美濃・尾張の自然----根尾谷地震断層観察館、世界淡水魚園水族館、 日本最古の石博物館、飛水峡、東山植物園 |
日本山岳会の山の自然学研究会では、年に何度か会員が地元を案内することになっている。今回は名古屋市在住の会員が世話役になって、「美濃里山巡検」を催して下さった。これはその報告である。 巡検先は表題のとおり、地震や古い岩石などの地学、淡水魚、植物というように様々な分野の見学である。これぞ自然学の醍醐味といっていいであろう。報告をまとめるに当たり、多くの見学地は「美濃の国」であるが、名古屋の東山植物園は「尾張の国」である。このためタイトルを「美濃・尾張の自然」ということにした。 今回の訪問先では、特に日本最大の内陸地震の跡地「根尾谷断層観察館」に期待が大きい。かねて日本列島を縦断している大断層「中央構造線」の巡検を試みた時、貴重な断層遺跡が崩壊しているのを目の当たりにし、文化遺産と同様自然遺産の保護・保全も大切だと感じたことがある。「根尾谷断層観察館」では、それがしっかりとなされているという。 もうひとつ楽しみにしているのは、「日本最古の石博物館」と「その岩石の発見地」である。考古学に関心のある小生は考古遺物の年代測定に使われる「炭素同位元素年代測定法」(いわゆるC14法)については多少勉強したことがある。しかし、岩石の年代測定については知らないので、興味深い。 ともかく、1泊2日の興味いっぱいの巡検に出かけた。 (2009年11月) |
A | |
濃尾地震は1891年に起きた。 下は、直後に小籐文次郎が撮影した写真。 上は、118年後の2009年にほぼ同じ地点から私が撮影した写真。高さ6mの断層崖は今も残っている。 |
GPSによる「美濃・尾張の自然」全図 (電波状態でトラックが取得できなかった部分は点線で示す) 赤字は訪問地 |
1日目(11月19日) | 岐阜羽島駅→根尾谷地震断層観察館→根尾谷薄墨桜→ 岐阜県世界淡水魚園水族館→犬山国際ユースホステル(泊) |
A | ||
新幹線岐阜羽島駅に集合し、巡検は始まった | 大型マイクロバスが2日間の我々の足である |
根尾谷地震断層 |
明治24年(1891)の濃尾地震は、マグニチュード8.0の日本の内陸地震で過去最大のものであった。 このときに生じた根尾谷断層が保存されている地震断層観察館を訪ねた。 |
根尾谷地震断層観察館 |
明治24年(1891)の濃尾地震の際に生じた根尾谷断層は、昭和2年に国の天然記念物に、昭和27年に国の特別天然物に指定された。 昭和49年に国鉄樽見線が、現在の観察館の上を通るよう計画されたとき、地震学会等が反対して、樽見線は迂回された。 平成3年(1991)は濃尾地震100周年に当たるので、岐阜県本巣市は地下観察館を作り断層を保存し観察できるようにした。 |
A | ||
根尾谷断層付近は、公園になっている | 左は地震断層観察館、右は地震資料館・地震体験館 |
地震資料館のホール |
濃尾地震の概要を示すパネル 明治24年(1891)に発生したマグニチュード8.0の地震は、日本の内陸地震で過去最大 |
A | ||
震度分布 最大震度6は烈震 | ||
世界中で有名になった小藤文次郎による写真(Koto,1893) | ||
1888年に架設されたわが国が誇る当時最大級の長良川鉄道橋 | 黄色の部分(水鳥三角台地)が最大6m隆起した(観察館図録を改変) |
地震断層観察館(地下)の北西面 正面の右側(北東側)が最大6m隆起した。 2m〜4mの左横ずれはこの断面からは分らない。 |
断層に展示された説明図 濃尾地震100周年を記念して平成3年(1991)に観察館ができるまでの100年間の土地利用の跡(震災後の堆積物・水田土壌・盛土)が見られる。 |
A | ||
断層の周り(1階)には、当時の写真が展示されている | 1階の窓から断層崖が見える |
断層崖現場 |
A | ||
全般に南西隆起であったが、水鳥地域のみ北東隆起であった | ピラミッド型屋根が地震断層観察館、その右の円形屋根が地震資料館 |
A | ||
断層崖を背に全員13人で記念写真 |
写真によると、断層崖の高さは5.1m 当時の記録最大6mよりも僅か低くなっている |
当時写真を撮影したと思われる公園内の地点に、断層崖の写真(1891年撮影)が展示されている。 118年経った今でも断層崖は当時の様相を残している。 また左横ずれ断層であることが確認できる。 |
根尾谷薄墨桜 |
桜の季節でないのが残念だが、折角近くまで来たので、根尾谷薄墨桜を見に行った。 |
薄墨桜の和名はエドヒガン(別名ウバヒガン)。 薄墨桜は蕾のときは薄いピンク、満開のときは白色、 散りぎわには淡い墨色になる。 樹齢は1500余年と推定され、継体天皇お手植えという伝承がある。 |
A | ||
樹高17.2m、枝張り東西23.9m、南北21.1m | 幹周り9.1m、昭和24年(1949)に山桜の若根238本を根接ぎして回生を図った |
季節がら桜は枯れ木のようだったが、周りの紅葉が美しかった |
岐阜県世界淡水魚園水族館 |
岐阜県世界淡水魚園水族館の愛称は「アクア・トト ぎふ」。 幼児語「トト」を愛称に使っている施設は珍しい。 この施設は4階建で、4階は長良川上流、3階は長良川上流・中流・河口、2階は中国の川・メコン川・コンゴ川・タンガニーカ湖、1階はアマゾン川を模してある。水槽に魚を飼っているだけ、大きな水槽に回遊魚を展示している、イルカのショーがある水族館は多いが、魚の住む環境を説明している水族館は少ない。 |
A | ||
水族館に隣接して観覧車があり、周囲は遊園地になっている | 水族館に入ると、まずは学芸員によるレクチャー |
長良川上流から河口の生き物 |
A | ||
コツメカワウソ 日本の多くの動物園で飼育されているので、近親交配を 避けるために血統登録を行い、計画的な繁殖を進めているという |
アンモナイトの化石 アンモナイトは頭足類と呼ばれるイカやタコの仲間 3億8000万年前に出現し繁栄したが、恐竜たちと共に絶滅したという |
A | A | A | ||||
サツキマス 同じ卵から生まれても、川と海を行き来するサツキマス |
コイ 貪欲に川底の生き物を食べる。右隣のトゲウオ科と同 |
ハリヨ ハリヨを含むトゲウオ科は冷水性の淡水魚で、岐阜県は |
||||
この水族館には、長良川の上流から河口までの水系が人工的に作られている。例えば、滝や急流など。 | (降海型)は大きく成長するが、一生を川で過ごすアマゴ(陸封型)は小さいまま。 | 様、コイ科にも絶滅危惧種が多い。 | トゲウオ科の南限である。 |
A | ||
悠々と遊泳するカモ |
水面下には盛んに掻くカモの足が見られる シンクロナイズドスイミングのように |
A | ||
揖斐川、長良川、木曽川*は、集まって伊勢湾に注いでいる。 | サワガニだけは海へ下ることなく、一生を淡水で過ごす。 |
*水族館では説明がないが、木曾三川(揖斐川、長良川、木曽川)が分流・合流を繰り返しながら伊勢湾に注ぐのは面白い。 この地はかつて、洪水に悩まされ、明治政府がオランダ人技師ヨハニス・デ・レーケを招いて調査させた。 木曾三川の完全分流工事は、明治18年から明治45年まで27年間かかった。 分流部分には、ケレップ水制の技術を用いた堤防を築いた。 |
日本最大の淡水魚イトウ 全長1mになるのに16〜17年かかるといわれ、かつては全長2mの記録もあった。 しかし、環境の変化や乱獲のため生息数が激変し、最近は大きいものはいなくなった。 |
世界の淡水魚 |
A | ||
カラチョウザメ (チョウザメ目 チョウザメ科) 軟骨魚類のサメと異なり硬骨魚類、東シナ海に注ぐ河川に分布する。 産卵の際に遡上するが産卵後海に戻る。卵の塩漬けはキャビア。 |
メコンオオナマズ (ナマズ目 パンガシウス科) メコン川に住む体重300kgにもなる巨大ナマズ。生態に謎が多く、 この魚にまつわる数々の伝説がある。絶滅危惧種 |
A | ||
レッドフィン ジャイアントバーブ (コイ目 コイ科) 赤いヒレと、輝くウロコが特徴 メコン川中流に住む |
デンキナマズ (ナマズ目 デンキナマズ科) 表皮の細胞で450Vもの強い電気を出し、小魚を痺れさせて食べる コンゴ川に住む |
A | ||
デンキウナギ (デンキウナギ目 デンキウナギ科) 生物が出す電気としては最高の866Vという記録がある アマゾン川に住む |
ピラニア ナッテリー (カラシン目 カラシン科) 強力な顎とするどい歯を持ち、主に昆虫やミミズ、魚等を食べる。 集団で襲うと、牛馬は20分、人間は5分で白骨にするという。 |
A | ||
イルミネーションが木曽川に映える犬山城 | 犬山国際ユースホステル |
2日目(11月20日) | 日本最古の石博物館→飛水峡→東山植物園→名古屋駅 |
犬山寂光院 |
A | ||
朝食後、出発までの時間を利用して、ユースホステルの近くの犬山寂光院にお参りする 寂光院は、654年に孝徳天皇の勅願を以て七堂伽藍を建立したという。 参道はすべて東海自然歩道に指定されている |
日本最古の石博物館 |
飛水峡は、飛騨川の岐阜県白川町から七宗町に渡る12kmの峡谷 |
飛騨川河床には、日本最古の岩石を含む上麻生礫岩が分布する。 この峡谷はほとんどが美濃帯堆積岩類を 構成するチャートと砂岩からできている。 水量が多い季節は岩盤を覆い隠すまで水位が上がり、轟音を轟かせ ながら濁流が流れるという。 この濁流によって河床や河岸に円形の穴(甌穴、ポットホール)ができる。 甌穴は、付近の景観とあわせて国の天然記念物に指定されている。 |
A | ||
日本最古の石博物館は、飛水峡の傍らにある | 博物館は2階建、1階から入り、2階に日本最古の石が展示されている |
日本最古の石 |
A | ||
七宗町で発見された20億年前の花崗片麻岩が含まれる石(上麻生礫岩) |
A | ||
上麻生礫岩中の「花崗岩起源の片麻岩」は20億年前に花崗岩として誕生し、17億〜16億年前に片麻岩に変成した | 上麻生礫岩中の20億年前の花崗片麻岩には、27億年前のモナザイトや30億年前のジルコンといった鉱物が含まれている |
A | ||
上麻生礫岩は、砂岩、チャートなどの堆積岩起源の角張った礫に混じって、花崗岩起源の丸い礫が含まれている。上麻生礫岩は、1.6億年前に海溝付近に堆積したものである。2000万年前までは日本列島はユーラシア大陸にくっ着いていた。その頃太平洋プレートがユーラシアプレートの下に潜る際に堆積岩が付加帯として日本列島にくっ着いた。 | 上麻生礫岩の上下の砂岩層には、ソールマークという模様が付いている。これから、上麻生礫岩は、大陸の岩石が削られて礫となり、川や海底の谷を通って海溝付近まで運ばれてきて溜まったものであることが分る。 |
岩石や、考古学遺物などの年代測定には、いろいろな方法がある。代表的なものとして、次の3つを挙げておこう。 |
|||||||||||||||||
|
世界最古の石 |
A | ||||
奥の大きな岩石は地球最古の岩石 (手前左)地球最古の鉱物を含む岩石 (手前右)地球最古の岩石 オーストラリアのジャックヒルス礫岩 グリーンランドのアミツォク片麻岩 アミツォク片麻岩とアキャスタ片麻岩は、どちらが古いのか私にはよくわからない |
地球最古の鉱物は、西オーストラリアの礫岩から見つかったジルコンで、43億年前に誕生した。 | A | 地球最古の岩石は、カナダ北部のアキャスタ片麻岩で、39.6億年前に花崗岩として誕生し、36億年前に片麻岩に変成した。 |
先カンブリア時代の岩石 |
この博物館は、地球の誕生から現在までの地球の歴史を展示している。 多くのパネルがあったが、ここではその中の、下記の4つを紹介する。 |
A | ||
イムワォン花崗片麻岩は、日本海に面した韓国東部に分布する。花崗岩としての誕生は20.6億年前で、上麻生礫岩中の花崗岩片麻岩の20.5億年前と同時期であるので、イムワォン花崗片麻岩は日本最古の石の故郷ではないかと考えられている。 | 花崗岩や片麻岩が風化してできた砂が長時間をかけて風や波の作用を受けると、丸みを帯びた石英の砂粒ばかりの砂ができる。これが固まるとオーソコーツァイトという砂岩になる。溜まった場所が浅い海だったらリップルマークという「波の化石」が残る。 |
A | ||
先カンブリア時代(地球が誕生した約46億年前以降、肉眼で見える大きさで硬い殻を持った生物の化石が初めて産出する5億4,200万年前までの期間をいう)の石は、鉱物資源の宝庫である。 | ストロマトライトは、シアノバクテリアという単細胞の藍藻類が作った石灰岩である。この藍藻類が作った酸素のお蔭で先カンブリア時代の地球環境が大きく変化し、生物の進化が進んだ。 |
飛水峡の甌穴群 |
A | ||
工事中の上麻生橋にマイクロバスを停車させる | 飛騨川の左岸に降りる |
A | ||
薄い板を重ねたような縞模様の層状チャートの硬い岩盤が露出している |
A | ||
直径1mもある大きな甌穴(ポットホール)* 上麻生橋の上流には、直径1m以下の甌穴は1000個以上あるという |
横の壁にできた穴。 これが甌穴だとしたら、どのようにしてできたのか不思議である。、 |
*甌穴(ポットホール)は、河川によって運ばれた礫が河床等の岩盤表面にある割れ目などに引っ掛かり、流速の早い濁流により渦巻運動を起こして、そこに穴を開けることにより作られる。 |
日本最古の石発見の現場 |
日本最古の石発見の碑 |
A | ||
碑の裏から飛騨川の左岸に降りる | 「上麻生礫岩は私です」という看板がある |
この写真の中のどの岩が上麻生礫岩であろうか。 20億年前に花崗岩として誕生し、17億〜16億年前に花崗片麻岩に変成した。 その花崗片麻岩には、27億年前のモナザイトや30億年前のジルコンといった鉱物が含まれている。 |
想像を絶するような太古の物語に別れを告げて、 次の訪問地「名古屋東山植物園に向かった」。 |
名古屋東山動植物園 |
名古屋東山動植物園は、動物園と植物園からなる。入場券は共通である。 動物園は、明治23年(1890)に動物商により公開された「浪越教育動物園」を起源とする。これを基にして、大正7年(1918)に「名古屋市立舞鶴公園付属動物園」として開園した。昭和12年(1937)3月24日に東山公園に移転して東山動物園として開園した。第2次大戦中、空襲によって動物が暴れだしたら問題だということで、多くの動物が殺された。しかし日本国内では唯一ここのゾウだけが終戦時まで生き延びた。 植物園は、動物園の開園に先立ち昭和12年(1937)3月3日に開園した。植物園全体は自然林を生かす形で整備されており、未舗装路も含めて縦横に散策路が走る。梅園、桜園、椿園、花畑などに加えて、いくつかの庭園があり、奥池のほとりには昭和31年(1956)に白川郷から合掌造りが移築され内部が公開されているほか、日本庭園の傍には昭和43年(1971)に見つかった東山古窯跡群の窖窯跡が残る。 |
植物園 |
園内案内地図 |
A | A | |||
先ず、園の係長さんから植物園の歴史を、 ボランティアさんから園内の説明を受ける |
伊藤圭介*記念室 彼は我国の理学博士第1号。 「雄しべ」、「雌しべ」、「花粉」の名付け親 |
*伊藤圭介(享和3年(1803) 〜 明治34年(1901))は、幕末から明治期に活躍した理学博士。 尾張国名古屋出身。 長崎にてシーボルトより本草学を学ぶ。
明治3年(1870年)、名古屋を離れて東京に移り住み、明治政府に仕えた。 そして同14年(1881年)、東京大学教授に任ぜられた。 同21年(1888年)、日本初の理学博士の学位を受けた。
また初代の学士会院院長となった。 伊藤の業績を称えてシーボルトらにより献名された日本の植物には有名なものが多い。(学名に名が記されている) |
A |
アシタバ(セリ科、Angelica
keiskei) イワチドリ(ラン科、Amitostigma keiskei) イワナンテン(ツツジ科、Leucothoe keiskei) オオビランジ(ナデシコ科、Silene keiskei) シモバシラ(シソ科、Keiskea japonica) スズラン(ユリ科、Convallaria keiskei) ヒカゲツツジ(ツツジ科、Rhododendron keiskei) マルバスミレ(スミレ科、Viola keiskei) ユキワリイチゲ(キンポウゲ科、Anemone keiskeana) |
この温室は現存する温室として日本最古。平成18年に国の重要文化財に指定された。 左遠方は、動植物園内にある東山スカイタワー |
A | ||
合掌線といわれるこの道は、紅葉が美しい | 奥池 |
A | ||
白川郷から昭和31年(1956)に移築した合掌造り (1842年の建築) | この干し柿は、今日係長さんが吊るした |
AA | ||
シラタマホシクサ(ホシクサ科)は、伊勢湾沿岸の湿地にだけ生える1年草 |
A | ||
コブクサクラは、ジュウガツサクラとシナミザクラの自然交配種 と推定される。1花に1〜3個の実を着けるので、「子福桜」の 名がある。秋から冬と春の年2回開花する。 |
東山古窯跡 窖窯(あなかま)といわれるこの古窯は、 昭和47年(1972)に発掘された鎌倉時代初頭の登り窯である。 |
A | ||
万葉集の中で植物を詠んだ歌を100種選び、その植物を自然景観に合わせて植え、歌碑を設置したもの(約1km) |
をぎ (荻) 妹なろが 使ふか川津の ささら荻 あしと人言 語りよらしも 読人知らず |
A | ||
しひ (椎) 家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る 有間 皇子 |
わらび (蕨) 石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも 志貴皇子 |
動物園 |
植物園から名古屋駅への一番近道は、動物園を通ることである。 幸い、動物園は植物園と入場券が共通である。 |
A | ||
ベニイロフラミンゴ | 昭和59年(1984)に日本で初めて来園したコアラ |
閉門時間に動物園を出て、地下鉄東山公園駅まで歩き、地下鉄でJR名古屋駅に行った |
今回の巡検は、地震や古い岩石などの地学、淡水魚、植物という異なるジャンルの見学であった。 博物館も厳選されていて、いずれも興味深いところであった。企画された大坪さんに感謝します。 |
|
|
|
ホームページの中で検索したい |
|
ホームページの中で道に迷ったら |
|