大和路(2)----聖徳太子ゆかりの地、斑鳩を訪ねる |
聖徳太子ゆかりの斑鳩の里には、日本で最初の世界文化遺産に登録された法隆寺、中宮寺などがある。 世界最古の木造建築物群と飛鳥仏は、しばし現代の喧騒を忘れさせてくれるだろうか。 法隆寺の近くにある藤ノ木古墳は、5世紀の未盗掘古墳で、金銅製の品々が発見された新聞記事は記憶に新しい。 大和路(2)は、心休まる斑鳩の里である。 この後の大和路(3)藤原京と飛鳥も合わせてご覧下さい。 |
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法隆寺夢殿 |
大和路広域図 |
大和路(2)詳細図 (法隆寺、中宮寺、藤ノ木古墳) |
法 隆 寺 |
607年に聖徳太子が、父である用明天皇の病気平癒を祈って建立したといわれている。 670年に焼失し、まもなく再建された。 その後天平年間に鐘楼や経堂などが次々に建てられ、大寺院に発展した。 平安時代になると、聖徳太子を崇拝する人々の信仰を集め大発展を遂げ、「聖徳太子の寺」のイメージが強まった。 世界最古の木造建築物群は、日本で最初の世界文化遺産に登録された。 |
南大門 1438年に再建されたもので、鎌倉時代を代表する傑作建物。 |
中門 白鳳建築の代表作。左に五重塔、右に金堂を配する法隆寺式伽藍配置が分る。 |
五重塔 高さ34m、本瓦葺きのゆるやかな勾配の屋根の優美さは、飛鳥時代の建造物の特徴。現存する日本の塔の中で最古のものである。 |
金堂 飛鳥時代から残る世界最古の木造建築物。内部には聖徳太子の冥福を祈って彫ったという釈迦三尊像が安置されている。 |
木造百済観音立像 2mの長身で左手に宝瓶を持っている |
聖徳太子二王子像 以前の千円札でお馴染みのもの |
コンクリート造りとは思えない大宝蔵殿百済観音堂には、百済観音立像、聖徳太子二王子像、悪夢を吉夢に替えるという夢違観音立像、小学校で習った玉虫厨子など、多数の仏像や工芸品が収蔵されている。 残念ながら(?)ほとんど暗室のような暗さで、ノーフラッシュで撮影できたのは上の2点だけである。 |
夢殿 1辺が約5mのこじんまりとした八角堂。聖徳太子が瞑想にふけったとの伝説があるが、太子の冥福を祈るため、行信僧都が建てたもの。 家にあらば 妹が手まかむ 草まくら 旅に臥せる この旅人あはれ (聖徳太子) 「家にいたら妻の手枕で寝ていただろうに、旅先で亡くなった旅人が哀れである」 という意で、当時の旅の困難さが偲ばれる。 |
中 宮 寺 |
法隆寺に隣接する中宮寺は、聖徳太子の母が創建した尼寺。 神秘の微笑で知られる本尊の弥勒菩薩像は飛鳥時代の彫刻の大傑作。 これにお目にかかることが、今回の旅の楽しみの1つであった。 |
本堂は1968年に再建されたものであるが、本堂内陣中に鎮座する本尊の半跏思惟像は、一般には弥勒菩薩像として知られる飛鳥時代の彫刻の大傑作。口元のかすかに浮かぶ微笑は、アルカイック スマイルと中学校で習ったが、当時はその素晴らしさは理解できなかった。本堂内でゆっくりと座って拝観させて頂いたが、さすがに写真は撮れなかった。 (仏像の写真は朝日新聞社 「日本の歴史2 古代」 より) |
藤 ノ 木 古 墳 |
藤ノ木古墳は1988年の発掘で豊富な副葬品とともに2体の人骨が発見され、当時の新聞を賑わせた。 副葬品には、豪華な馬具類、金銅製の履(くつ)、ガラス製品などが含まれる。 金銅製の冠は大陸からの輸入品と考えられる。 被葬者は不明であるが、欽明天皇の皇子の墓とする説が強い。 古墳は公開されておらず、外観の写真を撮るだけ。 下記の副葬品の写真は、県立橿原考古学研究所付属博物館の常設展示図録 「大和の考古学」 による。 |
藤ノ木古墳の外観 | 金銅製品の出土状況 |
金銅製履(くつ) | 金銅製冠 |
斑鳩には今回時間の都合で拝観できなかった多くの名刹がある。 法隆寺だけでも 1日かけたいところであった。 またの来る日を楽しみに斑鳩の里を後にした。 |
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