西田進のホームページ
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国内の歴史と文化 (一覧表)
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番号 タ イ ト ル 写 真 更新日
D51  バーチャル巡検 ---- 奈良・斑鳩の旅
 興福寺・東大寺・春日大社、平城宮跡と西ノ京(唐招提寺・薬師寺)、斑鳩の里(法隆寺・中宮寺)
19- 7- 14
私は定年退職した後、ザックを担いで歩き回り、沢山の写真を撮り、Websiteで必要な情報を集め、ホームページを制作するのを楽しみにしてきた。ところが83才のいま、それが叶わなくなった。骨折と貧血のためである。今年の日本山岳会会の行事として、「奈良・斑鳩の旅」にご案内することが決まっていたが、実施が困難になったので、「バーチャル巡検 ---- 奈良・斑鳩の旅」を制作することにした。   2019年7月)
D50  鎌倉ハイキング ---- スプリングクラブ巡検
 岩殿寺、法性寺、まんだら堂やぐら群、名越切通、お猿畠の大切岸、衣張山、石切り場跡
19- 7- 2
鎌倉ハイキングといえば、 「天園ハイキングコース」 が有名であるが、今回は一味違うコースだ。 京急新逗子駅をスタートして、岩殿寺〜法性寺〜まんだら堂やぐら群〜名越切通〜衣張山を巡る 「名越切通・衣張山のハイキングコース」 である。日頃、地生態学や地学を勉強するスプリングクラブの仲間との楽しいハイキングである。    (2019年7月)
D49  明治維新150年 ---- 久里浜・横須賀巡検
 ペリー上陸記念碑、記念艦三笠、猿島要塞跡、ヴェルニー記念館、横須賀軍港めぐり
19- 4- 2
昨年は、明治改元(1868年)から150年だった。つまり明治維新150年というわけである。横須賀には幕末から明治にかけての歴史遺産が多い。嘉永6年ペリーが最初に上陸した久里浜、日本最大の工場「横須賀製鉄所」、明治38年の日露戦争日本海海戦で活躍した「戦艦三笠」、幕末から第二次世界大戦にかけて築かれた猿島要塞、現在も海上自衛隊施設と米海軍施設のある横須賀港、などである。 (2019年3月)
D48  東京の島を訪ねて(1) ---- 霊岸島・佃島など
 常盤橋、貨幣博物館、日本橋界隈、霊岸島、佃島の超高層マンション群、佃住吉神社、名物佃煮屋
19- 2-23
歴史的景観は、奈良・京都だけではない。どこの町や村にも歴史を感じさせる景観がある。特に首都東京が面白い。1590年に徳川家康が江戸城に入城したときは、荒れ果てた江戸城があった。家康は1603年に征夷大将軍となって幕府を開くと、江戸を全国の政治・経済・文化の中心地にするための本格的都市計画事業を開始した。東京の街を散策し、近世・近代・現代につながる歴史的景観を楽しもう。 (2019年2月)
D47  「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群と金印の志賀島 --- 沖ノ島宗像大社沖津宮
 宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群、志賀島の金印公園・蒙古塚
18- 7-4
我国の21件目の世界遺産として登録された 『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』 と 「漢委奴国王」と刻された金印が見つかった志賀島を訪ねた。この世界遺産の構成資産の中でも沖ノ島には、4世紀後半から約500年間にわたり、ヤマト王権による国家的な祭祀が執り行われた遺跡がある。出土した約8万点の遺物は全て国宝に指定され、「海の正倉院」と呼ばれているが、研究者以外には禁足の島である。 (2018年5月)
D46  難波と飛鳥 --- 古代の宮跡、陵墓、大和川、飛鳥と奥飛鳥、二上山の旅
 仁徳天皇陵、大阪歴史博物館、難波宮跡、大和川地すべり資料館、大和川沿いに歩く、長谷寺、
 藤原宮跡、石舞台古墳、奥飛鳥、二上山博物館、二上山など
18- 5-16
日本の古代史は魅力溢れる世界だと思う。今回の旅は「大阪の難波宮」と「飛鳥の藤原宮」である。そして2つの宮を結ぶ「大和川」が舞台である大和川の上流は初瀬川と呼ばれ、「仏教伝来之地碑」がある。そこは、難波津から大和川を遡行した遣唐使が飛鳥に上陸した地点でもある。 (2018年4月)
D45  川上音二郎・川上貞奴・福沢桃介の物語 ---- 茅ヶ崎・名古屋・犬山・南木曽を訪ねる
 神奈川県茅ヶ崎市、愛知県名古屋市、岐阜県各務原市(「犬山市」として引用)、長野県南木曽町
17- 6-30
 男は何かに人生を賭けるとき輝く。女も同じだが、女にはもう一つ輝くときがある。それは、惚れた男に尽くすときである。このとき男は一層輝きを増す。

 明治16年ごろから、政府攻撃の演説、新聞発行などを行ってたびたび検挙された男が、明治18年には講談師の鑑札を取得し、一座を率いて「オッペケペー節」で人気を博した。川上音二郎である。この芝居は書生芝居と呼ばれた。小山貞は、生家の没落により、7歳のとき芸妓置屋「浜田屋」の女将の養女となる。伝統ある「奴」名をもらい、「貞奴」を襲名。後に伊藤博文や西園寺公望などから贔屓にされ、名実共に日本一の芸妓となる。伊藤博文の三羽カラスといわれた金子堅太郎の媒酌で、音二郎と貞奴は結婚し、川上貞奴は誕生した。その後、2回、延べ24カ月に及ぶアメリカとヨーロッパで公演を成功させ、貞奴は日本初の女優となった。1900年のパリ万博では、ロダン、ドビュッシー、ジイド、ピカソが彼女の演技を絶賛した。貞奴は音二郎の没後、7回忌を経て舞台から退き、輸出向け高級絹布を生産販売する「川上絹布株式会社」を設立。名古屋に居を構え、旧知の仲である福澤桃介の事業パートナーとして生活を共にした。旧姓岩崎桃介は、慶應義塾の福澤諭吉の婿養子となり、福澤桃介を名乗った。電気事業に関与し、名古屋電灯を買収して社長となり木曽川などで水力開発を手がけ、後に大手電力会社大同電力の初代社長となった。これらの電気事業での活動により「電力王」と呼ばれるに至る。桃介を励まし、大事業を成功させた元気の源は貞奴であった。

 3人のゆかりの地である神奈川県茅ヶ崎市、愛知県名古屋市、岐阜県各務原市(隣接地の「犬山市」として引用)、長野県南木曽町を訪ね、明治・大正・昭和に至る大ロマンに浸ることにする。    (2017年6月)
D44  秋山郷 --- 鈴木牧之の足跡 と 苗場山麓ジオパークを巡る旅
 マウンテンパーク津南から眺める河岸段丘、猿飛橋、見倉橋、甘酒村跡、苗場神社、切明温泉など
17- 1- 9
秋山郷は、新潟県と長野県の県境、昔風にいえば、越後国と信濃国の国境にある。過去に1つの行政区になったことはないが、昔からそう呼ばれている。秋山郷はほぼ全域が、「苗場山麓ジオパーク」として認定されている。今回の旅は、「秋山記行」に記された鈴木牧之の足跡を訪ねながら、地質学と民俗学を学習し、幾十万年もの大地の歴史と1000年に及ぶ人々の営みを訪ねる旅である。 (2016年10月)
D43  釜山・対馬・壱岐 --- 日韓の歴史と自然を訪ねる旅
  釜山(福泉博物館)、対馬(白嶽、浅茅湾)、壱岐(原の辻遺跡、一支国博物館)など
16-11-28
対馬・壱岐にはどうしても韓国・釜山から入りたかった。@3〜4万年前に日本列島に人類が移住してきたルート、A魏志倭人伝に記された対馬国・一支国、 B遣唐使の渡航のルート、C元寇が日本に進攻したルート、D秀吉が朝鮮を侵攻したルート、E朝鮮通信使の日韓交流のルート、F日露戦争の時の日本海海戦の舞台、などがその理由である。対馬・壱岐の歴史と自然を堪能して下さい。 2016年9月)
D42  四国遍路(1/5) --- 阿波(徳島県)の前半
 霊山寺、極楽寺、金泉寺、大日寺、地蔵寺、安楽寺、熊谷寺、十楽寺、法輪寺、切旗寺、藤井寺、
 井戸寺、焼山寺、大日寺、常楽寺、国分寺、観音寺、恩山寺、立江寺
15- 5-20
日本には霊場を巡礼するという文化がある。四国に限らず、伊勢、西国、坂東、秩父、東北、などに沢山ある。しかし「遍路」と呼ばれるのは四国だけのようである。「衆人のすなる遍路とてふものを、我もしてみむとてするなり」ということで、妻と一緒に気楽に出かけた。  (2015年3月)
D41  四国遍路(2/5) --- 阿波(徳島県)後半と土佐(高知県)前半
 鶴林寺、太龍寺、平等寺、薬王寺、最御崎寺、津照寺、金剛頂寺、神峯寺、大日寺、国分寺、
 善楽寺、禅師峰寺、竹林寺、雪蹊寺、種間寺、青龍寺、清滝寺
15-8-18
今回参詣する寺々は室戸岬周辺と土佐湾沿岸に散在している。寺間の最も離れているところは約75kmもあり、歩き遍路では3日がかりとなるが、この間はバスを利用するので助かる。この間には、弘法大師が19歳の時修行した御厨人窟(みくろど)があり、ここで「空海」の法名を得たとされている (2015年5月)
D40  四国遍路(3/5) --- 土佐(高知県)後半と伊予(愛媛県)前半
 岩本寺、大岐海岸、金剛福寺、足摺岬めぐり、延光寺、観自在寺、龍光寺、佛木寺、明石寺、
 浄瑠璃寺、八坂寺、大宝寺、岩屋寺、別格9番文殊院、札始大師堂、西林寺、浄土寺、圓明寺
15-9-30
高知の道は「修行の道場」、愛媛の道は「菩提の道場」と呼ばれる。したがって、今回は、ぼつぼつ修行を終えて悟りを開くべしということだろうが、凡夫の私には、悟りは遥か彼方である。コラムに記した「四国の地質 と 日本列島の誕生」、「寺の名前 (山号、院号、寺号)」もご覧頂ければ幸いである。(2015年9月)
D39 制作中 15-9-30
D38 制作中 15-9-30
D37  日本の近代化遺産(5) 別子銅山 --- 日本の銅山史を訪ねる
  別子銅山記念館マイントピア別子、銅ができるまで、鉱害克服の歴史
15- 2-12
私は特段、「鉱山好き」というわけではないが、制作したホームページの中に鉱山関係が多いのは事実である。別子銅山は佐渡金山と共に取材していて楽しい鉱山である。本の三大銅山(足尾、別子、日立)でいかに鉱害が克服されたかをホームページの最後の部分に記した。近年話題になるCSR(企業の社会的責任)の問題としてご覧頂ければ幸いである。 (2015年2月)
D36  熊野古道 --- 中辺路参詣道の旅
  熊野本宮大社、小雲取越、大雲取越、那智本宮大社、熊野速玉大社
14- 12-16
現世での生まれ変わりを信じて歩く巡礼の道は、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に続く2例目として、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された。信仰心はないけれども、山登りと歴史が好きで、80歳を目前にして人生の再スタートを模索する私にとって、熊野古道は魅力的である。難しことは考えずに、10kgのザックを担ぎ、1週間の旅に出かけた(2014年11月)
D35  日本の近代化遺産(4) 琵琶湖疏水 --- 疏水の歴史、疏水の成り立ち、
  琵琶湖取水口、三井寺、蹴上インクライン、疏水記念館、南禅寺、哲学の道
14- 2-20
明治になって東京へ首都が移り、衰退して行く京都を復興させるために計画されたのが琵琶湖疏水の建設。主唱者である北垣国道 京都府知事が、主任技師に登用したのが、工部大学を卒業したばかりの青年技師 田邉朔郎であった。日本最長の第1トンネル、日本最初の事業用水力発電所、日本最初の電気鉄道、世界最長のインクラインなどが日本人の手によって完成された。 (2014年2月)
D34  日本の近代化遺産(3) 石炭産業 --- 石炭の歴史、石炭の地質学、若松港、
  旧筑豊炭田、旧三池炭鉱、三池港、旧端島炭鉱(軍艦島)
13-10-15
富国強兵を目指す明治政府が産業の基礎としたのが、外貨を稼ぐための『絹産業』、軍艦を造るための『製鉄業』、エネルギーを供給するための『石炭業』であった。これは私のホームページの 『日本の近代化遺産』の最初の3つのテーマである。「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」として世界文化遺産に申請中の旧三池炭鉱、軍艦島、三池港などを訪ねよう。 (2013年10月)
D33  日本の近代化遺産(2) 製鉄業 --- 製鉄の歴史、製鉄の技術、八幡製鐵所、
  釜石製鐡所、釜石鉱山、大橋高炉、橋野高炉、韮山反射炉、たたら製鉄
13- 9-25
「鉄は国家なり」は、‘鉄血宰相’といわれたプロイセン王国の首相ビスマルクの演説に由来している。当時の鉄は‘大砲’と‘鉄道’を、血は‘兵隊’を意味し、プロイセン王国は、「鉄と血の力」を以って、帝国を築き上げた。我国の明治政府にもその思想は受け継がれた。日本の製鉄の遺産として、八幡製鐵所、釜石の橋野高炉と大橋高炉、日本古来の「たたら製鉄」などを探訪しよう。 (2013年9月)
D32  日本の近代化遺産(1) 絹産業 --- 養蚕農家、富岡製糸場、製糸機の歴史、
  織機の歴史、西陣織、群馬の絹産業、八王子-横浜 絹の道、横浜の絹遺産
13- 5-16
日本の幕末・明治は大変な時代であった。この時代には、武士も、町人も、政治家も、産業人も、どのような時代になるのかを模索しながら懸命に生きたに違いない。その足跡は「近代化遺産」として残されている。今回は「日本の絹産業」に関わる産業遺産を訪ねよう。世界遺産候補「富岡製糸場」だけではない。 (2013年5月)
D31  出雲国と石見国(1)--- 美保神社、佐太神社、八雲山、須我神社、
  
熊野大社、八重垣神社、出雲国分寺跡、出雲大社、古代出雲歴史博物館
12- 12- 3
かねてより古事記、日本書紀、風土記の世界を訪ねたいと思っていたところ、今年は古事記編纂1300年に当るという。出雲国には、スサノオ神話、国譲り神話、国引き神話、黄泉の国など、子供のころから親しんだ神話が多い。旅の前半は出雲国で、出雲大社をはじめ多くの神話の舞台を訪ねる。    (2012年11月)
D30  出雲国と石見国(2)--- 三瓶小豆原埋没林、三瓶自然館、三瓶山、石見
  銀山、龍源寺間歩、仙ノ山、清水谷製錬所跡、沖泊、温泉津温泉
12- 12- 3
旅の後半では出雲国の隣国「石見国」を訪ねる。国引き伝説で有名な三瓶山、最近発見された三瓶小豆原埋没林、登録5周年を迎えた世界文化遺産石見銀山などである。石見銀山では江戸時代の間歩(坑道)や製錬所跡を見学し、鉱山から銀の積出し港までの銀山街道を歩く。 (2012年11月)
D29  葛城と河内の古墳群--- 百舌鳥古墳群、古市古墳群、仁徳天皇陵、
  履中天皇陵、応神天皇陵、允恭天皇陵、近つ飛鳥博物館
12- 8-26
世界文化遺産への登録を目指す運動が進められている百舌鳥・古市古墳群には、仁徳天皇陵などの巨大前方後円墳が含まれている。今回は多くの古墳、近つ飛鳥博物館など日本の古代史の舞台を見学した。ご指導下さった関西学院大学天野末喜先生に心からお礼申し上げます。 (2012年4月)
D28  南三陸地層観察2--- 一関市、気仙沼市、石と賢治のミュージアム、刈生沢、
  千厩岩井崎、唐桑御崎、東日本大震災津波の被災地
12- 6-21
先回と今回の南三陸の地層観察で、私にとって初めての化石探しは楽しいの一言に尽きる。また花崗岩の貫入により周辺の岩が熱変成しホルンフェルスになったのをつぶさに観察するのも興味深かった。 ご指導下さった弘前大学教授の鎌田耕太郎先生に心からお礼申し上げます。 (2012年4月)
D27  南三陸地層観察1---石巻市、南三陸町、北上川、志津川、歌津、魚竜化石、
  ナウマン博士の貝化石、P-T境界、東日本大震災津波の被災地
12- 5-18
日本列島の中でも北上山地には比較的古い地層が見られる。それも火成岩や変成岩ではなく、堆積岩なので「化石」が見つかる可能性がある。化石には少年が持つような素朴な好奇心が湧く。東日本大震災のために地学見学旅行を諦めていたところ、NPO法人 「山の自然学クラブ」 が、被災地の訪問を兼ねた南三陸の地層観察会をやるというので、参加させて頂くことにした。  (2012年4月)
D26  小笠原・父島2---南島の沈水カルスト、無人岩アカガシラカラスバト、シダ類 12- 5- 8
小笠原諸島の父島には、昨年6月に続いて2度目。今回は特に、南島の沈水カルスト地形、初寝浦の無人岩(ボニナイト)、ホエールウォッチングと父島一周クルーズ、島内各地でのシダ類の観察に重点を置いた。当初母島にも行く予定であったが、天候が悪く父島からの船が欠航し行けなかった。しかし幸いなことに初寝浦遊歩道においてアカガシラカラスバトを見ることができた。  (2012年3月)
D25  下仁田ジオパーク----跡倉クリッペ、荒船山、蝉の渓谷、青岩公園、妙義山 11-12-19
仁田町といえば、葱(ねぎ)と蒟蒻(こんにゃく)で有名な、群馬県の人口約8000人の町であるが、今ジオパークで燃えている。ジオパークは、地球科学的に見て重要な特徴を有するだけでなく、その他の自然遺産や文化遺産を有する地域が、保全や教育、ツーリズムに利用しながら地域の持続的な経済発展を目指す仕組みである。2011年認定された下仁田ジオパークを訪ねよう。 (2011年12月)
D24  西東京と相模原の古代遺跡----国際基督教大学と野川遺跡、勝坂遺跡など 11-11- 23
横浜市の歴史同好会主催の「史跡見学会」の報告である。訪問先は、くにたち郷土文化館、国際基督教大学の湯浅八郎記念館(野川遺跡で発掘された旧石器が展示されている)、相模原市の勝坂遺跡、相模原市立博物館(勝坂式土器の見学、全天周映画で「小惑星から帰還したHAYABUSA」の鑑賞)である。見学には、東大非常勤講師の小田静夫先生がご同行下さった。 (2011年11月)
D23  山の辺の道---纏向遺跡、崇神天皇陵、景行天皇陵、石上神宮、大神神社 11-11- 2
幾度か計画しながら実現しなかった大和の「山の辺の道」探訪は、思いがけず、桜井市で開催される講演会と遺跡見学に参加する形で実現した。最近、卑弥呼の墓ではないかと考えられている箸墓古墳、多くの天皇陵や古墳を訪ねるという考古学ファンには垂涎の旅であった。  (2011年10月)
D22  小笠原・父島---世界自然遺産、動植物の固有種、独特の地質、戦争の歴史 11- 7-29
小笠原諸島の父島に行ってきた。小笠原諸島の島々は、4000万年以上前に太平洋プレートがフィリピン海プレートにに沈み込んでできた火山島で、大陸とは一度も繋がったことのない海洋島である。そのため、大陸からの生物の移動のチャンスが少なく、島に生息する生物の種類は少ないが、固有種の割合が高い。小笠原が東洋のガラパゴスといわれる所以である。島の文化史も面白い。(2011年6月)
D21  埼玉・群馬県境の地学---埼玉県立自然の博物館、長瀞、三波石峡、
  西御荷鉾山、恐竜センター、富岡製糸場、群馬県立自然史博物館
11- 6- 2
日本地質学発祥の地といわれる長瀞、地質学上の名称の由来となっている「模式地」である三波川と御荷鉾山、ブームとなっている恐竜センターと「恐竜の足跡」、2つの県立自然史博物館、序に世界遺産登録申請中の富岡製糸場を訪ねる贅沢な旅  (2011年5月)
D20  紀伊半島の海岸地形---瀞峡、鬼ヶ城、那智滝、橋杭岩、潮岬、天鳥褶曲 10- 7- 8
紀伊半島南部はどことなく四国南部と似ているような気がする。南国紀州と南国土佐であるから気候・植生は似ている。紀州には熊野古道、四国には霊場八十八か所、という宗教的遺産がある。しかし、地質図を見ていて1つの違いに気がついた。四国南部にはない火山作用が、紀伊半島南部にはあることだ。火山の影響が景観にどのような違いをもたらしているだろうか。  (2010年5月)
D19  美濃・尾張の自然 ---- 根尾谷地震断層、淡水魚水族館、飛水峡 09-12- 3
日本山岳会の山の自然学研究会では、年に何度か会員が地元を案内することになっている。 今回は名古屋市在住の会員が世話役になって催して下さった。 これはその報告である。見学先は、我国最大の内陸性地震「濃尾地震」の跡地、日本最古の石博物館、世界淡水魚博物館、東山植物園というように様々な分野である。 これぞ自然学の醍醐味といっていいであろう。 (2009年11月)
D18  北海道の南と北(1) ---- 北大植物園、アポイ岳、礼文島の旅 09-6-23
北海道は広いし、季節を変え、対象を変えれば、何回行っても新しい発見がある。 今回は南のアポイ岳と北の礼文島・宗谷に限って訪ねることにした。 アポイ岳は特異な地質のため固有種の花がみられる。 礼文島は以前にも訪ねたことがあるが、今回はレブンアツモリソウの開花期に合わせて訪ねる。 宗谷では2万年前の氷河期にできた周氷河地形を観察したい。 (2009年5月)
D17  北海道の南と北(2) ---- 稚内、宗谷岬、宗谷丘陵、サロベツ原野 09-6-23
ここには植物学的にも、地学的にも、歴史的にも、最北に因む文物が多い。 周氷河地形の宗谷丘陵には大型風力発電所や大規模太陽光発電所が設置されている。 北の大地は自然エネルギーの先進国である。 最北の地は、間宮林蔵の樺太探検出港の地、バルチック艦隊監視の地、太平洋戦争の開戦の無線発信の地である。 歴史の重みを実感する旅でもあった。 (2009年5月)
D16  佐渡の自然と文化 ---- ドンデン山の花、佐渡金山、史跡を訪ねる旅 09-6-23
国内でも一度訪ねたいと思いながらまだ足を踏み入れていないところも多い。 私にとって佐渡はそのような場所の1つである。 今回日本山岳会の「山の自然学研究会」が企画した「佐渡のドンデン山の花を訪ねる旅」に参加して、長年の念願を果たした。 旅の後半は、研究会の行動から離脱して、佐渡金山を見学し、随所で地学観察をし、佐渡の史跡を訪ねることにした。 (2009年4月)
D15  沖縄本島の自然 ---- 琉球石灰岩とカルスト地形・サンゴ礁を巡る旅 09-12-12 
日本には自然が残っていないといわれるが、南の島々には亜熱帯性の多くの動植物が生存している。 南の島は生物多様性の宝庫である。 地形・地質的にもサンゴ礁が基になってできた熱帯性カルスト地形など貴重な自然遺産が残されている。 サンゴ礁が作った琉球石灰岩については、よく知られているとは言い難い。 私も琉球石灰岩をじっくりと観察したことがない。 (2009年12月)
D14  出雲・吉備路遺跡巡り ---- 日本古代史のもう1つの舞台 06-4-21
出雲・吉備は、畿内・北部九州とともに日本古代史の舞台である。 近年夥しい数の銅鐸、銅矛、銅剣が出土した島根県の荒神谷遺跡・荒神谷遺跡はぜひ見学したい遺跡である。 横浜市歴史博物館ガイドボランティアのOB会、「横浜さいかちの会」の有志15人で、2泊3日の旅に出かけた。
(2005年5月)
D13  我が町横浜の歴史散歩----横浜市鶴見区の貝塚と古墳 06-4-4
横浜市に住んで38年になるが、定年退職するまでは単なる「寝床」であった。 退職後、横浜市歴史博物館のガイドボランティアをやらせて頂いたお蔭で、横浜市内に縄文時代や弥生時代の遺跡が沢山あることを知った。 今回、歴史同好会の仲間と一緒に「鶴見地区歴史発見ミニツアー」に参加した。  (2006年3月)
D12  足尾銅山----日本の鉱工業の光と陰 04-12-15
足尾銅山はかつては日本一の銅産出量を誇った。その歴史は、「鉱山近代化」の光と、「鉱毒問題」の陰に彩られている。いうまでもなく古河市兵衛による足尾銅山の輝かしい歴史と、「公害の原点」ともいわれる田中正造の環境保護運動である。現地に歴史を訪ねてみた。   (2004年11月)
D11  北大歴史散歩----札幌農学校に明治の開拓者精神を見る 03-6-20
私は北海道が大好きである。夏の大雪山・トムラウシの高山植物は日本一だし、ニセコで滑る粉雪は世界一だと思っている。北海道で素晴らしいのは自然だけでない。北大キャンパスにクラーク博士の開拓者精神と明治・大正・昭和の歴史を訪ねてみた。      (2002年12月、2003年2月)
D10  北九州遺跡巡り----日本古代史の舞台を訪ねるロマンの旅 03-6-20
北九州は、畿内とともに日本古代史の重要な舞台であり、ロマンの世界である。2年間の横浜市歴史博物館のガイドボランティアの任期が終了した我々OBは、「さいかちの会」という歴史研究同好会を立ち上げ、修学旅行の気分で3泊4日の旅に出かけた。             (2003年5月)
D9  九州大宰府----大君の遠の朝廷を訪ねる 02-12-26
九州大宰府といえば受験の神様太宰府天満宮を想い起こす人が多いだろう。歴史好きの人なら大宰府政庁を、文学好きの方なら大伴旅人や山上憶良といった万葉歌人を連想されるかも知れない。さあ、大和と並ぶ日本の古代史の宝庫太宰府を訪ねよう。             (2002年11月)
D8  大和路(1)----平城宮跡・奈良公園・西ノ京を訪ねる 02-5-31
だれにでも 「ふるさと」 がある。 「日本のふるさとは大和である」、といえるかもしれない。大和路(1)には、復元された平城宮の朱雀門、大仏開眼1250年の奈良国立博物館特別展示、平山郁夫先生の壁画が完成した薬師寺など、見所が多い。               (2002年4月)
D7  大和路(2)----聖徳太子ゆかりの地、斑鳩を訪ねる 02-5-31
聖徳太子ゆかりの斑鳩の里には、日本で最初の世界文化遺産に登録された法隆寺、中宮寺などがある。近くの藤ノ木古墳は、5世紀の未盗掘古墳で、金銅製の品々が発見された新聞記事は記憶に新しい。                                      (2002年4月)
D6  大和路(3)----万葉のふるさと、藤原・飛鳥を訪ねる 02-5-31
日本の歴史は592年の推古天皇の即位辺りで考古学から歴史学の時代に変わる。710年に元明天皇が平城宮に遷都するまで、飛鳥・藤原が日本の首都であった。この時代は、万葉集が最も花開いた時期でもある。さあ、万葉のふるさとを訪ねよう!             (2002年4月)
D5  加曽利貝塚----千葉市にある我が国最大の縄文貝塚 02-4-30
「貝塚」という言葉には、何か日本的な響きがある。千葉市にある加曽利(かそり)貝塚は7000年前から2500年前まで続いた日本最大級の貝塚である。面白いことに、ここは日常生活のゴミ捨て場ではなく、干貝を作る作業場のゴミ捨て場あったと推測されている。  (2002年3月)
D4  尖石遺跡----八ヶ岳山麓の縄文遺跡発掘にかけた宮坂氏の情熱 01-12-27
八ヶ岳の西側、標高1000m余の緩斜面には、多くの縄文遺跡がある。中でも 「尖石遺跡」 は学術的価値が高いとして国の特別史跡に指定されている。この遺跡は、昭和初期から宮坂英弌氏が発掘調査を進め、日本で初めて縄文時代の集落研究が行われた遺跡である。  (2001年7月)
D3  登呂遺跡----弥生時代の水田跡が最初に発見された弥生遺跡 01- 8-20
「登呂遺跡」 なんと懐かしい名前だろう。太平洋戦争終戦の頃日本人が敗北感で自信喪失していたときに、勇気づけてくれたニュースの1つが、「登呂遺跡」の発掘調査で日本最古の水田跡が発見されたことであった。ついにこの遺跡を見学する機会が来た。 (2001年7月)
D2  宮島と厳島神社----平家一門の繁栄祈願の跡を訪ねる 00-12-11
松島、天の橋立とともに日本三景に数えられる「安芸の宮島」のシンボルは、1996年に世界文化遺産に登録された厳島神社である。厳島神社といえば、平安様式の神殿、海中に立つ大鳥居、平清盛が平家一門の栄華を祈願して納めた「平家納経」などが目玉であろう。 (2000年11月)
D1  札幌雪まつり----純白の輝く雪像とライトアップされた幻想の世界 00-10-18
国内外から200万人が訪れる世界的な祭典、札幌の雪まつり。メイン会場となる「大通り公園会場」、のほかに「真駒内会場」、「すすきの会場」の計3会場からなる。太陽の光に輝く純白の雪像も美しいが、ライトアップされた夜の会場は幻想の世界を見せてくれた。  (2000年2月)
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