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沖縄本島の自然----琉球石灰岩とカルスト地形・サンゴ礁を巡る旅


 日本には自然が残っていないといわれるが、南の島々には亜熱帯性の多くの植物や動物が、生存している。南の島は生物多様性の宝庫である。一方、地形・地質的にもサンゴ礁が基になってできた熱帯性カルスト地形など貴重な自然遺産が残されている。

 沖縄のサンゴ礁は世界一美しいといわれるが、そのサンゴ礁が作った琉球石灰岩については、よく知られているとは言い難い。私も琉球石灰岩をじっくりと観察したことがない。

 「山の自然学」を勉強する仲間の「山遊会」では、「山の自然学」の名付け親である東京学芸大学の小泉武栄先生のご指導で、毎年何回か自然観察の巡検を行っているが、今回は沖縄本島である。

 さあ、南国の自然を満喫する旅に出かけよう!
                               (2009年4月)
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   万座毛は、琉球石灰岩が
    海により浸蝕されたもの
 琉球王朝の尚敬王が、「一万人が
 座れる広い原っぱ」と評したことに
 由来する

沖縄本島地図  赤字は主な訪問地



1日目(4月18日)  那覇空港漫湖工事現場の琉球石灰岩慶座地下ダム
     
慶座絶壁具志頭海岸・新原ビーチナハナホテル(泊)

那覇空港

沖縄に近づくと、機上から美しいサンゴ礁が見える。
サンゴ礁はどうしてこのように美しく見えるのだろうか。これも今回の旅の課題である。

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28人はそれぞれの便で沖縄那覇空港に到着 空港からバスで2泊3日の旅は始まる



漫 湖

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漫湖のほとりにある環境省の「漫湖水鳥・湿地センター」で、昼食の弁当を食べる

那覇の市内にマングローブがあるのに驚く。
マングローブは樹木の名前ではなく、熱帯・亜熱帯地域の河口汽水域に
成立する森林のことである。マングローブの林を構成する植物は
約100種あるが、日本ではヒルギ科など5科7種に限られる

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ヒルギの胎生種子 胎生種子が泥の中で発芽し成長する ヒルギは切株更新もする
*胎生種子 胎生(たいせい)とは、動物において、雌親が体内で卵を孵化させ、子は親から栄養を供給されて成長した後に体外に出るような繁殖形態のことである。それとは別に、植物に胎生という言葉を使われる例もある。それは、種子が親植物の上で根を伸ばすまで育つような場合で、たとえばマングローブを構成するヒルギ科の植物は、枝についた果実から太い根が伸び、やがて根の先に新芽ができた状態で果実から抜け落ちる。これを胎生種子という。

マングローブが生活する環境では、普通の種子を作ったのでは海洋を漂い、発芽力がなくなるか、水に沈んで発芽しても酸素がないため成長できない。つまり、次の世代を残すことはできない。マングローブの主な種は母樹に種子がくっついている時点で発芽させ、この芽に栄養を送る。このような胎生種子は細長く成長しやがて落下する。泥にささって定着するか、水で散布され、根などに絡まり安定し、発根をはじめる。正に植物の子孫を残す知恵である。



工事現場の琉球石灰岩

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ここはどこか地図上で特定できないが、琉球石灰岩の丘 掘り出された琉球石灰岩

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この琉球石灰岩が風化して島尻マージになる
島尻マージは水はけは良いが旱魃に弱いので、ジャーガルを客土する
この泥灰岩(クチャ)が風化してジャーガルになる
ジャーガルは島尻マージに客土するとよいといわれる

島尻マージに客土するためのジャーガルが、積み上げられている

沖縄の代表的な土壌
http://homepage3.nifty.com/okinawa-dojouより

沖縄本島の土壌分布
http://homepage3.nifty.com/okinawa-dojouより

沖縄本島の地質
http://www.dc.ogb.go.jp/kaiken/より
上の地質図は、土地の表土を除いた基盤の地質を表したものである。大きな川のない沖縄本島では沖積層は少ない。 主として、古い順に、本部層(本部半島、石灰岩)、名護層(中・北部、黒色千枚岩)、嘉陽層(中・北部、砂岩頁岩互層)、島尻層(南部、泥岩)からなることが分る。

琉球石灰岩の丘に風力発電機が3基建っていた(車窓から)



慶座地下ダム

沖縄本島はじめ沖縄諸島には地下ダムが多い。地下ダムとは、「水を通さない壁を地中に造って、地下水の流れをせきとめ、地下水をためる施設」のことである。平成4年〜平成17年に、沖縄本島では米須と慶座の2つの国営地下ダムが373億円かけて造られた。農業用水として役立っているが、農薬汚染のため飲用には使えないという。

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地下ダムの入り口 国費で作った施設に石敢當の魔除け!
石敢當は魔よけの石碑や石標。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かける。市中を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため、T字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのため、T字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけとする。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされる。

地下ダムを造る前
上下の図はhttp://ogb.go.jp/nousui/nns/c2/page1-1.htmより

地下ダムを造った後

道端の植物
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ギンネム  ○○○
*ギンネムは、中南米が原産地だが、世界中に移植され現在世界のあらゆる熱帯、亜熱帯のアルカリ土壌地帯に繁茂している。特に日当たりの好い場所は本種が真っ先に占拠して単一優先種化し、在来固有種を阻害するため、現在では世界の侵略的外来種ワースト100リストの1種に数えられているという。(Wikipediaより)



慶座絶壁(ギーザバンタ)

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具志頭村の海岸一帯に高さ50mの慶座絶壁がある。
戦時中、沖縄住民は米軍に追い詰められて、ここで身を投げた。
米軍はここを「スーサイドクリフ」(自殺の断崖)と呼んだ。
近くに日本軍が最後を遂げた摩文仁の丘がある。
ハブクラゲに注意
 
 
 


琉球石灰岩の海岸である



具志頭海岸・新原ビーチ

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古いサンゴ礁が琉球石灰岩になり、波に削られてキノコ型のノッチになる

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サンゴ礁から琉球石灰岩になる途中を示す化石

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割れたノッチ イノー(珊瑚礁池)に散在するビーチロック(板干瀬)
ビーチロックは、砂浜や砂礫浜の一部が石灰で固められて、岩盤状になったもの。固結に際して石灰質砂の溶解が作用しており、コーラ瓶が封じ込められていることもあるという。C14法などで年代を測定すれば、数十年〜数千年にわたる過去の汀線の位置を知る手掛かりになる。

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リュウキュウマツ? ホウオウボク ガジュマロ



夜の散策

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モダンな沖縄県庁
 
沖縄で唯一の電車「モノレール」に乗る
画像をクリックするとビデオをご覧になれます。短いですが・・・


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次々に出てくる沖縄料理 国際通りを散策してナハナホテルへ帰る



2日目(4月19日)  ナハナホテル伊芸SA嘉陽中学校前の海岸慶佐次湾のヒルギ林
    →
道の駅 おおぎみ辺戸岬石林山公園宇利島喜瀬ビーチホテル(泊)

伊芸サービスエリア

沖縄自動車道唯一のサービスエリア「伊芸SA」から、
恩納岳(363m)が見えるというが、この山か、それともこの奥か?

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サービスエリアで見つけたソウシジュ(相思樹)、沖縄では街路樹や校庭樹に多い



嘉陽小学校前の海岸

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道路端に国土地理院の水準点がある近くに嘉陽小学校、その校庭を抜けると海岸に出た
門標には嘉陽中学校と書かれているが、嘉陽中学校は1972年に廃校になった

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風邪を押して巡検の案内をして下さる東京学芸大学の小泉武栄先生 ここは4000万年前琉球が大陸の端にあったときの付加帯

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花崗砂岩 砂岩と泥岩が混じっている

南国らしいタコノキの群落

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○○ グンバイヒルガオ(軍配昼顔) ○○ ○○



慶佐次湾のヒルギ林

前にも述べたが、マングローブは熱帯・亜熱帯地域の河口汽水域に成立する森林のことである。マングローブの林を構成する植物は100種もあるが、日本ではヒルギ科など5科7種に限られる。

現地の案内看板

ヒルギ林全景

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橋のような木道の上を歩く 樹冠越しに沼が見え、南洋(古い言葉!)に来た気分

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オヒルギ (右端は花)

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ヤエヤマヒルギ (右は蕾?)

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メヒルギ
 
胎生種子から芽生えた幼木が育っている
胎生種子については、このホームページの「漫湖」の項をご覧下さい

現地の説明板
オヒルギとメヒルギは、雄と雌ではない。別の種である。



道の駅 おおぎみ(大宜味)

道の駅 おおぎみ

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大宜味名物の赤土大根 スナックパインは250円

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道の駅の裏の滝の付近に、枕状溶岩が見られるはず。滝の背後に見つかった。
枕状溶岩があるということは、かつて火山の溶岩が海中に流れ込んだ証拠である。



辺戸岬(へどみさき)

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沖縄本島最北端の辺戸岬は、どちらを向いても石灰岩

よく見ると色が異なる2種類の石灰岩がある。
灰色の方(手前左側)は、約2億年前に南の海のサンゴ礁でできた石灰岩が
プレートに乗ってやってきてくっ付いた付加体で、本部層の中の石灰岩である。
茶色の方(手前右側)は、13万〜100万年前にここで生まれた琉球石灰岩である。
生まれた時代も場所も異なる2つの石灰岩がくっ付いているのが面白い。

本部層は、沖縄の本部半島などの基盤をなすもので、ベルム紀(二畳紀ともいう、2.89〜2.47億年前)の南の海のサンゴ礁からできた石灰岩を主とし、粘板岩、チャートなどを伴ったメランジュ帯で、プレートに乗って移動し、後期白亜紀(6500万年前頃)にここに付加したものである。



石林山公園

石林山は、沖縄本島最北端に位置し、約2億年前(古生代〜中生代)の石灰岩が雨水などで長い年月をかけて侵食されてできた山である。石灰岩の台地は、二酸化炭素を含んだ雨水に溶ける性質があり、そのためカルスト地形と呼はれる特異な地形ができる。石林山公園は熱帯カルストの最北端にあたり、パプアニューギニアやインドネシア等の亜熱帯地域でみられる熱帯カルスト地形が日本では沖縄だけで見ることができるという。

28人そろって記念写真

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典型的な熱帯カルスト地形
中生代(今から約2億年前)の古い石灰岩が雨に溶かされ、
円錐状の小さな山がいくつもそびえ立つ、 円錐カルストである。

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アコウ クスノハカエデ ガジュマル 自分が出した根が支柱に

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パンノキ(クワ科)
 
 
ゲットウ(月桃)
亜熱帯に分布するショウガ科の植物
葉に芳香があるので、餅を包んで菓子を作る



宇利島

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沖縄本島から屋我地島を経由して
古宇利島まで往復した
 
面積3.12km、最高標高107mの古宇利島をGoogle Earth で見る
たまたま古宇利島は、2006年7月2日に撮影した画像(左側)と、
2007年4月21日に撮影した画像(右側)の継ぎ目になっている。

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島内から古宇利大橋を眺める 島内の砂浜はサンゴや貝殻でできている

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古宇利島の伝説

 昔々、古宇利島に男の子と女の子がいました。2人とも裸でしたがそれを恥らうことなく、毎日、神様が天から降らしてくれるお餅を食べながら仲良く幸せに暮らしていました。 月日が流れ、成長した彼らは食べ残したお餅を蓄えることを覚えました。

 そこで神様はお餅を降らすことを止めてしまいました。仕方なしに彼らは海に行き、魚や貝を採って生活するようになりました。

 あるとき、2人がいつものように浜に出てみると、ジュゴンが交尾していました。 そこで子作りの意味を理解した2人は子孫を増やすことを覚え、沖縄の島々には「ヒト」が増えていきました。


沖縄には、こんなおおらかな伝説があるのですね。


古宇利島は3〜4段の段丘からできているというが、地上からは分りにくい。そこで、Google Earthを使って段丘を調べることにした。サンゴ礁段丘の成因には、島の隆起、後氷期の海進等が考えられるが、石灰岩が古いことから、後者よりも前者、すなわちフィリピン海プレートの沈み込みによる島の隆起の可能性が高い。。

Google Earthで北の上空から見た古宇利島 (島の北側(手前)の段丘がよく分る)

Google Earthで東の上空から見た古宇利島 (島の南側(左)と北側(右)の段丘がよく分る)

Google Mapと異なり、Google Earthは標高データを持つ3次元画像であるので、斜め上空から見た画像を作ることができる。 さらにプライマリ データベースを「地形」にすると、カーソルで指した地点の標高がm単位で表示されるので、地形の研究には大変便利である。
(ホームページに挿入した上の画像では標高は表示されない)

サンゴ礁地形の断面模式図
http://www.shikatani.net/ssa/tokai/Okinawa_02.pdf を改変

上の「サンゴ礁地形の断面模式図」を見ると、サンゴは大干潮線のすぐ下に繁殖するので、何万年かの間に海面が上昇・降下(または陸地が沈降・隆起)すると、石灰岩地形には段丘ができることが分る。海食によりキノコ型の石灰岩(ノッチ)ができる理由もよく分る。

また、サンゴ礁を航空機から観察すると、海面が濃淡に見える理由も理解できる。




3日目(4月20日)  喜瀬ビーチホテル名護市民ビーチ万座毛
    →ブセナ海中公園末吉公園首里城那覇空港

名護市民ビーチ

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喜瀬ビーチホテルの前の名護市民ビーチ 簡単にサンゴの化石などが拾える

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これは琉球石灰岩ではなく、本部層(層状石灰岩、砂岩、頁岩などからなる)という基盤である。
かなり傾斜している。沖縄本島の大部分は、本部層の上に琉球石灰岩が堆積している。



万座毛

万座毛の名は、琉球王朝の時の尚敬王が、「一万人が座れる広い原っぱ」と評したことに由来している

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            モンパノキ(紋羽の木)
 
 
 
                アダン(阿檀)は、タコノキ科の常緑高木
葉や幹は利用価値が高く、新芽をあく抜きして食用としたり、葉は煮て乾燥させた後、パナマ帽等の細工物としたり、細く裂いて糸とし、ムシロやカゴを編む素材として利用される。また、観葉植物にもされる。果実は染色のときのブラッシしとした。 



ブセナ海中公園

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海中展望塔 水深3mの覗き窓から魚の遊泳を見る

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グラス底ボートに乗る グラス底から海底が見える 画像をクリックしてビデオをご覧下さい

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ハイビスカス ブーゲンビリア リュウキュウアサギマダラ?

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デイゴは沖縄県の県花 (アメリカデイゴは鹿児島県の県木) 落花したデイゴの花



末吉公園

那覇市内、首里城から車で10分ほどの距離にある公園。 広大な敷地の中に、川が流れていて、流れをさかのぼっていくと、そこはまるでジャングル。 亜熱帯特有のシダやヘゴの木がうっそうと生い茂り、那覇市内にこんな場所もあるのかと驚く。 ここは、石灰岩の台地で戦中戦後、米軍の基地や道路建設のための石灰岩の採掘場になっていたそうだ。 那覇市役所末吉公園管理事務所の管理

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ナンヨウスギ トックリヤシモドキ

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オオタニワタリが着生している
まるでジャングルのようである
 
 
    1985年に建立された劇聖 玉城朝 薫生誕三百年記念碑
碑文には、「玉城朝薫は1685年首里儀保に生まれ、1734年に没した。琉球王府の行政官のかたわら、琉球史上初めて独自の楽劇を創作し上演した」という趣旨が書かれている



首里城

首里城は、琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)であった。昭和20年(1945)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊された。本格的な復元は1980年代末から行われ、平成4年(1992)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。平成12年(2000)、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。

首里城の創建年代は明らかではないが、近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定される。昭和初期に正殿の改修工事が行われて国宝に指定された。首里城は、太平洋戦争中の沖縄戦でアメリカの戦艦ミシシッピなどから砲撃を受け焼失した。宝物庫は奇跡的に戦災を免れたが、中の財宝は全て米軍に略奪された。戦後しばらくして一部が返還された。

守礼門
入母屋造りの屋根は2層で、沖縄らしい鮮やかな赤瓦葺き。
王国から招かれた客人だけが通行できた。創建は1529年で、1958年復元された。

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木曳門
王朝時代は、首里城の建物の建設や修理の資材搬入時に使用され、普段は石を詰めて閉じられていた。現在は見学ルートの入口。
漏刻門への登り
漏刻門は、樽の水時計で時を刻んだことに因んで名付けられた門。道の両側の壁は琉球石灰岩で積み上げられている。 

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漏刻門から久慶門(手前)と歓会門(奥)を望む
久慶門は城外へ続く出口に当たる門、歓会門は首里城の正門で、
中国皇帝の使者「冊封使」など、訪れる人への歓迎の意を込めた。
奉神門
正殿のある御庭へと続く最後の門。3つの入口があり、
中央の門は、国王や身分の高い人だけが通れる。

首里城正殿
かつて政治や儀式が執り行われた正殿は、首里城で最も重要な建造物である。
国王のシンボルである33体の龍が施されている、異国情緒漂う琉球建築である。



首里城見学を最後に、那覇空港から各自帰京した。

今回の巡検で、ご指導頂いた東京学芸大学の小泉武栄先生、巡検の企画とお世話をして下さった小池忠明氏にお礼申し上げます。



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