パタゴニアとギアナ高地(1)---- パタゴニアの旅 ブエノス・アイレス、カラファテ、モレノ氷河、パイネ国立公園、プエルト・ナタレス、 プンタ・アレーナス、マゼラン海峡、ウシュアイア、ビーグル水道 |
世界には訪ねてみたい国や地方は沢山ある。私にとって、パタゴニアとギアナ高地はその最たるものである。南米は過去2回行ったことがあり、最初の旅はアンデス・ブランカ山群のトレッキングであった。2回目はペルー・ボリビア・アルゼンチン・ブラジル4ヶ国旅行だった。(下線の部分をクリックするとご覧になれます) いずれも大満足の旅だったが、南米南端のパタゴニアと北部のギアナ高地が気残りだった。うまい具合にパタゴニアとギアナ高地を訪ねる旅が、ユーラシア旅行社にあることが分り、妻と2人で申し込んだ。 パタゴニアは、アルゼンチンとチリに跨る南緯40度以南の地方である。湖に崩落するペリト・モレノ氷河や、花崗岩の塔であるパイネの山々、ナンキョクブナが優占する植生、マゼラン海峡・ビークル水道など探検史を彩る世界がある。 ギアナ高地は、ベネズエラの東部、ガイアナとブラジルとの三国国境に近い奥地である。コナン・ドイルの小説 "The Lost World"(失われた世界)の舞台となった場所でもある。標高2000m、比高1000mを越すテーブルマウンテンは20億年前の地層といわれ、世界一の落差979mを誇るエンジェルフォールがあることで知られている。 今回の旅は、正に自然の驚異を訪ねる旅である。 パタゴニアとギアナ高地(1)は、パタゴニアの旅 パタゴニアとギアナ高地(2)は、ギアナ高地の旅 である。 合せてご覧下さい。 (2011年2月) |
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アルヘンティーノ湖に崩落するペリト・モレノ氷河 |
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南米の中のパタゴニア地方 大雑把に言えば、南緯40度以南のチリとアルゼンチン |
パタゴニア地方の地図 パタゴニア地方をコロラド川以南とする人もいる |
今回旅をした南部パタゴニア ━━━━ は主な訪問地 |
1日目 (2月2日) |
成田→アトランタ→(機中泊) |
成田を15:25発のデルタ航空DL280便(ボーイング777機)で出発し、米国アトランタに向かった。 |
ボーイング777機 BlueSkyBlogより転載 |
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米国カリフォルニア州とネバダ州に跨るデスバレーの上空を飛んだ。 客室のディスプレイに航路が示された。 |
2日目 (2月3日) |
→ブエノス・アイレス→カラファテ(泊) |
機中泊から明けると、ブエノス・アイレスに到着。航空機の乗り継ぎの間にブエノス・アイレス市内観光をして、再び航空機でパタゴニアの玄関カラファテに到着。 |
ブエノス・アイレスへ |
アトランタで19:55発のデルタ航空DL101便(ボーイング767機)に乗り換えて、アルゼンチンのブエノス・アイレスに翌日の7:39に到着した。 |
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ボリビアからアルゼンチンに入って間もなく夜が明けた。 |
成田空港から30時間の長旅にも拘わらず、 ブエノス・アイレス空港に到着すると、早速観光バスで市内観光に出かけた。 |
モンセラート地区 |
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7月9日大通りに立つオベリスコは1936年に建てられた。1816年7月9日はアルゼンティンが独立した日。 | コロン劇場の裏側、表側は工事中 ミラノのスカラ座、パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場といわれる。1889年に着工し、11年後の1908年に完成した。 |
酔っ払いの木 名前の由来は、水分をたっぷりと蓄えた幹の形状がお酒の容器に似ていることだという。 |
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カテドラル・メトロポリターナ 1827年に完成したネオ・クラシック様式の大聖堂 異様な色調は、私が撮影の際に露光を間違えて、修正に苦労したため。 |
大聖堂の正面右側に燃える火は、 完成当時から絶えることなく燃え続けている |
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大聖堂の内部は、厳かな雰囲気 | マリア像 | ステンドグラスが美しい |
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斜めの通りからも見えるオベリスコ 高さ72mは、ペリト・モレノ氷河の先端部の高さに匹敵する。 |
ブエノスアイレス地下鉄は1913年にスペイン語圏初の地下鉄として開通し、日本最古の地下鉄銀座線建設のモデルにもなった。まだ木造車も使われているが、残念ながらこれは違う。現在は日本、ドイツなどの中古車も走っているという。 |
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1810年5月25日の革命に因む5月広場に建つ大統領府 ピンク色に塗られていることから、Casa Rosada(ピンクの家)とも呼ばれる。 米国のWhite Houseと対比される? 手前のモニュメントは5月革命の翌年に建てられた「5月の塔」 |
ブエノス・アイレス市庁舎 |
ポカ地区・カミニート |
ポカ地区は現在の北港が出来るまで、アルゼンチン随一の港だった。河口という意味の町ラ・ポカには労働者や船乗りが集まった。そんな男たちを相手にする安酒場が密集していて、官能的なタンゴはここで生まれたという。カラフルに塗られた家が並ぶカミニート(小径)は、かえって物悲しい。 |
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カミニートも4年前に来た時よりも小奇麗になった | ほんの2、3分で通り抜けるられる短い通り |
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最近はカミニートの裏通りに、喫茶店や 土産物店が出来て人気だという |
サッカーのマラドーナ、大統領夫人エピータ、歌手カルロスの人形を飾った土産物屋 | 寂れた港 今は、北港にすっかりとってかわられた。 |
ブエノス・アイレスからカラファテへ |
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ブエノス・アイレス7:50発のアルゼンチン航空AR1872便(ボーイング737)で、カラファテに向かう | ブエノス・アイレスの人口は300万人、 首都圏人口は1000万人で南米一 |
ラ・プラタ川の河口の幅は275kmで世界一だ というが、河口というよりも入り江のようなもの |
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3時間余りのフライトでカラファテに着く ここが「地の果て」カラファテか! |
空港から氷河で削られた地形と湖が見えたが、残念ながら雲に遮られてフィッツロイ山は見えなかった | カラファテ空港からチャータ車でホテルに向かう |
カラファテのホテルへ |
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ホテルへの途中、車窓からニメス湖のフラミンゴを見る | 草を食む馬たち |
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ニメス湖畔高台のホテル「メウレン」に到着 | ホテルの客室 |
3日目 (2月4日) |
カラファテ(滞在) |
この日はカラファテに滞在して、ロス・グラシアレス国立公園の中のペリト・モレノ氷河を存分に観察した |
ホテル付近の朝の散歩 |
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朝5:30頃のカラファテの町と裏山、ホテルの窓から |
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朝食前にホテルからニメス湖畔の管理事務所まで散歩する | フラミンゴ |
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Mulinum spinosum 姑の座布団 |
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Senecio patagonicus | ? |
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植物「カラファテ」Berberis microphyllaとその実 |
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Berberis
buxifolia)。 鋭い棘があり、家畜が食べないため放牧地でも藪を作っている。夏の終り(1〜2月)に濃い青色の実が付く。摘まんで口に入れると甘酸っぱい味がする。ジャムに加工して販売されている。 「カラファテの実を食べた旅人は、なぜか必ずこの地に帰ってくる」という言い伝えがある。 |
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カラファテの花(植物図鑑より) | 購入したカラファテの実のジャム |
ロス・グラシアレス国立公園 |
ホテルを出発して車でロス・グラシアレス国立公園に向かう。 |
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カラファテの町には自然を愛する人達の住まいや別荘が多い | アルゼンチンの大統領*の別荘は、上の写真付近という |
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ニメス湖畔に放牧された馬 | フラミンゴの飛び立ち | クロクビハクチョウ |
ペリト・モレノ氷河(岸から) |
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ロス・グラシアレス国立公園のゲート | はるか彼方にペトリ・モレノ氷河が見える |
待ち切れずに、ナンキョクブナ林越しにペトリ・モレノ氷河の写真を撮る |
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これがナンキョクブナ(南極ブナ)、パタゴニアの優占種である |
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ペトリ・モレノ氷河観察注意事項 | 木製の階段を下りて、氷河に近づく |
ペリト・モレノ氷河展望台から見る氷河末端の全景(4枚パノラマ写真) 氷河は全長35km、先端部の幅は5km、ここからは全長35kmのうち14kmが見渡せる。 氷河が伸びて展望台のある岸に衝突することが数年に一度あるという。植生のないところがそれを物語っている。 |
氷河末端の大崩落は運がよくないと見れないが、このような小崩落は1時間くらい毎に生じる。 小崩落といっても高さ60mほどの氷壁が大音響とともに崩れるので見事である。 |
崩れた氷河は流氷となって湖を漂流する |
ペリト・モレノ氷河(船から) |
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遊覧船に乗って湖からペリト・モレノ氷河を眺める | アルゼンチン国旗 |
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氷河展望台のある岸の地層は、傾斜した古い堆積岩だろうか。 |
氷河に近づく遊覧船 |
氷河に近づく遊覧船(拡大) |
上流から流れてきた氷河は末端に近付くと、上流と下流との温度差と、氷河の両岸の幅の変化、 氷河の中央と両岸での流れの速さの差などのために、無数のクレパスを生じる |
ペリト・モレノ氷河(再び岸から) |
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カッコいい自然保護官(レンジャー) | レストランで昼食 |
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展望台で、午後の崩落を待つ | 恥ずかしながら記念写真 |
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展望台下の傾斜した堆積岩の地層 |
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上の写真をクリックして、ペリト・モレノ氷河の動画をご覧下さい |
植物と鳥 |
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黄色い新芽 | Plantago lanceolata | タンポポの仲間 |
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Tripleurospermum perforatum | ? | ? |
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Gaultheria | Escallonia rubra | Geranium sessiliflorum |
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Pernettya mucronata | ? | Geum magellanicum |
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Embothrium coccineum | 鳥の名は? | コンドル |
カラファテの町 |
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カラファテのメインストリートには土産物屋、レストランなどが多い | なぜだかメインストリートにカジノがある |
4日目 (2月5日) |
カラファテ→アルゼンチンからチリへ→パイネ(泊) |
今日はカラファテの町を出発し、車でアルゼンチンからチリへの国境を越え、パイネ国立公園に到着する。 |
アルゼンチンからチリへ |
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朝の食事中のグアナコ* グアナコはラクダ科で、アルパカ、リャマと同様に、アンデス原産の動物であるが、 乱獲の結果、絶滅が危惧され、アルゼンチンでは貴重な動物として保護されている。 |
*1520年にマゼランがこの付近に住んでいた先住民をみて、パタゴン族と命名した。パタはPata(足)、ゴンはGon(大きい)という意味である。パタゴン族の住む土地ということからパタゴニアという名がついた。ただし、パタゴン族が実際に足が大きかったのではなく、グアナコの毛皮でつくったブーツを履いていたので、大きく見えたというのが有力な説である。 |
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サンタクルス川は、アルヘンティーノ湖から 流れて出て大西洋に注ぐ |
峠から、ついに待望のフィッツロイ山を遠望できた |
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車窓に見えるプレアンデスの山々 | マテ茶*を飲む |
*マテ茶は、南米を原産とするイェルバ・マテの葉や小枝を乾燥させた茶葉に、水または湯を注ぎ、成分を浸出した飲料である。ビタミンやミネラルの含有量が極めて高く、飲むサラダとも言われている。本場には、一組の茶器を使い複数人がマテ茶を回し飲みする習慣があるが、ここでは紙コップで頂いた。 |
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禿鷹の一種 「カランチョ」 | ダチョウのように飛べない鳥 「チョイケ」 | 馬に追われて走るチョイケ |
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すっかり見慣れた羊や牛の放牧地 |
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エスペランサという名のレストランで、トイレ休憩 パタゴニアにはESPERANZA(希望)という名の店や地名が多い。地の果てで希望を持ちたいという願望か。 |
防風林に囲まれた民家 風の強いパタゴニアでは、ポプラの防風林が多い。 |
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羊の毛刈りのための囲い | チリ国境にある「ようこそチリへ」の看板 |
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チリに入国して、昼食 | ピスコ・サワー* | 野菜スープと仔牛のカツレツ(撮り忘れた!) |
*ピスコは、ペルーのブランデーで、平均アルコール度が42度。ピスコ・サワーは、 ピスコにレモン果汁、卵白(泡を立てるため)、砂糖を入れたカクテル。 |
チリのパイネ国立公園 |
パイネ国立公園に入る手前で、思いがけず地球と生物の自然史を勉強する羽目になった。 |
サルミエント湖は長さ22kmの細長い湖、そこに学術解説のパネルが3箇所もあった。上はその1つ。 サルミエント湖の湖畔には、ストロマトライト*という白い物が付いた岩があるという。 |
*ストロマトライトは、シアノバクテリア(「藍藻」はこれが群をなしたもの)の死骸と泥粒などで作られた層状の岩石のことである。化石となったストロマトライトは世界各地で発見されるが、現生のものはオーストラリアなど、ごくわずかな水域のみで発見される。サルミエント湖のものは1万年前の最終氷期に作られたというから、現生ではないだろう。 シアノバクテリアは、身体を構成する細胞の中に細胞核を持たない原核生物で、真正細菌の一種である。生物の進化の歴史の中で初めて、酸素の発生を伴う光合成の能力を獲得した生物である。この地球上に酸素が豊富にあるのはシアノバクテリアのお蔭であるということができる。10数億年前にシアノバクテリアが真核生物(細胞核をを有する生物)である植物の細胞に共生したことが葉緑体の起源であると考えられている。 |
サルミエント湖から少し南下したところにあるアマルガ湖は、トーレス・デル・パイネ(パイネの塔)が見える景色のいい所。ここの湖岸にも白いミネラルがあり、グアナコが食べにくるという。これもサルミエント湖と同様、ストロマトライトである。 |
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難しい学術解説パネルを見ているうちに、 チリのパイネ国立公園の入り口に来た |
グアナコは、1匹のオスと10匹ほどのメスがハーレムを作るという | ここにもチョイケが・・・ |
ノルディンフェールド湖で写真ストップ 天候も回復してパイネの山が美しい |
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1985年の山火事の跡 | キャンプ場を俯瞰して通過 |
ホテル「カバーニャス・デル・パイネ」に着く |
5日目 (2月6日) |
パイネ→プエルト・ナタレス(泊) |
今日は、午前中ノルデンフェールド湖をハイキングし、午後グレイ湖のハイキングをした後、プエルト・ナタレスまで行く。 |
パイネの朝 |
ホテルの庭から眺める、セラーノ川の向うのパイネの山々の朝焼け |
パイネ・グランデ(最高峰は右側の雲の中、3050m) |
中央遠方はトーレス・デル・パイネ(パイネの塔) 左はクエルノス・デル・パイネ(パイネの角、2600m) 右はアルミランテ・ニエト(2640m) |
トーレス・デル・パイネ(パイネの塔)をアップで |
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右はチリの国旗、左の南十字星の旗は? | チョット気になる三角山 |
ノルデンフェールド湖ハイキング |
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朝食を終えて部屋に戻ると、朝焼けは終っていた | バスストップから眺めるパイネの山々 |
パイネ展望台までのトレッキング |
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偏形樹は風が強い証拠 | 植物は背を低くして、丸い姿勢で風を逃がす |
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「姑の座布団」とは面白いネーミング |
刺を生やして動物に食べられないようにするのも 成長が遅い寒冷地の植物の知恵か |
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虹が出ていたサルト・グランデの滝 |
パイネ・グランデで雪崩が・・・ |
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雪崩を拡大すると雪煙が見える |
午前中のハイキングの目的地の展望台から、 ノルデンフェールド湖の向うにパイネ・グランデが望めた |
ペオエ湖に面したホステリア・ペオエで昼食 |
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レストランからの眺めは最高 | レストランで使われている椅子は、何とナンキョクブナ製 |
グレイ湖ハイキング |
午後はグレイ湖のハイキングに出かけた。 |
駐車場の近くに凄い褶曲した地層の露頭があった。近づいて見たが途中に棘があり、諦めた。 |
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人数が6人に制限された吊橋、よく揺れた |
ナンキョクブナの森、森林文化の日本人にはホッとする一時である |
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太陽に透かすと美しいナンキョクブナの葉 |
付近にナンキョクブナの幼樹を探すと、見つかった。持続可能な森だ。幼樹がない森は次の世代に引き継がれない。 |
ナンキョクブナの森を抜けると、広い砂浜のようなところに出た。 氷河が後退して残したモレーン(moraine、堆石)だ。 |
モレーンの向こうには、氷河湖(氷河が後退して残した湖)が、その奥にはグレイ氷河が望めた |
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大粒の礫 | ||
小粒の礫 |
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氷河から吹き下ろす強い風が、氷山を岸に吹き寄せる。 氷山は水から出ている体積の10倍が水中にあるので、岸に上陸できない。 |
モレーンの礫は波で洗われて サイズが分別されている |
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モレーンの突端にある岩山の小島まで行く | 岩山の地質は海底で堆積した泥が固まった頁岩で、薄く剥がれる |
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風の強いパタゴニアは、どこに行っても偏形樹がある | トロ湖畔の展望台からパイネの最後の眺めを楽しむ |
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パイネの植物 |
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乙女のスリッパCalceolaria uniflora | ? | Senecio patagonicus |
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Empetrum rubrum | Adesmia | Cerastium arvense |
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Cenecio darwinii | 綿毛の中に種子がある | Perezia recurvata |
6日目 (2月7日) |
プエルト・ナタレス→ペンギンコロニー→プンタ・アレーナス(泊) |
今日は、プエルト・ナタレスのホテルを出発して、チリ国内をプンタ・アレーナスまで一路南下する。途中、オトウェイ湾のペンギンコロニーを見学する。 |
ホテルを出発して南下 |
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昨夜泊まったホテルの名は、シスネ・デ・クエー・ネゴロ(CISNE DE CUELLO NEGRO、クロクビハクチョウ) |
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ホテルは、ウルティマ・エスペランサ湾(何と「究極の希望の湾」!)に面し、 漁業、牧畜(羊肉加工)、観光(パイネの入口)で生きるマガジャネス州第2の町(人口2万) |
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強風にさらされた草原が続く | 偏西風が作った偏形樹 |
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「風のモニュメント」が作られたが 設計不良で動かないとか |
強風地帯だが風力発電所はほとんど見かけないのは、ここには電力の需要が少ないからか。風力発電で水を電気分解して水素を作って液体燃料として運ぶ計画もある。 | 石油が採れるらしく、それらしい施設が見られた |
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馬に乗る牧童たち? | 日本ではアルゼンチン産の牛肉が多いが、ここはチリ |
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羊たち 稜線の偏形樹と草原の縞模様(風の所為か) | フラミンゴの行列 |
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トイレ休憩をした店 | 店の庭に建てられた都市の方位板、東京はなかった |
ペンギンコロニー |
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オトウェイ湾のペンギンコロニー(営巣地)の入口 | コロニーの案内板 |
強風下で小さく丸く成長した草木の中の木道を歩く |
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Senecio patagonicus |
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マゼランペンギンは体長70cmほど、ここには約1万羽が地面に穴を掘って巣を作っている |
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海岸で餌を採っている様は壮観である |
マゼランペンギンの生活環 春にコロニーにやって来て「つがい」を作る 夏に産卵・抱卵し、雛を育てる 秋にはコロニーを離れる |
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上の画像をクリックして、動画をご覧下さい |
昼食は羊の丸焼き |
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1877年に出来た羊の競り市場 | 市場の隣に、羊の丸焼きを食べさせるレストランがある |
厨房を覗くと、我々が注文した羊の丸焼きを作っている |
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肉は臭みがなく、皮はパリッとして、なんとも美味! | チリの赤ワインが合う | デザートはプリン |
プンタ・アレ−ナス |
プンタ・アレーナスは、スペイン語で「砂の岬」を意味するチリ共和国の南端の町。南部パタゴニア最大の都市で、人口11万。マゼラン海峡に面し、町の繁栄は海峡の発見と共に始まり、1914年のパナマ運河の開通と共に静かな町に戻った。 |
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アルマス広場に建つマゼランの像 マゼランは自分が発見した海峡を見ている。下の原住民の足に触ると無事この地に帰ることができるという。 |
クルスの丘から眺めるマゼラン海峡とプンタ・アレ−ナスの町並。 色彩に乏しい北の地ならぬ南の地のためか建物がカラフルである。 |
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丘の上にある土産物の露店 | 古びた建物だと思ったら、「売ります」の看板が・・・ |
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丘の上の方位版には、なぜか HOKKAIDO NISEKO が・・・ |
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宿泊したホテル ディエゴ・デ・アルマグロ |
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海岸通りは、車道と歩道の他に自転車道(しかも2車線)がある。 | マゼラン地域博物館は残念ながら、5時で閉館 |
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プンタ・アレ−ナスのメインストリート | スーパーには、寒冷地にもかかわらず、輸入の果物が一杯 |
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さすがチリは牧畜国だけあって、肉類は豊富で安い。 |
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7日目 (2月8日) |
プンタ・アレーナス→マゼラン海峡→フエゴ島 →チリからアルゼンチンへ→ウシュアイア(泊) |
今日は、ホテルを発って、マゼラン海峡をフェリーで渡り、フエゴ島に行く。フエゴ島を車で走り、チリからアルゼンチンへ国境を越え、ウシュアイアまで行く。 |
マゼラン海峡を渡る |
マゼラン海峡の夜明け |
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朝5時半にホテルを出発して、マゼラン海峡の 一番狭いところ、プンタ・デルガータ港でフェリーを待つ。 |
しかしどこにもフェリーはいない。 |
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どこからともなくフェリーが現れた。 | 上陸用舟艇のように、岸壁のないところに接岸(?)する |
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8:30に出航 |
途中、3頭のイルカがフェリーと並進するのを見る |
8:52にバイア・スール港に到着 これでマゼラン海峡を渡ってフエゴ島*に到着したが、ここはフェゴ島のチリ領だ。 |
*フエゴ島は、1520年、大西洋を南下していたマゼランにより発見された。その時、断崖の上にいくつもの火を見つけた。原住民が暖をとるため天然ガスに火をつけていたのだと考えられている。マゼランは、ここをティエラ・デ・フエゴ(火の島)と名付けた。マゼラン海峡、ビーグル水道、大西洋に囲まれた三角形の島の面積は九州より大きく、チリ領とアルゼンチン領がほぼ半々である。 |
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サン・セバスチャンという国境の町で、チリからアルゼンチンへ | なぜか国境に奇妙なキノコが生えていた。(車窓から) |
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アルゼンチン側のサン・セバスチャンで、バスとガイドが変わる | フエゴ島のこの辺りは石油が出るらしい |
ガルバルディ峠を越えてウシュアイアへ |
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東西に117kmとアルゼンチンで一番細長いファニャーノ湖 湖の対岸はチリ。ファニャーノ湖の上をプレートの境界線が通っている。地震が多いが、温泉も出る。だが、規制があって観光用に使えないという。 |
標高430mのガリバルディ峠(新道)からの眺め すぐ下にある曲がりくねった道が1990年まで使われた旧道、その向うの南北(前後)に延びる湖がエスコンディド湖、遥か彼方に東西(左右)に延びる湖がファニャーノ湖、である。ファニャーノ湖の上をプレートの境界線*が通っている。 |
*フェゴ島は、スコシアプレートと南米プレートの境界線が通っているところである。 島村英二のホームページより クリックしてご覧になれます |
Wikipediaを改変 |
地球は約30枚のプレートで覆われている。 フエゴ島は、南米プレートとスコシアプレートの境界線が東西に通っている。 日本は、ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの4つのプレートが 押し合っている。そのため、日本はプレート境界型の大規模地震が多いといわれている。 |
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峠を越えてビークル水道側に出るとスキー場がある。世界最南端のスキー場。シーズンが北半球と逆なので、オリンピック選手の練習にも使われるという。 | 湿地帯には赤いコケが見られる |
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えぼし山(ボテネ山) 氷河で削られた山であるが、元々火山性の山かもしれない |
五人姉妹という名の山 |
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峠を下り、ビーグル水道に面したウシュアイアの町に近づく |
ウシュアイア湾には 大型観光船や南極行きの船も入港している |
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オリビエ山と五人姉妹の山の見えるホテル トルケエンに連泊 |
8日目 (2月9日) |
ウシュアイア(滞在) |
ウシュアイアは、ブエノス・アイレスから3250km、南極まで1250kmに位置する世界最南端の都市、人口約64,000人。かつて監獄があったが、今は南極に行く船が出るなど観光で賑わっている。 今日は、観光列車「地の果て号」に乗ってティエラ・デ・フエゴ国立公園に行き、公園をハイキングした後、ビーグル水道クルーズを楽しむ。 |
観光列車「地の果て号」 |
世界最南端を走る観光列車「地の果て号」には、悲哀の歴史が秘められている。1883年アルゼンチンのロカ大統領は、フランスのニューカレドニア、イギリスのオーストラリアに倣って、フエゴ島に刑務所を作る法律を提出した。 この鉄道は、1910年に囚人によって建設され、ナンキョクブナの木を伐採する囚人(鎖で繋がれていた)と伐採した木材を運んだ。木材は機関車の燃料、刑務所の暖房に使われた。1930年には囚人の数は600人を越えた。囚人列車の元の走行距離は25kmであったが、現在は7kmの部分を整備して観光列車としている。 |
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「地の果て号」の乗車券 | ||
国立公園の入場券 | アルゼンチンの国旗をつけた蒸気機関車(現在は石油を使用している) |
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軌間(ゲージ)は僅か約60cm |
窓は開かないし、乗車し終るとデッキには出られない | 軌間のわりに内部は広く、3座席と通路がある |
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途中に1つだけマカレナ駅がある | 下車して、小さなマカレナの滝を2か所から見る |
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先住民ヤマナ族の復元住居が3つある |
伐採されたナンキョクブナの森はなかなか回復しない。 囚人たちが切った切株の高さは冬の積雪深を示すという。 |
途中駅下車を含めて、約1時間で終点のティエラ・デル・フエゴ国立公園に着く |
ティエラ・デ・フエゴ国立公園 |
1960年に国立公園に指定された小さな公園だが、東京都の3分の1の面積がある。ナンキョクブナの仲間のレンガ、ニレ、ギンドが見られる。ノウサギ、ビバー等の小動物も多いという。 |
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地の果て号の最終駅を降り、 森を抜けると、エンセナーダ湾である |
エンセナーダ湾は、ビーグル水道を挟んで対岸はチリ領。 ここには「地の果ての郵便局」がある。写真左下の赤いポストから家族に郵便を出した。 |
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海岸にビークル水道の地図があったが、円筒形なので撮影し難い。 | 手前はアルゼンチン領の島、向うはチリ領の山 |
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ここにもカラファテの木があった。未熟の青い実と熟した黒紫色の実 | Chilliotrichium diffusum |
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Pernettya mucronata | Gunnera magellanica |
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ナンキョクブナに寄生するサルオガセ |
ナンキョクブナに特異的に寄生する 子嚢菌類のCyttaria |
紅葉と黄葉 |
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ロカ湖(アシガミ湖)に咲くSenecio smithii |
ティエラ・デル・フエゴ国立公園のレストラン前に設けられた地図に日本語を記入した |
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ビーバーダムを見た後、ラパタイヤ湾へ |
ティエラ・デ・フエゴ国立公園の中にビーバー・ダム*がある。ビーバー*は水中に巣を作るが、 哺乳類であるから、呼吸をするために時々水中から出なければならないので、 ビーバーダムを作って自分の生活環境を確保している。 |
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現地に掲示されたビーバー・ダムの説明図に加筆した | ビーバーの毛皮で作られた座布団 |
*ビーバーは「自分の生活のために周囲の環境を作り替える、人間以外の唯一の動物」であるとも言われる。水辺の木を噛み倒し、泥や枯枝などとともに材料として、川を横断する形に組み上げ、大規模なダムを作る。ダムによってできた“ダム湖”の中心部にも木を組み上げ、密閉された個室状の巣を作る。巣の床は水面より上にあるが出入り口の通路だけは水面下にあり、天敵の侵入を巧妙に防いでいる。ダムを利用することで、巣のある上流側の水位を一定に保っている。驚くべき知恵ではないか! 1940年代、アルゼンチン政府は、毛皮を目的として 50 頭のアメリカビーバーをフエゴ諸島に移入した。天敵がいない土地に住み着いたビーバーは2008年までにおよそ10万頭に増加し、フエゴ諸島固有の木々を大量に噛み倒し森林破壊の原因となっている。2008年現在、アルゼンチンおよびチリ政府は、フエゴ諸島でのビーバーの大規模な駆除を計画している。 Wikipediaを改変した |
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ティエラ・デ・フエゴ国立公園のラパタイヤ湾の案内板 アルゼンチン3079km、アラスカ17,848kmとあるのは パンアメリカハイウェイ*のことである |
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ビーグル水道を背に記念写真 |
現地に掲示されている地図は、アルゼンチンが領有権を主張している南極部分がフエゴ島と合わせて表示されている。 |
*パンアメリカンハイウェイはの整備構想が最初に提唱されたのは、1923年チリのサンティアゴで開催された第5回米州国際会議である。各国の道路整備については、計画・建設から建設費に至るまでアメリカが大幅な支援を行っており、特にその動きが顕著であった1940年代から50年代にかけてその整備が大幅に進んだ。パンアメリカンハイウェイは、そのような名前の1本の道を新たに建設したのではなく、既存の各国の主要幹線道路を「パンアメリカンハイウェイ」として整備・ネットワーク化したといった方がむしろ実態に近い。 一般に本線とされているルートは、アラスカ州フェアバンクス(Fairbanks)を起点に、北米大陸西岸から中西部を通ってメキシコから中米に抜け(一部道路が分断されている地点がある)、南米大陸の西岸を通りチリのサンチアゴから東へとルートを変えてアンデス山脈を横断し、ブエノスアイレス、さらにはそこから南下して大陸南端のフエゴ島(Tierra del Fuego)に至るコースである。 Wikipediaより |
ビーグル水道クルーズ |
我々のクルーズは上の図のもっとも短い赤いコースであるが、 観察のための停止や上陸を含めて3時間を要した。 |
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乗船券 | 乗船したエリザベータ号 |
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ビークル水道からも五人姉妹の山が見えた。 手前はアルゼンチンの艦船 |
大型観光船も入港している |
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島の灯台まで行って、帰りに観察や上陸をする | ウミウ(ペンギンに似ているが、飛べる点が異なる) |
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オッタリアはアシカ科で、南米にのみ生息している。顔がライオンに似ているので、シーライオンと呼ばれる。 オスは2.8m、300〜400kg、メスは1.2m、150kgで、ハーレムを作る |
ウミウの大群 |
ウミウの大群のクローズアップ |
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飛び立つウミウ | これはカモメの仲間か |
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小島に上陸する | ハトのような鳥が生息していた | Geranium sessiliflorum |
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Chilliotrichium diffusum | Senecio patagonicus | 花がないので分らない。同一種と思われるが、形態が少し異なる |
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クルーズが終って、ウシュアイアの町を散歩する |
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上の画像をクリックして、クルーズの動画をご覧下さいクリック |
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9日目 (2月10日) |
ウシュアイア→ブエノス・アイレス(泊) |
ウシュアイアのホテルを発って、空路でブエノス・アイレスへ行く。今日で、南米の旅の前半は終る。 |
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2泊したウシュアイアのホテル・トルケンから空港に向かう。 |
ウシュアイア空港は木材を使用したユニークな建物 カラファテ空港同様、個人所有の空港だという |
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ウシュアイア発11:55のアルゼンチン航空AR1853便 MD80機でブエノス・アイレスに向かう ブエノス・アイレスには15:23着 |
機内の航空路線図には路線はないが、領有権を主張して いるフォークランド諸島と南米の一部が入っていた。 |
アルゼンチンのホテルの夕食 |
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カプレーゼサラダ* | チキングリル | リンゴのクランブルとアイスクリーム |
*赤のトマト、白のモッツァレラ、緑のバジリコ……、まさにイタリアの国旗の色を表すカプレーゼは、簡単なオードブルだが、美味でした。 |
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17日間の南米旅行の前半、パタゴニアの旅は、無事終わった。湖に崩落するペリト・モレノ氷河、パイネの山々を望むハイキング、航海の歴史を偲ばせるマゼラン海峡とビーグル水道、自然史を物語るナンキョクブナの森と古い地層、いずれもここパタゴニアでなければ、体験できないものばかりであった。 さて、これから南米旅行の後半が始まる。ギアナ高地ではどんな世界が待っているだろうか。 |
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