左は青木ケ原、右は大室山山麓、両者の境界は明瞭である。
ここを歩きながら太古の昔に思いをめぐらすと、不思議な気持ちになる。
大室山山麓を立ち去ったのは夕暮れ時、いろいろな観察をした長い2日間であったが、私にとって実りの多い第200回講座であった。
  
青木ケ原については、このホームページの
  
富士山の青木ケ原樹海----山の自然学シリーズ(1)
をご覧下さい。(クリックすればリンクします。ブラウザの[戻る]でお戻り下さい。
  

 
「山の自然学クラブ」にご興味のある方は下をクリックして下さい。
山の自然学クラブ
のホームページ
 

 
国内の山とスキーの
一覧表へ戻る
次へ
ホームページの中で検索したい
サーチ
ホームページの中で道に迷ったら
サイト
マップ

nsdssmhp