西田進のホームページ
のトップへ戻る
四国・四万十帯と東赤石山----山の自然学シリーズ(7)

 日頃、「やりたい」「見たい」と願いながら、なかなか叶わないことが、ひょんな機会に実現することがある。四国の住吉海岸の四万十帯露頭の見学は、私にとって正にそのようなものであった。

 東京学芸大学の小泉武栄先生に「山の自然学」を教えて頂く会が、四国の四万十帯と東赤石山を訪ねる旅を企画したので、大喜びで参加した。 今回の旅で訪ねる高知県の住吉海岸は、日本列島の屋台骨の1つである四万十帯が露出しているところである。 私がここに拘るのは、ここは地質学者の平朝彦氏が、日本列島の誕生をプレートテクトニクス理論により実証した場所として知られているからである。

 前置きはこのくらいにして、屋島、東赤石山、吉野川、大歩危・小歩危、住吉海岸の旅をご覧下さい。
      (2005年9月)

四万十帯は日本のプレート
テクトニクスの実証の地



GPSで自動記録した旅の軌跡
地図をクリックすると、拡大されます
ご覧になった後は、ブラウザの[戻る]で、この頁にお戻り下さい



(1日目) 高松空港〜屋島〜富郷渓谷〜筏津

第1日目は屋島周辺のメサとビュートを見学し、変成岩の三波川帯が露出する富郷渓谷を通って、明日の東赤石山の登山口筏津に至る。

高松空港から屋島へ

四国の旅は香川県高松空港から始まった。先ずは、源平合戦の古戦場屋島の見学へ。

高松空港からJR高松駅へ JR高松駅で列車組と合流し屋島へ

屋島寺
熱心なボランティアさんのご案内を断れず、時間が---
 
源平合戦で使われた源氏の白旗、平氏の紅旗のデザイン

     早速、屋島寺の近くで地層を見学
この辺りの最上層は溶岩で、その下が凝灰岩、その下が花崗岩である。1500万年前ここは海底火山があった。凝灰岩は火山灰が堆積したもので、柔らかい。
     屋島から海を挟んだ五剣山(八栗山)
採石場の上部は凝灰岩、下部は花崗岩。すぐ近くの
小豆島の花崗岩は、大阪城の築城に使われたという。
 

屋島のように侵食でできた平らな台地型の山は、
スペイン語でメサ(Mesa)と呼ばれる
飯野山(讃岐冨士)など侵食でできた富士山型の山は、スペイン語でビュート(Butte)と呼ばれる

メサやビュートができるわけを考えてみた


白峯寺展望台から眺める双子のメサ (左)雄山(140m)、(右)雌山(164m)


富郷渓谷から筏津へ

香川県の屋島でメサとビュートを見学した後、銅山川を遡って西方の愛媛県へ。法皇湖付近は、富郷渓谷と呼ばれ、変成岩の三波川帯が露出する。 つまり、ここは中央構造線の南側(太平洋側、外帯)である。

夕方の富郷渓谷を走行するバスから
デジカメの感度をISO3200に設定して撮影する
富郷渓谷の岩は、三波川帯結晶片岩である
 

富郷ダム ダムの上流は清流

    今夜の宿 「ゆらぎ館」に着いたのは、夕闇迫る6時頃だった
ここ別子山村は日本一人口の少ない村であったが、平成15年に新居浜市と合併したので、謳い文句がなくなってしまったとは、宿の主人兼シェフの弁。旧別子山村にあった住友の別子銅山は、昭和48年に閉鉱した。




(2日目) 筏津〜東赤石山〜豊浜

筏津の宿を出発して、すぐに東赤石山の登山口に着く。東赤石山はカンラン岩の山で、マグネシウムMgを多く含み塩基性は強いので、植生にも特異性があるという。

「ゆらぎ館」の周辺は「ゆらぎの森」  直径25mのドーム型パーゴラ(藤棚)は日本最大級という

筏津で車を降り登山開始
 
「最初の急な上りは、侵食でできた深い谷のため」
という小泉先生の説明に納得

はるか彼方に、目指す東赤石山が現れた

いくつかの滝を眺め、幾度か沢を横切る 天然のケヤキ

ツルリンドウ
 
ダイモンジソウの仲間
モミジバセンダイソウ?
マメヅタ
 

トリカブトの仲間 ツリバナの実

レイジンソウ アサマリンドウ

シラヒゲソウ
 
カンラン岩は貧栄養であるので、
植物は矮性化するようである
ウスユキソウの仲間
 

結晶片岩
堆積岩(泥岩、砂岩、礫岩など)が変成したもの
結晶片岩とカンラン岩の間に石英が出ている。
  

この辺りからカンラン岩(橄欖岩)が出てきた。カンラン岩は緑色のカンラン石を含むが、ここの岩は風化しているようである。カンラン岩が水と反応すると蛇紋岩になるという。
玄武岩マグマが次第に冷めてゆくとき、最初に出現する結晶はカンラン石である。カンラン石の結晶は(Mg,Fe)2SiO4で、Mg,とFeが多く含まれるので、残りのマグマはSiが過剰になる。そこで、石英(SiO2)が析出するのであろう。

八巻山(1698m) 東赤石山は陰になり見えない 東赤石山(1707m)山頂から 天気がよければ石鎚山が見えるという

東赤石山山頂で記念写真
山頂はカンラン岩の基岩で覆われていた。赤石の名はこの岩の色に由来する

東赤石山から下山後、再び香川県に戻り、
瀬戸内海の豊浜に向う 
豊浜町コミュニティセンター海の家に泊まる
幹事さんが苦労して見つけた安い宿は、うれしい貸切




(3日目) 豊浜〜吉野川〜大歩危〜住吉海岸〜桂浜

今日は瀬戸内海の香川県豊浜から、徳島県を経由して太平洋に面する高知県まで南北に横断する。途中、吉野川、大歩危、住吉海岸と、見所が多い。特に住吉海岸では、日本列島誕生の謎の解明に役立った四万十帯の露頭が見られる。私にとって今回の旅のハイライトである。

豊浜の朝の散歩  満月の時は月と太陽が一直線になり、引力が足し合わさるので、大潮となる。日の出(月の入り)の1〜2時間後は大引き潮である。
右にスクロールしてご覧下さい → →

吉野川 野球で有名な池田町付近 この辺では吉野川は中央構造線に沿って流れている

中央構造線についてご覧になりたい方は、
右をクリックして下さい。
ご覧になった後は、ブラウザの[戻る]で、
この頁にお戻り下さい。
中央構造線を見る


大歩危遊覧船と「石の博物館

「大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)」は、大股で歩くと危険、小股で歩いても危険という意味。両岸の岩石は、変成岩である三波川結晶片岩(砂質片岩と礫質片岩)で、日本列島の背骨を作っている岩の1つといってもいいだろう。
徳島県の名勝の1つである。

大歩危乗船場から、下流の小歩危まで往復の遊覧船に乗る

左岸を観察していると、大歩危付近では、上流から下流に向って岩が約45度傾斜している(左)。ところが小歩危まで来ると岩は水平になる(右)。つまり地層が大きくうねっているわけである。褶曲といわれる現象である。

帰りは右岸を眺めていたら、岩の上に砂が堆積しているところが所々見られた(左)。どうしてだろうと皆で考えた。台風のときに上流から運ばれたのではないかということになった。岸辺のワイヤーに何か引っかかっていた(右)。「台風のときあそこまで水位が高くなったのですよ」 という船頭さんの話がヒントになった。

お決まりの遊覧記念写真

石の博物館の展示をご覧になる方は、下記のボタンをクリックして下さい
石の博物館を見る
ご覧になった後、ブラウザの[戻る]で、この頁にお戻り下さい
大歩危の船着場の近くには「石の博物館」(左)がある


南国土佐へ

徳島県から高知県に入ると、なんとなく 「南国土佐に来た」 という感じがするから、不思議である。

高知県南部に来ると稲穂が垂れている。早場米を刈り取った後の新芽が伸びているのも見られた。

丁度お彼岸である バスからお遍路さんを見送る


住吉海岸(四万十帯の露頭)

高知市から東へ20km行ったところにある住吉海岸は、四万十帯の露頭として知られていた。ここが、プレートテクトニクス理論による日本列島の誕生の実証の場所となったのは1980年頃である。その現場にこれから行くと思うとわくわくする。

住吉海岸の地図
     ━━━   GPSで取得した軌跡(GPSは人工衛星による全地球測位システム)
  A 四万十帯の露頭(地層が地上に露出しているところ)
     X     震洋隊殉国慰霊塔

住吉海岸では、A,B,C,Dの順に4地点を見学した。A地点の防潮堤(右)を登ると四万十帯の岩盤が現れた。

A地点の近くのX地点で、思いがけず「震洋隊殉国慰霊塔」を見た。震洋は昭和19年8月に海軍が採用した敵艦船に集団で体当たり攻撃する小型水上特攻艇である。太平洋戦争終結の翌日(昭和20年8月16日)、火薬爆発事故により、一瞬にして111名の勇士が散華したという。

B地点は四万十帯のメランジュが見られる本命の地であった。メランジュとはフランス語でmeringue「かき混ぜる」の意で、洋菓子材料のメレンゲである。ここでは、1億3000万年前から7000万年前までの岩石が入り乱れて分布している様子を観察できた。地層に含まれる放散虫化石による年代決定や古地磁気による古緯度の決定から、四万十帯の主要部は赤道付近で生まれ、海洋プレートに乗って6000万年かかってやってきて、すでに日本列島にあった地層とくっついたものだという。このとき運んできた海洋プレートは大陸プレートの下に沈み込んだので、後に残されてくっついた地層は「付加体」と呼ばれる。
(参考資料:平朝彦著 「日本列島の誕生」 岩波新書)

「皆さんの足元にあるのがチャートです」と説明する小泉先生 1億3000万年前に赤道付近の海底で噴出した「枕状溶岩」
 

1億3000万年前に噴出した
玄武岩質の溶岩  
1億3000万年前の放散虫の化石が積もってできた岩石「チャート」  9000万年前の放散虫化石を含む火山灰などが堆積した「多色頁岩」

付近で見かけたタカサゴユリ(高砂百合)、別名タイワンユリ(台湾百合)
名前が示すように台湾原産の帰化植物。
南の海からやってくるのは、四万十帯、椰子の実、タカサゴユリ---
何処で何時生まれた地層が何時くっついたのか分からないが、地球のダイナミズムに圧倒される。(C地点) 何百年かに一度ある大地震のたびに地層がずれてくっついて、洗濯板のような岩ができたらしい。
 

土佐の桂浜

住吉海岸を見学した後、高知空港で一旦解散し、小泉先生ともお別れし、有志だけで1日延長して高知に滞在した。

夕暮れの桂浜 桂浜を見下ろす坂本竜馬




(4日目) 高知市場〜横倉山〜佐川ナウマンカルスト〜高知空港

4日目は有志だけで高知県内を見学することになった。生憎、敬老の日の3連休の翌日のため博物館が閉館していたのが残念であった。

高知市中央市場

前夜打ち上げをやった我々は、翌日は朝飯前に高知市中央市場へ出かけた。朝食はもちろん市場で。

果物のせりの真っ最中 果物は全国から入荷している

鮮魚のせりはとっくに終っていた。 一仕事終って新聞を読む 仕入れたマグロを捌く

横倉山(日本最古の地層)

日本列島の地質を調べてみると、付加体に見られる岩石と異なるものが露出する地帯があるという。九州の八代から四国を横切り、紀伊半島の鳥羽に至る地帯に転々と存在する「黒瀬川構造帯」もその1つである。この地帯に見られる一番古い地層は4億年前の浅い海に溜まった石灰岩や凝灰岩で、高知県の横倉山によい露頭があるというので、出かけた。

横倉山の中腹で古そうな地層を見つけた。先生がいない悲しさ、確認ができないが多分黒瀬川構造帯だろう?

司牡丹酒造

地学に関係はないが、通りがかりに司牡丹酒造を訪ねた。工場の一部は展示館になっていて、酒の試飲ができる

佐川ナウマンカルストから高知空港へ

佐川町の南に広がるカルスト台地は、佐川町の名を世界に知らしめたドイツの地質学者ナウマンにちなんで「佐川ナウマンカルスト」と命名されている。

ナウマン博士は明治政府の招きで弱冠20歳で来日し、東京大学地質学教室の初代教授となって地質学者を養成した。在日10年間に、「中央構造線」、「フォッサ・マグナ」、「ナウマンゾウの化石」の発見など大きな業績を残した。

2haの園内には白い石灰岩が点在し、花とのコントラストが美しい

ナウマンゾウの彫像 満開の彼岸花 地面は石灰岩である

          四国とのお別れは、高知龍馬空港
因みに世界の空港で人名が付いているのは、ジョン・F・ケネディ空港(ニューヨーク)、ジョンウェイン空港(米オレンジ・カウンティ)、シャルル・ド・ゴール空港(パリ)、ジョンレノン空港(ロンドンローカル)と高知龍馬空港だけだそうだ。



香川、愛媛、徳島、高知の四国四県に跨る「山の自然学の観察会」は、実に楽しく有意義なものでした。いつも思うことですが、勉強すればするほど分からないことが増えていくようです。それが益々好奇心を抱かせることになるのでしょう。ご指導下さった小泉先生、お骨折り下さった幹事のKさん、有難うございました。

この頁の記載には、誤りがあるのではないかと心配です。お気付きのときは、メールでお教え頂ければ幸いです。

国内の山とスキーの
一覧表へ戻る
次へ
ホームページの中で検索したい
サーチ
ホームページの中で道に迷ったら
サイト
マップ

nsdssmhp