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北イタリア----中世とルネッサンスに栄えた都市国家群
 エジプト、ギリシアを訪問した、私達の「歴史を訪ねる旅」の次なる目標はローマである。 ローマへ行くなら、この際ぜひ南北イタリアを一巡したいという欲が出る。 2回に分けて訪問したイタリア共和国とマルタ共和国の旅を、便宜上
   北イタリア  ローマ  南イタリア  シチリア  マルタ
の5つに分けて掲載しよう。
 北イタリアといえばイタリア・アルプスとよばれる山岳地帯を含むことになるが、この地方はハイキングの対象としていづれ訪ねることにする。 したがって、ここでは、ミラノからローマまで(ローマを含まず)の15都市の旅行記となる。
 北イタリアの都市は極めて個性的である。 これはイタリアは国家として統一されたのが比較的遅く、まだ150年も経っていない
ことと無縁ではないだろう。(イタリア王国1861年、イタリア共和国1946年)  ルネサンス発祥の地であること、ローマ法王庁の存在も大きいだろう。 しかし何しろ15の都市を訪ねるので、駆け足になることは免れない。 またの機会にゆっくりと訪ねたいところも多かった。               (2001年3月〜4月)
 
フィレンツェ
花の聖母教会の
大クーポラ

ミ ラ ノ
 イタリア旅行はミラノからスタートした。 ミラノは、紀元前5世紀にガリア人が創建し、3世紀には西ローマ帝国の首都となり、313年にコンスタンティヌス大帝が「ミラノ勅令」を発しキリスト教を公認したことでも有名。 12世紀になると北イタリアの各都市と同様「都市国家」として栄え、1450年にスフォルツェスコが公爵位を継承すると、ミラノにヨーロッパ有数の宮廷を築き、ダ・ヴィンチなどの芸術家を招請した。 現在はイタリアの商工業、金融の中心として、またデザイン、ファッションなどが盛んな創造力あふれる都市として知られている。
大聖堂(ドゥオーモ)  フランスやドイツを思わせるゴシック様式は、1836年に当時建築技術の先進国であった両国から工匠を呼び寄せて建築を開始したため。 もっとも完成したのは19世紀始めだという。 間口66m、奥行き157m、高さ108m、とてつもなく大きい。 
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア  1877年に完成したこのアーケードはとてつもなく大きく、天井や床に見事なモザイクがある。 通りの両側には、カフェ、書店、ブティックなどが並んでいる。
      スフォルツェスコ城
城内の美術館にある「ロンダニーニのピエタ」は、ミケランジェロが死の数日前まで制作したという。
   ロンダニーニのピエタ
ほの暗い展示室だがノー・フラッシュでなんとか撮れた。
  サンタ・マリア・デレ・グラッツィエ教会とレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」
何事にも革新的だったダ・ヴィンチはこの壁画をフレスコ画でなく油絵で描いた。そのため痛みが著しく何回も修復された。一番ひどい被害は第2次大戦中の連合軍による空襲であった。そのときの無残な姿になった写真は控室に展示されている。今回大修復が終了したが、撮影禁止のため、絵葉書を載せた。
          レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館
16世紀に建てられた僧院を博物館にしたもの。 ダ・ヴィンチにゆかりのものの他、電気・通信に関するものなどが展示されている。

ヴェローナ
 「ロメオとジュリエット」の舞台としてあまりにも有名。 皇帝派のモンテッキと教皇派カプレーティ両家の対立から悲劇に終ったこの物語は、バンデッロの小説をシェクスピアが戯曲にしたといわれている。 現代なら「著作物の改変」として侵害に当るが、当時はどうだったのだろうか。 ここを訪れたとき生憎の雨であったが、静かな典型的な中世のイタリアの都市だった。
ジュリエットの家
ランベルティ塔から眺めるヴェローナ市街 ロメオの家

パ ド ヴ ァ
パドヴァの歴史は古く、ローマ時代にさかのぼる。 ポローニャに次いで2番目に古い大学を有する。パドヴァのように、ジョットなどの傑作を美術館でなく本来の場所で見られるのはイタリアといえどもそう多くないといわれている。残念ながら写真は撮れなかった。
ドゥオモと付属礼拝堂 付属礼拝堂の天井画

ヴェネツィア
 ついに「旅情」の町ヴェネツィアに来た。 ヴェネツィアの興りは、5世紀にフン族が北イタリアに侵入した際に本土の住民が島に避難したのが始まりだという。 7世紀にはすでに共和制が確立し、ラテン世界と東地中海との中継貿易港として栄えた。1380年には宿敵ジェノヴァに勝利する海軍力を持つに至った。 しかし、1453年にコンスタンティノポリスがトルコ軍の手に落ち、1497年に喜望峰航路の発見もあり、ヴェネツィア貿易は衰退に向かう。
 15−17世紀は軍事では力を失ったが、建築、絵画などの文化が栄え、今日は有数の観光地となっている。 私も何年後かに、夏の終りのレガッタ・ストリカか、冬の終りのカーニヴァルのときに再び訪ねたい。 かつて栄えた都市の美しさと侘しさを味わえるかもしれないからである。
早朝、海から眺める水上都市ヴェネツィア、遠くにイタリアアルプスの山々が見える
高さ97mの鐘楼から眺めるマルコ広場(左)とサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(右)
ヴェネツィアの中心サン・マルコ寺院
サン・マルコ寺院正面のモザイク画
          ドゥカーレ宮殿
かつてヴェネツィア共和国大統領府があった。内部には世界最大の油絵などの素晴らしい絵画がある。
ドゥカーレ宮殿バルコニー上の羽根を持つライオン像はヴェネツィアの守護神聖マルコの象徴
    ため息橋
ドゥカーレ宮殿から牢獄への廊下になる。この橋を渡ると二度と娑婆に出られない。
             ゴンドラに乗る
ゴンドラは「ため息橋」の近くから出て、迷路のような小運河を1時間ほど乗せてくれる。 歌い手は団体では3艘に1組しか付かないというが、私達には運良く歌手が付き、カンツォーネを聴かせてくれた。
大運河にかかるリアルト橋 サン・マルコ広場の土産物屋
有名なカーニヴァルに因んだ仮面を売る

フェッラーラ
13−16世紀の間フェッラーラを治めたエステ家は学芸を擁護し、フェッラーラはルネッサンス文化の発信地となった。
         ドゥオーモ
正面の下部はロマネスク、上部はゴシック様式からなるイタリア中世建築の代表の1つ
        エステンセ城
エステ家の居城。中世の要塞とルネサンスの古典的要素が融合した外観が素晴らしい。
ちょうどエステンセ城の祭りに出逢った

ラヴェンナ
 アドリア海に面した古都ラヴェンナは、ビザンチン文化(モザイク画)の花開いたところである。 この町は、フィレンツェを追われたダンテが最終的に落ち着いた町としても有名。ダンテの墓がある。
サン・ヴィッターレ教会と内部のモザイクの1つ

サンマリノ共和国
 世界で5番目に小さい国家、面積60km、人口2万人。 首都サンマリノの人口は5千人、海抜750mの山頂にある。 19世紀中葉のイタリア統一には参加せず、独立の道を選んだ。 国の財源は、切手、コイン、観光などである。
切手
入国ヴィザ
山頂には3つの要塞がある。 切手が美しいので、自分宛の絵葉書を出してみた。 到着まで2週間かかった。 ヴィザなしで入国できるが、観光記念用に有料でヴィザを発行してくれる。

ボローニア
 ボローニャは世界最古の大学があることで有名である。 この町に入ると軒を連ねた柱廊(ポルティコ)が目立つ。 実はこの柱廊は大学と関係があるらしい。 11世紀に大学が出来てイタリア中いやヨーロッパ中から学生が集まってきて、学生が泊るところが足りなくなった。 そこで市では学生の宿を確保するため、建物の2階部分を道路まで広げるように命じた。 これが柱廊の始まりであるという。
 当地出身の教皇グレゴリウス13世は、紀元前45年にユリウス・カエサルが定めた1年を365日6時間とするユリウス暦から、365日5時間48分20秒とするグレゴリウス暦(現在の暦)に改めた人物である。 ときに1582年。 ボローニャには自由の雰囲気があったというべきだろう。
柱廊 ポローニャの斜塔
市庁舎(コムナーレ)  扉口の上に教皇グレゴリウス13世のブロンズ像がある グレゴリウス13世は暦の改革で有名
11世紀に創立の世界最古の大学 旧ボローニャ大学の世界最初の人体解剖室
中央は白い大理石の解剖台

イタリアの紙幣に見る科学者・技術者
10000リラ紙幣のヴォルタ
 イタリアといえば芸術、ファッションの国と思われがちであるが、古来多くの科学者・技術者を輩出している。 ヴォルタ(1745-1827)は、蛙の足が金属に触れると痙攣するというガルヴァニーの研究をボローニャ学士会誌で見てこれに疑問を持ち、電池の発明に至った。 静電気しか知られていなかった時代に動電気を発生できる電池を発明した功績は計り知れない。 ヴォルタの名は電圧の単位ボルトとして不朽となった。
2000リラ紙幣のマルコニー
 ボローニャ生まれのマルコニー(1874-1937)は、ドイツ人のヘルツが電波の発生を雑誌に発表したのを見て、電波を通信に使うことを思いついた。 何度も何度も機械を組み直し、3階の研究室でボタンを押すと地下室のベルが鳴るまでになった。 ついに1899年には英仏海峡横断通信に成功した。 1912年豪華客船タイタニック号が氷山に衝突して沈没した際の無線の活躍は有名である。 1909年にノーベル物理学賞を受けている。
これらのリラ紙幣がEUの通貨統合のため2002年から姿を消すのは淋しい。
 

フィレンツェ
 「花の都フィレンツェ」 は、今もルネサンスの華やかなりし往時を偲ばせる。 金融業で財をなしたメディチ家は、ミケランジェロを見出し、ラファエッロを援助し、ルネサンスの華を咲かせた。 メディチ家の支配は1765年まで続き、1861年にはイタリア王国に編入され、1865−70年にはイタリア王国の首都となった。
市の南の高台ミケランジェロ広場から眺める夕暮れのアルノ川とフィレンツェ
 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
1296年から175年間の歳月をかけて建設された。 花の聖母教会ともいわれる。
ジョットの鐘楼から見る大聖堂のクーポラ
ブルネッレスキの設計。 私はおおらかなこの大クーポラが大好きだ。
   ジョットの鐘楼
ジョットによる設計、高さ
82m
ジョットの鐘楼から眺めるフィレンツェの甍
   サン・ジョヴァンニ洗礼堂
八角形の建物の正面に、天国の扉と呼ばれるブロンズの扉がある。
         天国の扉
ギベルティ作のこの扉には、旧約聖書からとった10の場面の浮彫りがある。
ルネサンスの名画で名高いウッフ
ィツイ美術館にはメディチ家の美術品が一杯
ボッティチェッリの
「ヴィーナスの誕生」
(絵葉書より)
ボッティチェッリの「春」
(絵葉書より)

ピ  サ
 斜塔ばかりがクローズアップされるピサであるが、かつては地中海の大海運国であったが、13世紀末にはフィレンツェの支配下となった。 当時ピサ大学で医学を学んでいたガリレオが斜塔で「落下の法則」を、大聖堂に吊るされたランプから「振子の等時性」を発見したというのは有名な話。
 このような堅い話は別にして、緑の芝生に映える美しい洗礼堂、大聖堂、斜塔を見たときの感激は忘れられない。
天井から吊られたブロンズのランプ
手前から洗礼堂、大聖堂、斜塔 ピサ・ロマネスク様式の最高傑作といわれる大聖堂
ガリレオが「振り子の等時性」を発見したブロンズのランプはこの中にある。実はガリレオの発見はランプが吊るされるよりも古いという。
        有名なピサの斜塔
大聖堂の付属鐘楼として1173年に着工され、3層まで建築したとき傾き始めた。現在倒れるのを防止する工事をしており、近く完成予定という。
ピサからフィレンツェへの高速道路から見えるローマ時代の水道橋
 

サン・ジミニャーノ
「美しき塔の町」と呼ばれるサン・ジミニャーノには、最盛期には70今でも14の塔が空高く聳え立ち、中世情緒ある町並みを残している。 この美しい塔も、13〜14世紀に教皇派と皇帝派が争い互いの権力と虚栄のシンボルとして建てたものだという。
この写真にも12の塔が--- 教会の塔 塔からの眺め

シ ェ ナ
 トスカーナ州の古都シェナは、糸杉とブドウ畑に囲まれた古いたたずまいを残す町。交錯する路地を歩いていると中世にタイムスリップする。
糸杉とブドウ畑は代表的なトスカーナ風景 プッブリコ宮殿にあるマンジャの塔
カンポ広場はすり鉢型に傾斜している。 ここで毎年夏に行われる各地の代表が競う「パーリオ」という競馬は中世から続いているという。
高さ102mの塔の上から見るカンポ広場
12世紀に着工し14世紀に完成したというドゥオーモは大理石の横縞が美しい ドゥオーモ付属の博物館にあるフレスコ画  このように鮮やかなフレスコ画を見たのは初めてだ。 博物館のためローソクの煤で汚れていないからだという。 博物館で見たグレゴリー聖歌の楽譜

ア ッ シ ジ
 イタリアの中央部ウンブリア州のアッシジは、なだらかな丘陵にある、さながらラファエッロの宗教画のような町である。 ここはイタリアの守護聖人である聖フランチェスコの生地として、世界各地から巡礼者が訪れるという。
 
聖フランチェスコ(1181-1228)はアッシジの裕福な商家に生まれ、家業を継いで放蕩な生活を送っていたが、20代半ばで家族を含めて全てを捨て、伝道の道に入った。 当時のキリスト教では一般の信者は聖職者階級(贅を尽くし堕落していた)の下につく、いわば被支配者であった。 聖フランチェスコは階級制を打破し、一般の信者も清貧を重んじ信仰すれば救われると説いたという。 それが世界で一番敬愛される聖人となった理由だろう。 私達は、ここに勤めておられる滝神父の案内で見学した。 
サン・フランチェスコ教会の全景 サン・フランチェスコ聖堂の上堂 滝神父
ジョットのフレスコ画 「小鳥に説教する聖フランチェスコ」(絵葉書より) 街角で見つけたマリア像 静かな路地
敬虔な気持ちでアッシジを後にし、私達は 「永遠の都ローマ」 へ向かった。

 北イタリアの町々はそれぞれに歴史を持ち個性的で素晴らしい。 どれか1つを選ぶことは困難であるが、私の好みで敢えて選ぶならば 「フィレンツェ」、そして建築物では 「花の聖母教会の大クーポラ」 である。 理由はルネサンスの心が表現されているような気がするからである。

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