ヒマラヤ山岳環境調査隊 ---- エベレスト街道 ・ イムジャ湖 ・ カラパタール登頂 |
地球温暖化が洞爺湖サミットの最重要課題になる時代である。 南極の氷床が融けて海面水位が上昇し、北極の氷山が融けてシロクマの生存が危ぶまれるという。
第3の極地ともいわれるヒマラヤでは氷河が融け、氷河湖の決壊洪水が心配されている。 すでに被害が出ている。 14年前(1994年)に、エベレスト街道のタンボチェ(3867m)までは行ったことがあるが、温暖化が問題になっているこの時期に再度ヒマラヤに行ってみたいと思っていたところ、日本山岳会がヒマラヤ環境調査隊を派遣することになった。 早速応募した。 この調査隊の目的は、環境調査をしつつエベレスト街道をトレッキングし、最奥のイムジャ湖で氷河湖決壊洪水の監視・警報システムの構築をしておられる慶応義塾大学の福井先生のBC(ベースキャンプ、5020m)を訪問し、帰路にエベレスト展望台として有名なカラパタール(5550m)に登頂することである。 私は、環境調査の1つとして、イムジャ川の下流域の測地調査を行って、イムジャ湖決壊洪水の際のハザードマップの作成に役立てようという野望を提案したところ、その調査グループのリーダーに指名されてしまった。 急いで、 測地調査の企画を立て、測地に必要なレーザー距離計やコンパスグラスを購入し、計測のリハーサルもそこそこに出発した。 今年73歳になる私にとって、最後のヒマラヤの機会になるかもしれないと、心ときめきながら--- (2008年5月) なお、日本山岳会ヒマラヤ環境調査隊報告書の中の「(3)家屋・橋梁等の測地調査」は、ここをクリックしてご覧ください。 |
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カラパタール頂上にて エベレストを背に |
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概略地図( ●は宿泊したロッジ、━━は歩行軌跡 ) |
全行程図 (赤線がGPSで取得した軌跡) | |
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上の地図をクリックして、しばらくお待ちください。あなたのパソコンの Acrobat Readerが起動し、地図を任意に拡大してご覧になれます。 この頁に戻るときはブラウザの [戻る] をクリックして下さい。 |
(1日目) | 成田→広州(中国)→カトマンズ(ネパール) |
遅れることの多い中国南方航空だが、ほぼ定刻にカトマンズ空港に到着した |
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北京オリンピックを控えて、セキュリティ・チェックの厳しい広州空港 | カトマンズ行の中国南方航空 |
(2日目) | カトマンズ滞在 |
カトマンズからルクラへの飛行機は天候による欠航が多いので、予め予備日を取ってあったが、初日に予備日を費やしてしまった。 |
カトマンズ空港で天候待機 |
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ツアーマネージャの東さんが 心配そうに出発時刻表を見ている |
我々のカトマンズからルクラへの便は イエティ(雪男)航空だ |
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ルクラ便はルクラの天候不良のため朝から欠航 | 空港の待合室で待機 |
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差し入れの和食弁当を食べて粘るが、ついに午後になり今日は諦める |
カトマンズ近郊のパタンを見学 |
ルクラ行きの航空便が欠航と決まったので、午後は急遽、カトマンズに隣接した古都パタンを観光する。 |
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建物は、ネパール風、インド風、チベット風などが混在 | Golden Templeへの入場は有料 |
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男はどこでも屯している | 女はどこでも水汲みか洗濯 |
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パタンの大学、若い学生を見ると、この国の将来はこの人たちに掛かっていると、応援したくなる |
(3日目) | カトマンズ→ルクラ→パクディン |
カトマンズ空港からルクラ空港へ |
今日は天候はまずまずで、予定のルクラ行きの便に搭乗できた。 |
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Twin Otter DHC-6/300(20人乗り)に搭乗 | カトマンズ名物のスモッグの下に段々畑が見えた |
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ルクラのテンジン・ヒラリ空港に到着 |
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以前はダートだったルクラの空港は、今は舗装されている | 斜面に設けられたこの空港の滑走路は、離陸のときは坂を下る | 着陸の時は坂を登る。いずれも滑走距離を短縮するための工夫 |
ルクラからパクディンへ |
ルクラのロッジで昼食を摂った後、いよいよトレッキングが始まった。 |
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ルクラのロッジで昼食 | ルクラの町からトレッキングは始まる |
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我々の荷物を運んでくれる12頭のゾッキョ、60kgの荷物を運ぶ | ポータの数は出発時12人、 順次減らしていく |
これは我々のポータの荷物ではないが、ポータは40kgの荷物を運ぶという |
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山村風景を眺めながら、ゆっくりと登る |
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清水に置かれたマニ石、神が宿るということだろう | 夕飯の用意をする父と子 |
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シャクナゲが見え始めた |
缶ビールを飲んでいるのはポータではなく、 沿道のおばさんの買い出しのようだ |
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大きなマニ石が現れた。マニ石に出会うと必ず左側を通らなくてはいけない(道は両側についている) | 沢山のマニ車が祀られている。中にはお経が入っており、1回回すと1回お経を唱えたご利益がある |
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ジャガイモ畑、この頃はビニールハウスも珍しくない | お婆さんに声をかけると笑顔を向けてくれた |
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若い女性が枝木を作っていた、何に使うのだろうか | しばらく行くと分った、作物の杖か垣根に使うようだ |
集落の入口に、"Welcome to New Nepal" と書いたゲートがあった。 今年発足した毛派の新政権を歓迎するものらしい |
14年前の1994年に来たときはロッジは僅かしかなく、 すべてテント泊だったが、今は瀟洒なロッジが立ち並ぶ |
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エベレスト街道は、今建築ラッシュである 建築材はほとんどカトマンズからポーターが運ぶ (一部は飛行機の戻り便も使われる) |
板材を運ぶ |
柱材を運ぶ |
屋根のなまこ板 を運ぶ |
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NPO法人 日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト (略称HAT−J)がやっているアップルプロジェクト |
リンゴの木が植わっていた |
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トレッキング最初のパクディンのロッジに着く | ロッジでの夕食 |
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パクディンの集落は、近くに水力発電所があるので、電灯が赤々と付いていて音楽も聞こえてくる。 ちょっと場違いな感じがする。 エベレスト街道はこれからこのようになっていくのだろうか。 |
(4日目) | パクディン→ナムチェ |
今日は、パクディン(2619m)からシェルパの里ナムチェ(3440m)までトレッキングする。 途中、モンジョでサガルマータ国立公園への入山手続きをする。 |
パクディンからモンジョの国立公園管理事務所へ |
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パクディンのロッジで目を覚ます |
コンデリから南東に延びる尾根上の 支峰ヌプラ(5885m)が、ロッジから見える |
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朝食風景 | 朝食はお粥のことが多い |
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集落を通り抜ける | 川から僅かしか標高差のない一軒家、洪水が怖い |
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トクトクの水力発電所は出力70kW (水力発電所の写真は山川氏撮影) |
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高木を伐採した跡 | 伐採した木を貯めている、燃料にするのだろう |
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モンジョにあるサガルマータ(エベレストのネパール名)国立公園の検問所 5月は北京オリンピックの聖火がチョモランマ(エベレストの中国名)の頂上を通るので、荷物検査は 特別に厳しい。 ザックの中を調べられる。 "Free Tibet" と書いた旗を持っていたら大変なことになる。 |
モンジョからナムチェへ |
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洪水で流されて高い所に作り替えられた立派な吊橋、橋から水面まで46mあった。 |
ナムチェの町に着く。 ここはエベレスト街道で一番大きな町。 土曜日には市が立つのでナムチェ・バザールとも呼ばれる。 14年前に来たときはちょうどバザールの日だった。 インドと中国の商品が交換される。 |
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チベット風の門をくぐると川があり、女たちが洗濯をしていた。 |
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ナムチェのメインストリート ここでは登山用品は何でも手に入る |
メインストリートで、我々の隊のサーダの一人 ジャンブーさんに出会った。彼は経験豊富だ。 |
ヒマラヤ環境調査隊の構成 調査隊は第1隊17名と第2隊7名とからなるが、2つの隊はお互いに独立行動のため、ここでは第1隊の構成を説明する。 隊員 山川陽一隊長以下17名 ツアーマネージャ 2名(アルパインツアーサービス社) サーダ デンバ氏以下4名(日本語ができる) ガイドシェルパ 4名 コック 1名 キッチンボーイ 7名 ポータ 12名(出発時) ゾッキョ 12頭 ゾッキョ・ドライバ 2名 |
(5日目) | ナムチェ滞在 |
今日は、高度順応のための滞在日。 朝から高度差440mを登って ホテル・エベレストビューを往復する。 |
ナムチェからホテル・エベレストビュー往復 |
ナムチェの町は三方が山に囲まれた「すり鉢状」の地形のところにある。 背後の山はコンデリ(クアンデ)(6187m) |
左はクスムカングル(6367m)、右は無名峰 |
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小学校の上にヘリコプタが来て砂煙に包まれた | 実はこの饅頭山に軍の施設がある、軍優先か? |
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中学生はクムジュン(3780m)にある ヒラリー学校まで通う。 標高差340m |
麝香鹿(じゃこうしか)を守ろうという標識 麝香鹿は最近減少したという |
ここまで来るとエベレストが遠く望まれる 画像をクリックすると拡大表示されます。この頁に戻るにはブラウザの[戻る]をクリックして下さい。 |
エベレスト(8848m)と手前のヌプツェ(7861m)、右側のローツェ(8414m)が望遠レンズで見える |
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エベレストを眺めながら、ホテル・ エベレストビューへの道を進む |
ホテル・エベレストビュー付近は山頂なのに樹木が多い。よく見ると、ここは窪地になっていて風が避けられるようだ。 | ホテル・エベレストビューのフロント |
タウツェ エベレスト ローツェ アマダブラム カンテガ タムセルク |
ホテル・エベレストビューのテラスからの展望 画像をクリックすると拡大表示されます。この頁に戻るにはブラウザの[戻る]をクリックして下さい。 |
測地調査グループの4人 |
イムジャ湖決壊洪水監視警報システム |
慶応義塾大学の福井弘道先生は、イムジャ氷河湖の決壊洪水を監視し、警報を発するシステムを構築中である。 ナムチェではシステムの通信系の一部を見学した。 |
福井先生が構築中のイムジャ湖決壊洪水監視警報システムの通信系はこのようなものだろうか? |
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ナムチェのホテルの一室に、サーバー、ルーター、操作用のパソコンなどが置いてある |
(6日目) | ナムチェ→タンボチェ |
太陽電池充電システムを携行 |
20日間も電灯線のない山中を旅行する場合には、いかにしてデジカメとGPSのバッテリを充電するかは大問題である。 デジカメのバッテリは特殊なリチウムイオン電池であるので、素人が作った充電器を使うのは危険である。
一方GPSの方は単3ニッケル水素電池を使うことにすれば、太陽電池で充電することができる。 ザックの天に太陽電池とニッケル水素電池を組み合わせたものを取付けて、1日携行すれば、翌日1日GPSを働かせるだけの電力が充電できる。 毎日携行するのはちょっと気が引けるので、今回はテストに留めたが、十分実用になることが分った。 |
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太陽電池と単3ニッケル水素電池を発泡スチロールのケースに収めて、320グラム。これで電池切れの心配はない。 | 120mm×55mmの太陽電池2枚で、単3ニッケル水素電池2個を 1日かかって充電すると、GPSを約8時間動作させることができる。 |
ナムチェからタンボチェへの途中から望むエベレストとローツェ |
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トレッキングに馬を使う人も稀にいる |
SPCC(Sagarmatha Pollution Control Committee)が 設置したゴミかご。山ではゴミは持ち帰るのが原則で、 ゴミかごは不要と思うが---、街道にゴミはなかった。 |
ピンクのシャクナゲ、背景はタムセルク |
岩と針葉樹とシャクナゲが織りなす絶景 |
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エベレスト街道にも4000mまではこのような木陰もある |
真紅のシャクナゲ、背景はカンテガ |
タンボチェに着く。 中央に左からヌプツェ、エベレスト、ローツェが、右にアマダブラムが見える。 ここでイムジャ湖を取材する日本テレビ・クルーの女性ディレクタが高山病で倒れたが、他のスタッフは先へ行ったという。 高山病について無知なクルーだろうか。 しばらくしたら救援のへりが飛来したが、強風のため着陸できず引き返した。 |
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エコ・センターがあったので覗いてみた | パネル展示と土産物店であった |
血中酸素飽和度計測と高度順応 |
高所登山中は高山病を早期に発見するため、朝晩にパルス・オキシメータで各自の血中酸素飽和度を計測する。 血中酸素飽和度は血液中のヘモグロビンの幾%が実際に酸素を運んでいるかを示すもの。
この値が70%以下の場合は、高山病の心配があるという。 下の図は、自分の血中酸素飽和度のデータを帰国後にグラフにしたものである。 このグラフ表示の方法は私が考えたものだが、高度順応がどのように行われたかが視覚的に分かり、面白い。 |
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パルス・オキシメータ 血中酸素飽和度87% |
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脈拍数 82/分 を示す |
縦軸は血中酸素飽和度、横軸は計測したときの高度。 実線は往路のデータ、点線は帰路のデータ。 図中の数字は成田出発後の日数、同じ数字で先の数字は朝の値、後の数字は夜の値。 この図から高度順応がどのように行われたかが視覚的に分かる。 |
(7日目) | タンボチェ滞在 |
日の出前に、アマダブラム(6856m)に現れた光背 |
左から、ヌプツェ(7861m)、エベレスト(8848m)、ローツェ(8414m) |
昨日高山病で倒れた女性ディレクタの救援ヘリが やっと来たが、残念ながら死体収容になってしまった。 |
エベレスト街道最大のタンボチェの僧院 |
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僧院の裏に幾つかの記念碑があり、加藤保男氏、橋本龍太郎氏と共に初めての女性シェルパのものがあった |
高度順応のため4200mの展望ピークに登頂 |
高所順応のため4198mの展望ピークに登る |
振り返ると、聖山クンビラ(6761m)に抱かれたタンボチェの僧院が見えた |
これからの行き先がよく見えた。 アマダブラムとローツェの間を右奥に進んだところに イムジャ湖がある。 |
エベレスト街道の森林限界 |
トレッキング中に森林限界がどのくらいか気になって、ときどきGPSで標高を測定した。標高4000mくらいまでは針葉樹やシャクナゲの高木があるが、4000mを越えるとハイマツのような矮性の針葉樹がパッチ状に現れる。よく見るとヒノキの仲間である。 マツとヒノキの違いはあっても同じような環境の下ではよく似た形態に進化する例といえよう。 |
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ここでは針葉樹とシャクナゲが森林限界(4000m)を決める |
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4000mを越えると高木がなくなり、矮性のヒノキがハイマツのようにパッチ状に生えている |
ネパールにおける森林限界は4000m、雪線は5400m(実感としてはもう少し高い)といわれている。 エベレスト街道の緯度は北緯約28°であるので、これを小泉武栄・清水長正先生の著書にある「森林帯の垂直分布」に当てはめてみたのが下記の図である。 |
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上記の日本の森林限界は、本来の値よりも少し低めに出ているのかもしれない。森林限界は緯度と標高だけでは決まらず、土壌条件、風雪条件にも依存する。 例えば2600mの日本の山で森林限界が2500mというのは、実は緯度と標高から決まる森林限界はもう少し高いのだが、山頂付近は強風のため森林限界が低下している場合がある(山頂現象)。 ヒマラヤでは4000mは丘であって、山頂現象は生じないことを考慮すると、案外上記の図は当を得ているのかもしれない。 |
(8日目) | タンボチェ→ディンボチェ |
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タンボチェ滞在を終わり、ディンボチェへ出発する | トレッキング道を横断するヤマシカ(麝香鹿)? |
家屋・橋梁等の測地調査 |
今回の登山隊の目的の1つは、ヒマラヤ環境調査である。具体的には、イムジャ川流域の人口調査、氷河湖の決壊洪水に対する「住民の意識調査」、「ハザード・マップ作成に役立つ測地調査」である。 私がリーダーを務める「測地調査グループ」は @ 家屋・橋梁等の河川水位からの比高の計測 A 河川断面形状の計測 を行った。 @は、河川水位がどれだけ上がると、 家屋・橋梁等が浸水するかの基礎データとなる。 Aは、氷河湖の決壊洪水が生じたときに、河川水位がどれだけ上昇するかを検討する基礎データとなる。 測量について全く素人の我々山屋が、簡単な計測器を携行して、果たしてどのような計測ができるか見当もつかないが、結果は下記の報告書をご覧下さい。 |
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パンボチェの橋の河川水位からの比高は26mだった | 計測されたパンボチェの橋付近の河川断面形状(見事な深いゴルジュ) |
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上の画像をクリックして、しばらくお待ちください。 あなたのパソコンのAcrobat Readerが起動し、報告書を任意に拡大してご覧になれます。 この頁に戻るにはブラウザの[戻る]をクリックして下さい。 |
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エベレスト初登頂者エドモンド・ヒラリー氏 によって建てられた小学校はここから分岐する |
ポータと一緒に板橋を渡る |
大きな土砂崩れ ネパールでは土砂災害による死者が毎年数百人あり、稀に発生する氷河湖決壊洪水よりも対策の緊急度が高いといわれている。 |
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かつて氷河で侵食された広いU字谷に、 ハイヒノキ(ハイマツに代る造語!)がパッチ状に生育している |
28歳の若いチーフ・ サーダのデンパさん |
今日宿泊するシェルパランド・ロッジに到着 |
おつまみと紅茶・コーヒーでティータイム |
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庭で野積みで乾燥させたヤクの糞 |
ヤクの糞を燃料にしたストーブは、点火のときだけ灯油を使う。 これでも結構暖かい。正に、持続可能(Sustainable)な生活 |
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夕映えのアイランドピーク(6189m) | 形を変えるアマダブラム(6856m) |
ヒマラヤの夜を飾る星空 北斗七星と北極星 |
エベレスト街道の草本 |
エベレスト街道の草本の種類は、あまり多くないようである。 植物の知識に乏しい私だが、目に止ったものを紹介しよう。 |
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エベレスト街道ではサクラソウは広範囲に分布しているが、生育地によって、形が異なるのは 種か亜種が異なるのであろう。 低地で水分の多い所では、花は玉咲きで、草丈も大きいが、 高所の乾燥地では小さな花が地面にくっついて咲いている |
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地面からすぐ花が咲くアイリス | 乾燥地の植物の花は一般に小ぶりである |
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イチゴの仲間か |
西洋タンポポではなく 日本タンポポの仲間のようである |
マメ科の花 防寒用の毛を纏っている |
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栽培されているラン(左 マニ石を飾っている) | 雪が積もった赤い実(草本でなく木本) |
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スゲの仲間 | れっきとした植物 防寒と水分蒸発防止の毛を纏っている |
(9日目) | ディンボチェ滞在 |
ディンボチェ(4343m)で高所順応のため1日滞在し、ナンカルゾン・ピーク(5075m)を往復した。 |
登る途中に宿泊したロッジとその周りの畑・放牧地が見える。 向こうはイムジャ湖に源を発するイムジャ川(下流でゴジュンバ 氷河から流れるドウドコシ川と合流して、ドウドコシ川となる) |
U字谷を登る 左から、タウツェ、チョラツェ、ロブチェ 我々が最終的に目指すカラパタールはロブツェの背後にある |
左ローツェ、中央アイランドピーク、右遠方に薄く見える三角形の山はマカルー(8462m) 画像をクリックすると拡大表示されます。この頁に戻るにはブラウザの[戻る]をクリックして下さい。 |
左端はマカルー、右はカンレアムの長い尾根(最高峰は見えない) |
ヒマラヤ襞が美しいカンレアムの最高峰(6430m) |
左端にちょっと顔を出しているのがマカルー、その右がカンレアム、 黒い山を飛ばして、右端が形を変えたアマダブラム |
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タウツェを背にツアーマネージャの本多氏 | 左カンテガ、右(中央)タムセルク |
(10日目) | ディンボチェ→チュクン |
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ディンボチェのロッジの電力は僅か5m2ほどの太陽電池に頼っている |
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太陽電池の電力は、70AHのバッテリ2台に蓄電して、各部屋の照明に使われる。 どこのロッジも照明は蛍光灯である。 理由は蛍光灯は白熱電球の5倍の効率だから。 今、日本ではCO2削減のため白熱電球から蛍光灯への転換を図っているが、 すでに、ここヒマラヤでは乏しい電力を有効に使うため、すべて蛍光灯である。 |
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ロッジの残飯はヤク(またはゾッキョ)の餌になる | 燃料のためのヤクの糞を集める少女たち |
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広い緩やかなU字谷を行く | 渡渉もある |
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ゾッキョ隊は行く 背後はすっかり形の変わったアマダブラム |
ヒマラヤひだ(襞)が美しい無名峰が見えてきた (下の写真!) |
見事なヒマラヤひだ(襞) この山が無名峰であるとは、流石ヒマラヤである ヒマラヤひだはなぜ出来るのか? 長い年月の積み重ねか、雪崩によって出来たか、 強風で出来たか、諸説はいろいろあるが、定説はない 画像をクリックすると拡大表示されます。 この頁に戻るにはブラウザの[戻る]をクリックして下さい。 |
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スレート葺きのロッジでティータイム |
近くに、2〜3mもあるスレートの原石の 粘板岩(頁岩)が、土に埋もれていた。 堆積岩が存在するということはヒマラヤが 海底から隆起したことの1つの証拠である。 |
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チュクンのアマダブラム・ビュー・ロッジに着く | この鳥なんのトリ? |
(11日目) | チュクン滞在 |
チュクン(4730m)で高所順応のため1日滞在し、チュクン・ピーク(5420m)を往復した。 帰路にイムジャ湖とナムチェを結ぶ通信中継基地を見学した。 |
朝のヌプツェとローツェ |
朝焼けのタウツェ(6367m) |
あの彼方にチュクン・ピークはある |
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ガスのため展望は悪いが、明日訪ねるイムジャ湖が見えた |
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チュクンピークのコルから チュクン・ピークの南峰(5420m)を見る |
南峰の頂上。実は北峰の方が高いのだが、足場が悪いことと高所順応が目的なので南峰で我慢する。 |
帰路に5070m地点にある福井先生が設営された通信中継基地を見学 一番上にあるパラボラアンテナはナムチェの背後のコンデリとの長距離通信用、2番目の平板アンテナはイムジャ湖BCとの通信用、3番目の平板アンテナはイムジャ川流域へのインターネット接続のためのもの |
(12日目) | チュクン→イムジャ湖→ディンボチェ |
今日はいよいよイムジャ湖BCを訪問する日である。 訪問後チュクンに戻り、さらにディンボチェまで下る。 |
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シェルパ族は石積みの名人である。 世界にはインカ族のように石積みの名人は多いが、シェルパ族の場合は石を加工せずに積み上げる。 | かつてイムジャ氷河が長く延びていた時代(最終氷期は2万年前)に氷河によって削られてできた岩屑が堆積したところ(モレーンという)の上を歩く。 |
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行手にモレーンによる自然堤防が現れた。これをよじ登ればイムジャ湖だろう。この自然堤防を計測した。高さ45m | ところが、近づくと右側に迂回路があり、イムジャ川の源流が流れていた。 |
やがて、福井先生のイムジャ湖BCに着いた |
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福井研究室のスタッフの竹島先生が迎えて下さった。 左はエールを送る山川隊長 |
生憎の天候であったが、イムジャ湖に流れ込む氷河が見えた(下の写真) |
イムジャ湖に流れ込む氷河の末端 |
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イムジャ湖の周辺をテレビカメラで監視し、気温などの気象データを計測し、 データを送信する装置、太陽電池とバッテリからなるフィールド・サーバー |
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湖の中の島は、実は氷の山 |
湖の深さを計測し貯水量を推測する予定であったが、この時期にはまだ湖面の氷が融けず、計測できない |
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モレーンの下に永久凍土があると、永久凍土が融解したときモレーンが動く。モレーンの上にコーナー・レフレクタを置いて、人工衛星からモレーンの動きを監視していた。 | イムジャ湖の出口を塞いでいるモレーンには小さな湖がいくつかある。 この下には永久凍土があるらしい。 その分布を調べるため、(株)地球システム科学が比抵抗二次元探査を行っていた。 |
コーナー・レフレクタ | この場合は1辺50cm程の3枚の金属板を互いに直角に溶接したもの。 これに人工衛星からの電波を当てると、電波の来た方向に正確の電波を反射する性質があるので、容易に人工衛星からコーナー・レフレクタの位置を計測することが可能となる。金属板の代わりに鏡を用いると光学測定ができる。 |
比抵抗二次元探査 | 物理探査法の1つで、地盤に電流を流して地下の電気抵抗の分布を調べるもの。 地盤が岩石、泥、氷、水等で電気抵抗が異なるので、複数の金属電極を直線状に地盤に挿入して電気抵抗を調べることにより、二次元の電気抵抗の分布(断面分布)を推定することができる。正確にはボーリングしてグランド・トゥルースを取る必要がある。 ここをクリックして比抵抗二次元探査に関する後日談をお読みください。 日本雪氷学会での発表です。 |
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イムジャ湖からの湖水の出口を渡る |
福井先生が戻られたので、説明を伺う。昨日はNHK の取材があったので、我々は訪問を今日に延期した。 |
イムジャ湖BCの訪問を終えてチュクン経由でディンボチェに向かう。 折からの降雪。 |
(13日目) | ディンボチェ→ロブチェ |
今日から、クンブ氷河に沿って北上する。 目指すはカラパタール(5550m)だ。 高度順応日はなく、ひたすら登る。 |
昨日の降雪で薄化粧したU字谷を、ロブチェに向かって登る |
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斜面にある横縞は、ヤクやゾッキョが 草を食べたために出来たという |
5月に入り雨季も近いというのに雪が降った この辺の標高は4900m |
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途中のロッジで昼食、今日はラーメン、ホットケーキ、パスタ、ウインナソーゼージ、サラダと破格のご馳走である |
A | ||
父と子、それにガイドとポータ4人の 小さなパーティーが下ってきた |
5000mで子供に出会うのは珍しい。 どこまで登って来たのだろうか。 |
アマダブラムを望む慰霊塔の並ぶ丘 (帰路に撮影した) |
A | ||
ロブチェのロッジに着く | ヒマラヤ街道のトイレは、こんな山奥でも水洗だ |
明日はカラパタール登頂日、天候を祈って床に着く |
(14日目) | ロブチェ→カラパタール登頂→ロブチェ |
いよいよカラパタール登頂の日である。 ロブチェのロッジを暗いうちに出発し、山頂を極め、ロブチェのロッジに戻る。 願いは1つ、晴れてくれること。 |
2:50、ヘッドライトを付けてロッジを出発 |
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クンブ氷河に沿ってサイド・モレーンの上を登る | 一見岩屑だらけに見えるが、下は青氷の氷河である |
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最終のロッジを過ぎると、緩やかな登りが続く | 不思議な全く平らな砂場を進む |
やがて急登が始まると、プモリ(7165m)が現れる |
この岩稜の上が、カラパタールの頂上(5550m)だ |
幸運にも天候に恵まれて、カラパタールの頂上からエベレスト(8848m)が望めた。 足下には屈曲しているクンブ氷河が見える。屈曲しているところがエベレストBCだ。(下の写真) |
今年のエベレストBCには、48隊、500人が入っているという。北京オリンピックの聖火が エベレスト(中国名チョモランマ)の頂上を通過するので、中国政府は反政府活動を警戒して BCより上を登山禁止にし、ネパールに協力を要請した。そのため4月の登頂をめざいした 三浦雄一郎隊もここで足止めを食らっている。(彼らは5月26日に登頂に成功した) |
どのテントが三浦隊であろうか |
日本山岳会(The Japanese Alpine Club)のクラブ旗を前に記念写真 |
カラパタールの頂上で、ほとんど唯一の記念写真! |
カラパタールの頂上からのパノラマ写真(ここからは手前にあるヌプツェ(7861m)が一番高く見える) 画像をクリックすると拡大表示されます。この頁に戻るにはブラウザの[戻る]をクリックして下さい。 |
(15日目) | ロブチェ→パンボチェ |
カラパタール登頂を終えた後は、一目散に下山する。 登りの時のような高所順応日はなく、宿泊するロッジも1つ置きだから、下りの速さは登りの4倍くらいになる。 |
振り返ると、プモリの麓に黒い岩のカラパタールが見える |
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アマダブラムの見えるロッジで昼食を摂る。 どこのロッジも女将で持っている。 彼女達はネパール語、シェルパ語、英語、ときには日本語を操る。 |
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再びサクラソウの咲く草原へ | ネコヤナギが芽を吹く |
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パンボチェの街道から離れた所に寺院があると聞き、訪ねる |
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そこは針葉樹の巨木の森だった。 ネパールでは巨木は建築材や燃料に切り尽くされたが、 ここは寺院のお蔭で残ったのだろう。 社寺林が保存されているのは日本も同じだ。 |
(16日目) | パンボチェ→ホテル・エベレストビュー |
パンポチェから一気にホテル・エレベスト・ビューまで下る。 ホテル・エレベスト・ビューは、登りの時にナムチェの高所順応日に往復したが、泊まるのは今回が初めてだ。 |
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水車で回わすマニ車 随分怠け者のマニ車だと思うが、街道沿いにたくさん見られる。 残念なことに最近は多くが壊れている。 |
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キッチンボーイは昼食の後片づけをしてから出発し、我々を追い越して行く。 | 露店のお土産物屋さん |
ホテル・エレベスト・ビューの正面玄関 ホテル・エレベスト・ビューは、ネパール国籍を取得した宮原巍氏が心血を注いで建設した山岳ホテル。 東京に本社を持つ旅行会社、 ヒマラヤ観光開発株式会社が所有。 世界で一番標高の高い場所 に建つホテルでもあり、その標高は3,880m。 全12室の客室からは、エベレストを始めとするヒマラヤの峰々が見られる。 1972年竣工。 |
2週間の「自主的禁酒」も解けて、ワインで乾杯 |
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久しぶりの日本食に舌鼓を打つ。 メニューは、チキンカツと野菜サラダ、野菜煮物、茶碗蒸し、味噌汁、お新香だが、 キチンカツがこんない美味しいと思ったのは初めて。 耐乏生活のお蔭である。 |
(17日目) | ホテル・エベレストビュー→ルクラ |
ホテル・エレベスト・ビューを出発して、ナムチェで休息し、パクディンを通過して、ルクラまで下る。 3000m以下の低地では、緑が深まり、2週間前とは様変わりである。 ルクラの近くで驟雨に見舞われ、雨季の到来を感じさせられた。 |
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下校する女学生とすれ違った。 ネパールは最貧国の1つだが、 このような農村でも、生徒は制服を着ているので、ホットする。 最も貧しい人は、最近急増している都市貧民かもしれない。 |
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ナムチェに帰って来たので、インターネット屋さんに入る |
自分のホームページが見えるかどうか確かめた。画像はいいが、 文字は化けていた。 我が家に、無事下山したことをメールで伝えた。 |
ルクラのロッジで、さよならパーティー (写真撮影は田尾隊員) |
シェルパなど現地スタッフとの最後の夜は、恒例のシェルパ・ダンス・パーティーである。 コックのカンチャカジーさんがケーキを焼いてくれた。 シェルパたちの歌とダンスは夜遅くまで続いた。 |
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コックのカンチャカジーさんが焼いてくれた心尽しのケーキ |
「さようなら、またあいましょう」と 日本語で書かれている! |
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サーダー、コック、キッチンボーイ、ゾッキョ・ドライバ、ポータ みんな揃って、宴は遅くまで続いた |
測地調査グループの面倒を見てくれた サーダのラッパゲルさんも踊りに興じる |
(18日目) | ルクラ→カトマンズ |
ルクラからカトマンズへのフライトが、今回の山行の最後の行程である。往路では天候不良でフライトが1日遅れたが、帰路はいかがであろうか。 |
14年前に比べて賑やかになったルクラの町とお別れ |
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Yeti Airlines の2番機は、ルクラ空港を予定通り離陸した |
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美人の女性副機長は、スモッグにかすむカトマンズ空港に無事着陸してくれた |
カトマンズのホテルに着いて早速、反省会が行われた。 今回の山行の意義と、日本山岳会の今後の活動に、話が弾んだ。 |
(19日目) | カトマンズ滞在 |
帰りのルクラからカトマンズへのフライトが順調だったので、最後の予備日をカトマンズのバクタプル観光に当てることになった。 |
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古都バクタプルは世界遺産である。 町の入口で入場料を払う。 |
ヒンズの寺院 |
吉祥天を祀る五重塔のニャタポラ寺院 高さはネパールで一番 |
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ニャタポラ寺院の柱の木彫りは面白い |
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シバ神を祀るヒンズーの寺院 | ここでも水汲みの女性が多い |
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旧王宮は、王様の沐浴場だけ見学できた |
カトマンズで一番古い寺院は、1本の木からできているという |
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河原の貧民窟 |
カーラ・バイラブはシバ神の化身の1つである恐怖の神。 シバは宇宙破壊神であり、ネパール人に絶大な人気があるという。 それなら、現在のネパールのカースト制度を破壊して、貧民を救えないのだろうか。 |
(20日目) | カトマンズ→ |
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ホテル・ヒマラヤの満開になったジャカランタにお別れして、カトマンズから夜行フライトで広州に向かう |
(21日目) | →広州→成田 |
広州で成田行きの便に乗り換え、成田で21日間行動を共にした仲間と別れた。 今回の山行を支えて下さったサーダはじめ大勢の現地スタッフ、ツアーマネージャのアルパインツアーサービス社の東氏と本多氏、日本山岳会ヒマラヤ調査隊の山川隊長はじめ隊員の諸氏に感謝します。 イムジャ湖訪問でお世話になった慶応義塾大学の福井先生並びにスタッフの皆さんに Special Thanks ! |
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