西東京と相模原の古代遺跡----くにたち郷土文化館と南養寺遺跡、 国際基督教大学と野川遺跡、勝坂遺跡、 相模原市立博物館とプラネタリウム |
国内では大和や九州北部、海外ではエジプト、ギリシャ、ローマなどには、考古学ファンには堪らない古代遺跡に満ち溢れている。しかし身近な日本の首都圏にも、もっと時代を遡る素晴らしい古代遺跡がある。今回は、横浜市の歴史同好会の仲間が「史跡見学会」を催して下さった。これはその報告である。 先ず、「くにたち郷土文化館」で、南養寺遺跡から発掘された縄文土器と復元竪穴住居を見学した。次に「国際基督教大学の湯浅八郎記念館」を訪ね、野川遺跡で発掘された旧石器や縄文土器に接した。その後、相模原市の勝坂遺跡を訪ね、縄文土器と復元竪穴住居を見学した。最後に、相模原市立博物館で、縄文時代の勝坂式土器を愛でた後、プラネタリウムの全天周映画で「小惑星から帰還したHAYABUSA」を鑑賞した。 今回の見学で、嬉しいことは、東大教養学部非常勤講師の小田静夫先生がご同行下さったことである。特に国際基督教大学キャンパス内の旧石器遺跡は、先生がお若い頃に発掘のとりまとめをなさったと伺っている。バスの中の短い時間であったが、考古学にいち早く理学的手法を導入された先生ご自身から、フィッショントラック法、蛍光X線分析、火山灰歴年、考古学におけるコンピュータの利用などのお話を伺えたことも素晴らしかった。かつて「前期旧石器発掘捏造事件」の際に科学者としての態度を貫かれたことを思い出した。 前置きはそのくらいにして、見学会の報告をご覧下さい。 (2011年11月) |
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勝坂遺跡から発掘された 縄文中期の土器 (左)阿玉台式、(右)勝坂式 |
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西東京・相模原マップ 赤字は訪問地 |
くにたち郷土文化館と南養寺遺跡 |
最初に訪ねたのが「くにたち郷土文化館」。この付近一帯には南養寺遺跡と呼ばれる縄文/奈良/平安/近世の遺跡がある。 文化館内部の撮影は全面禁止、しかも図録は入手できなかった。海外(先進国・途上国を問わず)では、展示品の撮影が可能な博物館・美術館が多い。日本では多くの博物館が撮影禁止。企画展の場合は借りものが多いので所有権の関係で撮影出来ないのはやむを得ないが、ここは常設展示である。地域の文化活動拠点を標榜する文化館なら、展示品・展示パネルの撮影許可、図録の充実などを考慮して欲しいものである。 |
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くにたち郷土文化館の入口 |
常設展示には国立市域の通史が見られる ぼけた写真は縄文土器 文化館のホームページより |
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庭に再現された南養寺遺跡の柄鏡形敷石住居跡。敷石住居は関東・中部地方に多く見られるが、その目的は不明という。 | この住居跡は、右の段丘の上(正確には縄文面)に あったものを文化館の庭に移設復元したもの |
国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館 |
国際基督教大学は、キリスト教長老派によって創設された米国型リベラルアーツ・カレッジ。湯浅八郎記念館は、初代学長であった故湯浅八郎博士の貢献を記念して、1982年に開館した大学博物館である。 主な収蔵品は湯浅博士によって蒐集された各地の民芸品、および大学構内の遺跡から出土した旧石器時代から縄文時代にかけての考古遺物、その他の美術品、歴史資料などである。私事ながら、小生は旧石器は群馬県の岩宿遺跡しか見たことがない。今回の見学が楽しみである。 なお、今日案内して下さる小田静夫先生は、第14回岩宿文化賞を受賞されている。 |
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国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館の入口 |
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記念館の考古資料展示室に入る |
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日本の旧石器時代は、遅くとも30,000年前に始まり、氷河期が終わり土器が出現する12,000年前まで続いた時代である。 分り易く簡潔な説明パネルと旧石器の展示がある |
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旧石器時代にも驚くべき量産技術があった | 旧石器の機能と使用法には、古代人の知恵が窺える |
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縄文時代は、約12,000年前から農耕文化が大陸より導入された紀元前500年頃まで続いた。 野川遺跡には、縄文草創期から晩期に至る多彩な土器・石器などの遺物が出土した。 |
野川遺跡の自然層と文化層* 野川遺跡は、表土から台地基底の礫層まで約5mであり、地質学的区分で13枚の自然層に識別される。その中に10枚の旧石器時代の文化層が発見されている。それは、第[文化層(約29,000年前〜28,000年前)から、第V文化層(約14,000年前〜12,000年前)までである。その上に縄文・弥生の文化層が乗る。同一の場所に旧石器時代だけで17,000年間人間が住み続けたということに驚く。 |
*上と下の3枚の図は、小田静夫著、「新しい旧石器研究の出発点・野川遺跡」、新泉社、2009年 より引用させて頂きました。 |
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野川遺跡は武蔵野段丘と立川段丘の間にある* | 野川遺跡付近の断面図* |
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野川遺跡の縄文土器 右から2つ目は阿玉台式土器、その他の3つは勝坂式土器、いずれも縄文時代中期 |
筒形土偶 縄文時代後期 |
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小田静夫先生は、沖縄の壺屋焼の権威でもある。 博物館の計らいで、今日は壺屋焼を特別展示。 (逆光のためうまく撮れず、申し訳ありません) |
国際基督教大学の食堂 ガラス張りの明るい広い部屋での学食は、 60年近く昔の自分の学生時代とは隔世の感がある |
国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館の入口で、小田静夫先生を囲んで記念写真(撮影 村松氏) |
勝坂遺跡 |
勝坂遺跡は、相模原市南区磯部で、1926年(大正15年)に大山柏により発見された縄文時代中期前半頃(約5000年前)の大集落跡で、関東地方の標式遺跡となっている。(国指定の史跡) この遺跡からは多くの土器や打製石斧が発掘された。そのなかでも、装飾的な文様や顔面把手(顔を表現した取っ手)などの特徴を持つ土器は、後に勝坂式土器と命名された。 平成21年度には遺跡公園として整備された。 |
史跡勝坂遺跡公園散策マップ 相模原市教育委員会作成のパンフレットより |
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冬桜だろうか | 駐車場から台地の麓へ向かって歩く |
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段丘崖を登る | 台地の上には、公園の管理棟がある |
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最初に目につくのが敷石住居(30号住居) 縄文時代中期末に出現した、柄鏡の形に石を敷いた柄鏡形敷石竪穴住宅 |
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台地の縁に沿って歩く | 台地の下には沢が見られる |
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台地の崖を降りると、有鹿神社の鳥居と小さな祠がある | 沢の源を探すと、段丘崖の小さな鳥居がある所 |
有鹿神社は、相模国の延喜式内十三社のひとつである有鹿神社 (海老名市)の奥社といわれている。 |
再び台地の上に戻る。左は土葺の竪穴住居(3号住居)、右は笹葺の竪穴住居(1号住居) |
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土葺の竪穴住居は、竪穴の掘削で出た土を利用して土葺にしたもので、保温性に優れている。 屋内には石囲い炉がみられる。 |
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笹葺の竪穴住居は、東京都港区の伊皿子遺跡で屋根葺材としてアズマネササが発見された事例を参考に、復元されたという。 |
相模原市立博物館 |
平成7年に開館した相模原市立博物館の常設展示は、「台地の生いたち」、「郷土の歴史」、「くらしの姿」、「人と自然のかかわり」、「地域の変貌」をテーマとしている。
「台地の生いたち」では、相模原台地の誕生、相模原台地と火山(火山灰編年など)を説明して頂いた。「郷土の歴史」 では、旧石器時代、縄文時代(勝坂式土器など)が展示されていた。 プラネタリウムでは、この時間は「星空案内」はなく、「全天周映画」を上映しており、アニメーション映画「小惑星から帰還したHAYABUSA」を鑑賞した。 |
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到着したときは、すでにうす暗く写真は撮れなかった。 この画像は博物館のホームページから |
相模原台地が誕生した時代は今よりも気温が6〜8度も 低かった。アラスカ産マンモスの頭骨化石の実物を展示 |
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お目当ての勝坂式土器 残念ながら綺麗には撮れなかった。もう一度ゆっくりと訪ねたい。 |
プラネタリウムで上映された全天周映画HAYABUSA を鑑賞した。上の画像は博物館のホームページより |
今回の史跡見学会は、旧石器時代から縄文時代、最先端のHAYABUSAまで、遥か三万年の旅でした。小田静夫先生から、発掘の体験談を含めて、懇切なご説明を伺うことができ、楽しみながらいい勉強になったことを感謝します。幹事さんには、盛り沢山な内容にも拘らず、大変スムーズに見学させて頂いたことを、お礼申し上げます。 |
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