ロシア沿海地方----ウデゲ族とビキン川の自然を訪ねる旅 ハバロフスク、ビキン川をボートで下る、バハラザでキャンプ、森の観察とマス釣り、 ボートでクラスヌイヤールへ、ウデゲ族の学校と家庭訪問、ハバロフスク市内観光 |
我々日本人にとってロシア極東は不思議な国である。最も近い外国の1つでありながら、あるいは近いが故に、日露戦争、シベリア出兵、太平洋戦争と3度の戦争を経験した。太平洋戦争敗戦時のシベリア抑留を思い出す人もあるだろう。探検好きの人なら間宮林蔵の樺太探検を想起するかもしれない。私にとってロシア極東の旅は、2006年のカムチヤツカに次ぐ2度目である。しかしまだロシア極東の概念がつかめない。そこで、ロシア連邦の行政区分を説明しよう。 ロシア連邦は、下記の9つの連邦管区からできている。 中央連邦管区、南部連邦管区、北西連邦管区、極東連邦管区、シベリア連邦管区、 ウラル連邦管区、沿ヴォルガ連邦管区、北カフカース連邦管区、クリミア連邦管区 (このうちクリミア連邦管区はロシア領であることが国際的に承認されていない) この中で極東連邦管区は、下記の9つの共和国・地方・州・自治州・自治管区からできている。 サハ共和国、カムチャツカ地方、沿海地方、ハバロフスク地方、アムール州、マガダン州 サハリン州、ユダヤ自治州、チュクチ自治管区 今回訪ねるのは、ビキン川 と ハバロフスク市 である。
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クラスヌィヤールの民族センターにて ロシア沿海地方のビキン川沿岸のクラスヌィヤール村には、少数民族のウデゲ族の人達が住んでいる。私たちは村の民族センターを訪ね、民族衣装を着て記念写真を撮った。村では小学校の見学、センターでの民芸品の制作、民族音楽と踊りの披露があり、楽しいひと時を過ごした。 |
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ロシア沿海地方周辺の地図 | ||
平凡社 世界地図帳に加筆した |
A | ロシア沿海地方(プリモルスキー地方、沿海州ともいう)の州都はウラジオストクである。 一方ハバロフスク市はハバロフスク地方の州都である。 アムール川(中国名:黒竜江)は、全長4,368kmで世界8位、流域面積は185万5500km²で世界10位の大河である。 ウスリー川(中国名:烏蘇里江)は、アムール川の支流のひとつ。ロシア沿海地方の中央を貫くシホテアリニ山脈の雪融け水や泉から無数の川が発し、ウスリー・タイガと呼ばれる松や広葉樹林の原生林を西に流れた後、東北に向きを変えて次々に支流を合わせながらロシア・中国の国境を流れ、ハバロフスクの近くでアムール川に合流する。全長は897kmあり、流域面積は193,000km²におよぶ。 ビキン川は、ウスリー川の支流の一つで、シホテアリニ山脈のタイガから流れている。今回我々が訪ねたクラスヌィヤールは、ビキン川の中流域にある。 |
東アジアのケッペンの気候区分 | ||
Wikipedia ケッペンの気候区分に加筆した | ||
ケッペンの気候区分(該当部分のみの説明) Cf=温暖湿潤気候 Df =亜寒帯湿潤気候 Dw=亜寒帯冬季少雨気候 最後に付くa、b、cは、定められた暖かさの規準による |
ハバロフスクからビキン川までの地図 |
━━ は専用バス ━━ はボート GoogleMapに加筆した |
1日目 (8月30日) |
成田空港→ハバロフスク空港→ホテル(泊) |
成田空港14:25発の予定が遅れて18:10に出発、深夜にハバロフスクのインツーリスト・ホテルに着いたが、夕食の用意がしてあった。私にとって今回はロシア旅行は3回目であるが、「ロシアでは予定は未定」で、ハプニングが多いが、基本的なことは大丈夫である。細かいことは言わないのが一番。 |
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S7/シベリア航空568便 Airbus A320機 |
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S7航空(S7 Airlines)は、S7という珍しい名前の航空会社である。ロシア連邦の航空会社で、首都モスクワを主な拠点とする。 ロシア国内線では最大のシェアを誇る。所有する機種はAirbusとBoeingが主で、Tu(ツポレフ)は使っていないようだ。 日本航空などと同様、航空連合「ワンワールド」に加盟している。 |
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深夜のハバロフスク空港 | インツーリスツ・ホテルに着く |
2日目 (8月31日) |
ホテル→ビキン川の橋→ボートでクラスヌィヤール村へ→バハラザのキャンプ場(泊) |
今日は、ハバロフスクのインツーリスト・ホテルを早朝出発し、専用バスで4時間30分ほど掛けてビキン川の橋まで行き、そこから迎えのボートに分乗しクラスヌイヤール村で下船してゲストハウスで昼食を摂り、さらにボートを乗り継いでバハラザのキャンプ地に辿りつくという移動の一日である。 |
インツーリスト・ホテルからビキン川の橋へ |
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海外旅行者がよく利用するインツーリスト・ホテルのフロント | インツーリスト・ホテルの外観 |
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荒野の中に現れるビッグな建物(アリーナ?) | 朝陽を浴びるアパート群 |
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草原のように見えるが、耕作放棄地のようだ | 耕作地に生えた白樺の二次林(幹の太さが揃っている) |
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ドライバーに酒屋で停まってくれと言っておいたら、 無人のバス停で停まった |
バス停の向かいのリカーショップで、ウオツカを買い込む。 店内は撮影禁止といわれた。 |
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リカーショップの庭に咲く原種の牛蒡(ゴボウ)の花 |
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ノギクの仲間か | カラコギカエデの一種 |
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シラカバから頭一つ出しているのは チョウセンゴヨウ |
ダフリアカラマツ |
チョウセンオノエヤナギ? |
ビキン川の橋で、迎えのボートを待つ |
予定より早く橋に着いたので、ボートが現れるまで橋の付近の自然観察をする。 |
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橋の上からビキン川の下流を見る | 道路の来し方 | 道路の行く末(ここから未舗装) |
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ここでは、松といえばチョウセンゴヨウ | 五葉(葉が2本重なってしまった) | ホザキナナカマド(穂咲き七竈) |
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ケショウヤナギ(日本では北海道の一部と上高地でしか見られない) 白い蝋物質は冬眠中の凍結を防ぐものだという |
ヤナギの一種 赤い色素は赤外線を反射させて夏期に冷却するという |
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ハンショウヅル | ホザキナナカマド |
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ハギ | ママコナの仲間 |
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ヤナギタンポポの仲間 | シカギクの仲間 | マツヨイグサの仲間(帰化植物) |
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ビキン川を渡るクマの親子(大船氏撮影) | クラスヌイヤールから迎えのボートがやってきた |
ビキン川の橋からクラスヌィヤールとバハラザまでのGPS軌跡 |
ビキン川の橋からボートに乗り、ビキン川を下って、バハラザのキャンプ地で2泊目と3泊目を過ごし、クラスヌィヤールのゲストハウスで4泊目と5泊目を過ごした |
ビキン川を下り、クラスヌィヤール村のゲストハウスへ |
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橋の下からボートに乗る。それぞれのボートに乗客2人と船頭と荷物 | 乗客は救命胴衣を着ける | ヤマハの船外機を操る船頭 |
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白樺の下にある泥炭層 | ダフリカカラマツの下にある泥炭層 |
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船外機付きのボートの釣り人 | ゴムボートの釣り人 | 岸釣りする人 | 迂回する道路もある |
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クラスヌイヤール付近で唯一のビキン川に架かる車用の鉄橋 | 鉄橋をくぐって右側のクラスヌイヤール村の船着き場へ |
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上陸したところは長閑な草原 | エゾノコギリソウ | ヨメナの仲間 | キンミズヒキ(金水引) |
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ゲストハウス | バンガロウ | 大きな衛星受信アンテナ |
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昼食の乾杯、もちろんウオツカ | ノロジカのボルシチ |
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オニグルミ | ヤエガワカンバ(八重皮樺) |
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ポプラ |
ヤチダモ(野球のバット用に 日本にも輸出された) |
シオン |
シロバナワレモコウ |
ゲストハウスからバハラザのキャンプ場へ |
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クラスヌイヤール村の船着き場から、再びボートに乗りビキン川を下る |
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バハラザのキャンプ場に着く | ここには、ロッジ(左)とダイニングキッチン(右)がある |
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ロッジ | ダイニングキッチン |
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薪割り場と薪小屋 | 作業室にはバギーと発電機があった |
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初めてこの場所に来たときに使ったというトレラー | トイレ | 熊除けの番犬 |
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野外炊飯場 | ハンモック |
キャンプ場での夕食 |
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夕飯の用意をするオーナーのニコラスさん | みんなで夕食 |
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レノーク(松花江鱒)のスープ | ハリウス(カワヒメマス)の唐揚げ | ニコライさんの実家で奥さんが栽培したトマト |
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白樺の味のウオツカ |
苺の味のウオツカ |
ニコライさん秘蔵のウオツカ |
火力発電所の技師長で、 今は退職しているニコライさん(65歳) |
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ハリウスの燻製 | ヤマナラシの枝を燃やして燻製を作る |
3日目 (9月1日) |
バハラザのキャンプ場滞在(森の植物観察、釣と河原の石の観察) |
今日は、キャンプ場の周りの森の植物を観察し、ボートでビキン川を下りマス釣りをする。 |
朝食 |
ご覧の通り簡単な朝食だが、キャンプ生活としてはご馳走だ。 |
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玉子とトマト | チーズ | ハリウスの唐揚げ | トマト | パン |
森の植物観察 |
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案内してくれたイリヤさん ニコライさんの娘婿で野生動物が専門 | つる性のトリカブト |
トウヒ |
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モンゴリナラ | マンシュウグルミ? | マンシュウグルミ | チゴユリ |
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マンネンスギ(シダ植物) | トウシラベ | アムールオガラバナ | エルム(ハルニレ) |
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ヤチダモの大木 |
白樺 樹液ジュースが採れる |
ウスリーウリハカエデ |
シナノキ 蜂蜜は日本にも輸出されている |
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マンシュウグルミ | チョウセンゴミシ 実は生薬になる | バイカルウツギ |
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モンゴリナラの幼樹 | トクサ | アナグマの棲跡 |
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イノシシが子育てした跡 | イノシシの食跡 | モンゴルヒキガエル | エゾイタヤ |
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オオハシバミ ヘーゼルナッツの樹 |
チョウセンゴヨウに生えたサルノコシカケ |
チョウセンゴヨウの球果、リスの食跡 | ミツバチの巣 ヒグマが見つけて口であけた穴 |
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ニコライさんが育てている朝鮮人参、ある場所で3本見つけてここに移植した | 楽しそうに語るニコライさん |
昼食と昼寝 |
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ボルシチ | ハリウスの唐揚げと米飯 | 紅茶に蜂蜜を入れる |
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ロッジの2人部屋 | ロッジのホールで昼寝のニコライさん |
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ロッジを飾る絵画 ((左)狩り、(右)アムールトラ) |
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ロッジを飾るウデゲ族の木彫り (左から、船を操る、祭祀、狩猟) |
釣と河原の石の観察、夕食 |
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ボートでビキン川を下り、ニコライさんの秘密の穴場に着く |
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胸まで浸かって釣に没頭 | 釣り上げた60cmのレノーク(松花江鱒) |
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ニコライさんが釣ったレノーク | イリヤさんが釣ったハリウス | その場で内臓と鱗を取る |
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しばらく釣ってみたが釣れないので、川辺の観察に行く | タヌキかキツネの足跡 |
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砂岩と泥岩 海に砂や泥が溜まってできた堆積岩 |
チャート SiO2成分を持つ放散虫などの殻が海底に堆積してできた |
安山岩 火成岩の一種で、 川上に火山があった証拠 |
メノウ(瑪瑙) 蛋白石、石英などが、火成岩または堆積岩の空洞中に沈殿した |
釣と川辺の観察に出かけた5人 |
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レノーク(松花江鱒)を捌く大木さん | 桜色のレノークの刺身 | 成田で買ってきた醤油 |
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ニコライさんの釣果(動画) |
ニコライさんのバヤン(ロシア式アコーディオン) の演奏に合わせて合唱する(動画) |
4日目 (9月2日) |
バハラザのキャンプ場(森の動物の足跡観察)→クラスヌィヤール村のゲストハウス(泊) |
今日はバハラザのキャンプ場滞在の最後の日。朝のうちに動物の足跡観察のため森に入った後、キャンプ場からボートでクラスヌイヤールのゲストハウスに移動する。 |
森の動物の足跡観察 |
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朝食はパスタとコンビーフ、チーズ、トマトなど |
ニコライさんの自宅の近くで採れるミネラルウォータ |
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今日は動物の足跡を探して森に入る | カメバヒキオコシ |
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トラが体を擦った跡だという | イノシシのヌタバ |
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シカの足跡 | クマの足跡 | タヌキの足跡 | イタチの足跡 |
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背の高いハンゴンソウ |
ベルト・チェリー サクランボをクマが食う |
随分高いところにあるクマダナ |
チョウセンゴヨウの優先する中にあるトウヒ |
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湿地にはオシダ | モンゴリナラの幼樹 |
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タラノキ | ルイヨウボタン? |
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キツリフネソウ | ボートで中州に移動 |
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木をチェンソウで切って雨水を貯め 水場を作ると、動物が集まる |
アカシカかノロシカの足跡 |
ロッジの近くで見つけたエゾシマリス (大船氏撮影) |
キャンプ地からクラスヌィヤール村へ |
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バハラザのキャンプ場のロッジで記念写真 | ボートでビキン川を遡り、クラスヌイヤール村へ |
バハラザのキャンプ地でのGPS軌跡 |
ボートでバハラザのキャンプ地に着き、ロッジに2泊目と3泊目を泊り、森の植物調査、魚釣りと河原の石探しをし、動物の足跡調査などをした。 衛星写真を見るとビキン川の蛇行と網状流路の発達がよく分る。たまたま2つの衛星の写真の接続部のため、見辛い。 |
クラスヌィヤール村のゲストハウスで夕食 |
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ゲストハウスではウデゲ族のお母さんたちが昼食の準備をしていた。 手造りのマントウ(中華饅頭)のようだ。 |
ロシア人との混血のようなかわいい子供達 |
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お母さん達と一緒に、ウオツカでブカーチ(乾杯) | ノロジカのスープとマントウ |
バーニャ(ロシア式サウナ) |
夕食前に、バーニャ(ロシア式サウナ)に入る。お湯を使わず、乾燥した蒸気で汗を出させるバーニャは、ロシアに限らず中央アジアなど旧ソ連圏で一般的なようだ。 |
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バーニャの中で体を 叩くための白樺の枝 |
バーニャでは、薪で熱した石に時々水を掛けて乾燥した蒸気を作る。 顔が焼けるので、顔をタオルで覆っても5分間といられない。 隣の部屋でシャワーを浴び、再びバーニャへ。 |
隣の部屋は、 着替え室兼シャワー室 |
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曇ったガラスを拭いてバーニャの窓から外を見る | 現地の若い人は、ここから川に飛び込む |
黄昏のビキン川 |
バーニャで体も気分もサッパリし、黄昏を待つ。ここはビキン川の支流だが、本流とは細い流路で繋がった三日月湖である。そのため準静水で波が立たず、水面に映る黄金色の雲が美しい。 |
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壊れた舟も風景のうち | バーニャから見えた飛込み台 |
3枚接続のパノラマ写真 |
クラスヌィヤールのゲストハウスと集落のGPS軌跡 |
4日目にバハラザのキャンプ場(下方、地図の外)から舟泊まりまでボートで来て、車でゲストハウスに着いた。4日目と5日目はゲストハウスに滞在。 5日目は民族文化センターと学校を訪問し、6日目は長老の家を訪問した後、ビキン川の橋(右上、地図の外)まで、ボートで行く。 GoogleEarthによると、ゲストハウスの前の支流はほとんど流れのない準静水で、ビキン川本流とは細い流路で繋がった三日月湖であることが分る。 |
5日目 (9月3日) |
ゲストハウス周辺の朝の散歩→民族文化センター訪問→学校訪問→ゲストハウス(泊) |
今日は、1人で朝の散歩をしてから車で民族文化センターを訪ね、展示を拝見し手芸を習い、 昼食を頂いた。午後は、小・中・高等学校を訪問し授業を参観した後、民族センターの庭で ウデゲの踊りを拝見した。とても楽しい一日だった。 |
ゲストハウス周辺の朝の散歩 |
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ゲストハウスの隣にあるトウモロコシ畑 | 掘ったジャガイモがほったらかしになっている |
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ツユクサ | トモエソウ | ホソバウンラン? |
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エゾイヌゴマの仲間 | ノギク | サラシナショウマ |
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ゲストハウスの二人部屋 | 朝食は、シカ肉入りハヤシライスとトマト |
民族文化センター訪問 |
ウデゲ族の民族文化センターを訪ねた。ウデゲ(ウデヘ)は、ツングース系民族の一つで、主にロシア国内の沿海州シホテアリン山脈周辺に居住する。間宮林蔵が記した「キヤツカラ」という集団は、ウデゲに比定されている。ウデゲ人はかつてシホテアリン山脈周辺に広く居住していたが、ロシア人の進出によって現在は以下の4村にかたまって居住している。一部でロシア人との混血が進んでいる。 サマルガ川沿いのアグズ村 ビキン川沿いのクラースヌイヤール村(今回訪問) ホル川沿いのダヴァシュギ村 アニュイ川沿いのアルセーニエフ村 1989年の人口調査では約2000人がロシア国内に居住するが、その4分の1のみがウデゲ語を母語とする。20世紀初頭に沿海州を探検したウラディミール・アルセーニエフの案内人、デルス・ウザーラはウデゲ人だったといわれている。 清帝国の後期に漢民族の流入が始まり、ウデゲ人も多くの人が漢語を解するようになった。1860年には北京条約によってウスリー川以東の沿海州が正式にロシア領となり、ウデヘ人はロシア帝国の支配下に入った。ロシア革命によってソ連が成立するとコルホーズへの移行が行われ、ウデヘ人は上記の4ヶ村に集中して居住するようになった。主な生業は狩猟であり、食用としてアカシカ・ジャコウジカ・ヘラジカ・クマを、毛皮用としてクロテン・カワウソを狩猟する。ウデヘ人の猟師は主に弓・矢を用いて狩猟を行っていたが、19世紀後半からは満洲人から交易で手に入れた銃も用いるようになった。 Wikipediaより |
展示室 |
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ゲストハウスから車で民族文化センターに着く |
所長さんのお迎え |
WWFなどの世界組織が、 文化センターを支援しているようだ |
文化センターの展示室に貼られたビキン川の中・上流域の地図 金鉱山の試掘が行われたためにビキン川が汚染し、エビが捕れなくなった。 金鉱が採算に合わないことが分り試掘が中止となり、自然が回復したという。 |
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ウデゲ族の人たちの衣服(左は魚の皮製、右は毛皮製) | ウデゲ族のシャーマンの姿 |
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茶褐色だが、これがクロテン(黒貂)。 きわめて感触がよく、最高級の毛皮として貴婦人に珍重されたことが実感できた。 |
クロテン(黒貂) ネコ目(食肉目)イタチ科テン属に属する哺乳類。ロシア、中国、朝鮮半島、日本からヨーロッパ東部まで広く分布している。日本では北海道にのみ、亜種のエゾクロテンが生息している。非常に古くから高級な毛皮を持つ動物として知られてきた。帝政ロシアのシベリア進出が本格化し、得られた毛皮がヨーロッパ各国へ輸出されもてはやされた。ロシアの東方征服の歴史と共に、クロテンの捕獲圧も東方に進み、さらに個体数を大きく減らしてきた歴史を持つ。クロテンの狩猟はウデゲ族の生業となっていた。 Wikipediaほかより |
手芸室 |
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ウデゲ族の人達が国から表彰された記念品 | 自然保護のために民芸品のお土産をお買い下さいということらしい。 |
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みんなで手芸を教えてもらう |
手芸の先生ライーサさんとツーショット |
教えてもらって作った シカの角のキーホルダ |
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ビキン川の屈曲する様をデザインしたものか |
アムール・トラのワッペン |
「私達のお土産を買うとアムール虎の保護に 貢献します!」と書かれた包装紙 |
センターの庭で |
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マユミ(真弓)のつもりだったが、ヒョウタンボクを撮ったようだ。 マユミならニシキギ科ニシキギ属の木本。古来より弓の材料として知られている。 |
マユミで作った弓で的を射るが、なかなか当たらない。 |
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キハダ(黄檗、黄膚、黄柏)はミカン科キハダ属の落葉高木。樹皮はコルク質で、外樹皮は灰色、内樹皮は鮮黄色である。 この樹皮からコルク質を取り除いて乾燥させたものは、生薬の黄檗(おうばく、黄柏)として知られ、薬用のほか染料の材料 としても用いられる。黄檗は強い抗菌作用を持つといわれ、チフス、コレラ、赤痢などの病原菌に対して効能がある。 |
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カタコトの日本語を話す学生のイホリ君とセンターの男性職員 |
1996年にこの橋ができるまでは、船が唯一の交通機関だった。 ペレストロイカの頃に韓国企業が森林伐採を計画したが、村民が 反対して追い返した。金鉱の試掘でエビが採れなくなったが、 試掘が中止となりやっと回復したと言っていた。 |
文化センターで頂いた昼食 シカ肉のハンバーグとマッシュポテト、肉とアスパラのスープ、ニンジンサラダ、パンのご馳走 |
学校訪問 |
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小・中・高等学校の入口 | ロシア連邦国旗が掲げられている |
学校はWWF(World Wide Fund for Nature、世界自然保護基金)や kfw(ドイツ復興金融公庫?)の支援を受けているようだ。 |
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魚の皮をはぐ子供達 | 子供たちの描いた絵、どちらかというと繊細な感じがした |
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45分授業で7時限 |
小学から高等科まで使うので、数字の書き方から 数学の交換則・結合則まで書いてあるのが面白い |
爆撃や化学攻撃の対処法が書いてあるようだ |
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大木さんが折紙を持参して、折紙教室が始まった |
女の子は教えられると すぐに鶴を折れた |
折紙のいろいろ |
民族センターで踊りを鑑賞 |
ウデゲの民族衣装を着せてもらった我々4人、どれでしょう? |
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シャーマンが使うタイコやクンカイを演奏して踊りを披露してくれた。 クンカイは、アイヌの竹製の楽器ムックリに似ているが、金属製で弦はない |
日本の「かごめかごめ」や「はないちもんめ」の 踊りが思い出される |
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ウデゲの踊り1(動画) | ウデゲの踊り2(動画) |
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ウデゲの踊り3(動画) | ウデゲの踊り4(動画) |
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ウデゲ族の長寿と健康を祈る儀式に参加 1人づつ、ウオツカとビスケットを頂く |
儀式の様子 イソツツジの枝とカンナ屑を燃やすとよい香りがする |
ゲストハウスに戻って夕食 |
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蒸し餃子、肉のフライ(?)、キャベツ、蜂蜜紅茶 | 人参サラダ | パンと蜂蜜 |
6日目 (9月4日) |
村の長老の家を訪問→クラスヌィヤール村からハバロフスクへ→インツーリスト・ホテル(泊) |
今日は、村の長老の家を訪問した後、クラスヌイヤールの舟泊りからボートに乗ってビキン川を遡り、道路とクロスする所にある橋で下船し、専用バスでハバロフスクに向かう、クラスヌイヤール最後の日である。 |
村の長老の家を訪問 |
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クラスヌイヤール村の長老の家は、集落の北東の端にあった。木造の伝統的な外観であった。 |
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迎えて下さった85歳のクラワ・カンテュガ婆さん |
少女時代のクラワさん |
ご主人は7年前に80歳で亡くなったが、2人の娘さんと 一緒に暮らしていて幸せそうだった。クラゲアさんは9人 の子を産んで表彰された。孫と曾孫は20人いるという。 |
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ウデゲ語のアササ(有難う)という名の歌を歌うクラワさん(動画) | クラワさんを囲んで記念写真 |
長老の家で見たNHKハイビジョンスペシャル |
長老の家で、NHKハイビジョンスペシャル「精霊の宿る森にトラが潜む─ロシア極東タイガ紀行」を拝見した。多分2004年頃に放映されたもので、クラワさんとご主人のイワンさんが登場する貴重な記録である。残念なことにVHSにダビングしたもので、しかもテレビを斜めの方向から撮影したので、大変見苦しい映像であるがご覧頂ければ幸いである。 |
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ついに現れたアムールトラ(動画) NHKハイビジョンスペシャルから |
ビキン川の自然と昔の生活(動画) NHKハイビジョンスペシャルから |
クラスヌィヤール村からハバロフスクへ |
長老の家の訪問を最後にクラスヌイヤールの全行程を終了し、ボートでビキン川の橋まで遡り、専用バスでハバロフスクに向かう。 |
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見納めの橋 | クラスヌィヤールよ、さようなら(動画) |
チョウセンゴヨウに架かる虹 クラスヌイヤールからハバロフスクへの専用バスの車窓から |
7日目 (9月5日) |
ハバロフスク市内観光→郷土史博物館→中央市場→アムール川クルーズ→インツーリスト・ホテル(泊) |
今日は、ホテル周りの朝の散歩の後、ウスペンスキー教会、郷土誌博物館、スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂、第二次世界大戦の戦没者慰霊碑、中央市場などを観光する。その後、アムール川クルーズを楽しむ。 |
朝の散歩 |
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ホテルの窓から見えるハバロフスクの街、遠くにアムール川が見える | 霧のアムール川河畔をジョギングする人達 |
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「文化と憩いの公園」の階段を上る | 赤軍博物館の屋外展示 |
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インツーリスト・ホテルの横に建つ ヤコブ・ディアチェンコ大尉の像 彼は1858年国境警備隊の隊長として、この地に上陸し要塞を築いた人物 |
ホテルの窓から眺める、ようやく晴れてきたアムール川 |
午前中の観光 |
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ウスペンスキー教会は19世紀に建設されたのだが、 スターリン時代に宗教弾圧のため破壊され、ソ連崩壊後に再建された。 |
何の戦士の記念碑か忘れた |
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文化と憩いの公園からアムール川を見下ろす。ウスリー川との 合流点はもっと上流(左)で、ここは本流のアムール川である。 この辺りでは川の向うもロシア領。 |
ウスペンスキー教会からアムール川河畔まで続く階段 |
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ナナカマドのような赤い実がなっているが、ガマズミ属カンボクという木 | 極東美術館 |
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ロシア連邦の5000ルーブル紙幣に「ムラヴィヨフ・アムールスキー」の銅像が描かれている |
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郷土誌博物館の裏手のアムール川の展望台に、アムール川を見下ろすように建っているのが、ムラヴィヨフ・アムールスキーの銅像 | ||
ムラヴィヨフ・アムールスキーは19世紀の東シベリア総督として、1858年、清国との間に アイグン条約を結び、アムール川左岸をロシア領土とした功績が称えられている。 |
郷土誌博物館 |
インツーリスト・ホテルの近くに建つ、赤レンガの古い建物。1896年に帝政ロシア地理学会のアムール川流域支部によって開設され、極東・沿海地方の歴史、自然、風俗に関する資料が展示されている博物館。旧館の1階にはマンモスの牙、太古のサイの骸骨、天然の鉱物、森林地帯に棲む様々な動物や鳥の剥製、世界で最も大きい淡水魚アムールのチョウザメ(カルーガ)の剥製などがあり、2階には北方少数民族の生活用具や民族衣装や宗教儀式具などが展示されている。幾つかの展示室にはシベリア開拓や、日露戦争の写真、ロシア革命についての展示などもある。2004年4月に開設110周年を迎えたこの博物館は改名され、ハバロフスク州立グロデコフ記念郷土誌博物館となった。 |
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郷土誌博物館の入口 | マンモスの剥製 | 動物たちの頭蓋骨・牙・角 |
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模型の展示が非常にリアルである |
水槽の中を泳ぐアムールチョウザメをはじめ、アムール川に生息する様々な魚(動画) |
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ロシア沿海州の動物たちの剥製 (残念ながら私には正確な種名は分らない) |
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ロシア極東の衣装か清国のものか、ロシア語を知らない私には分らない | 清国とロシアの北京条約締結風景 |
北京条約は、1860年にイギリス・フランス連合軍、およびロシアが清国に締結させた条約。 清国が1840年から2年間にわたって行われた第一次アヘン戦争後に押し付けられた南京条約、1856年のアロー戦争(第二次アヘン戦争とも呼ばれる)後に押し付けられた天津条約を批准させるために清国に北京条約を締結させた。なお、1858年にロシアと清国の間に結ばれたアイグン条約(璦琿条約)により、アムール川左岸をロシアが獲得し、ウスリー川以東の外満州(現在の沿海州)は両国の共同管理地とされた。 これら一連の不平等条約の締結風景がロシアの博物館に展示されているのは、太平洋戦争における日本の大陸侵略の絵画が日本の博物館に展示されているようなもので、中国人が見るとどう思うだろうか。 |
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昔の電話機 | 10珠の算盤 | 手回し計算機(日本では1960年頃まで使われていた) |
シベリア開発時代の住まい、右端は織機 |
博物館の最上階にある十月革命後のロシア内戦を描いたジオラマ風絵画 十月革命は、ユリウス暦の1917年10月25日(現在のグレゴリオ暦の11月7日)、ロシアの首都ペトログラード(後のレニングラード、現在のサンクトペテルブルク)で起きた労働者や兵士らによる武装蜂起を発端として始まった革命。このロシア内戦の1つ「ヴォロチャーエフカの戦闘」にはシベリア出兵の日本軍が関わったという。 |
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満州事変~第二次世界大戦時代の日本の侵略のことが 書かれているようだが、ロシア語は分らない |
旧ソ連が1957年に打ち上げた世界初の人工衛星 とその後の宇宙開発の歴史 |
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ハバロフスクは日本に縁が深いので、日本からの派遣団の旗も展示 | 現在のロシアのスポーツの展示 |
昼食 |
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洒落たカジュアルなレストランで昼食 |
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野菜サラダ お箸が付いていた | ボルシチ | 肉とジャガイモのシチュー |
午後の観光 |
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バスの車窓から眺めるハバロフスクの街並み |
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スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂付属の神学校 |
2003年に新築されたスパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂 高さが70メートルもあり、極東ロシアでは最大の教会 |
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大聖堂の広場(栄光広場)にある第二次世界大戦の戦没者慰霊碑 |
中央市場 |
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市場の入口とメインストリート |
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果物屋 |
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蜂蜜屋 | マムシ酒か |
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豚肉屋 | 牛肉屋 |
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世界中にあるキムチ屋 | 鮭の燻製か |
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なぜか自然食品屋に日本語 | ビタミンEが特別に多いアーモンドを大量に買ったので喜ぶオバサン |
アムール川クルーズ |
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クルーズ船に乗船 | すれ違うクルーズ船 |
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ウスペンスキー教会 | 極東美術館 |
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展望台とアムールスキーの銅像 | 高層アパート群と港湾のクレーン |
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ロシア連邦の国旗 | 火力発電所かと思ったが、送電線がない。集中暖房施設のようだ |
これが有名なシベリア鉄道のハバロフスク橋。 アムール川鉄橋、アムール鉄橋、アムール大橋とも呼ばれる。 |
ハバロフスク橋 は、1916年アムール川に最初に架けられた鉄橋。全長2.5kmを超える長さは、当時世界最長の鉄橋であった。1941年、スターリンの指示により、川底を通る全長7kmのハバロフスク・アムール川底トンネルが掘られ、鉄道トンネルとして鉄橋とともに利用されてきた。このトンネルはスターリン時代に極秘に建設されたため、今なお不明な点が多く、また建設には囚人が多数動員されたという。1998年6月、新しい橋が完成し、ウラジオストク駅方面に向かう列車はこちらを通るようになった。全長2598m。橋脚数は26。形式はトラス橋。新しい橋は2層式の鉄道道路併用橋になっていて、下層部に単線の鉄道、上層部に4車線の自動車道路が通っている。鉄道は将来複線化される計画であるが、現状は単線である。なお、川底トンネルは新しい橋の開通後も使われており、原則としてモスクワ方面に向かう列車が通過する。 |
夕食 |
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PECTOPAHはキリル文字をラテン文字に置き換えて、 RESTORANと分るが、店名の方は私には分らない。 |
無事に旅が終わったことを祝して乾杯、現地通訳のディアーナさんにもお礼の乾杯。彼女はハバロフスク大学で日本語を学び、新潟に1年留学しただけで、流ちょうな日本語を話すのに感心した。 |
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山菜のようなオードブル | 黒パンにキャビア | 麺と肉団子入りのスープ | メインは野菜と肉 |
ハバロフスク観光のGPS軌跡 |
ハバロフスクのホテルには1泊目、6泊目、7泊目に宿泊した。観光のハイライトはアムール川クルーズだが、アムール川鉄橋をくぐらないのは残念だった。 |
8日目 (9月6日) |
ハバロフスク日本人墓地→ハバロフスク空港→成田空港 |
今日はハバロフスク最後の日である。ホテルから空港に向かう途中にハバロフスクの日本人墓地にお参りし、後は一路ハバロフスク空港から成田空港に向かう。 |
ハバロフスク日本人墓地 |
ハバロフスクには、このハバロフスク日本人墓地の他にシベリア慰霊平和公苑があるという。 この墓地には戦没者の名を記す墓誌も、追悼の言葉を刻んだ碑もなく、ちょっと寂しい感じがする。 タシケントにあるウズベキスタン日本人墓地には、墓誌や追悼碑があり、ウズベキスタン人の墓守が 管理している。それにくらべると、ハバロフスク日本人墓地に葬られている人々は気の毒な気がする。 |
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直前に墓参団が来られたようで、献花が多い |
地面に設けられた無名の墓標の他に、名が刻まれた日本式の 石碑もある。遺族の方が個別に改葬されたのであろうか。 |
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自決された陸軍中将秋山義隆さんの墓 | 隣接するロシア人墓地 |
ハバロフスク空港から成田空港へ |
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日本人墓地にお参りした後、ハバロフスク空港へ | S7/シベリア航空567便 Airbus A320機で成田空港へ |
旅の参考に |
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ウスリー紀行 アルセーニエフ著 長谷川四郎訳、河出書房世界探検紀行全集 1953年 |
映画 デルス・ウザーラ 黒沢明監督 DVD発売元 オデッサ・エンタテイメント 1975年 モスクワ国際映画祭金賞 |
ビキン川のほとりで アレクサンドル・カンチュガ著 津曲敏郎訳、北海道大学図書刊行会 2001年 |
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ロシアの探検家のウラディミール・アルセーニエフが1907年に行なったウスリー地方の探検記録。映画デルス・ウザーラの基になっている。 |
探検隊長アルセーニエフは猟師デルス・ウザーラと出会う。デルスの自然に対する哲学に触れたアルセーニエフは次第にデルスに心惹かれていく。 |
1934年ロシア沿海州で、ウデヘ人として生まれたカンチュガが、ビキン川沿岸で過ごした少年時代を記した自伝。現在もウデヒ語とロシア語の対訳で自伝を執筆中。 |
私にとってロシア極東の旅は、2006年のカムチヤツカに次ぐ2度目であるが、現地の人々との交流という点では、今回はより意義深い旅となりました。ロシア人のニコライさんの山荘に泊めて頂き、娘婿のイリヤさんに森の植物や動物の足跡の観察を案内して頂いたことは楽しい思い出になります。ウデゲ族の民族文化センター、学校、長老のお婆さんの家の訪問は大変いい勉強になりました。 今回の旅でお世話になった現地ガイドのディアーナさん、流暢なロシア語で交流に貢献して下さった添乗員の畔上明さんに心からお礼申し上げます。また、今回の海外巡検を企画・実施して下さった我々の仲間でもある(株)ユーラスツアーズの坂田社長に感謝します。また今回の巡検を楽しく有意義なものにして下さった同行の日本山岳会・山の自然学研究会の皆さんに感謝したいと思います。 |
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