四国遍路3/5 ---- 土佐(高知県)後半と伊予(愛媛県)前半 |
岩本寺、大岐海岸、金剛福寺、足摺岬めぐり、延光寺、観自在寺、龍光寺、佛木寺、明石寺、 浄瑠璃寺、八坂寺、大宝寺、岩屋寺、別格9番文殊院、札始大師堂、西林寺、浄土寺、圓明寺 |
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第37番札所 岩本寺本堂の天井画 四国お遍路といえば、一般には年寄り趣味の保守的なイメージが強い。しかしお寺さんも参詣者の心を掴む努力をしておられて、面白い。岩本寺は天平時代聖武天皇の世に創建された古刹であるが、昭和53年(1983年)の本堂新築の際、全国から公募した575枚の絵で天井を飾った。天井を眺めてしばし微笑む寺である。 |
四国八十八ヶ所霊場 | ||
1日目 (7月7日) |
羽田空港→高知空港→37番札所・岩本寺→大岐海岸 →38番札所・金剛福寺→足摺岬めぐり→足摺国際ホテル(泊) |
羽田空港から高知空港まで飛んで、そこからバスと歩きでお遍路を開始する。今日は2ヶ寺だけであるが、大岐海岸の海辺遍路、足摺岬めぐりも楽しみである。 |
第37番札所 藤井山 五智院 岩本寺(いわもとじ) |
寺伝によると聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、現地から北西3kmのところに建立した福圓寺が前身とされる。天正時代の兵火や明治の廃仏毀釈の法難に遭い苦難の道が続いたが、少しずつ伽藍を整備し、現在に至っている。 |
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山門(仁王門) |
本堂 (本尊は不動明王、聖観世音菩薩、 阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五仏) |
左は大師堂、右は歓喜天(聖天堂) |
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1978年に新築された本堂の天井には画家や市民が書いた575枚の天井絵が飾られている。花鳥風月に混じってマリリン・モンローの微笑も。 |
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先達の松本さんが打つ法楽太鼓に合わせて般若心経を唱える クリックして動画をご覧ください。画面が暗くて済みません。 |
若い住職さんは、先達の松本さんとは学友らしい。 協力して四国遍路を盛り上げておられるようだ。 |
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宿坊で頂く昼食 | 幸運にも宿坊で、矢負い地蔵にお目にかかれた |
矢負い地蔵 その昔、この地に信心深い猟師がいた。獲物が見つからず、これ以上の殺生は無益と思い自分の胸をその矢で射た。妻に起こされ、傍らを見ると矢の刺さったお地蔵様が倒れていた。身代わりとなった地蔵菩薩をこの寺に手厚く祀ったという伝説がある。2014年に修理され開帳された。その年このお地蔵さんを担いで1年かけて四国八十八寺を巡ったという。若い先達の松本さんは、歩き遍路のベテランである。 |
四万十川と大岐海岸 |
四万十川は全長196km、流域面積2270km2の一級河川。四国で最長の川で、流域面積も吉野川に次ぎ第2位となっている。本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」、また柿田川・長良川とともに「日本三大清流の一つ」と呼ばれる。四万十川の河口から約13km南にある大岐海岸は、約1.6km続く砂浜で、唯一の砂浜のお遍路道である。 |
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四万十大橋をバスで渡る | 四万十川の中州と小舟 |
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足摺岬へ向かって歩く | 足摺宇和海国立公園大岐海岸の標識のところで、海岸に出る |
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大岐海岸は、歩き遍路道で、唯一の海岸線を歩くコース | ウミガメ産卵場所 |
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浜木綿(ハマユウ) | ? | ? |
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大岐海岸の南端で、西の方から流れ込む川に出くわした。上流の橋まで距離があるので、ここで渡渉することになる。 対岸には、グシャグシャになった堆積岩の地層(メランジュ)が見られる。ここで、四国の地質と日本列島の誕生を思い出す。 |
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第38番札所 蹉跎山 補陀落院 金剛福寺(こんごうふくじ) |
寺伝によれば、弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵(ごこしょ)は足摺岬に飛来したといわれている。戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことで寺運は隆盛した。山号の文字「蹉」も「跎」もともに「つまづく」の意味で、この地が難所であったことを示している。 |
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山門(仁王門) 嵯峨天皇宸筆の「補陀落東門」と彫られた木の扁額 因みに、嵯峨天皇は弘法大師、橘逸勢とともに平安初期の能筆家「三筆」の1人 |
本堂(本尊は三面千手観世音菩薩) |
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大師堂 | 庭園から眺める、左から本道、大師堂、多宝塔、客殿 |
足摺岬めぐり |
バス&ウォークの四国遍路では、寄り道せずにまじめに「寺めぐり」をするように企画されているようだ。ところが今日は「寺めぐり」でない「足摺岬めぐり」が実現した。 |
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中浜万次郎の顕彰碑と銅像 中浜万次郎は、足摺岬に近い中ノ浜の貧しい漁夫の二男にうまれた。14歳のとき出漁中に遭難、伊豆諸島の無人島鳥島に漂着し143日間生活した。そこでアメリカの捕鯨船に仲間と共に救助された。船長のホイットフィールドに頭の良さを気に入られた中浜万次郎は本人の希望からそのまま一緒に航海に出た。この時、船名にちなみジョン・マン(John Mung)の愛称をアメリカ人からつけられた。アメリカ本土に渡った中浜万次郎は、ホイットフィールド船長の養子となって一緒に暮らし、1844年(弘化元年)にはバーレット・アカデミーで英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学んだ。帰国後、幕府の軍艦操練所教授となり、慶応2年(1866年)、土佐藩の開成館設立にあたり、教授となって英語、航海術、測量術などを教えるなど、活躍した。 |
幕末から明治・昭和に活躍した土佐の偉人の銅像の案内図 |
足摺岬の突端、灯台の下は不思議なことに花崗岩でできている。なぜだろうか。 |
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弘法大師因縁の「足摺の七不思議」から3つ。いずれも高知県では珍しい花崗岩である。 | ||||
潮の満干の手水鉢 岩の窪みに溜まった水が、潮が満ちると増え、干潮になると減るという。 |
亀石 この亀に似た石は、専門家によると、全国的にも一級品だそうだ。 |
ゆるぎ石
弘法大師が金剛福寺を建立した際に発見した石。この岩のゆるぎにより心の善悪を試すといわれる。 |
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足摺国際ホテルに着く | 夕食 |
2日目 (7月8日) |
ホテル→朝の散歩→39番札所・延光寺→40番札所・観自在寺 |