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南米4ヵ国の旅(2)----ペルー(プーノ、チチカカ湖)、ボリビア(ラパス)、
                   アルゼンチン(ブエノス・アイレス)

南米4ヵ国の旅(1)は、いかがでしたか。

南米4ヵ国の旅(2)では、ペルーのチチカカ湖からボリビアに入り、アルゼンチンのブエノス・アイレスまで行く。その間いくつかのプレインカやインカの遺跡を訪ね、ブエノス・アイレスではタンゴ・ショーを楽しむ。

インカの人たちは、文字も、鉄も、車輪も持たなかったが、独自の文化を築き上げた。特にインカ帝国は、13世紀末に発生し(伝承によればもっと古いが)、約200年間にアンデス山脈に沿って南北5000kmに及ぶ中央主権国家を建設したが、スペインの征服者フランシスコ・ピサロと僅か200人足らずの兵によって1532年に滅ぼされた。征服者は膨大な量の金を略奪し、インカの文化を破壊した。

スペインは南米各地に植民地を築いたが(ブラジルだけはポルトガル)、1810年から1825年に各国が独立し現在に至っている。しかしこの独立戦争は、入植白人と母国支配者との戦いであって、原住民は埒外であった。アルゼンチンのブエノス・アイレスは、入植者が母国への憧れを具象化した都市といえる。

ともあれ、南米4ヵ国の旅(2)を、ご覧下さい。


南米4ヵ国の旅(1)
  
ペルー(リマ、クスコ、ナスカ、マチュピチュ)

南米4ヵ国の旅(2)
  
ペルー(プーノ、チチカカ湖)、ボリビア(ラパス)、
  アルゼンチン(ブエノス・アイレス)

南米4ヵ国の旅(3)

  アルゼンチン(ブエノス・アイレス、イグアス)
  ブラジル(イグアス、イタイプー、マナウス、リオ・デ・ジャネイロ)


合せてご覧下さい。        (2007年3月〜4月)
アシを積み重ねて作った島
ウロス島の住民が歓迎してくれた
( チチカカ湖 )
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A
南米の地図
日本の地図は、地球の中心に対して
対称の位置に表示してある

今回の旅の訪問国は下記の4国である
 
 ペルー
 
 ボリビア
 
 アルゼンチン
 
 ブラジル
このホームページの3つの頁には、
それぞれ次の国が入っている

南米4ヵ国の旅(1)は、
  ペルー

南米4ヵ国の旅(2)は
  ペルー、ボリビア、アルゼンチン

南米4ヵ国の旅(3)は
  アルゼンチン、ブラジル

国  名 ペルー ボリビア アルゼンチン ブラジル
日本語名 ペルー共和国 ボリビア共和国 アルゼンチン共和国 ブラジル連邦共和国
首  都 リマ 政治・国会(ラパス)
憲法上・最高裁(スクレ)
ブエノス・アイレス ブラジリア
政  体 共和制 共和制 共和制 連邦共和制
独  立 1821-7-28 スペインから独立 1825-8-6 スペインから独立  1816-7-9 スペインから独立 1822-9-7 ポルトガルから独立
面  積 129万km 日本の3.4倍 110万km 日本の2.9倍 277万km 日本の7.3倍 851万km 日本の22.5倍
人  口 2793万人 日本の22%  886万人 日本の6.9%  3954万人 (日本の31%)  1億8611万人 (日本の1.5倍) 
民  族 インディヘナ47%、メスティソ40%、ヨーロッパ系12%東洋系1% インディヘナ55%、メスティソ32%、ヨーロッパ系13% ヨーロッパ系(スペイン人、イタリア人)97% インディヘナ3%、メスティソ3% ヨーロッパ系(ポルトガル人、イタリア人、スペイン人)53%、ムラート22%、メスティーソ12%アフリカ系11%
言  語 スペイン語・ケチュア語(以上、 公用語)、アイマラ語 スペイン語・ケチュア語・アイマラ語(いずれも公用語)、 スペイン語(公用語) ポルトガル語(公用語)
宗  教 カトリック 90% カトリック 95% カトリック 93%、プロテスタント2%、ユダヤ教2% カトリック80%
産  業 農業ではサトウキビ、ジャガイモ、トウモロコシ、コーヒーなど。輸出用の商品作物が多いため、穀類・肉類を輸入している。コカの生産量は世界有数。漁獲高は世界屈指。
地下資源は豊富で、銅、銀、亜鉛、鉄、石油を産し、主要な 輸出品である。工業は一次産品の加工が中心である。
農業はサトウキビやジャガイモを栽培し、羊・牛・アルパカを飼育している。零細で生産性が低く、主要な産物以外は輸入に依存する。
地下資源は豊富で、スズ、鉛、アンチモン、タングステンなどを産出。特にスズは世界有数。
70年ごろから石油と天然ガスの産出量が増加し、輸出も行われる。製造業は食品加工と軽工業程度。
国土の70%が平原で世界有数の農業国。小麦、トウモロコシ、ブドウが栽培され、5000万頭を超える牛と羊が飼育される。穀物、食肉、羊毛は主要な輸出品。
地下資源は最近開発され、石油は国内需要を満たす。工業は就業人口の25%に達し、食品加工、繊維、鉄鋼、化学などがある。
世界有数の農業国で、コーヒー、サトウキビを中心に、大豆、トウモロコシ、綿花などが大量に栽培される。コーヒーの生産量は世界一。牧畜では肉牛。いずれも世界中に輸出される。
地下資源では鉄、アルミ,、マンガン、石炭、金などが豊富。大規模な水力発電所がいくつもあり、電力の8割を水力でまかなう。サトウキビから自動車用アルコール燃料が作られる。南米随一の工業国で、鉄鋼、自動車、機械、兵器も生産される。
1人当り
GNI
2360米ドル (日本の6.3%) 960米ドル (日本の2.6%) 3720米ドル (日本の10%) 3090米ドル (日本の8.3%)
 (民族の欄について)
  
インディヘナは、先住民のこと。 インディオは、侮辱的な響きがあるとされるので、このホームページでは使わない。
 
 メスティソは、ヨーロッパ系とインディヘナの混血のこと。 ムラートは、ヨーロッパ系とアフリカ系の混血のこと。
7日目 クスコ→プーノ(ペルー)

クスコから「チチカカ湖」のプーノまで380kmのバスの旅である。途中、「ラクチ遺跡」、「ラ・ラヤ峠」、「シュスタニ遺跡」など見所が多い。

クスコのホテルを早朝に出発して、
バスでチチカカ湖に向う
クスコ(標高3400m)からラ・ラヤ峠(4313m)
までは、ビラカノタ川を遡る

ラクチ遺跡

クスコから2時間ほど走ったところに、ラクチ遺跡がある。ウィラコチャ神を祭ったインカ時代の神殿と言われている。しかし、インカ時代よりもかなり昔から神殿として機能していたという話もあるようだ。インカ時代の建築としては珍しい石と泥で造られた大きな壁は、他の遺跡では見られないという。

神殿の柱 神殿の壁と11本の柱の残骸(1本だけ復元) ガイドが見せてくれた図面 柱と壁の関係が分かる

貯蔵庫群(1軒だけ屋根が復元してある) スペイン軍のため逃げていた住民も今は遺跡の周辺に戻っている

広場にある素朴な教会 広場にある公衆トイレには、なぜだか、日本語と英語も書いてある



ラ・ラヤ峠

ラクチ遺跡から1時間余りほど走ったところに、
本日の最高地点「ラ・ラヤ峠」がある。

ヒツジが放牧されているラ・ラヤ峠は、両側の川を上り詰めた分水嶺である GPSは標高4358m
GPSは標高4358mを示すが、道路標識は4335mとなっていた。人工衛星で測定するGPSは誤差を伴うし、いったい標高は何処を基準に測るかという問題がある。 両者の間に23mの差があるが、ほぼ一致したと見るべきであろう。

例によって、峠には土産物屋や、リャマをつれたモデルのおばさんがいる

のんびりした景色を見ながらバスは峠を下っていく 途中で、プーノから登ってきた列車とすれ違う



シュスタニ遺跡

ラ・ラヤ峠から途中ランチボックスの昼食を楽しんだりして、3時間ほど走ったところに、今日の2つ目の見学地「シュスタニ遺跡」がある。

この遺跡はウマヨ湖に突き出た半島にある
 
このような円筒形の墓がたくさん建っている。
高いものは10mほどある

塔の下部には遺体を
入れる口がある
トカゲの浮き彫りは
何を意味するのだろうか
この草はイーチグラスといって、
屋根葺き材になる

インティワクナ(太陽の神殿)は、日時計だといわれている。
隣に月の神殿があり、生贄としてリャマの心臓が捧げられる。

シュスタニ遺跡から1時間ほど走って、夕方プーノの町に着き、チチカカ湖畔のホテルに泊まる



8日目 プーノ(ペルー)→チチカカ湖→ラパス(ボリビア)

チチカカ湖でウロス島を見て、湖畔でペルーからボリビアへ国境を越え、途中ティワナク遺跡を見学し、ボリビアの首都ラパスへ行く。

チチカカ湖

標高3890mのチチカカ湖の面積は琵琶湖の12倍、最大水深は281mである。汽船が航行する世界最高地点といわれている。湖の中央をペルーとボリビアの国境が通っている。。

朝、ホテルの前からチチカカ湖の汽船に乗る 船から、昨夜泊まったホテルが眺められる

このような葦でできた浮島が沢山ある 島の1つに上陸すると、島の中に池や畠がある

トトラ(葦)でできた浮き島をウロス島という。チチカカ湖にはこのような島が大小合せて40ほどあるから、「ウロス群島」というべきだろう! ウロス島は下のようにして造る。一度造ると25年もつが、月に2回ほどトトラを新しく敷き詰める必要がある。なぜウロス島に住むのかと聞くと、浮き島は税金が掛からないからだという。実は観光収入があるからだと思われるが---

合せて700人ほどがウロス島に住んでいる。彼らはウル族でチチカカ湖畔では最も古い民族といわれている。彼らは、彼ら自身の生活形態を守りながら、何代にもわたって島で暮らしている。

葦の茎の白い部分は食べられる 葦の根を切り出して浮島の土台にする その上に葦の茎を交互に積み重ねる 全体を縄で縛って島が完成する

食料に魚(マス)を獲る 魚は干物にする 玉子も採れる

可愛い島の幼児たち
 
ちょっと家の中を拝見
 
フジモリさんが太陽発電を
作ってくれたという

島からアシ舟に乗って出かける 小さな舟に12,3人も乗る 島の人が見送ってくれる

アシ舟は2人が魯で漕ぐ、結構速い 着いた島には歓迎の輪 そこは「ウロス群島」の小学校だった

子供達が「チューリップの花」などの日本の童謡を歌ってくれた。出口に募金箱があった。 日本から贈られた「習字」が掲げられている 子供の1人が自分の書いたノートを見せてくれた



ペルー・ボリビア国境

チチカカ湖の中央付近にペルーとボリビアの国境が通っているが、湖畔の国境検問所で入出国手続きをした。

ペルーでは皆、風呂敷を使って大きな荷物を担ぐ。右へ左へ早足に移動する様は風変りである。すべて女性!

国境のペルー側には「ご訪問
有難う!」と書かれた横断幕
ペルーの出国管理事務所
 
国境のボリビア側には「ようこそ
ボリビアへ!」と書かれた横断幕

ボリビアの町は、ペルーの町と色彩がちょっと違う こちらは皆車で荷物を運ぶ。女性であることは同じ。



ティワナク遺跡

ティワナク遺跡は、チチカカ湖沿岸から内陸へ約17 kmほど入ったところにある。現在の遺跡の大きさは1km×450mであるが、本来の遺跡の面積は4.2km、遺跡におけるかつての人口は1万〜5万人と想定されている。ティワナク文化は400年から800年頃まで続き、プレインカの文化にも影響を与えたと考えられる。ここはピラコチャなどの神々を崇拝する宗教都市だったと思われるが、標高3800mの高地になぜこのような壮大な都市が築かれたのかまだ謎とされる。

2000年に世界遺産に登録され、現在、遺跡は一部復元されているが、そのほとんどが徹底的に壊されており、また風化も激しいため、昔日の面影はほとんど残っていない。

遺跡に隣接した博物館 博物館には、主として石像が保存されている

世界遺産の標識 説明パネルもいくつか設けられている(これは遺跡全体を示すもの)

発掘中のアカバナのピラミッド  頂上部に貯水池と食料倉庫があり、要塞の役割を果たしていたと思われる

半地下神殿 神殿の壁面には180個もの人面像が付いている

太陽の門の上部にはピラコチャの神が刻まれている 拡声器や集音器になるというので、皆でテストする

ラパスへの途中、ボリビアの名峰 ワイナポトシ山(6088m左)とイリマニ山(6436m)か見えた

夕闇迫る中、ようやくボリビアの首都ラパスに到着した



9日目 ラ パ ス

ボリビアの首都ラパスでは、市街地、展望台、月の谷を見学した。

ラパス市内

ムリーリョ広場

中央に独立戦争で活躍したムリーリョの像が建つ 国会議事堂前には、ちょっとしたデモが出ていた

イタリア・ルネッサンス様式の大統領官邸 サンタクルス大統領の納骨堂?

カテドラル

キリキリ展望台

キリキリ展望台に登る 展望台からラパスの市街を望む 右にスクロールしてパノラマ写真をご覧下さい→→→

露天商でアンデス原産の野菜を探す

ジャガイモはアンデス原産であるだけに種類が多い。 原種のジャガイモには、ソラニン(ステロイドアルカロイドの一種)という毒が多く含まれるので、冷凍乾燥して毒を減して保存食料を作るという。(左から2番目の写真)

これらも南米原産だったかな?



月 の 谷

ラパス市の中心部から8kmほど離れたところにある「月の谷」へ行った。風雨による浸食によって作り出された地形が月の谷に似ているため、
この名で呼ばれている。

世界には「月の谷」と呼ばれるところは何箇所かあるらしい。その1つは
アルゼンチンの北西部イスキグアラスト州立公園にあるもので、三畳紀後期(2億3000万年前)の化石が出ることで有名で、2000年に世界自然遺産に登録された。ラパスの「月の谷」はそんなたいそうなものではないが、結構楽しめた。

砂岩のような堆積岩が風雨により浸食されて出来上がった地形である

アップ・ダウンのあるコースは楽しい 「悪魔の歯」と呼ばれるピークは谷の外にある

「貴婦人の帽子」と呼ばれる奇岩 「月の谷」の名物男、ここで笛を吹いてCDを売っていた

ここの「月の谷」は決して「死の世界」ではない。乾燥に強い植物が花を咲かせていた。



10日目 ラパス(ボリビア)→ブエノス・アイレス(アルゼンチン)

早朝からラパス空港で出発を待ったが、飛行機が遅れに遅れ、サンタクルス経由でブエノス・アイレスに着いたのは17時を過ぎていた。 ブエノス・アイレスでは生憎の雨、今は雨季の末期という

タンゴ鑑賞

「アルゼンチンへ行ったらタンゴを聴こう」 という夢が叶った。
夜10時に始まって、終ったのは12時だった。旅は体力勝負!

ここアルマセンは有名なタンゲリーア(舞台タンゴ)だそうだ バンドリーダーのカルロス・ガルバン

ピアノ バンドネオン ベース ヴァイオリン

美しくも情熱的なステップをご覧下さい


本場アルゼンチンのタンゴ・ショーをビデオでお楽しみ下さい

ブロードバンド環境の方は、下の画像をクリックすると、音声付きビデオをご覧になれます
( ホームページに掲載するため圧縮していますので、映像品質が悪いことはご容赦下さい )
定番のラ・クンパルシータ 3組の競演が見事 女王ビルヒニア・ルケは83歳という



11日目 ブエノス・アイレス

この日はブエノス・アイレスの市内観光だが、生憎の雨のため、ほとんどが車中からの見学になった。ブエノス・アイレスは「いい空気」の意であるのに残念! 南米のパリといわれるブエノス・アイレスはアルゼンチンの首都で、ラ・プラタ川河口に広がる大港町。改めてゆっくりと散策したいと思った。

コロン劇場
ミラノのスカラ座、パリのオペラ座と共に世界三大
劇場といわれる。1908年建造。現在は改修中。
大統領府
1873年から1894年にかけて建設されたスペイン・ロココ調の建物。ホワイトハウスならぬピンクハウス

カテドラル
1827年に完成したネオ・クラシック様式の大聖堂。南米解放の父マルティン将軍の棺があり、正面右の炎は完成時から絶えない
コロニアルな建築が立ち並ぶモンセラート地区  限りなくヨーロッパ風でありたいと願うアルゼンチンを象徴するかのようである。

ボカ地区はリアチュエロ河の河口にある。かつてはアルゼンチン随一の港で、夢を求めてやってきた移民で溢れていた。あの官能的なタンゴのステップはここのバーの片隅で生まれたという。 今の北港ダセルナ・ノルテができてボカ地区は寂れたが、ここカミニート(小路の意)は原色に塗られた独特の一角となっている。タンゴの名曲「カミニート」は、カミニート生まれの詩人フィリベルトが書いた。

海岸通りで見つけた洒落た地図(右のタンゴを踊る女性にご注意)

以上、旅の7日目から11日目までの4日間でした。これからブエノス・アイレスを出発してイグアスの滝へと18日間の旅は続きます。


南米4ヵ国の旅(2)は、いかがでしたか。
南米4ヵ国の旅(1)は、ペルー(リマ、クスコ、ナスカ、マチュピチュ)
南米4ヵ国の旅(3)
は、
アルゼンチン(ブエノス・アイレス、イグアス)、
                ブラジル(イグアス、イタイプー、マウナス、リオ・デ・ジャネイロ)

です。 引き続き、
下の [次へ] をクリックして、南米4ヵの旅(3)をご覧下さい。


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