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花のカムチャツカ(1)----ウラジオストク ・ アヴァチャBC ・ 太平洋沿岸原野


 持つべきものは良き友である。 日本山岳会の山友達に会うたびにいつもそう思う。 山岳会の「山の自然学研究会」の2006年行事の1つとして、「カムチャツカのフラワー・トレッキング」の話が出たとき、諸手を挙げて賛成した。 愉快な仲間と一緒に「この花はどうしてここに咲いているのだろう」など、多少理屈を言いながら山野を歩く、こんな楽しいことが他にあるだろうか。

 実は個人的にはカムチャツカには残念な思い出がある。 3年前にカムチャツカで多分日本人で最初のテレマークスキーをやる積りでビザまで取ったが、人数がまとまらず、直前に中止になったのである。 今回は気心の知れた17人の仲間で、(株)ユーラスツアーズの添乗員のDさんと一緒に、無事新潟空港から8日間の旅に出ることが出来た。

 「山の自然学」の教えるところによると、2万年前の最終氷期にロシアなどの北方から寒さを逃れて南下した植物が日本列島に住み着いたが、氷期が終り暖かくなって、北へ帰る際に一部の植物は山に登り(したがって場合によっては隔離分布し)、現在の高山植物になったという。

 というわけで、今回の「カムチャツカのフラワー・トレッキング」は、日本の高山植物の 「ルーツ探しの旅」 でもある。 その上、カムチャツカの約30ある活火山の1つアヴァチャ火山(2751m)に登頂できれば言うことはない。

  前半を花のカムチャツカ(1)に、 後半を花のカムチャツカ(2)にまとめた。合せてご覧下さい。              (2006年7月)
アヴァチャ火山(2751m)
に、登頂できるだろうか
このホームページの花の名前等に誤りがございましたら、お手数ですが、メールでお知らせ頂ければ、幸いです。
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国  名 ロシア連邦 カムチャツカ州
首  都 モスクワ 州都
ペトロパヴロフスク・カムチャツキー
政  治 連邦共和制
1991年ソビエット連邦解体により独立
1945年国連加盟
ロシア全国に89ある連邦構成主体の1つ
面  積 1708万km2 日本の45倍世界最大 47万km2 日本の1.25倍、ただし北方の64%はコリャーク自治管区
人  口 1億4342万人
ロシア人82%、タタール人4%
ウクライナ人3%、チュヴァシ人1%
35万人
ロシア人81.0%、
 ウクライナ人9.1%、 コリャーク人1.5%その他8.4%
言  語 ロシア語(公用語)、各民族語  
宗  教 ロシア正教、イスラム教  
産  業 工業はソ連時代の計画経済により、重化学工業と軍需産業を中心に急速に発展した。しかし民生用のハイテク産業や消費財産業等は先進工業国に較べ遅れている。 ロシア連邦になってから市場経済体制へ移行を進めたが、急進的な改革は難航し、貧富の格差を広げた。 その後原油価格や資源価格が上昇したことで、貿易収支が改善され、経済成長もプラスに転じた。 基幹産業は漁業で、州の鉱工業生産高の60%を占める。 労働人口の約半数が漁業および水産加工業に従事している。 漁獲高は80万トンで、水産物はカムチャツカの輸出額の70%に達する。 漁業以外の産業として林業や鉱業がある。 農業はジャガイモなど野菜の生産、トナカイ飼育を含む畜産が主体
1人当GNI 3410米ドル/年 日本の1/11  

GPSで取得した実飛行ルート図
−−− の部分は飛行機の座席の関係でGPSデータが取得できなかった)

GPS(Global Positioning System 全地球測位システム)は、人工衛星
からの電波を受信して、自分の位置(緯度、経度、標高)を知るシステム。
取得したデータをパソコンにダウンロードすることにより、軌跡を地図上
に表示できる。 国内の場合はカシミールというソフトを用いて5万分の1の
カラーの地図上に表せるが、ワールドマップは白地図にしか表示できない。



ウラジオストクへ

新潟空港を15時55分に出発し、ウラジオストクに19時50分に着いた。 夏時間の時差2時間を考慮すると、実飛行時間は1時間55分となる。 ロシアは我国に最も近い隣国の1つであることを実感する。 ウラジオストクはシベリア鉄道の起点であり、ロシアの東の玄関口でもある。 因みに、ウラジオストクとは「東方を征服せよ」というロシア語であるという。

ウラジオストクでのGPS軌跡
残念ながら、ところどころ電波を受信できなかった

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ツボレフ TU−154Mは158人乗りのジェット機 空港には北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)機も

空港からダウンタウンのシベリア鉄道ウラジオストク駅へ向うバスの車窓から撮影
太陽の沈む方向の9259km彼方(鉄道で6泊7日)にモスクワがある

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ウラジオストクでは99%の車は日本車であるが、
ほとんど信号がないせいか、交通事故は多いという。
市街地に入ると近代的なビルも見られる
 

内装が帆船内部風の地下レストラン「ポルト・フランコ」で、ロシア初日の夕食

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サラダ 魚料理

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11時頃にレストランを出る。人通りは少ない。 ホテルは西洋風である



ウラジオストク市内

ウラジオストク到着の翌日は、市内観光の後、国内線でカムチャツカに飛ぶ。

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ローカル・ガイドのオルガさんと添乗員のDさん ホテルの前にロシア正教の教会がひっそり建っていた

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ホテルの前の五葉松。最終氷期の後、日本列島から消えてしまったグイマツ
ではないかと思われたが、東大北海道演習林のものと葉の形が違うようだ。 
 
カラマツと同様の落葉針葉樹。2万年前までは北海道全域と北東北に自生していた。



シベリア鉄道・ウラジオストク駅

ウラジオストク市内観光は、シベリア鉄道のウラジオストク中央駅から始まる。
シベリア鉄道は、帝政ロシア時代にシベリア開発と極東で戦争が起こった場合の軍隊の輸送を目的に、1875年に建設が開始され、1903年に全通した。当時、明治の元老達や夏目漱石など多くの日本人がシベリア鉄道で訪欧した。

シベリア鉄道のウラジオストク中央駅の駅舎全景

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待合室に掲げられたモスクワ-ウラジオストクを
運行するロシア号のレリーフ 
待合室の天井にはモスクワとウラジオストク両都市の絵が描かれている(詳細は下記

待合室の天井に描かれたモスクワの風景(左から駅舎、機関車、ロシア正教の教会、英雄?、新古典派の建物)

待合室の天井に描かれたウラジオストクの風景(左からゴシック風建物、帆船、ロシア正教の聖職者、駅舎、機関車)

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蒸気機関車の展示(現在は電化・ディーゼル化されている) 荷物置きになった客車?

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帝政ロシアの「双頭の鷲」の紋章の付いた起点標識に表示されたモスクワ-ウラジオストク間
の9288kmというのは建設当時の行程である。 現在の行程は9259km



ウラジオストク市内あちこち

ウラジオストク中央駅を見た後、ウラジオストク港、革命戦士広場の自由市場、ニコライU世の凱旋門、C−56潜水艦博物館などを見学し、鷹ノ巣展望台から金角湾を一望した後、バスでウラジオストク空港へ向った。

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立派なウラジオストクの港湾ビル 日本からは大量の中古車が輸入される

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市内のスナップ アメリカの雑誌のロシア語版が売られている

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革命戦士広場の自由市場 日本の冷凍車が塗装もそのまま使われている

市民がダーチャ(自家菜園付きの別荘)で採ったベリーであろうか

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長い行列なので、何を売っているか調べてみると--- 鶏肉だった

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        ニコライU世の凱旋門
ロマノフ王朝最後の皇帝のウラジオストク訪問を記念して建てられた凱旋門。 彼が皇太子だった1891年訪日の際に日本の警官に切りつけられて傷を負った(大津事件)。 この凱旋門はロシア革命のときに破壊されたが、2003年に復元された。
   ウラジオストク軍港に停泊する小形の艦船
ソ連時代では想像も出来ないことだが、大通りから自由に写真を撮れる。 今もウラジオストクには太平洋艦隊本部がある。
 
 

第2次世界大戦の戦勝記念公園  言うまでもなく、1941年は開戦年、1945年は終戦年

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第2次世界大戦時代のC−56潜水艦が博物館になっている。 内部には記念品が展示されており、潜望鏡も覗ける。

鷹ノ巣展望台から金角湾が望まれる  右にスクロールしてご覧下さい → → →

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空港へ向う車から見るダーチャらしい住宅 ロシア正教の教会も見られる



カムチャツカへ

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ウラジオストク空港から国内線でカムチャツカへ 国内線はツボレフ TU−154B(Mと同じ158人乗り)

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我々が利用したウラジオストク航空は極東に多くの路線を持つ
(機内のパンフレットより)
 
到着したペトロパヴロフスク空港には「山の自然学」の表示を持って、通訳のアルチョムさんが迎えてくれた



アヴァチャ・ベースキャンプ(BC)

カムチャツカ滞在の第1日目は、州都ペトロパヴロフスク・カムチャツキー(以下、ペトロパヴロフスクと省略)のホテルからアヴァチャBCへ向う。

ホテルからアヴァチャBCへのGPS軌跡

アヴァチャBCへ

ホテルから6輪車に乗り、途中でスーパーマーケットに立ち寄ってウオツカを仕入れ、3時間かけてアヴァチャBC(ベースキャンプ)に着く。

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いよいよロシア名物の6輪駆動車で出かける 6輪車に付いている狼のマーク

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6輪車で立ち寄ったのが、小さなスパーマーケット 食事付のロッジに泊まるが、ウオツカは自前

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ロシアの通貨は、1ルーブル=4円。  レートで換算した食料品の価格は日本と同程度。 2005年のロシアの平均世帯月収が8295ルーブル=33000円であることを考えると、生活必需品の食料品でさえ非常に高い。
だから、彼らはダーチャで自家生産に励み、自由市場で安い鶏肉があれば行列に並ぶのだろう。

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川に沿って走る道は「ぬかるみ」になり--- やがて、残雪の道になるが、6輪車は平気!

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この辺の植生はいたって単純で、左から「カバノキ」、「ハンノキ」、「ヤナギ」の3種類

3時間弱の走行で、目的地アヴァチャBC(標高888m)に着く

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現地ガイドのAさん 現地ガイドのBさん 植物専門家のラリーサさん

アヴァチャBC周辺の植物

アヴァチャBCは標高888mと低いが、緯度が北にあるので、日本の北アルプスや北海道大雪山の植生に近いことが期待される。 実際に現地を観察して、ほとんどが日本の高山植物と同種か近縁種であることに驚いた。

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ラリーサさんは、植物名のロシア語と日本語(和名)
の対照表を片手に説明してくれた。   右は助手のクリスティーノさん
この辺の土壌は、礫径5mm〜2cmくらいのスコリア
(火山噴出物の一種)で、水捌けはいいが、貧栄養で
ある。

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リシリヒナゲシ イワブクロ トウヒレンの仲間 ミヤマシオガマ

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エゾオヤマノエンドウ ハハコヨモギ チシマゼキショウ

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インデアン・ペイントブラッシ ミヤマヤナギ

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チシマクモマグサ シコタンハコベ トチナイソウ イソツツジ

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エゾオヤマノエンドウ チシママンテマ チシマツメクサ ミヤマハナゴケ

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ハイマツ
 
 
 
  
           チョウノスケソウ
ロシアの植物学者マキシモウィッチの助手を務めた須川長之助が発見したことに因んで、牧野富太郎が名付けたことは日本では有名であるが、ロシアではあまり知られてないようだ

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イワヒゲ クワガタ オオバノクワガタ

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キバナシャクナゲ イチリンハクサンイチゲ ウルップソウ

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スコリアの中の溶岩の隙間に咲く
エゾツツジとヤマハハコ
ベニバナミネズオウ
  

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レブンサイコ エゾルリムラサキ チシマフウロ

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チシマツガザクラ キバナノアツモリソウ イチヤクソウ

キバナアツモリソウなど日本では盗掘が問題になっている珍種も、
足の踏み場がないほど咲いている

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アヴァチャスカヤスミレ ミヤマアズマギク エゾツツジ チョウノスケソウ

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イワヒゲ エゾノツガザクラ




閑 話 休 題


日本の高山植物とカムチャツカの植物の関係

地球上には何回か氷期があった。最終氷期は約2万年前であった。
このときカムチャツカの植物は寒さを逃れて千島列島伝いに南下し、
日本列島へやってきた。


最終氷期〜現在の自然史年表
小泉武栄編、 「山の自然学入門」 古今書院 より


やがて氷期が終わり、暖かくなると植物は再び北へ帰って行った。
そのとき、一部の植物は北へ帰らずに山に登った。100m登ると、
0.6度涼しくなるからである。

山に登った植物は北へ帰ることが出来なくなり、日本の高山植物と
なった。したがって、日本の高山植物は、カムチャツカの植物と同種
または近縁種が多い。





ラクダ山とアヴァチャ山

アヴァチャBC到着の日の午後、早速近くのラクダ山に出かける。翌日は早朝ロッジを出発してアヴァチャ山登頂を目指す

アヴァチャBC、ラクダ山、アヴァチャ山2000m台地のGPS軌跡  アヴァチャ山は登頂できず

ラクダ山・登頂

アヴァチャBCから一番近いラクダ山(1234m)に登る。 明日のアヴァチャ山登頂のトレーニングと、ガイドにとっては足並み拝見というところである。

ラクダ山はBCから標高差約350mといえども、雪道である。 慎重に登る。

山の上部の岩塊斜面には横縞があり、階段状になっている。 ガイドにカムチャツカの卓越風について尋ねたが、1年中風はあまり強くなく、敢えて言えば春先に日本からやって来る低気圧であるという。 多分、春先に日本で太平洋側に降雪をもたらす台湾坊主の行き先がカムチャツカなんだろう。 そういえばこの縞模様は風向の南北方向についている。 右が最高峰。

ラクダのコル(我々はそう名付けた)で記念写真、山頂は狭く1人ずつ登る

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ロッジに帰って夕食 ボルシチ、パン、マッシュポテトなど



アヴァチャ山・登頂を目指す

いよいよアヴァチャ山登頂の日である。 天候はよくないが、全員出発し、途中で「登頂目指す組」と「途中まで組」に別れる。

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5時にヘッドランプをつけてロッジを出発 目指すアヴァチャ山らしい山が暗がりに見える

昨日登頂したラクダ山を左手に見ながら登る

霧の晴れ間にコリャーク山(3456m)が見えてきた

アヴァチャ山の2000m台地(2077m)に着くと、目前に目指すアヴァチャ山頂(2751m)が見える。  ここから標高差674mは雪が深く傾斜もきつい。我々の装備と体力を考慮して、登頂は諦めることにする。

コリャーク山を背景に記念写真

やっと山頂を現したコリャーク山

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登りと違う雪田の中を下る
 
2000m付近の植生はごく限られる
リシリヒナゲシ(左)とハハコヨモギ(右)

ペトロパヴロフスクのホテルに戻ると、部屋に秋のコリャーク山の絵が飾ってあった。 コリャーク山はここでは自慢の山であろう。



太平洋沿岸・ハラクチルスキー・ビーチ原野

アヴァチャBCからホテルへの帰路に太平洋沿岸まで突っ走り、ハラクチルスキー・ビーチ原野に行く。 ここはちょうど北海道のオホーツク原生花園のような感じである。


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6輪駆動車で原野に乗り込む
 
太平洋を望むこの原野は、広々として気持ちがいい。
ただし植物の種類は、あまり多くない

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ハマナス ハマフウロ アヤメ?

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ハマエンドウと実

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タンポポ(花が大きい) すでに紅葉

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太平洋の向うは日本やアメリカ! 特別な気分になる カムチャツカの自然保護は今後の課題である

海岸から内陸を見る。
ラリーサさんはこのあたりはプレ・タイガーだというが、針葉樹は見当たらない

以上が、前半のウラジオストック、アヴァチャBC、アヴァチャ山登山、ハラクチルスキー・ビーチ原野の花のカムチャツカ(1)である。 後半のバチカゼツ高原と農夫の家、温泉のあるロドニコヴァヤBC 、カムチャツカの州都ペトロパヴロフスクは花のカムチャツカ(2)にまとめた。

引き続き、下の [次へ] をクリックして、花のカムチャツカ(2)をご覧下さい。


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