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大和路(1)----平城宮跡・奈良公園・西ノ京を訪ねる
  
 だれにでも 「ふるさと」 がある。 「日本のふるさとは大和である」、と言うと 「皇国史観」 だと叱られそうだ。 最近、古代史に関心を持って、いわゆる 「地方」 を旅行してみると、その地方にはそれぞれ 「大和王権」 に支配される以前の歴史があることに興味が湧くようになった。 近日中にアップ予定の ホームページ 「東北古代城柵を訪ねる」 を合せてご覧下さい。

 堅い話は別にして、今日は、しばし 「まほろばの世界」 に遊ぶことにしよう。妻と二人の、2泊3日の駆け足の奈良旅行を次の3部に分けた。

   
大和路(1) 平城宮跡、奈良公園付近、西ノ京など奈良北部
   大和路(2)
 隆寺などのある斑鳩
   大和路(3) 藤原宮跡、飛鳥など奈良南部


大和路(1)では、復元された平城宮の朱雀門、大仏開眼1250年の奈良国立博物館特別展示など、見所が多い。
          (2002年4月)
東大寺大仏殿
 
大和路広域図
 
大和路(1)詳細図 (平城宮跡、奈良公園、西ノ京、佐紀古墳群)
  

  
平 城 宮 跡
  
 元明天皇の710年に藤原京から移された平城京は、途中の一時期を除き、784年の長岡京(7年後に平安京へ)遷都までの70余年間、わが国の政治の中心であった。 平城京の北端にある平城宮には、天皇が住む内裏や大極殿など政治を行うための建物が建ち、大勢の役人たちが働いていた。

 平城京の基本は東西4.3km、南北4.8km、東に東西1.9km、南北2.1kmの張出しがある。 平城京の人口は20万人ともいわれる。 一方、平城宮は約1.2km四方。 ここに約1万人の役人が働いていた。 平城宮には、ほぼ同じ規模の大極殿などが東西に2組あり、第1次第1次と呼ばれている。 使用された時期が異なるようであるが、その理由はよく分らない。
  
                            復元された朱雀門
1998年に復元された高さ20mの二重門は宮跡のどこからでも見える、いわばランドマーク。朱雀門は平城宮の正門で、ここから幅74mの朱雀大路が京の南端羅生門まで3.7kmも続く。どうしてこんなに広い道路を作ったのだろう。ピラミッドがどうしてあんなに大きいのだろうというのと同じ、「権力の象徴」 としかいいようがない。宮の奥には天皇が政務を行う大極殿跡などがある。復元された朱雀門や2010年に復元が予定されている大極殿は、いずれも第1次の方である。
  
  大極殿跡(復元のため再発掘中)付近から眺めた朱雀門
天武天皇の孫で、藤原家に謀られて無念の自害をさせられた長屋王の邸宅跡は、写真の左奥。今その上に、突然の閉店で有名になった 「奈良そごう」 が建っている。

  立ちかはり 古きみやこと なりぬれば
  道の芝草 長く生ひにけり (田辺福麻呂歌集)
740年から5年間聖武天皇は平城京を捨てて難波、紫香楽などに都を移した。この歌は、そのときの廃都を詠んだもの。
復元が予定されている大極殿の模型
  
遺構展示館(いわゆる覆堂)
平城宮の遺構の一部を発掘時の状態で展示している
建物の柱跡を示す樹木に往時を偲ぶ
 
                     復元された東院庭園
平城京の東の張出しの南端に位置する。国内外の来客を迎え宴会が行われたところ。

  あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今さかりなり
と、小野老が万葉集に詠んだのは、実は任地大宰府にいたときである。贅沢三昧の都の高級役人が、都を偲んで詠んだのが面白い。
  

  
奈良公園付近
  
ここでは、先ず奈良国立博物館で特別展示 「東大寺のすべて」 を鑑賞した後、開眼1250年を迎える東大寺の大仏、猿沢池に映す姿で有名な興福寺五重塔、華麗な朱塗りの社殿が鮮やかな春日大社などを、大急ぎで拝観した。
  
奈良国立博物館
  
奈良国立博物館では、大仏開眼1250年の「東大寺のすべて」と題する特別展示が行われていた。日光菩薩立像、月光菩薩立像、四天王立像をはじめ、多くの仏像、絵巻、写経などを見ることができた。
奈良国立博物館 奈良国立博物館のパンフレット
  
東 大 寺
  
 東大寺は、天平13年(741)に聖武天皇の詔により創建されたが、2度の兵火に遭っている。 1度目は源平の戦いのとき平重衡の焼き討ち(1180)、2度目は戦国時代(1567)。 大仏殿はじめ立ち並ぶ伽藍は江戸時代に再興されたものが多いが、難を逃れた天平時代の文化財を見ることができる。 
  
修学旅行の生徒たちで賑わう南大門 正倉院はちょっと外れにあるせいか生徒も少なく--
  
世界最大(?)の木造建築、金堂 (いわゆる大仏殿) 座高15mの大仏
東大寺のお目当て何と言っても 「大仏さま」。 奈良時代752年に開眼後、2度の兵火に遭い、江戸時代の再建で財政難のため大仏殿は小さくなったが、それでも建物の高さ48.7mで、世界屈指の木造建築物であるという。
 
          法華堂 (三月堂)
毎年3月に法華会が催されるので三月堂ともいう。
              二月堂
毎年陰暦2月(現在は3月13日)に行われる「お水取り」は有名。関西ではこれが済まないと暖かくならないといわれる。回廊からの展望は素晴らしい。
  
興 福 寺
  
興福寺は最初藤原鎌足の私邸に建てられたが、714年に鎌足の息子藤原不比等が左京に移した。奈良・平安時代には藤原家の氏寺として隆盛を極めた。その後大火に見舞われ、明治時代には廃仏毀釈の機運で運営がままならない状態となったが、現在は観光客で賑わっている。
  
                    東金堂と五重塔
東金堂は726年に、五重塔は730年に建てられたが、いずれも火災に遭い現在のものは室町時代に再建されたもの。
  
南円堂 三重塔
  
五重塔が姿を映す猿沢池  奈良のシンボル的な風景である
  
春 日 大 社
  
春日大社は710年、藤原不比等が藤原家の氏神として造営した。
  
本殿が修理中のため、藤の花を入れた構図で1枚 鹿は神様のお使いとか
  

  
西 ノ 京
 
平城京の西部は 「西ノ京」 と呼ばれる。唐招提寺と薬師寺という奈良を代表する2つの大寺がある。ともに世界遺産に登録されている。
 
垂 仁 天 皇 陵
  
第11代垂仁天皇の陵とされる宝来山古墳。最大径227mの巨大前方後円墳で、周濠には豊かな水をたたえている。
  
路端に建つ道標 陵の正面
同じ前方後円墳でも、宮内庁の管理下にある陵は鳥居があり物々しい
  
垂仁天皇陵のパノラマ写真
  

  
唐 招 提 寺
  
唐招提寺は、唐の高僧鑑真が749年に開いた名刹。金堂は平成の大修理のため平成21年まで拝観できない。
 
修理中の唐招提寺金堂             修理前の唐招提寺(1994年撮影)
均整の取れた、どっしりとした急勾配の屋根、私の大好きな天平建築の1つである。
  

  
薬 師 寺
 
 薬師寺は、680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して飛鳥の藤原京に建立し、平城遷都にともないここに引っ越してきた。 金堂の前に東西両塔がそびえる薬師寺式伽藍配置は、実に壮麗である。

 国宝の東塔だけが創建時の建物で、昭和50年代から西塔と金堂の2つの白鳳伽藍が復興し、現在講堂が再建中である。 礎石だけの廃寺に往時を偲ぶのもいいが、薬師寺のように見事に再建するのも楽しい。
 再建といい、平山郁夫画伯の壁画といい、積極策が薬師寺のポリシーであろうか。
  
1981年に再建された西塔 創建以来1300年を生き抜いてきた東塔
  
離宮造といわれる壮麗な金堂は最近再建されたもの 今年完成し公開された平山郁夫画伯の壁画を納めた大唐西域壁画殿
  
玄奘三蔵は、627年に長安を出発してインドに赴き、多くの仏典を携えて645年に長安に帰国した。玄奘三蔵の旅を描いた平山郁夫画伯の壁画は、7場面、13壁面からなる、高さ2.2m、全長49mの大作である。画伯の偉業に感動を覚えた。写真は 「天山越え」 の部分 (薬師寺の資料より)
  
南門から見る西塔と東塔
 パソコンによる合成パノラマは、広角レンズの歪を修正して、やっと合成できた。
  

 
佐 紀 古 墳 群
 
平城宮の北側の佐紀路には自然が残されていて、花の美しい名刹や古墳が多い。 奈良公園と一味違う古都の魅力がある。
 
                        不退寺
「伊勢物語」 のモデルともいわれる平安の美男子 「在原業平」 が建立した寺。貴公子にふさわしい洗練されたたたずまいがとても気に入ったが、早朝のため山門からそっと撮らせて頂いた。
 
                            宇和奈辺古墳
最大径255mの前方後円墳。下記の小奈辺古墳とともに5世紀の築造とみられるが、被葬者は分らない。
(パソコンによる合成パノラマ)
 
小奈辺古墳は最大径204mの前方後円墳
 
                             磐之媛命陵
最大径219mの前方後円墳。仁徳天皇の皇后だった磐之媛の陵とされる。 宮内庁の管理下にあり、周濠の前にある濠に咲くカキツバタが美しかった。

  ありつつも 君をば待たむ うちなびく わが黒髪に 霜の置くまでに (磐姫皇后)
「私の髪が白くなるまであなたを待ちます」 というひたむきな歌だが、作者は嫉妬深い女だったともいう。

 
  大和路(1)のうち奈良公園周辺は修学旅行の生徒さんでごった返していたが、平城宮跡や西ノ京は落ち着いたたたずまいであった。 ゆっくりと拝観すればこれだけで2,3日は掛かるところである。 後髪を引かれる思いで先を急いだ。

 引き続き、大和路(2)と(3)をご覧下さい。

 
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