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八甲田山と北海道知床の山スキー ---- 山スキー放浪記
 
 数多い山の中には、何度も訪れてすっかり馴染みになった山もあれば、ぜひ一度登りたいと思いつつ果たせない山もある。私にとって八甲田山は前者であり、冬の知床の山は後者である。

 八甲田山で行われた日本山岳会アルパインスキークラブの2004年度春の全国集会に参加した後、北海道に渡り、クラブの有志と札幌の岳人と一緒に知床の山を滑るという、スキーフリークには堪えられない企画に参加した。

前置きは不要。4月2日から4月12日の11日間に及ぶ山スキー放浪記をご覧下さい。
                 
                 (2004年4月)
北海道知床の
藻琴山スキー登山
八甲田山と北海道知床の地図
 

  
八甲田山の山スキー
 
日本山岳会の中にある同好会の1つアルパインスキークラブの、2004年度春の全国集会は、4月2日〜4日に八甲田山で行われ、45人の会員が山スキーと懇親会を楽しんだ。
 
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日本山岳会アルパインスキークラブ 春の全国集会 参加者45名 宿舎のホテル・フジサワ八甲田
 
箒場岱ルート
 
1日目の寒水沢ツアーは、ゴンドラも止まる悪天候のため中止。2日目は、ロープウェイ山頂駅〜田茂萢岳〜赤倉岳〜箒場岱の、八甲田山最長の箒場岱ルートである。今日も天気は回復しておらず、強風と濃いガスの中ではあったが、この時期には珍しい40cmの新雪の下で実施された。
 
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ロープウェイの山頂駅を出て、出発の準備 5班に分かれて田茂萢岳へ向かう
 
赤倉岳を経て箒場岱へ滑る
 
箒場岱に近づくと、斜度が小さい上に新雪が50cmも積もっているので下りラッセルとなる 箒場岱ルートの標識
 
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箒場岱に着いたときは、日も傾いていた 振り返ると間近に見えたのは、雛岳だろうか
 

 
猿倉温泉ルート
 
3日目は、酸ヶ湯温泉〜仙人岱ヒュッテ〜小岳〜猿倉温泉のルートである。八甲田といえば上りにロープウェイを使うことが多いが、今日は最初からシール登高である。
 
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酸ヶ湯温泉の鳥居 5班編成、総勢44人の元気な中高年である。
 
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仙人岱ヒュッテで小休止 ヒュッテの横に見えるのは八甲田最高峰の大岳(1584m)
 
大岳の反対側に目をやると、硫黄岳(1360m)とその向うに南八甲田の山々が見える
 
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これから登る小岳(1478m)を見る。大変なアルバイトだ。滑っている写真がないのは、小生が新米テレマーカーで滑るのに精一杯のため。次の写真は猿倉温泉に着いたとき。 今日から開通した環状道路は3mの壁の下。道路に下りるのが大変
 
百歳の現役スキーヤーの三浦敬三さんに、日本スキー学会で講演して頂いたことがあるがあるが、「日本でスキーの面白い山は、八甲田とニセコだ」 とおっしゃった。 全くその通りである。楽しいアルパイン・スキー仲間と一緒なら、なおさらである。

この後、札幌に向かう。
山スキー放浪の旅は、まだまだ続く
 

  
北海道知床の山スキー
  
日本山岳会の八甲田スキーの後、有志で北海道に渡った。
憧れの知床の山でスキーをするためである。
  
札幌から知床へ
 
八甲田山から札幌に移動してきた仲間4人が転がり込んだのが、藻岩山スキー場の下にある雪友荘。ここのオーナーは、我国の山岳ガイドの草分けの川越さんである。彼が代表を務めるHAS(北海道アルパインサービス)の会員が、ここを根城に山とスキーを楽しんでいる。我々4人はここに宿泊して、札幌国際とテイネスキー場を楽しみ、後から来る仲間と札幌在住のHASの会員を待った。4月7日川越さんを含めて13人でいよいよ知床へ出発した。オーナー自ら運転する「登れるハズです」(HASに引っ掛けた)と書かれたバスで、我々が大陸横断と称した旅が始まった。
 
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善男善女が集まる雪友荘 川越さんを囲んで談笑は続く
 
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知床への途中で層雲峡ビジターセンターに寄る センターの大型スクリーンに見入る外国人家族
 
知床を目前にして斜里町の「北のアルプ美術館」を訪ねた。ここは、かつて全国の登山家たちに愛読された山と自然の月刊文芸誌 「アルプ」に掲載された絵画や版画などの資料を集めた美術館で、町内の写真家 山崎武志さんが私費を投じて1992年に開館した。

折しも、「大谷一良の仕事」展が開催されており、閉館時間であったにもかかわらず、館長の山崎さんが直々にアルプを飾った版画の数々を案内して下さった。
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北のアルプ美術館は白樺林の中にある アルプ創刊号の表紙 アルプ300号の表紙を飾る版画
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ようやく、知床の宿、斜里町ウナベツ温泉 自然休養村管理センターに着く
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海別岳・山スキー
 
知床の山スキーの1日目は、海別岳(ウナベツダケ 1419m)である。下部は見事なタンネの森で、ここでは森林限界は何と800mである。 それより上はダケカンバとハイマツだが、風が強くほとんどがシュカブラである。
 
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登り始めの急坂では、シールが利かずり落ちることも ガイドの川越さんが、あっちの方だと説明
 
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ヒグマの足跡を発見!
 
樹林帯を抜けると海別岳の山頂が見えてきたが、強風とガスで恐ろしい世界である。
 
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ガスが濃いので、帰路のため赤テープをつけながら
登る (左右の写真は川越氏撮影)
 
山頂で万歳! ガスが濃くならない内に急いで下山。ガイドは往路に着けた赤テープをガスの中でも見失わず、すべて回収したのには感服した。
 
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樹林帯まで戻って、やっと昼食 林間を安全滑降
 

 
藻琴山・山スキー
 
明日は、遠音別岳へ登るので、今日は休養日である。ところが、天候などのため遠音別に登れないかも知れないので、 保険の意味で、もう1つ山に登ろうと、川越さんが言い出した。好きな山のレンチャンは大賛成である。 選ばれたのが,、屈斜路湖を囲む外輪山の1つともいうべき藻琴山(モコトヤマ 1000m)である。
 
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車窓から見る藻琴山 登り出しは緩斜面で、鼻歌混じりでピッチも上がる
 
右にスクロールしてご覧下さい → → →
山の上部はヤセ尾根と岩稜で、強風にあおられ生きた心地はしなかった。しかし、眼下に中島を浮かべた屈斜路湖が望まれ天下の絶景である
 
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山頂はやっと10人ほどが立てる狭さ (川越氏撮影) 何故か山頂に「中山源兵」の碑が
 
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山頂からひと滑りして、振り返る 国道まで滑って、本日のフィナーレ
 

 
遠音別岳を目指す
 
メインイベントとも言うべき遠音別岳を目指す日がきた。この山は大小の沼が点在し水鳥の繁殖、憩いの場となっており、原生自然保全特別地域指定区域にあり、通常は入山できない。残雪期ならば自然への影響は最小であろうと思う。標高差1300mの長丁場であるので、前夜は、幕営とした。果たして成功するだろうか。
 
オンネベツ川の河口のサケマス孵化場の近くに幕営した
 
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テントの中で石狩鍋
飲めや歌えの大宴会となった。
テントの近くには、草もないのに何十匹もの
エゾシカが集まる。岩塩が出るのだろうか。
 
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翌朝、テントを出発してオンネベツ川沿いに30分ほど登ったところで、土砂崩れのため通過できず、
やむなく引き返す。右の写真の左端の崩壊部分が撮れていなくて、済みません!
 
代替ルートとして、オシンコシンの滝の上から登るルートを試みるが、
日帰りするにはすでに時間が足りなく、遠音別岳登頂を断念する。
 
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時間ができたので、知床自然センターを見学
 
展望台からフレベの滝を見る。右の絶壁の雪の切れているところから水が湧き出して滝になっている。
(俯瞰でパノラマ写真を撮ったので、水平線が湾曲して見える)
 
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ここでも夥しい数のエゾシカが生息している
 
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シカに樹皮を食われた木
 
シカに食われないためのネット
 
ネットの管理票 シカはハルニレとアオダモの木を食うようだ。
 
夕刻、宿舎の自然休養村管理センターに戻った。今日は遠音別岳に登れず残念だったが、美しい夕日が慰めてくれた。
 

 
知床の山よ、さようなら
 
皮肉にも、知床を離れ札幌へ帰る日は、かつてない晴天であった。早朝に宿舎を抜け出し、裏のスキー場に坪足で登ったり、早春の畑を何KMも歩き回って、知床の山に別れを告げた。
 
                               斜里岳
斜里岳(1547m)は知床半島の付け根に位置する均整の取れた美しい独立峰。夏期に登ったことがあるが、スキー登山の経験はない。厳しそうである。
 
      ウナベツ・スキー場                       海別岳
宿泊した自然休養村管理センターはこのスキー場の麓にある。スキー場の頂上から周りの山やオホーツク海の峰浜が展望できた。海別岳の中央の稜線を登ったのは3日前である。
 
  硫黄岳  羅臼岳  遠音別岳                         海別岳
知床と別れる日は知床連山が見渡せる晴天であった。 知床横断道路ができる前の年の夏に、妻とふたりで徒歩で横断して羅臼岳に登ったことを思い出す。 いつかまたスキーで訪ねることを念じつつ、森繁久弥の「知床旅情」を心の中で歌った。
 
「スキー天国の八甲田山」 と 「憧れの知床の山」で、山スキーを楽しむという人生最大の贅沢を実現して下さった日本山岳会の関係者並びにHASの川越氏、ご一緒して下さった皆さんに心から感謝します。
 

  
国内の山とスキーの
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