中国シルクロードの旅(3)----カラクリ湖、南疆鉄道、トルファンの旅 |
西安を出発した中国シルクロードの旅(1)は、敦煌、陽関、玉門関までであった。 シルクロード(2)は、オアシス都市ホータン、タジキスタンやアフガニスタンに近い中国最西端の町カシュガルに至る、シルクロード天山南路の旅であった。 いよいよ、シルクロード(3)は、中国最西端の7000m峰を望むカラクリ湖、カシュガルからトルファンまでの南疆鉄道、トルファンの遺跡、西遊記で有名な火焔山などを巡り、西安に戻る「中国シルクロードの旅」の最終編である。 中国シルクロードの旅(1)は 西安、敦煌、陽関、玉門関など、陜西省と甘粛省の旅 中国シルクロードの旅(2)は ウルムチ、ホータン、カシュガルなど、新疆ウイグル自治区の旅 中国シルクロードの旅(3)は カラクリ湖、南疆鉄道、トルファンなど、新疆ウイグル自治区の旅 である。 合せてご覧下さい。 (2006年9月) |
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交河故城遺跡の入口(トルファン) |
中国シルクロード(3)のコース | 下の画像をクリックして、しばらくお待ち下さい。 画像が大きくなります。 |
カラクリ湖へ |
今日の目的地であるカラクリ湖(約3600m)は、ムズターグ・アタ山(7546m)とコングール山(7719m)の麓に広がる草原の中にある湖。 2つの山が望める天候であることを、ただ祈るばかりである。 |
オパール村 |
カラクリ湖への道中に、カシュガル市街から50kmほど離れたところにあるオパール村に立ち寄った。 オパールというのは、ウイグル語で「深い所」という意味だそうだ。 この村は、中国側からパミール高原に入る前の最後のオアシスで、「トルコ語大辞典」を作ったモハメット・カシュガルさんの故郷でもある。 ここで1日分のおやつを仕入れていく。 |
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ナンは土釜の壁にくっ付けて焼く | 焼ければ鉄棒で取り出す | 素朴でほんとうに旨い |
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肉入り餃子のよう羊肉入りのナン | 土釜の壁にくっ付けて焼く | 熱い釜に手を入れて取り出す |
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果物屋 |
明るい笑顔の親子 ウイグルの人はみんな明るいので写真を撮りやすい |
変化する風景 |
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よく見かける穀物はトウモロコシではないようだ。 ヒエかアワか? |
小さな水車の架かる小川 |
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314国道をひたすら走る |
赤い山が現れる |
この街路樹は胡楊の 幼木(?)だそうだ |
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検問所でパスポートを見せる パキスタン国境が近いので、予め検問しておくらしい |
パキスタンへ向うトラック カラコルム・ハイウェイを通じて、中国からはシルク・陶磁器・家電製品が、パキスタンからは日用品・香辛料・熱帯の果物などが運ばれる。 |
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キルギス族の土産物屋 | 雪山が見えてくる |
放牧しているキルギス族のパオが沢山見られる |
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湿原と砂漠という奇妙な取り合わせ | このような荒地で、よくも放牧が出来るものだと驚く |
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この三角州は河川堆積物だろう 2万年前は氷河があってもおかしくないところだから、この下に氷河堆積物(モレーン)があるかもしれない。 |
カラクリ湖 |
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カシュガルのホテルを出て5時間後に、ついにカラクリ湖に着いた。 青緑色の湖と世界百名山*の1つとされるムズターグ・アタ(7546m)が印象的だった |
GPS*は湖岸標高3663mを示した |
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振り返ると、雲の中にコングール山(7719m)が見えた。新疆ウイグル第2の高峰である。 |
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馬に乗る地元の少年 | 観光用の馬やラクダもいる |
カシュガルへの帰路 |
帰路で、右岸に昔のシルクロードの跡を見ることができた。 シルクロードを旅する行商人達のために建てられたキャラバンサライ(隊商宿)は残っていないが、ルートははっきりと分る。 このような険しい道をラクダの列が旅したのだ。 キャラバンサライは、1日に旅ができる約30〜45kmの間隔で建てられていたという。 |
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ほぼ水平に地層が走っている | 火焔山のようなしわしわの山 |
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赤い岩を手にとって見る 私には岩石名は分らない |
岩塩を噴き出した岩は、この辺がかつて海であった ことの証拠。ここで育った羊の肉質は最高という |
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偶然、ラクダの渡渉を見る 砂煙と水しぶきを上げて、1頭ずつ渡っていく |
南疆鉄道(カシュガルからトルファンへ) |
西安からトルファンを経由してコルラまでしか通じていなかった鉄道が、数年前にカシュガルまで通じたという。 天山山脈とタクラマカン砂漠に挟まれた天山南路の西域北道に沿って走るこの列車には、ぜひ乗ってみたいと思っていた。 |
カシュガル駅 |
カシュガル駅は、左右対称形の大きな駅舎からなる。(見上げるパノラマ撮影のため魚眼レンズのようになった) |
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カシュガル(喀什)からウルムチ(烏魯木斉)行が1日に2本出る。 先発が特急列車、後発が普通列車らしい。 | 長いプラットホーム。 列車は15両くらい連結している。 我々は、ウルムチ行きの特急の11両目で、終点の1駅手前のトルファン(吐魯番)まで乗る。 14:07に出発し、翌日12:06に到着。 所要時間約22時間 |
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双屋は2階建、硬臥車は普通寝台車 |
当初は軟臥車(いわばグリーン寝台車)の予定だったが、政府の高官が乗るので、硬臥車(普通寝台車)に回されたとか。 いずれも2段ベッドで4人部屋、軟臥車はコンパートメントであるが、硬臥車はカーテンで仕切る。 我々は定員4名の硬臥車を2人で使えたので、かえって気楽でよかった。 |
車 内 |
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双屋硬臥車の1階、上段のベッドは物置に使った | 通路には小さな机と椅子がある |
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途中停車駅では息抜きにホームに降りる。 写真を撮るため11号車から先頭のディーゼル機関車まで走った。 あわや取り残されるところだった。 |
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我々の乗った11号車には、 こんな電光掲示板があった |
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夕食と朝食は、食堂車(5号車)で |
車窓の風景 |
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道路に並行して走る列車から見えるいつもの景色。 中国の地質を知っていると面白そうだが、知らないのでただ眺めるだけだ。 |
雪解けの季節にだけ天山山脈から水が流れ出るらしい。 所々にこのような集水堤防があり、線路への溢水を防いでいる。 |
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砂漠の中の道路や線路が砂で埋まることを防ぐため、潅木の枝や麦藁などを植えた正方形の枠「草方格」が作られる。 この枠の中に苗木を植えたり種を播いたりする。 砂漠での植林は、移動する砂を固定することが最も重要であるという。 「草方格」の形式はいろいろあるらしいが、このようなものが幾十kmも続く。 万里の長城を築いた民族だから出来ることであろう。 何時か中国の砂漠が緑になるかもしれない。 |
ポプラ林越しに地平線の彼方に夕日が沈み1日が終る |
そして翌日 |
翌朝目を覚ますと、すでに日が出ており、 南疆鉄道の最高地点標高3000mに近付いていた。 |
雪山は天山山脈の東の端。 ボゴダ峰であろうか |
22時間がかりで、トルファン駅に着く (写真は停車していた別の列車) |
トルファン(吐魯番) |
トルファンは、世界で有数の低地(最低部は海抜−154m)であるトルファン盆地の中央部にある。 シルクロードの天山南路と天山北路の分岐点である。 トルファンの気候は高温で乾燥しており、最高気温は48℃を記録する。 年間雨量は20mmしかない。 5〜7世紀に漢族により高昌国が作られ、その後ウイグル族の西ウイグル王国が作られた。 |
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ブドウ棚をくぐると、トルファンのホテルがあった |
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今夜のスペシャル・メニューは、羊の丸焼き もちろん食べるときには刻んでくれる |
交河故城 |
交河故城は、トルファン市街地の西約10km、2つの河が交わる高台にある。車師前国の国都であったともいわれている。 6世紀初頭に高昌国の副都となった。 南北1600m、東西最大330mの軍艦形で、北部は寺院区、中央は官庁街と邸宅群、南部は手工業者と一般住民の居住区に分かれ、計画的に建設されたことが分る。 縦横の道、井戸跡、寺院跡も残っており、往時の住民の生活が偲ばれる。 |
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先ず模型を使って説明を聴く | パネルの上の断崖が古代の入口である南門 |
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官署遺跡 中心の建物面積347m2の 交河県の官署、階段を下りると庭がある |
階段を下りると、 庭を取り囲むように周りに官署の建物がある。 今、地上には土建の囲壁が残るのみ |
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官署の隣に「嬰児の墓」がある。 200以上の嬰児が埋葬されている。 なぜ、官署の場所にこんなに沢山埋葬されているのか、ミステリーである。 |
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古井戸がある。 ここは河床から30mも高いところだから、深い井戸であろう。 |
大仏寺の外門 仏寺の形は長方形で、幅59m、奥行き88m |
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大仏寺の主殿は、主柱がある形式 |
主柱に彫られた仏像には首がない | 大仏寺は面積5100m2で、交河故城で最大。往時の壮大さが窺える。 |
大仏寺から北方を眺める。 (4枚パノラマ撮影) 交河故城は南北1600m、東西最大330mで、撮影地点は全体のほぼ中央である。 |
ウイグル族の家庭に招待される |
西安を除く敦煌以西のスルーガイドのミルグリさんの実家に招かれ、実際のウイグル族の人達の家庭を拝見することが出来た。 |
ミルグリさんの実家の門 |
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お祖母さん | お母さんとミルグリさん | お姉さん | お姉さんとお子さん? |
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部屋でナンと果物とお茶を頂く | 裏庭には牛とオート三輪があった |
家族の皆さんに見送られて、車で次の見学地へ |
カレーズ(地下水路) |
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(左)カレーズの断面模型、(右)トルファン盆地での分布 天山山脈に積った雪が融けて覆流水になる。カレーズは、帯水層にとどく母井戸群とそこから得られる地下水を灌漑地や集落まで導水するための地下水路、工事やメンテナンスのための竪孔群からなる。 |
母井戸の深さは100mに達するものも珍しくはない。竪穴群の間隔は20〜30m、地下水路の長さは数 kmから10数km。新疆ウイグル自治区にあるカレーズの数は1200余だが、現在は急速に減少し、深井戸取水、河川取水に変わっている。 |
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青テントの中にあるカレーズ掘りの等身模型 | 地下トンネルの中に冷たい水が流れている |
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カレーズのお蔭で、ここはブドウの産地になっている。 ブドウ乾燥用の建物が多い。 風通しがいいようにレンガが格子模様になっている。 | ブドウ乾燥用の建物の中で、 自然に乾燥して乾ブドウになる |
ウイグル族の踊り |
トルファンのホテルで民族舞踊を鑑賞した。 最後に観客も一緒になって踊った。 ガイドからよく聞いていた「ウイグル族の踊り好き」が、よく分かった。 説明不要、写真とビデオをご覧下さい。 |
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ブロードバンドの方は、下の画像をクリックして、[開く] を選択して下さい 歌と踊りと楽器演奏のビデオをご覧になれます |
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ブドウ棚の下で踊る? | 打楽器と笛の演奏が素晴らしい | 息の合った男女の踊り |
高昌故城 |
高昌故城は、トルファン市街地の東約40kmのところにある城址遺跡。漢代に高昌壁や高昌塁と呼ばれた砦が築かれた。 麹氏高昌国から西ウイグル帝国にかけて約1000年間、国都として栄えた。 玄奘がインドに仏典を求める途中立ち寄ったところ、国王に最高の待遇で迎えられ、2ヶ月滞在して仏法を講じたことはよく知られている。 |
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トルファン盆地で見た石油掘削基地。 タクラマカン砂漠の中心タリム盆地全体の石油の埋蔵量は1200億バレルにのぼるという。 これは世界最大の産油国サウジアラビアの確認埋蔵量の半分にあたる。 | トルファン盆地は世界で死海に次いで低い場所。気圧高度計*は海抜−75mを示した。 |
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高昌故城は1辺約1.5km、面積約200万m2 | 入口から内城への往復は、ロバ車で行く |
ロバ車で到着する内城 往時は壮大な規模であったことが窺える |
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廃墟の方が故城らしいのだが、そんなことをいえない | すべての遺構は日乾レンガのため修復作業が必要 |
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修復された寺院 | 寺院の内部 |
アスターナ古墳群 |
高昌故城の北4kmのところにあるアスターナ古墳群は、高昌国時代の王侯貴族を中心とした、3世紀末から8世紀末までの古墳群である。 500基以上の墓が確認されている。 |
古墳群の入口 |
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斜めの参道と地中の墓室のある唐代の王侯の墓 | 一般の人の墓か |
ベゼクリク千仏洞 |
ベゼクリク千仏洞は、トルファンの北東約50km、火焔山山中のムルトウク河南岸にある。 石窟の開削は、6世紀の麹氏高昌国時代に始まり、元代まで続けられた。 残念なことに、イスラム教がトルファンに浸透するとともに破壊され、それを免れたものも清末の外国人探検隊によって剥ぎ取られ、残っているものは少ない。 |
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よく知られている火焔山 孫悟空が芭蕉扇で火を消して玄奘一行を無事通した |
現地では、これを火焔山と言っていた ベゼクリク千仏洞は、すぐ近くにある |
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ベゼクリク千仏洞の全景 |
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15窟 このように完全なものは見られなかった。外国の博物館収蔵のものであろう | 20窟 |
ウルムチ空港から西安へ |
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車窓から見た風力発電所 風車は高さ50m、現在300台で増設中という。 最初はデンマーク製を輸入し、現在は中国製。 | デンマーク製 Vestas |
中国製 金風5600 |
ウルムチ空港に着き、ここから空路で西安に戻った。 |
西安から帰国の途に着く |
再び西安に戻ってきた。 この後西安市内を見学をしたが、それらはホームページ構成の都合上で、すでに中国シルクロードの旅(1)に掲載した。 最後に西安の夜景をご覧頂く。 |
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鐘 楼 | 鼓 楼 |
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デパート | 高速道路 |
西安を振り出しに中国最西端のカシュガルまで、往復15日間のシルクロードの旅はとうとう終った。 秦始皇帝の兵馬俑、敦煌の石窟、故城などの遺跡、ウイグル族の人達の現在の生活、など多くのものを見ることができた。 最後に、各地でお世話になったガイドの皆さんと添乗員の尾形さんにお礼を申し上げます。 |
中国シルクロードの旅(3)ではいかがでしたか。 中国シルクロードの旅(1)は 西安、敦煌、陽関、玉門関など、陜西省と甘粛省の旅 中国シルクロードの旅(2)は ウルムチ、ホータン、カシュガルの旅 です。ご覧になるページがあれば、[海外の歴史と文化の一覧表へ戻る] をクリックして、ご覧下さい。 |
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