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四国遍路2/5 ---- 阿波(徳島県)後半と土佐(高知県)前半
鶴林寺、太龍寺、平等寺、薬王寺、最御崎寺、津照寺、金剛頂寺、神峯寺、
大日寺、国分寺、善楽寺、禅師峰寺、竹林寺、雪蹊寺、種間寺、青龍寺、清滝寺


  5回に分けて実施する「バス&ウォーク」の四国遍路の2回目に行った。「習うよりも慣れろ」のことわざの通り、事前の準備、巡礼中の所作、事後の資料の整理、いずれも初回よりもスムーズになった。

 今回は、20番鶴林寺から23番薬王寺までの阿波(徳島県)後半と、24番最御崎寺から36番青龍寺までの土佐(高知県)前半である。嬉しいことに、空海が19歳の時修行した御厨人窟(みくろど)が、番外札所の一つとなっていることだ。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる。また、隣の神明窟で難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられている。

 今回の遍路では、室戸岬を回る。23番薬王寺と24番最御崎寺の間の道程は約75kmで、歩き遍路では3日がかりとなるが、この間はバスを利用するので助かる。ただし上記の御厨人窟など番外霊場では下車できる。年寄りには有難い遍路である。

 32番禅師峰寺から33番雪渓寺への途中は、浦戸湾をフェリーで渡ることになる。ここは全国的にも珍しい「海の県道」で、高知県の種崎・長浜間600mを結ぶ無料の県営渡船が就航している。一方かつては、35番清瀧寺から横浪半島にある36番青龍寺に行くお遍路さんは、「竜の渡し」を利用する必要があったが、 昭和48年に宇佐大橋ができて、歩き遍路は楽になった。このような遍路道の変遷は、歴史を偲ぶ上で興味深い。

 巡礼も2回目となると、道中気がかりだったことを帰宅後に調べてみたくなる。今回コラムに取り上げた、「仏様と仏像」、「仏典に出てくる十善戎」、「長宗我部元親と四国霊場」は、いずれもそのような趣旨である。ご興味があればご覧頂きたい。

 今回も、「クラブツーリズム社」が主催するツアーに妻と一緒に出かけた。    (2015年5月)

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          20番札所・鶴林寺
今回の巡礼の最初に訪ねた鶴林寺は「お鶴さん」などと親しまれている。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90cmほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5cmぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。
 
 
 
 
 
四国八十八ヶ所霊場



1日目
(5月12日)
 羽田空港高松空港20番札所・鶴林寺21番札所・太龍寺
       →
22番札所・平等寺23番札所・薬王寺宍喰温泉・ホテル(泊)

徳島県への路

羽田空港から高松空港まで飛んで、高松空港からバスで車窓を楽しみながら香川県を通過し、徳島県にある第20番札所鶴林寺に向かう。

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讃岐冨士のように侵食でできた富士山型の山は、
スペイン語でビュート(Butte)と呼ばれる
屋島のように侵食でできた平らな台地型の山は、
スペイン語でメサ(Mesa)と呼ばれる
ビュートメサが、どのようにして出来るかについては、
http://www.nishida-s.com/main/categ3/17shikoku/17shikoku.htm をご覧ください

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南国の四国では、夏は米、冬は麦の二毛作が普通。
今、水田は田植え直後だ。
香川県では、いたる所に溜池が見られる
 
香川県の溜池の数は14,000で全国3位。1km2当りの溜池の数は7.8となり、溜池密度は全国1位である。日本最大の溜池といわれる満濃池は、今からおよそ1300年前に造られ、何度も決壊しながら平安時代には空海、江戸時代には西島八兵衛によって改築が行われた。香川県に溜池が多い理由は、中国山地と四国山地に挟まれた香川県の降水量は全国平均の3分の2しかないこと、県内の多くの川が短く急勾配であるため、河川の水を十分に利用できないことによるという。



第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺(かくりんじ)

標高550メートルの鷲が尾の山頂にあり、樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、隆盛の面影をしのばせる。寺伝によると大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、寺名を鶴林寺にしたといわれる。

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標高550mの鷲が尾の山頂にある鶴林寺は、
タクシーを降りてさらに登らなければならない
霊鷲山と書かれた山門の扁額
 

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本堂(本尊は地蔵菩薩)
 
 
本堂前の鶴の像は、弘法大師がここで修行したときの故事による。20番鶴林寺は鶴、39番延光寺は亀の朱印で人気があるという。

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本堂から長い石段を降りて大師堂へ
 
寺伝によれば、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願によって
弘法大師が開創した



第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺(たいりゅうじ)

太龍寺は「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法「虚空蔵求聞持法」を修行されたと伝えられる。

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鶴林寺から下山し、手配されたタクシーで太龍寺に向かう
 
太龍寺は標高618mの太龍寺山の山頂近くにあり、
タクシーを降りてからハイキング並みに登らなければならない

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まず山門があり 次に鐘楼門がある

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本堂(本尊は虚空蔵菩薩)
要所を彫刻化した蟇股などで飾られた当地域の札所の好例である
雨の中の弘法大師像
 

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大師堂(拝殿) ここは拝殿で、さらに奥に御影堂がある
 
御影堂(奥殿) 大師堂とあわせて境内景観に
欠かせない堂で、厳粛な雰囲気を醸す



第22番札所 白水山 医王院 平等寺(びょうどうじ)

弘法大師がこの地で修行の際に加持水を求め杖で井戸を掘られたところ、乳のごとき白い水が湧き溢れた。その霊水で身を清めた大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いを込めて山号を白水山、寺号を平等寺と定められたという。

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山門 大師堂

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本堂(薬師如来)の前の「厄除け年の石段」
 
厄除け年の石段 厄年の人は、階段を上りながら
1段登るごとに1円玉を1つずつ置いていく習わしがある
厄除け年の石段は、22番平等寺、23番薬王寺、26番金剛頂寺、78番郷照寺にもある。



第23番札所 医王山 無量寿院 薬王寺(やくおうじ)

「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場。高野山真言宗の別格本山でもある。厄除けの寺院として全国的に有名である。弘仁6年(815年)弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。

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道路から山の上の瑜祇塔(ゆぎとう)が見える 山門
瑜祇塔とは、瑜祇経の教理を形にあらわしたもので、宝塔の屋根の四隅に
4基の相輪(中央のものも合わせて5基)をあげたものをいう。

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本堂(本尊は厄除薬師如来) 大師堂



宍喰温泉のホテル・リヴィエラ

5月には珍しい台風6号の影響で、強雨の中で予定のスケジュールをこなし、無事宍喰温泉のホテルに到着した。

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ホテルのテレビで台風6号の情報を見る。5月12日に日本に上陸する台風は珍しいが、明朝には三陸沖に抜けそうだ。 ホテルの窓から眺める太平洋の荒波
 


 
仏様と仏像
仏像(ぶつぞう)は、仏教の信仰対象である(ほとけ)の姿を表現した像のこと。仏の原義は「目覚めた者」で、「真理に目覚めた者」「悟りを開いた者」の意である。初期仏教において「仏」とは仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈尊、釈迦如来)を指したが、大乗仏教の発達とともに阿弥陀如来、弥勒仏などの様々な「仏」の像が造られるようになった。「仏像」とは、本来は「仏」の像、すなわち、釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像を指すが、一般的には菩薩像、明王像、天部像などの仏教関連の像全般を総称して「仏像」ともいう。広義には画像、版画なども含まれるが、一般に「仏像」という時は立体的に表された丸彫りの彫像を指すことが多い。彫像の材質は、金属製、石造、木造、塑造、乾漆造など様々である。(Wikipediaより)

仏様を整理すると、次のようになる。 詳しくは飛不動尊のホームページをご覧下さい。

区分
お姿の特徴
よく知られている例
如来
にょらい
お釈迦様が悟りを開いた後の姿が基本なので衣をまとっただけの質素な姿。装飾品なし。ただし大日如来は例外で冠を冠っている。薬師如来以外は持ち物を持っていない。頭の頂上に盛り上がりがある。髪型はぽつぽつと渦巻き状。 釈迦如来 阿閃如来 大日如来 阿弥陀如来 薬師如来 多宝如来 宝生如来
菩薩
ぼさつ
お釈迦様が修行中で王子だった頃の姿が原形なので、冠、首飾り、イヤリングなど装飾品を身に付けた姿。髪型は高く結い上げている。ただしお地蔵さまは例外。 地蔵菩薩 弥勒菩薩 文殊菩薩 観音菩薩 千手観音 勢至菩薩 普賢菩薩 日光菩薩 月光菩薩 虚空蔵菩薩
明王
みょうおう
如来が姿を変え(化身)人々を救うために必死になっている姿なのですごい形相になっている。如来や菩薩は蓮台に座しているが、明王は岩をはじめ動物などいろいろな物に座している。また武器を持っていたり、目や手の数が多かったり、際立った特徴があるのが特徴。 不動明王 降三世明王 軍荼利明王 大威徳夜叉明王 金剛夜叉明王 愛染明王 烏瑟沙摩明王
天部
てんぶ
古代インドの神々が土台となって生まれた。天部では弁財天のように性別がはっきりしているものがある。明王と同じく多種多様。 弁財天 大黒天 毘沙門天 吉祥天 韋駄天 帝釈天 摩利支天 歓喜天 梵天
その他
上記の四種類に属さないもの。 三宝荒神 閻魔王 蔵王権現
※閃はフォントにないので代用しています。門構えの中はへの下に人が二つならびます。

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如来像・菩薩像・明王像・天部像の例(国宝・重文級)
私の好みで、代表的な仏像を集めてみた
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釈迦如来坐像
興福寺・重文
大日如来坐像
真如苑・重文
薬師如来像
新薬師寺・国宝
千手観音菩薩立像
興福寺・国宝
弥勒菩薩半跏像
広隆寺・国宝
文殊菩薩坐像
興福寺・国宝
不動明王坐像
金剛峰寺・重文
愛染明王坐像
東京国立博物館・重文
阿修羅像
興福寺・国宝



2日目
(5月13日)
 ホテル24番札所・最御崎寺25番札所・津照寺26番札所・金剛頂寺奈半利・ホテル(泊)

最御崎寺への道

昨日四国地方に強雨をもたらした台風6号は三陸沖に去り、快晴のお遍路日和となった。24番最御崎寺は、「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。道中には、通夜堂のある番外霊場明徳寺(別名東洋大師)、難儀している遍路を泊めたという番外霊場「佛海庵」、大師が「空海」の法名を得たとされる番外札所の御厨人窟など、見るべきものが多い。

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ホテルから眺める台風一過の日の出 ホテル・リヴィエラをバスで出発

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番外霊場明徳寺(別名東洋大師)
薬王寺と最御崎寺のほぼ中間にある。この寺院には通夜堂が
あり、江戸時代から四国遍路者に重宝された。
田植えの終った長閑な田園を歩く
 
 

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やがて遍路道は海岸に出る 24番札所最御崎寺まで28km、我々は途中からバスに乗る

道端の花

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キイチゴの仲間 カタバミ ニワゼキショウ

海岸の花

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ハマボッス? ネコノメソウの仲間 手前はハマユウ(浜木綿)、奥はセリ科

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改装された番外霊場「佛海庵」
宝暦10年(1760年)、四国を遍路中の僧佛海がこの地に立ち寄り、
ここに庵を作り、難儀している遍路を泊めたという。
 
 
 
 
 室戸岬の東側にある海洋深層水関係の高知県や会社の施設
海洋深層水とは、深海すなわち陸棚外縁部より深いところ、およそ水深200~300m以深にある海水のことである。 室戸は陸から急に水深が深くなっており、この壁に深層からの海流が当たり昇ってくる。こういった流れを「湧昇流」という。こうした湧昇域は、栄養分が深層から湧き上がることで非常によい漁場になっている。
詳しくは、高知県の室戸海洋深層水のホームページをご覧下さい

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バスを降りて、2kmほどの乱礁遊歩道を歩く
悲しい伝説のあるビシャコ岩
                  室戸世界ジオパークの説明板
日本には、2014年9月現在、洞爺湖有珠山、糸魚川、山陰海岸、島原半島、室戸、隠岐、阿蘇の7ヶ所が世界ジオパークネットワークに加盟認定されている。
一方、日本ジオパークは、日本ジオパーク委員会の認定を受けた国内版のジオパークで、2014年12月現在、36地域が認定されている。
 
 
              弘法大師 行水の池

ビシャコ岩 昔この附近に「おさご」という美人が住んでいた。その余りの美しさに多くの男達が彼女に愛を求めた。彼女はその煩しさに耐えかねて遂に美女が生まれないように祈 りながら岩頭より投身したが、その後も室戸には沢山の美人が生まれているという。

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番外札所の御厨人窟(みくろど) 御厨人窟の内部 御厨人窟から外を見るとピカチュウの形

御厨人窟は、空海が19歳の時修行した場所。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる。また、隣の神明窟で難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられている。

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室戸岬灯台と最御崎寺への道
残念ながら、団体行動のため灯台には行けなかった
最御崎寺への道は険しいが、緑陰が心地よい
 



第24番札所 室戸山 明星院 最御崎寺(ほつみさきじ、地元では東寺)

大同2年( 807年)に唐から帰朝した空海は、翌年には勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立した。室戸岬では東西に対峙している26番金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、24番最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師の悟りの起源の地でもある。

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山門は楼門式仁王門 本堂(本尊は虚空蔵菩薩)

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大師堂
 
 
 
 
 
     鐘石(空海の七不思議)
斑糲岩(はんれいがん、深成岩の一種、火山岩の玄武岩に対応する組成)で、小石で叩くと鐘のような音を発し、この響きは冥土まで届くと言われる。
 
   くわずいも(空海の七不思議)
土地の者が芋を洗っていると遍路姿の弘法大師が通りかかりその芋を乞うたところ「これは食えない芋だ」といって与えなかった。以来本当に食べられなくなったという。

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多宝塔 慶安元年(1648年)に竣工した鐘楼堂 幾度もNHKの除夜の鐘で放映された鐘楼



第25番札所 宝珠山 真言院 津照寺(しんしょうじ)

室津港を見下ろす小山の上に佇む「津照寺」は、弘法大師が四国御修行の際に、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号された。明治の改革で廃寺とされた後、明治16年ようやく寺名復興を許されたが寺域は極度に狭められ昔日のおもかげはなく、庫裏の一角が当時小学校として残っていた。その後小学校は移転され、大師堂は昭和38年、本堂は昭和50年に新築された。山内一豊と楫取り地蔵の話で有名。

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鐘楼門(山門はもっと手前にある) 本堂(本尊は地蔵菩薩、別名楫取り地蔵

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大師堂 香炉に刻まれた家紋は、山内一豊の「三つ葉柏」
山内一豊楫取り地蔵 土佐藩初代藩主山内一豊が、慶長7年(1602年)秋に室戸の沖で暴風雨に遭った際に、本尊の地蔵菩薩が現れ藩主の水難を助けたといわれるのが、別名「楫(かじ)取り地蔵」のいわれ。また、本堂が火事に遭った際に、本尊が僧に身を変えて村人に知らせたために火難から逃れたことから「かじ(火事)とり地蔵」ともいわれるそうである。 



第26番札所 龍頭山 光明院 金剛頂寺(こんごうちょうじ、地元では西寺)

室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬「行当岬」がある。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、「西寺」の通称でも親しまれている。当寺から4kmのところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。

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原始林の椎(しい)に覆われた静寂の中を登る 仁王門 3mほどもある草履

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本堂(本尊は薬師如来)
 
薬師如来が祀られた本堂は「瑠璃光(如来)殿」とも呼ばれる。幸い開帳されていたので、本尊と脇仏、十二神将像などを拝観できた。

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大師堂
 
 
鐘楼
 
 
空海の歌碑
法性の 室戸といえど 我が住めば
   有為の浪風 よせぬ日ぞなき

空海の歌の大意:「法性」とは、大日如来と言っても、虚空蔵菩薩と言ってもいいでしょうが、要するに真理そのものを現わしています。また「有為」とは有為転変のことで、「すべては移り変わってゆく」ということです。この歌の意味は、文字通り、真理の中にある室戸岬であっても、空海が来てみれば、「有為の波風」、無常の波風が寄せぬ日はなかったという意味です。(高野山法徳寺住職による)




奈半利のホテル・なはり

奈半利のホテル・なはりに宿泊



3日目
(5月14日)
 ホテル27番札所・神峯寺28番札所・大日寺29番札所・国分寺
     
30番札所・善楽寺32番札所・禅師峰寺高知市・ホテル
(泊)

第27番札所 竹林山 地蔵院 神峯寺(こうのみねじ)

神峯山中腹の標高450mに境内が広がる。幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈願した話が残る。当寺の縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。明治の神仏分離令により、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、本尊は二十六番金剛頂寺に預けて一時廃寺の悲運に遭った。明治中期に、元の僧坊の跡に堂舎を建立して本尊を帰還させ、霊場は復活した。

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神峯寺は健脚向なので、希望者はタクシーを利用 神峯山は標高570m、中腹には神峯神社(500m)と神峯寺(450m)がある

「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た ヨサコイ ヨサコイ」 よさこい節に登場する坊さんが
かんざしを買ってやった相手の「お馬さん」は、ここ安田の神峯登り口の旅籠「坂本屋」で働いていた。

坊さんの方は、竹林寺の学僧200余名を預かる指導僧の純信。20歳も年下のお馬さんと駆け落ち。
その後はどうなったか、上のパネルをご覧ください。

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最初は、棚田を眺める長閑な里道。
岩崎弥太郎の母は、こんな道を歩いて神峯寺へ参詣したのか。
やがて、厳しい山道になる。
このモニュメントには「同行二人」と彫られている。
幕末、三菱財閥創始者岩崎弥太郎の母は弥太郎の開運を祈願して現在の安芸市から片道20kmの道のりを素足で21日間通い続けた逸話がある。

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山門は入母屋造楼門で仁王像が安置されている 本堂(本尊は十一面観音菩薩)

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大師堂
 
庫裏(くり)から本堂までの参道に続く山肌の斜面一面が庭園になっている

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神峯の水は、土佐の名水に選ばれている ユキノシタ シャクナゲ

第28番札所 法界山 高照院 大日寺(だいにちじ)

縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596〜1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。

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大日寺への手前で、金剛山(三宝山)の山頂に洋風の古城が見えた。これは遊園施設「シャトー三宝」で、バブル景気の終焉とともに2000年に閉館したという。 山門
 
 

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本堂(本尊は大日如来) 大師堂


 
仏典に出てくる十善戎
四国巡礼の際に、各寺の本堂と大師堂で、般若心経の前に一連の仏典を唱える中に、「十善戎」がある。

十善戒 (じゅうぜんかい)

弟子某甲 (でしむこう)   仏陀の弟子たる私は
盡未来際 (じんみらいさい)   未来の果てが尽きるまで
・ 不殺生 (ふせっしょう)   むやみに生き物を殺さない
・ 不偸盗 (ふちゅうとう)   盗みをしない
・ 不邪淫 (ふじゃいん)   男女の道を外さない
・ 不妄語 (ふもうご)   嘘をつかない
・ 不綺語 (ふきご)   心にもない綺麗ごとを言わない
・ 不悪口 (ふあっく)   悪口を言わない
・ 不両舌 (ふりょうぜつ)   二枚舌を使わない
・ 不慳貪 (ふけんどん)   欲ばらない
・ 不瞋恚 (ふしんに)   憎むことをしない
・ 不邪見 (ふじゃけん)   まちがった考え方をしない


これを モーセの十戒(じっかい) と比較すると、面白い。

Ten Commandments (十戒)   (下の日本語は日本聖書協会訳による)
・ You shall have no other gods before me. あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない
・ You shall not make for yourself an idol. あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない
・ You shall not make wrongful use of the name of your God. あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない
・ Remember the Sabbath and keep it holy. 安息日を憶えて、これを聖とせよ
・ Honor your father and mother. あなたの父と母を敬え
・ You shall not murder. あなたは殺してはならない
・ You shall not commit adultery. あなたは姦淫してはならない
・ You shall not steal. あなたは盗んではならない
・ You shall not bear false witness against your neighbor. あなたは隣人について偽証してはならない
・ You shall not covet your neighbor's house. あなたは隣人の家をむさぼってはならない

こう見てみると、洋の東西を問わず、戒めとして同じような事柄が述べられているのがわかる。モーセの十戒のうちの四戒までは絶対的な存在としての神に関する記述であるが、残りは十善戒と重なる記述が多くある。
                           ホームページ「おじさんの戯言」ほかを参考にしました
 
十善戎 原文
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺(こくぶんじ)

聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」により全国に建立された国分寺の1つである。寺伝によれば天平13年(741年)に行基が千手観世音菩薩を刻み本尊として安置し開創したとされる。その後弘仁6年(815年)空海(弘法大師)が毘沙門天を刻んで奥の院に安置、その頃真言宗の寺院となったという。国分寺周辺は古代から中世まで土佐国の国府の所在地であり、土佐日記の作者紀貫之も国司として4年間当地に滞在した。

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山門 - 入母屋造楼門、仁王像を安置 大師堂

本堂(金堂、本尊は千手観世音菩薩)、重要文化財



第30番札所 百々山 東明院 善楽寺(ぜんらくじ)

縁起によると、桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。

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本堂(阿弥陀如来)
 
 
大師堂
 
 
             梅見地蔵
文化13年(1816年)建立、首から上の病気(ボケ、眼・耳・鼻)と試験合格にご利益ありという



第32番札所 八葉山 求聞持院 禅師峰寺(ぜんじぶじ)

太平洋のうねりが轟く土佐湾の海岸に近い標高82mほどの峰山の頂上にある。縁起によると、行基が聖武天皇(在位724〜49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされている。大同2年、奇岩霊石が立ち並ぶ境内を訪れた弘法大師は、その姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であると感得し、「禅師峰寺」と名付た。

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山門(仁王門)
国の重要文化財の金剛力士像(鎌倉時代)は収蔵庫に
参道脇の岩
 

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本堂(本尊は十一面観世音菩薩)
 
大師堂
時計が無粋だが、灯明と線香の防火のため、参詣は5時まで

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境内からの展望(土佐湾) 境内からの展望(堤防の向うが桂浜)

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駐車場に建つコンクリート製の十一面観世音菩薩像
後にある坂道のお蔭で、像の背面を観察できる
十一面観世音菩薩像の頭部後姿
 
十一面観世音菩薩像の頭部後姿(拡大)
 



はりまや橋とホテル

今日宿泊するホテルに向うバスから、新旧2つの「はりまや橋」が見えた。

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車窓から偶然撮れた新旧2つの「はりまや橋」       高知のホテル「土佐御苑」に着く
まず金剛杖を洗う。金剛杖は弘法大師の身代わり、巡礼中は何よりも大切にする。
高知城の堀川にかかる橋であったが、道路傍に欄干が残るのみとなった道路に架かる旧橋 はりまや橋公園に整備されたイメージ通りの赤い太鼓橋の新橋

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夕食で挨拶をされる先達の山崎さん 料理のお品書きとオードブル

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珍しいウツボ汁 カツオのたたき、流石は土佐!



4日目
(5月15日)
 ホテル31番札所・竹林寺33番札所・雪蹊寺34番札所・種間
     36番札所・青龍寺
35番札所・清瀧寺
高知空港
羽田空港

第31番札所 五台山 金色院 竹林寺(ちくりんじ)

竹林寺は、「よさこい節」の舞台(27番神峯寺の項で述べた)であるほか、学僧・名僧が集まる学問寺院としても知られる。門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士(1862〜1957)の記念館と県立牧野植物園があるように、土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれた。

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山門は入母屋造楼門で仁王像を安置 本堂(本尊は文殊菩薩)は文殊堂とも呼ばれる

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大師堂
 
鎌倉時代初期の様式をもつ五重塔として昭和55年に復興された 善財童子 華厳経に登場する求道の志篤い少年(平成26年制作)
善財童子は文殊菩薩の勧めにより、様々な指導者(善知識)53人を訪ね歩いて教えを乞い、ついに悟りの世界に至った。「東海道五十三次」の宿場数はこれがもとになったという。

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竹林寺の山門のすぐ近くにある高知県立牧野植物園の入口 今回は団体行動のため植物園には入れない



第33番札所 高福山 雪蹊寺(せっけいじ)

四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。

32番禅師峰寺から33番雪渓寺へのGPS軌跡
32番禅師峰寺から(我々は前日に先に33番を済ませたので、31番竹林寺から)33番雪渓寺への途中、浦戸湾をフェリーで渡ることになる。
ここは全国的にも珍しい「海の県道」で、高知県種崎・長浜間600mを結ぶ無料の県営渡船。生活道とお遍路道の2つの顔がある。

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種崎渡船場からフェリーに乗る 対岸の長浜渡船場でフェリーを降りる 長浜渡船場から歩き遍路が再開する

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                 秦神社の鳥居
長宗我部元親の菩提寺である雪蹊寺が廃仏毀釈により明治3年(1870年)に一時廃寺となった。このため雪蹊寺跡に隣接して明治4年に建立された。社名は、長宗我部氏が中国秦王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称したことによる。

秦神社の隣に、長宗我部元親の菩提寺である雪蹊寺がある
 
 
 
 

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本堂(本尊は薬師如来) 大師堂


 
長宗我部元親と四国霊場
四国霊場の各寺院の歴史を調べていると、「長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)の兵火によって焼失した」という記述が多いのに驚く。88ヵ寺のうち少なくとも17ヵ寺
 1番霊山寺、   2番極楽寺、  5番地蔵寺、  7番十楽寺、  9番法輪寺、 13番大日寺、
 16番観音寺、 17番井戸寺、 18番恩山寺、 19番立江寺、 21番太龍寺、 22番平等寺、
 44番大寶寺、 59番国分寺、 65番三角寺、 67番大興寺、 85番八栗寺
が、長宗我部氏の兵火によって焼失したと記されている。戦国時代とはいえ、長宗我部氏はどうしてそのような振る舞いに出たのか興味がわく。

最近の朝日新聞(2015年8月16日朝刊2面)に特別編集委員の中山季広氏が、「日曜に想う-長宗我部の遺恨、四百余年の今」 という記事を載せている。

『 ・・・・ 参院史上初の合区によって高知は徳島と同じ選挙区にされた。 ・・・・ 土佐と阿波がギクシャクするのは昔から。一つには廃藩置県のころの恨みがある。もう一つは戦国末期の遺恨である。いまから400年以上前の1582年、土佐の長宗我部元親が阿波を攻め掌中に収めた。 ・・・・ 土佐側はこれを「阿波平定」と誇るが、阿波は違う。「長宗我部の兵乱」「侵入」と呼ぶ。 ・・・・ 』

この記事の言わんとするところは、一票の格差を解消するためといっても、数字合わせの安易な合区は、室町時代にさかのぼる数百年の恨みを各地に呼び覚ますことになるぞ、ということであろう。冒頭で述べた「長宗我部元親の兵火によって焼失した」寺の数が、徳島県12カ寺、高知県0カ寺ということからも、朝日新聞の指摘が肯ける。

長宗我部家の歴史を紐解くと、長宗我部氏の出自には諸説あるが、秦氏祖先説が通説である。秦氏は中国秦王朝の始皇帝の流れを称する古代氏族であり、飛鳥時代に秦氏の繁栄を築いた秦河勝の後裔が長宗我部氏であるとされている。信濃更級郡に居住していた秦能俊(初代 長宗我部能俊)が平安時代末~鎌倉時代に土佐に入ったのが、長宗我部氏の始まりとされる。能俊は土佐国長岡郡宗部郷(宗我部郷、現 南国市岡豊町周辺)に定住したため宗我部氏を自称したが、近隣の香美郡宗我郷(宗我部郷、現 香南市赤岡町周辺)に拠った宗我部氏を名乗る一族があったたい、長岡郡の一字をとって長宗我部とし、香美郡の宗我部氏は香宗我部を名乗るようにし、互いに両者を区別したといわれる。

時代が下って、21代長宗我部元親(天文8年-慶長4年、1539年-1599年)の時代に、長宗我部氏は最盛期を迎える。土佐の国人から戦国大名に成長し、阿波・讃岐の三好氏、伊予の西園寺氏・河野氏らと戦い四国の覇者となる。しかし、その後織田信長の手が差し迫り、信長の後継となった豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となった。豊臣政権時戸次川の戦いで最愛の息子・信親を亡くすと性格は荒れ、家中を混乱させたままこの世を去った。享年61。高知県高知市長浜にある臨済宗妙心寺派高福山雪蹊寺(第33番札所)に葬られた。
 
長宗我部 元親 像
(秦神社所蔵)



第34番札所 本尾山 朱雀院 種間寺(たねまじ)

唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師は薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った五穀(米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を指すことが多い)の種子を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。

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門柱 本堂(本尊は薬師如来) 大師堂



第36番札所 独鈷山 伊舎那院 青龍寺(しょうりゅうじ)

弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって帰朝したのは大同元年(806)であった。大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、長安から東の空に向かって独鈷杵(どっこしょ、密教における法具である金剛杵(こんごうしょ)の一種)を投げ祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、弘仁6年この地に堂宇を建て、寺名を恩師に因み「青龍寺」、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名乗った。


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宇佐大橋を渡り、青龍寺のある横浪半島に入る
 
 
宇佐大橋から漁港を見下ろすと、「渡し場のモニュメント」が見えた。
昭和48年に宇佐大橋ができるまでは、お遍路さんは「竜の渡し」を
利用して青龍寺さんへ向かった。

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山門(仁王門) 本堂への長い参道 本堂(本尊は波切不動明王)

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大師堂 (左)三重塔、(右)多宝塔 いずれも平成の再建

西国三十三カ所観音の石像の一部
数えてみたら三十五体あった。なぜか観音でない不動明王が一体、阿弥陀如来が一体入っていた。
私の郷里の摂津国中山寺の十一面観音、摂津国勝尾寺の千手観音もちゃんと入っていて安心した。



第35番札所 医王山 鏡池院 清瀧寺(きよたきじ)

弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願した。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。この水は、麓の田畑を潤すことはもとより、「みつまた」を晒し、紙を漉く上で重宝され、やがては土佐和紙産業を興すことにも貢献している。

台座を含めると高さ15mの薬師如来像がある。昭和8年、製紙業者による寄贈。胎内を巡ることが出来るという。

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大師堂 本堂(本尊は厄除薬師如来)

境内にある滝。清滝寺の由来の滝だとすれば可愛い過ぎる。



高知空港から帰宅の途に就く

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仁淀川は平成22、24、25年度の水質日本一の川に選ばれた。
四万十川とともに四国を代表する清流である。残念ながら
ここは最下流であることと雨後のため、清流は見られなかった。
仁淀川を渡って高知竜馬空港に着き、羽田空港を経て帰宅した
 
 



奉納経帳より

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奉納経帳(朱印帳)
 
第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
 
第24番札所 室戸山 明星院 最御崎寺
(朱印では、地元の呼称「東寺」となっている)


四国遍路2/5 をご覧下さって、有難うございます。

5回に分けて実施する「バス&ウォーク」の四国遍路も2回目となると多少は慣れてきました。そこで
道中気がかりだったことを帰宅後に調べてみたくなり、下記の3件をコラムに取り上げました。

 1.仏様と仏像
 2.仏典に出てくる十善戎
 3.長宗我部元親と四国霊場

上の項目をクリックすると、それぞれのコラムの頁にリンクします。
四国遍路1/5 は、左の文字をクリックするとご覧になれます。

最後に、今回の旅でお世話になった先達の山崎英生さん、添乗員の竹嶋さんにお礼申し上げます。

なお、各寺の説明は、四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ等を参考にしました。



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