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花のカムチャツカ(2)----バチカゼツ高原 ・ロドニコヴァヤBC ・ペトロパヴロフスク


 花のカムチャツカ(1) の内容は、ウラジオストック市内観光、アヴァチャ・ベースキャンプ(BC)周辺の植物、ラクダ山登頂、アヴァチャ山登頂は出来なかったが2000m台地までの登山、 太平洋沿岸のハラクチルスキー・ビーチ原野などであった。

 花のカムチャツカ(2) は、バチカゼツ高原 のフラワートレッキング、音楽とウオツカを楽しむ「農夫の家」の訪問、温泉のあるロドニコヴァヤBC、カムチャツカの州都ペトロパヴロフスク・カムチャツキーの市内観光などである。                     (2006年7月)

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カムチャツカ花のトレッキング(1)を見る
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ロドニコヴァヤの山々と
キバナシャクナゲ

国  名 ロシア連邦 カムチャツカ州
首  都 モスクワ 州都  ペトロパヴロフスク・カムチャツキー
政  治 連邦共和制
1991年ソビエット連邦解体により独立
1945年国連加盟
ロシア全国に89ある連邦構成主体の1つ
面  積 1708万km2 日本の45倍世界最大 47万km2 日本の1.25倍、ただし北方の64%はコリャーク自治管区
人  口 1億4342万人
ロシア人82%、タタール人4%
ウクライナ人3%、チュヴァシ人1%
35万人
ロシア人81.0%、 ウクライナ人9.1%、 コリャーク人1.5%
その他8.4%
言  語 ロシア語(公用語)、各民族語  
宗  教 ロシア正教、イスラム教  
産  業 工業はソ連時代の計画経済により、重化学工業と軍需産業を中心に急速に発展した。しかし民生用のハイテク産業や消費財産業等は先進工業国に較べ遅れている。 ロシア連邦になってから市場経済体制へ移行を進めたが、急進的な改革は難航し、貧富の格差を広げた。 その後原油価格や資源価格が上昇したことで、貿易収支が改善され、経済成長もプラスに転じた。 基幹産業は漁業で、州の鉱工業生産高の60%を占める。 労働人口の約半数が漁業および水産加工業に従事している。 漁獲高は80万トンで、水産物はカムチャツカの輸出額の70%に達する。 漁業以外の産業として林業や鉱業がある。 農業はジャガイモなど野菜の生産、トナカイ飼育を含む畜産が主体
1人当GNI 3410米ドル/年 日本の1/11  



バチカゼツ高原と農夫の家

ツアーの5日目から後半が始まった。ホテルから例の6輪駆動車で3時間かけて、バチカゼツ高原へ出かけた。

ホテルからバチカゼツ高原と農夫の家へのGPS軌跡

バチカゼツ高原

標高500m程のバチカゼツ高原は、尾瀬と知床連山を一緒にしたようなところである。 火山の山並みあり、湿生植物ありで、日本人には馴染みやすい。

池を巡るコースは楽しい

ここには登山道はなく、花の中に入って記念写真を撮る。

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白樺の林床に咲く花 ここは比較的古い火山地帯であろう、表土は結構厚い

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川に沿った道路はすっかり荒れている 大型のダイニング・テント

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ダイニング・テントの中で、ちょっと豪華な昼食を頂く
 
羊肉の炊込みご飯とサラダは
美味しかった



バチカゼツ高原の花

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ハクサンチドリ シロバナハクサンチドリ エゾコザクラ タカネスミレは日本固有というが--

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エゾフウロ ギョウジャニンニク キバナノアツモリソウ マイヅルソウ

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ミヤマイ(基準標本はカムチャッカ) エゾノバイケイソウ コタヌキラン ウルップソウ

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ヤナギランの花の咲く前 クロユリ ミツバオウレン モウセンゴケ

自然を痛めないように出来るだけ散らばって、人と同じところを歩かないようにする。

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チシマノキンバイソウ(基準標本はカムチャツカ)
(キンバイソウには萼がない)
ミヤマキンポウゲ
(キンポウゲには萼がある) 

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ミヤマヤナギ? チシマヒョタンボク エゾノゴゼンタチバナ 唯一の針葉樹の幼木

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シャクナゲ タカネナナカマド キョクチブナ イチリンハクサンイチゲか

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エゾノツガザクラ ヒメシャクナゲ ツマトリソウ シロバナエンレイソウ



農 夫 の 家

「農夫の家」と称するところを訪問した。 まず、このおじさん、アレキサンダ・ストレボフさんから小屋の周りに生えている植物の食べ方の講釈を聴く。

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ハマナスは香料に使う サーシャは、茎を乾かして糖分を採り、ワインを造る

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     ニガヨモギ
アブサン・マルティーニ(リキュール)に使う。ニガヨモギの成分に幻覚作用があるため、 1915年にフランスで製造禁止になったという。
  オオハンゴンソウ
塩漬けにして、ウォツカのつまみに
 
  
ヤナギラン
おつまみや紅茶に使う
 
 
  
イリス
根をコショウ代わりに使う
 
 
  

このテントの中でアレキサンダさんのエンターテイメントを楽しむことになる

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テントの中で例の野草料理を肴にウオツカを飲む。 野草料理は佃煮風で結構美味い

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一旦野外に出て、ソフト・スモーク・サーモンが出来る間、皆でロシア民謡を歌う

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再びテントに戻り、音楽と歌を聴かせてもらう。女性歌手はなかなか叙情的である。

カムチャツカのために乾杯! 女性のために乾杯!
そのたびにウオツカのグラスを空ける。

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エンターテイナーのお二人に送られて、6輪車は出発 20人余りが乗れる6輪駆動車

車が故障しても、食事がお粗末でも、構わないではないか。
この農夫の家を訪問したことで、私たちはロシア人たちの
奥深さを垣間見ることが出来た。

ブロードバンドの方は、下の5つの写真のどれでもクリックして、
しばらくお待ち下さい。それぞれのビデオをご覧になれます。

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ロドニコヴァヤBC

ホテルからロドニコヴァヤBCへのGPS軌跡

ペトロパヴロフスクのホテルから見えるコリャ−ク山(左)とアヴァチャ山(右)

右のビリチンスキー山と左の山の間の谷が氷河によるカールかどうか。
形は明らかにU字谷である。 両側が比較的新しい火山で、氷河期以降に噴火が
あったとすると、火山噴出物の下にモレーンなどの氷河の痕跡があるかもしれない。

キバナシャクナゲ


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付近の木本植生は、右の3種類しかない ハイマツ ナナカマド ハンノキ

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凍結坊主(アースハンモック)か? 階状土ではなさそうだ

                      構造土・考

カムチャツカは日本よりも北にあるので、寒冷地にしばしば見られる構造土(凍結坊主、階状土、亀甲土など)が多いだろうと期待していたが、歩いた範囲では明確なものは見つからなかった。 それはなぜだろう? 

ペトロパヴロフスクの冬季の月平均気温は約−10℃で、低減率−0.6℃/100mから推定される標高2000mの気温は−22℃である。 一方北海道旭岳山麓1100mでの冬季の月平均気温は約−14℃というから、低減率から推定される標高2000mの気温は−19.4℃である。これは、ペトロパヴロフスク周辺の2000m地点と大雪山の2000m地点の冬季の月平均気温は大差ないことを意味する。

ところが、北海道は世界有数の強風地帯であるが、ガイドの言葉を信じるとペトロパヴロフスク周辺は冬季の風が強くないという、したがって冬季の実効気温は大雪山の方が低いかも知れない。 これが構造土が大雪山に多く、ペトロパヴロフスク周辺の山に少ない原因ではないかと思う。 もっとも構造土の成因には土壌が関係する。 しかし土壌は両者とも火山噴出物(スコリア)であり、土壌条件に大きな差はなさそうである。

上記のロドニコヴァヤは標高220mから600mであるから、冬季の月平均気温は−11.3〜−13.6℃と推定値され、大雪山の2000m地点よりもはるかに暖かいことになる。 これでは構造土が見つからないのも道理である。

ペトロパヴロフスクはカムチャツカの中でも太平洋側である。 カムチャツカの中央山脈の西北側は事情が異なるかもしれない。

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ヒグマの糞  5cmくらいの大きさで石のように固くなっている

「ベロニカの髪」の滝

ロドニコヴァヤBCのロッジ群

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食堂
 
鳥居と釣鐘
以前のオーナーが写真を見て作ったという
ローターをはずされたヘリコプター
 

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小さなつり橋を渡って、植物観察に出かける 露天風呂に出くわした

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ここは廃鉱になった金鉱山  トロッコのレールが残っている 金鉱石かどうか分からないが---

BCに戻り、天然温泉の露天風呂で汗を流す



ロドニコヴァヤBC付近の植物

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シロバナエンレイソウ
 
タニマスミレ
(基準標本はバイカル山脈)
ツマトリソウ
 

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ウメバチソウ

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クロユリ アカバナ アカバナ(白) エゾフウロ

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マイヅルソウ ハクサンチドリ テガタチドリ?



ペトロパヴロフスク

花のトレッキングがすべて終了してカムチャツカを去る前に、カムチャツカの州都ペトロパヴロフスクの市内観光に出かけた。

ペトロパヴロフスク周辺のGPS軌跡

ロドニコヴァヤBCから ペトロパヴロフスクへ

ロドニコヴァヤBCを出発する日の夜明け

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出発前の記念写真
 
積雪が多いため6輪車が登れず、雪上登山となる
荷物はスノーモビルで運んでくれたので、助かった。



ペトロパヴロフスク郷土史博物館

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カムチャツカ郷土史博物館 博物館は帝政ロシア時代の知事公舎(1912年の写真)


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かつてのペトロパヴロフスクの村落 説明してくれる学芸員

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ワシの剥製 セイウチ・オットセイの絵

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ヒグマの剥製 オオツノヒツジの剥製

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            ベーリングの胸像
デンマーク生まれの探検家ベーリングは、ピョートル大帝の命を受け、1725〜1730年、ロシア海軍によるカムチャツカ海域の探検を指揮した。 このときアジアとアメリカ大陸の間に海峡があることを発見、後にベーリング海峡と名付けられた。 因みに、ベーリングは、聖ペテロ号、聖パーヴェル号という船の名をとって、この町をペテロパヴロフスク・カムチャツキーと決めたという。

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展望台から眺めるペテロパヴロフスクの港
  
ニコリスカヤ丘にある
ペテロパヴロフスク防衛隊員の記念碑
1853年〜56年、トルコ・英国・フランス同盟国とロシアとの間で、クリミヤ戦争が
  あった。 カムチャツカでも1854年8月に、同盟国の艦隊がアヴァチャ湾に入り
  攻撃しが、ペテロパヴロフスク防衛隊の活躍により撃退された。



市内の市場

イクラやサーモンをお土産に買いたいという希望があり、市内の市場に立ち寄った。 カムチャツカ滞在中はサケは毎日のように食べた。 日本人にとっては違和感がない。

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市場の入口 サケを売る人買う人

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イクラは1kgで約650〜1300ルーブル(2600〜5400円)
日本語のイクラは、ロシア語のИкра(ikra)から
生魚も売っている
 

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果物・八百屋さん ささやかな八百屋さん 今日はどれだけ売れるかな?

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デパートといっても専門店の集まりらしく、商品は携帯電話と化粧品ばかりで、変わり映えしない デパートの中で見たファッションブランドのポスター
KENZOも頑張っている

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結婚登記所  写真屋の看板が見える 町で見かけた珍しい「赤旗」を掲げた建物



打ち上げ・帰国の途に

ツアーの最後の夜は、ペテロパヴロフスクのホテルで打ち上げの祝賀会。明日はウラジオストックで乗り換えるだけで、新潟に着く。

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リーダーのFさんの乾杯、勿論ウオツカ! 添乗員のDさんと通訳のアルチョムさんの乾杯

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安堵と満足の顔々

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ご馳走も沢山! ウオツカも沢山! ローカルビールも沢山!

ペテロパヴロフスクのホテルでの打ち上げは、遅くまで続いた



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来るときと同様、ペテロパヴロフスク空港では、
僅か50mほど歩くところをバスに乗せられる
そのバスが何と中古の「京王バス」
 

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国内線は往きと同じツボレフ TU−154B、
ところでこの飛行機は荷物入れに蓋がない!
エアーポケットに入ったらどうするのだろう?
機内にあった飯野港運の日本-ナホトカ航路のパンフレット  改めて、ロシアは近い隣人であることを認識した

カムチャツカの山々よ  さようなら! До свидания!

美しいカムチャツカの花と火山、楽しかった農夫の家のアレキサンダさん、
お世話下さった添乗員と通訳とガイドの皆さん、そして山仲間の皆さんに、感謝します。

ありがとう! спасибо!



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