北海道の南と北(1)----北大植物園、アポイ岳、礼文島の旅 |
狭い日本と言うけれども、何度でも訪ねたいところもある。北海道はそのひとつ。北海道は広いし、季節を変え、対象を変えれば、何回行っても好奇心を満足させてくれる。 今回は南のアポイ岳と北の礼文島・宗谷に限って訪ねることにした。アポイ岳は特異な地質のため独特な固有種の花がみられる。礼文島は以前にも訪ねたことがあるが、今回はレブンアツモリソウの開花期に合わせて訪ねる。宗谷では2万年前の氷河期にできた周氷河地形を観察したい。 我国最北端の宗谷岬は北緯45度31分14秒。この45度というのに私はちょっとした思い出がある。1972年宇宙開発事業団(現在の宇宙航空研究開発機構JAXA)に在籍していた時、技術試験衛星V型の仕様を決めるに当たって、宇宙から日本の全土が観察できるようにということで軌道傾斜角(専門用語ですみません!)を稚内の緯度45度に合わせたことがあったからである。この衛星は日本の衛星で地上を撮影した最初のものとなった。 閑話休題、ともかく、妻と2人で気ままな旅に出かけた。 (2009年5月) |
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ちょうど満開の レブンアツモリソウ |
北海道全図 (礼文島・利尻島以外の離島は表記を省略) 赤字は訪問地 |
1日目(5月26日) | 羽田空港→千歳空港→北海道大学植物園→様似(泊) |
初日は、北海道大学の植物園を見学した後、襟裳岬に近いJR日高本線の終点 様似駅まで行く。 |
北海道大学植物園 |
7年前に北大のキャンパスを見学し、ホームページに掲載したことがある。楽しい歴史散策だった。 興味のある方はここをクリックしてご覧下さい。 その時は冬季のため植物園は閉園中で見学できなかったので、今回は念願を果たすことになった。 |
北大植物園地図 |
北大植物園の正門 |
温 室 |
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高山植物園 |
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高山植物園では、蛇紋岩、かんらん岩、石灰岩、泥炭地などの立地条件に分けて植栽されているという |
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クロユリ | ユキザサ | トカチフウロ | ミヤマオダマキ |
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アポイアズマギク | ボタンキンバイ | クマガイソウ | アツモリソウ |
ハクサンシャクナゲ |
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チシマウスユキソウ |
オオヒラウスユキソウ |
エゾウウユキソウ (別名レブンウスユキソウ) |
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ハクサンシャクナゲ | ヤマツツジ? | マルバシモツケ | イソツツジ |
大雪山を模して作られたといわれる |
自 然 林 |
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この自然林は、植物園が開設されて以来、ほとんど手が加わっていない林であるという | 下草のオドリコソウ |
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ライラック | ヤグルマソウ | スズラン |
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北方民族植物標本園では、アイヌ民族等の東アジア北方民族によって利用されている植物を植栽展示している |
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ギョウジャニンニク 食用・煎じ薬・温湿布に用いる |
チシマザサ(ネマガリダケ) 種実を食用、茎葉を解毒剤に |
エゾカンゾウ(ゼンテイカ) 花や種子を食用にする |
オオバナノエンレイソウ 果実を食用する* |
*果実が角張っているので、ピンネ・エマウリ(男の果実という) |
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マイズルソウ 葉を腫れものの吸い出しに使う |
エゾユズリハ 葉を煙草にする |
アキグミ 果実を食用に、枝を煎じて黄疸に服用 |
ハルニレ 樹皮や内皮から繊維を取り出す* |
*繊維で靴下や袋を作る、枝を擦って発火させる、若枝を噛み砕いて化膿吸い出しに、内皮を洗髪に |
重要文化財建築群 |
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博物館鳥舎(重要文化財) 1924(大正13)年に設置された孔雀飼育用の建物である。南側の鉄パイプのフレームで囲まれた部分は、金網を張って運動場として利用していた部分である。 内部は2室になっていて、現在は岩石標本、土器資料などを保存する収蔵庫として利用している。 |
博物館倉庫(重要文化財) 1885(明治18)年に設置された標本保管用の収蔵庫。博物館が札幌農学校に移管された直後に設置された建物であり、大学博物館は展示・普及と同時に、教育研究用の標本・資料を数多く保管する必要があるという、クラーク教頭らが札幌農学校に残した思想を示す建物であるといえる。 |
博物館便所(重要文化財) この便所は、1903(明治36)年に設置されたもので、植物園への移設時に屋根中央の換気塔が撤去されてていたが、文化財工事の際に復元された。 現在は、内部は水洗様式で、入園者も利用できるようになっている。 |
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博物館事務所(重要文化財) 1901(明治34)年に竣工した博物館の事務所である。設計工事の担当者は中條精一郎で、北海道では珍しい瓦屋根の建物であることが特徴。昭和中期に、屋根が鉄板葺にされたことがあったが、重要文化財指定時の復元工事で元の姿に戻された。 建物内は3室に分かれていて、現在は研究室、剥製製作などを行う実験室として利用している。窓の外側は上げ下げ窓、内側は開戸とする二重窓で、20世紀初頭の様式を残している。 |
バチェラー記念館(登録有形文化財) 「アイヌの父」と呼ばれたイギリス人宣教師J.バチェラーが離日する1940年まで居住していた邸宅である。1898年に植物園の東側に建設されたが、1962年に北海道から寄贈を受け、園内に移築された。移築前は、屋根にレンガ造りの2本の煙突があり、玄関には十字架も掲げられていた。 移築当初は民族資料展示室として利用していたが、現在は収蔵庫として利用している。 |
博物館本館 |
博物館本館(重要文化財) 明治15年(1882)開拓使の札幌博物場として建てられた博物館で、現役の博物館建築 としては日本最古のもの。アメリカ人建築士ベートマンの設計に基づく。1階は公開されている。 |
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ヒグマの剥製 | 絶滅したエゾオオカミの剥製 |
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ブラキストンは、北海道と本州の動物相が津軽海峡を挟んで著しく異なることを発見した。彼の発表論文も展示されている。 |
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エトピリカの剥製 | 名取武光が収集した完形土器 | 名取武光が収集したアイヌ民族の花矢 |
グイマツ |
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別名に、シコタンマツ(色丹松)、シベリアカラマツ、ダフリアカラマツなどがある。世界一北に分布する樹種で、北緯72度30分に及ぶ。 最終氷期には北海道から東北地方北部まで分布を広げていたが、北海道では8000年前頃、東北ではそれ以前に絶滅した。 |
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博物館本館の前庭に植栽されたグイマツ |
ライラック通り |
ライラック通りでは何人かが写生をしていた |
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宮部金吾記念館 |
1901年に札幌農学校動植物学教室として建てられた建物の東半分、植物学教室を1942年に植物園に移築して、長い間植物園庁舎として利用してきた。1991年に北半分を取り壊し、初代園長宮部金吾博士の遺品を展示公開する記念館として生まれ変わった。 博物館旧事務所や便所と同様に、中條精一郎の設計による建物と考えられ、20世紀初頭の札幌農学校の建築の姿を今に伝えるものある。 |
宮部金吾記念館の外観 |
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マキシモヴィッチはロシアの植物学者。万延元年(1860)開港間もない「箱館」に来日した。 採集助手として日本人の須川長之助を雇い、日本の植物相調査を行った。* (宮部金吾記念館内は撮影禁止であるが、マキシモヴィッチの展示だけノーフラッシュで撮らせて頂いた) |
稚内市北方植物園に植栽された チョウノスケソウ |
*マキシモヴィッチと須川長之助 |
北方民族資料館 |
北方民族資料室は、開拓使の博物館時代と、昭和初期を中心に 博物館の研究者が収集したアイヌ民族などの文化資料を展示している。 |
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生活用具 | 各種のモリ | サハリンのニヴフ族のアザラシ皮衣(女性用) |
札幌から様似へ |
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新冠、静内付近は競馬用の馬の産地(車窓から) | 日高本線の終点「JR似様駅」 |
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その名も「駅前民宿」 | 「駅前民宿」の食堂から、明日登るアポイ岳が見えた |
2日目(5月27日) | 様似→アポイ岳→札幌(泊) |
2日目は、早起きしてアポイ岳に登り、下山後札幌まで行くという強行軍である。 |
アポイ岳登山 |
日高山脈の南端、襟裳岬に近いアポイ岳は、僅か811mの標高にもかかわらず、多くの高山植物がみられることで有名である。その理由の1つが、ここには地下数十km以上から押し上げられた「かんらん岩」が露出しているからである。アポイ岳の植物を最初に調査した人は、札幌農学校(今の北海道大学)の宮部金吾教授である。 ここでは、5月にはヒダカソウが見られるというので出かけたところ、今年は花期が終わっていたのは残念であったが、いろいろな固有種の植物に出会えた。 |
アポイ岳地図 (「アポイ岳ファンクラブ」HPより改変) |
「駅前民宿」の女将が、早朝5時に登山口まで送って下さった。 「駅前民宿」のブログから転載 |
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アポイ山麓ファミリーパーク | クサボケ? |
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かんらん岩が露出した登山道を登る | 5合目休憩所 |
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エゾオオサクラソウ | アポイタチツボスミレ |
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アポイミセバヤの葉 | アポイアズマギク(白) | アポイアズマギク(ピンク) | ヒロハヘビノボラズ |
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森林限界を過ぎると、目指すアポイ岳が見える | 振り返ると、様似の町とエンルム岬が指呼の間である |
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かんらん岩の露頭 | かんらん岩が風化すると、蛇紋岩になるという | 登山者の靴で磨かれたカンラン岩 |
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標高僅か540m(GPSによる)のところに、ハイマツがある ここは、土壌が、かんらん岩または蛇紋岩という超塩基性の岩で、植物の生育を阻害するマグネシウムなどが多いため、 標高が低いにもかかわらず、植物にとっては高山並みの悪劣な環境であるので、ハイマツなどの高山植物がみられる。。 |
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キンロバイ | ヨツバシオガマ | アポイクワガタ | アポイハハコの葉 |
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サマニユキワリ | チングルマ | ヒダカイワザクラ |
太平洋と「かんらん岩」と高山植物 |
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往きは直接頂上へのルートをとり、帰りにお花畑経由で戻る | 「馬の背」からアポイ岳山頂を望む |
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エゾキスミレ | タカネサクラ | かんらん岩 | ヤマツツジ |
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アポイ岳山頂(810.6m)では、ダケカンバの樹間から吉田山とピンネシリが望まれる | 一等三角点(補点)* |
*一等三角点(本点)は間隔約40kmごとに設置されたが、必要に応じて 間隔約25kmの一等三角点(補点)が設置されている。 北海道内に一等三角点(本点)は31、一等三角点(補点)は20ある。 |
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ダケカンバの中を「幌満お花畑」に向かって下山 ただし「幌満お花畑」から先は現在立ち入り禁止のため、そこから分岐へトラバースする |
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フデリンドウ | ヒメイチゲ | ミヤマオダマキ |
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キジムシロ | ゴゼンタチバナ | ツマトリソウ | ツルアリドウシの実 |
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倒木や切り株は幼木の「揺りかご」(更新の場) | 更新した幼木をみるとホッとする。 左から、トドマツ、キタゴヨウ、シャクナゲ |
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カラマツの芽吹きを眺めながらビジターセンターまで下山する |
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地球の地殻(6km)よりも深いところ400kmまでは、上部マントルと呼ばれる | ||||||||||
北米プレートとユーラシアプレート衝突して、日高山脈ができた。 | ||||||||||
上部マントルから押し上げられて地上に出てきたのが、アポイ岳の「かんらん岩」である。 「かんらん岩」が風化してできた岩が蛇紋岩である。 |
様似の海岸からアポイ岳に、さようなら! |
平成20年12月8日(月)、アポイ岳が日本ジオパーク*として正式に認定された。 ジオパークは、ユネスコの支援により2004年に設立された世界ジオパークネットワークにより、世界各国で推進されている。 ジオパークは、『地域の地史や地質現象がよくわかる地質遺産を多数含むだけでなく、考古学的・生態学的もしくは文化的な価値のあるサイトも含む、明瞭に境界を定められた地域である。 公的機関・地域社会ならびに民間団体によるしっかりした運営組織と運営・財政計画を持つ』ことが定められている。 |
3日目(5月28日) | 札幌→稚内→フェリー→香深(泊) |
3日目は、札幌から稚内まで6時間のバスの旅の後、フェリーで礼文島に渡る。礼文島には1974年以来、35年振りである。 |
札幌から稚内への長距離バス |
日本海に面した小平町の「おびら鰊番屋」は、かつて鰊景気で栄えたところ。 今は釣りの名所となっている。 (バスの車窓から) |
苫前の風力発電所は大小約50基 (バスの車窓から) |
幌延の風力発電所は750kWのものが28基、一列に並んでいる (バスの車窓から) |
稚内から香深へのフェリー |
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札幌から約6時間のバスの旅で稚内に着き、フェリーで礼文島の香深に向かう |
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フェリーはいつも2等なのに、今回はたまたま1等和室だったので、写真を撮る |
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1974年以来、35年ぶりに訪ねた礼文島 | 民宿の北海荘に落ち着く |
ファンクラブもあるという北海荘の夕食 |
4日目(5月29日) | 香深→島内観光バス→礼文林道ハイキング→香深(泊) |
今日は、島内観光バスで一巡し、レブンアツモリソウの群生地などを見学する。その後、礼文林道を花を求めて散策する。 |
礼文島地図 |
礼文島一周観光バス |
香深を出発 |
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民宿の庭先にあるオドリコソウの群落に驚く | オドリコソウ | マンテマ |
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見内神社 アイヌたちはこの岩を恐れて、道を通るにもこの場所を避けて 見ないようにしたので、和人が「見ないカムイ」と名付けた |
利尻岳(1721m) この辺りからのの眺めは、正に「洋上の富士」である。 |
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金環日食観測記念碑* | 遠目には「枕状溶岩」と思われる(バスの車窓から)* | |
*昭和23年(1948年)5月9日午前10時22分に、この地で金環日食があり、当時新しい日本の歴史的大事業として、日米共同の科学者1500名により観測された。 (1948年は太平洋戦争終結3年後に当たる) |
*「枕状溶岩」だとすれば火山噴火の名残りである。外観から利尻は火山だが、礼文は非火山のように思われ勝ちだが、礼文島は前期白亜紀の安山岩火山質岩が主体で、島孤型火成活動の跡があるという。 |
レブンアツモリソウ群生地 |
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レブンアツモリソウは、 特定国内希少野生動植物種に指定されている |
木柵で保護された群生地を歩く 開花期には、盗掘防止のため24時間監視しているという |
目指すレブンアツモリソウにお目にかかり、大満足 |
アツモリソウの花期は6月中旬で終わるが、島内の高山植物培養センターで、 8月中旬まで楽しめるように低温管理しているという |
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アツモリソウ(交配を防ぐため結実前に抜き取られる) | ハクサンチドリ |
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クルマバツクバネソウ | 木柵の外から撮影に余念がない人 |
スカイ岬 |
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バスを降りて、澄海岬(スカイ岬)に向かう) | エゾイヌナズナ |
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イワベンケイ | オオミミナグサ | ネムロシオガマ | キジムシロ |
島の西海岸は海食崖が発達し、断崖の上は冬の季節風が強いので積雪が少ないため草原になり、 夏は種々の花々が咲き誇る。一方東海岸は、西海岸ほど冬の季節風が強くないので集落が多い。 |
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澄海岬(スカイ岬) | 節理の発達した岩礁 |
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コマイ(氷下魚)の干物を作る コマイはタラ科の魚で、干物は絶品の肴 |
スコトン岬 |
途中に見られるなだらかな丘陵 |
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スコトン岬(正確にはさらに北にある無人のトド島)は礼文島の最北端。 晴れた日には遠くサハリンを望むことができるという。外国人の観光客も結構多い。 |
礼文島唯一の湖、久種湖(くすこ)から望む礼文島の最高峰礼文岳(490m) |
桃台・猫台 |
バスが桃岩トンネルをくぐる時に見える「桃岩の表」 |
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桃岩の側面 | 「桃岩の裏」から見える「桃の芯」はマグマの塊* |
* もう少し詳しく説明すると、粘性の高いマグマ(シリカに富むデイサイト質マグマ) が冷えて固まったものです。 粘性が高いマグマが地表に噴出すると、お饅頭のような形のドームを作ります。こ
れが溶岩ドームです。九州の雲仙普賢岳の噴火などが、有名な溶岩ドームです。 さて、礼文島桃岩のドームは、これらの溶岩ドームと少し異なります。普通の溶岩 ドームは、マグマが地表に顔を出してから成長しますが、桃岩はマグマが地表まで到 達しないで「地下」でふくらんで成長したドームです。桃岩の場合、正確に言うと「 地下」ではなく、「海底下」でした。 桃岩ドームは、礼文島がまだ海の底だった頃(1300万年前)、浅海の底に堆積して いた泥や砂の中にマグマが貫入し、ドームの内側からふくらむように成長したことが 明らかにされています。ドームの形成・固結後、かなり時間がたってから、この地域 は隆起し、礼文島になりました。ドームのまわりの泥や砂は柔らかいので浸食され、 硬いドームだけが残ったのです。 桃岩の「桃」の形はドームの外形そのものです。桃岩の西側(裏側)は浸食され、 ドームの内部(縦断面)がむき出しになっています。「丸い形の岩」はドームを輪切 りにした面です。この面に出ている「たまねぎの皮」は、ドーム内部の流理構造(マ グマの流れでできた縞模様)です。このように内部構造がむき出しになっているドー ムは世界的にめずらしく、地質学的に貴重です。 後藤芳彦(東北大学・地球工学) --より引用 |
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桃台・猫台から眺める猫岩(右の岩礁) |
礼文林道ハイキング |
島めぐりの観光バスを、香深に戻る手前の「礼文林道入り口」で下車させてもらい、礼文林道をハイキングすることにした。礼文林道の奥にはレブンウスユキソウの群生地があるというが、開花の時期にはまだ早いのでお目にかかれるかどうかわからない。 |
礼文林道は、何の変哲もない道であるが、歩いてみてびっくり。道の両側がお花畑である。 |
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ハクサンチドリ | エゾイワハタザオ | ミヤマオダマキ | クワガタ |
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コミヤマカタバミ | ヒメイチゲ | レブンコザクラ |
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エゾエンゴサク | キジムシロ | スゲの仲間 |
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エゾノハクサンイチゲ | イワベンケイ | セイヨウタンポポ |
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笹がパターン状に刈られた山があったので、不思議に思っていると、右のような標識が見つかった。 過去の大きな山火事で森林が消失したので、森林回復のための植林をしているという。 |
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トウゲブキ(雄花) | トウゲブキ(雌花) |
林道のところどころから利尻岳が望める。真下が香深港で、フェリーも見える。 |
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キクバクワガタ | キジムシロ | ヤマガラシ |
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レブンハナシノブ | オオバナノエンレイソウ | ハクサンチドリ(白) | ノビネチドリ |
やはり、レブンウスユキソウの開花にはまだ早く、一株も見つからなかった。7月下旬にまた訪ねたい。 |
礼文町郷土資料館 |
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香深の町に戻ってから礼文町郷土資料館を訪れた | 上泊3遺跡から出土した縄文時代中期の土器 |
北海道先史年表が掲示してあったので、1万年以降の新しい部分を写真に撮った |
天保5年(1834)の今井八九郎の礼文島測量図 (6万分の1、原図は東京国立博物館所蔵)
松前藩士今井八九郎は、伊能忠敬、間宮林蔵の実測以降、蝦夷地の全沿岸を実地測量して、その実測地図を作製した。彼は間宮林蔵の蝦夷地測量に同行し、測量技術のすべてを学んだという。 文政4年(1821)、蝦夷地が幕府による直轄管理から松前藩の管理へ変更されたことに伴って、蝦夷地経営のためには正確な地図作成が急務であることを藩主に上申した。 江戸地在勤中に測量器具の購入など準備を進め、蝦夷本島、樺太南部と歯舞・色丹諸島、奥尻、焼尻などの離島も含めた北海道周辺の沿岸測量を実施した。 その測量図は、極めて精度の高いものであり、特に北海道大学附属図書館所蔵「利尻島図(天保5年測量)」は、現行の5万分の1地形図と比べても遜色のないものだという。 |
Book愛ランドれぶん |
礼文町郷土資料館で、高山植物に関する資料は町の施設「Book愛ランドれぶん」にあると聞いたので、出かけた。 沢山のパネルによる説明があった。 |
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Book愛ランドれぶん | 途中、町役場の庭に咲いていたレブンウスユキソウ (山よりも開花が早い) |
1万年前の氷河期の終わりとともに地球は次第に暖かくなり、植物は北へ移動した。一部の植物は標高の高い所に移動し高山植物となった。 |
礼文島の高山植物の52%はアジアに分布する高山植物と同種、27%が北極周辺の高山植物と同種だという。 |
5日目(5月30日)前半 | 香深→桃岩コース・ハイキング→香深→フェリー→稚内 |
今日は、礼文島の2日目。桃岩展望台から元地灯台を経て知床に至る半日コースを歩いた後、フェリーで稚内に向かう。 |
礼文島桃岩コース・ハイキング |
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香深から乗車したバスを「桃岩登山口」で下車し、桃岩展望台を目指して歩き出す。 |
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コバイケイソウ | アマナ | エゾヒメアマナ | レブンハナシノブ |
コバイケイソウ、エゾハクサンイチゲ、レブンコザクラ等が咲き誇る登山道 |
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レブンコザクラ | カラス(近づいても逃げない) | オオバナノエンレイソウ | アマナ |
桃岩を背景にエゾハクサンイチゲの群落 |
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ミヤマキンポウゲ | レブンソウの葉? | リシリトウウチソウの葉? |
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道の中まではみ出しているオオバナノエンレイソウ | 花の中のプロムナードは続く |
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クロユリ | 蕾のマイズルソウ | ミヤマオダマキ | フデリンドウ |
中央の小さな島が猫岩、右の大きな饅頭山が桃岩 |
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レブンハナシノブ | エゾイワハタザオ | オオミミナグサ |
昭和29年(1954)点灯の元地灯台は、珍しく山の上に立つ 光度26万カンデラ、到達距離22海里(約40km)、海面から灯火の高さ211m |
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元地灯台から知床への下山道で、「干害防備保安林」を見た。洪水と渇水の防止と水資源の確保を目的に植林しているという。 |
土地を平らにして小石を敷き詰めたところがあった。昆布を干すところのようだ。ここでおにぎりの昼食をした。 |
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香深13:05発のフェリーで礼文島から稚内に向かった |
礼文島での2日間は天候にも恵まれ、いろいろな花に会えて 素晴らしかった。 さようなら、少し季節を変えてまた来ます! |
北海道の南と北(1)は、いかがでしたか。 北海道の南と北(2)は、稚内、ノシャップ岬、宗谷岬、宗谷丘陵、サロベツ原野の旅です。 引き続き、下の [次へ] をクリックして、北海道の南と北(2)をご覧下さい。 |
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