フランス(1)---- ニース、サンポール、エズ、モナコ、カンヌ、マルセイユ、 エクサンプロバンス、アルル、レボー、サンレミ・ド・プロバンス、 アビニョン、ポンデュガール、ニーム、カルカソンヌ、トゥールーズ、 サンテミリオン、ボルドー、ポワティエ、ロワール古城巡りの旅 |
歴史の流れに沿って海外旅行をしてきた私にとって、産業革命のイギリスの次は、フランス革命のフランスということになる。 必ずしも歴史は一本の糸ではないし、それぞれの国には独自の長い歴史があるが、私はかねてからこのように決めていた。 フランスの地中海沿岸には古代ローマの遺跡が多い。 西洋文明の精神的基盤がギリシアとキリスト教にあるとすれば、実生活的基盤は古代ローマにあるといっていいだろう。 イギリスが名誉革命を成し遂げて立憲君主制に移行している頃、フランスではベルサイユ宮殿に絶対王制の華が咲いていた。 やがて民衆の怒りが爆発し、1789年にフランス革命が勃発した。 その後、フランスが芸術とりわけ絵画の世界で果たした功績は計り知れない。 特に印象派の画家たちはこぞってパリを舞台に活躍した。 地中海沿岸の南フランスにはこれらの画家が居を構え、素晴らしい作品を残してくれた。 フランスの四大河川といえば、ル・ロワール、ラ・セーヌ、ラ・ガロンヌ、ル・ローヌである。 男性定冠詞「ル」が付く河と女性定冠詞「ラ」が付く河とがある。 どうしてだろうか。 四大河川のうち、ローヌ河は地中海に、ガロンヌ河とロワール河は大西洋・ビスケー湾に、セーヌ河は大西洋・英仏海峡に注ぐ。 フランスの旅(1)は、セーヌ河を除く3つの河川の流域に相当する地方の旅である。 なお、今回は、ユーラシア旅行社の15日間のグループ・ツアーに参加した。 フランスの旅(1)は ニース、モナコ、マルセイユ、アルル、アビニョン、ポンデュガ ール、ボルドー、ロワール古城巡りなどの旅 フランスの旅(2)は モン・サン・ミッシェル、ベルサイユ、パリなどの旅 である。 合せてご覧下さい。 (2008年9月〜10月) |
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ポンデュガール (ローマの水道橋) | |||||||||||||||||||
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旅行の経路 |
ユーラシア旅行社のカタログに加筆 |
1日目 | 成田→ニース |
成田空港を11:40のオーストリア航空OS052便で出発し、ウィーンでオーストリア航空OS423便に乗り換え、フランスのニース・コートダジュール空港に、同日の21:55に到着。 15日間のフランスの旅の第1日目である。 |
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2日目 | ニース→サンポール→エズ→モナコ→ニース |
サンポール・ド・バンス |
ウイーンから空路フランス入りしたニースであるが、市内を見学したのは3日目。旧市街を見た後、シャガール美術館へ行く。 |
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丘の上に町が乗っているような「鷲の巣村」 | 瀟洒な住宅 |
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庭に咲くバラ | 南国らしいオリーブが実る |
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16世紀にできた城壁の中には画廊が多い | モザイクの石畳 |
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展望のよい高台にある墓地 | 97歳で他界した画家シャガールの墓 |
エズ |
ニースとモナコの中間にある小さな村エズは、哲学者ニーチェ縁の地でもある。 |
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海抜427mの岩山に貼り付いたここも「鷲の巣村」 | 頂上の城跡(今はサボテン公園)からの眺め |
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ドイツの哲学者ニーチェが、「ツァラトゥストラはかく語りき」の想を得たという「ニーチェの道」 |
昼食の前菜は、フォアグラ入り鴨のパテ |
モナコ |
フランスから入国審査もなく独立国モナコ公国に入る。 モナコと聞けば私には、「カジノ」と「F1グランプリ」と「グレース・ケリー」くらいしか思いつかない。しかし、 ギャンブルをしなくても、おとぎの国を訪ねたような気分になるから不思議である。 |
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モナコ・モンテカルロ地区は美しい地中海に面している |
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F1・モナコ・グランプリの「グランドホテル・ヘアピン」 | グランド・カジノの正面 |
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モナコ・ロッシェ地区(ロッシェとは岩の意味)にある大聖堂は、いわばモナコ公国の菩提寺である |
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金色のビザンチン・モザイクの キリスト像 |
南仏のラファエロといわれる ブレアが描いたピエタ(16世紀) |
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自ら運転する自動車事故のため52歳で没したグレース・ケリー(本名 パトリーシア・グラシア)の墓には、献花が--- | 誰が捧げたか、道脇にグレース・ケリー と レーニエ3世大公の写真があった |
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13世紀のジェノバ共和国の要塞の跡地に立つ大公宮殿と衛兵 | 海洋博物館 |
3日目 | ニース→カンヌ→マルセイユ→エクサンプロバンス |
ニース市内 |
お上りさんが押し掛けるところがパリなら、金持ちが集まるところが、ニースだという。 しかし、シャガール美術館などもあり、庶民にも楽しめる町である。 |
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ホテルのすぐ近くにあるノートルダム・バジリカ聖堂は、19世紀に建てられたというが古風である |
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流石、新しい技術で制作されたステンドグラスは鮮やか |
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ニースのメインストリート | 夏は賑わったであろうニースの海岸 |
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メインストリートを走る路面電車は、横丁に入るとパンタグラフと架線が現れる ヨーロッパでは、地球温暖化防止の見地から、環境にやさしいとして路面電車が見直されている。 ニースの場合は、歴史遺産地区では、架線を使わず充電したバッテリーにより走行する方式をとっている。 そのため架線なしで走れる距離は、1kmに制約されている。 |
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パリ行のTGVも出ているフランス国鉄のニース駅 |
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ニース旧市街の市場 (イチジク、干しキノコ、ニンニクなどの食料品のほか、衣類や絵画も売っている) |
ニースのシャガール美術館 |
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シャガール美術館の正式名は、 国立マルク・シャガール聖書の言葉美術館 |
97歳の天寿を全うしたシャガールの写真 |
展示室「聖書のメッセージ」の一部 |
コンサートホール |
「聖書のメッセージ」12作品から6つ |
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ノアの方舟 | アブラハムと3人の天使 |
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イサクのいけにえ | 燃える柴の前のモーゼ |
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岩を打つモーゼ | 律法の石版を受けるモーゼ |
「雅歌」5作品から4つ |
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雅歌T | 雅歌U |
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雅歌V | 雅歌W |
カンヌ |
ニースと並ぶ高級リゾート。 映画祭で日本人にも馴染み深い町。 |
カンヌ国際映画祭の会場 写真関係の催しをやっていた |
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映画に因んだ有名人の手形タイル | 女優のソフィア・ローレン | 監督の黒沢明 |
マルセイユ |
マルセイユ雑談 |
マルセイユはフランス最大の港湾都市。 2005年の人口は約82万人でパリに次ぐフランス第2位。 紀元前3〜前2世紀のポエニ戦争ではローマ側につき、カルタゴと敵対した。紀元前49年からのカエサルとポンペイウスの間で起った内戦では、ポンペイウスを支持したが敗北し、自治都市として有していた権限を大きく縮小された。因みにこのときカエサル側についたアルルはローマのお蔭で栄えたという。 フランスの国歌「ラ・マルセーズ」は、当初、フランス革命政府によるオーストリアへの宣戦布告の知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが一夜にして作詞作曲したものであり、このとき付けられたタイトルは『ライン軍のための軍歌』であった。その後、テュイルリー宮襲撃の際、パリ入城を果たしたマルセイユ義勇軍によって歌われたのをきっかけとして、現在の『ラ・マルセーズ』という名前になり、さらに1795年7月14日には国歌となったという。 |
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地中海の港町にはアラブ系の住民も多い。 フランスの物乞いは、コップ片手に黙って座っている。(いずれも車窓から) |
ノートルダム・ド・ラ・ガルド教会 (見守りの聖母教会) |
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標高161mの山頂に建つビザンチン様式の教会 高さ41mの鐘楼の上に、黄金の聖母子像が輝く |
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黄金の聖母子像 | ビザンチン様式は、どこかイスラミックで美しい |
夕映えのマルセイユの旧港 山上のノートルダム・ド・ラ・ガルド教会が見える |
4日目 | エクサン・プロバンス→アルル |
エクサン・プロバンス |
エクスは、ローマ時代の将軍セクスチウスが水の多いこの地を治めたことに由来する。 15世紀初めに大学ができ、プロバンス地方の法と政治と学問の中心地になった。 セザンヌはここに生れ、ここで亡くなった。 |
サン・ソブール大聖堂 |
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5世紀から17世紀のさまざまな様式が 入り組んだサン・ソブール大聖堂 |
水に浸かる洗礼堂 |
身廊から主祭壇を見る |
ミラボー大通りと周辺 |
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画家のセザンヌが学んだ旧法学部 彼は、銀行家の父の意思に従い、エクス大学 法学部に入学したが、結局は画家の道に進んだ。 |
旧穀物倉庫(現在は郵便局)の破風 男性はローヌ河、女性はデュランス河 (足を出しているのは暴れ川だから) |
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市庁舎 | セザンヌのレリーフのある噴水 |
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プラタナス並木のミラボー大通り 今日は衣料品の市が出ていた |
ミラボー大通りの突き当りにあるロトンドの噴水 農業・平等・芸術を象徴する3人の女神像 |
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ブドウの房を持つルネ王の像 | セザンヌの像の前に陣取る物乞い |
セザンヌのアトリエ |
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1902年から1906年にセザンヌ自身が設計し使用したアトリエ(内部は撮影禁止) |
ローブの丘 |
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セザンヌのアトリエから遠くないローブの丘 から眺めるサン・ビクトワール山 |
セザンヌは、石灰岩のサン・ビクトワール山が、太陽の光を受けていろいろな表情に変わるのを絵にした |
フランスには風力発電所が多い。 石油資源に乏しく、電力の70%以上を原発に頼っているフランスとしては、風力は大切なエネルギー源。車窓から見える風力発電所を数えてみよう。 |
アルル |
アルルは、ローヌ河に面し、フランスの市町村では最大の面積を持つ人口5万強の市である。 ローマの遺跡が多い。 ゴッホがオランダ人であることを忘れるくらいゴッホとの縁が深い。 |
ゴッホの「はね橋」 |
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ゴッホが描いた「はね橋」と類似のものが運河に架けられている。 ゴッホの絵の写真も置かれている。 |
ゴッホが入院していた病院 |
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ゴッホが耳を切った後、入院していた病院(現在は複合文化施設)を訪ねた。 中庭は絵を元に復元され、ゴッホの絵も置かれている。 |
サントロフィーム教会 |
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サントロフィーム教会は、12世紀にできたロマネスク様式。 入口正面の彫刻には、キリストと四大福音書史家が描かれている。 |
ゴッホが描いた「夜のカフェテラス」 |
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ゴッホが描いた「夜のカフェテラス」の写真 | 「夜のカフェテラス」は、残念ながら、今は営業中止のようだ |
円形闘技場 |
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ローマ時代の遺跡、円形闘技場の昼と夜 |
2万人収容できる。 異なる身分の人が鉢合わせにならないよう入口も通路も別々になっているという。 |
古代劇場 |
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円形闘技場に隣接して、ローマ時代の1万人収容の劇場がある。 今復元中で2本の円柱が残っている。 |
夏の公園 |
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古代劇場に隣接して「夏の公園」がある。 耳を切ったゴッホの肖像があるのは、ゴッホにとってもいささか残酷である。 |
5日目 | アルル→フォンビェイユ→レボー→サンレミ→アビニョン→ポンデュガール→アルル |
フォンビェイユ |
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ドーデの短編小説「風車小屋便り」の舞台となった風車 | アルフォンス・ドーデの像 |
レ・ボー・ド・プロバンス |
レボーはアルピーユ山地の断崖に囲まれた台地の町、「フランスの最も美しい村々」に選ばれたという。 中世には人口4000を数えた南フランス最強の町も、今は人口僅か200となり、「兵どもが夢の跡」というところ。 |
サントン人形博物館 |
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プロバンスの人々をモデルにした、手作りの粘土人形であるサントン人形が展示されている |
サン・バンサン教会 |
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岩をくりぬいて造られた10世紀の部分が基になり時代ごとに拡張・修復された。 近代的なステンドグラスは1955年にモナコ王室から寄贈されたものという。 |
城塞跡 |
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展望のよい要塞跡からオリーブ畑が見える | 投石機が何基か置かれていた |
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周りは石灰岩の山である | 石灰岩の中に貝の化石が見つかった |
サンレミ・ド・プロバンス |
サンレミ・ド・プロバンスといえば、画家ゴッホが入院した精神病院があることで知られている。 また、ここには古代ローマ時代の遺跡も残されている。 |
ゴッホのオリーブ畑 |
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ゴッホが描いた「オリーブ畑」の写真を掲げた畑があった |
サンポール・ド・モーゾール修道院 |
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ゴッホが入院していた精神病院 |
ゴッホの部屋が再現さfれていた |
古代ローマ遺跡 |
1世紀に建てられた古代ローマ時代の凱旋門と霊廟が保存されている |
アビニョン |
アビニョンは、「法王のバビロン捕囚」や「アビニョンの橋」で有名な、ローヌ河のほとりの町である。 |
昼食 |
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前菜は、ズッキーニのフラン | 主菜は、七面鳥の串焼きラタトゥユソース |
法王庁とノートルダム・デ・ドン大聖堂 |
14世紀初頭、ローマ法王庁とフランス王の間では勢力争いが絶えなかった。そんなとき法王に選ばれたのが元ボルドーの大司教でフランス人のクレメンス5世。 度重なる抗争に疲れ、1309年フランス王の庇護を求めてローマからアビニョンに移ることを決意した。 法王庁を思いのまま操ろうとしたフランス王の圧力があったことはいうまでもない。 以後1377年までアビニョンで7人の法王が立つことになった。 この間、アビニョンは法王庁宮殿をはじめ、教会などの豪華な建造物が建ち、文化芸術が栄えた。(青谷匡美氏より) |
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法王庁宮殿は強固な石壁に囲まれている。 創建者ベネディクト12世が建てた旧宮殿、引き続きクレメント6世が建てた部分の新宮殿があるが、聖像などはフランス革命の際に破壊され、内部は広いばかりの空洞。 撮影禁止も肯ける(?) | 法王庁は基岩の上に 建てられていることが分かる |
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法王庁の左隣にあるノートルダム・デ・ドン大聖堂の尖塔には、黄金のマリア像がある |
アビニョンの橋 |
「アビニョンの橋で踊ろうよ---」という歌で有名なアビニョンの橋、正しくはサン・ベネゼ橋。 建設当時は当然向こう岸に繋がっていたが、度重なるローヌ河の洪水の被害で、4つの橋桁だけが残る。 |
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対岸から、アビニョンの橋、ノートルダム・デ・ドン 大聖堂、法王庁宮殿を望む |
ブドウ畑の向こうに風力発電所 |
ポン・デュ・ガール |
ポン・デュ・ガールはローマ時代の水道橋遺跡。 ユゼスの水源から50kmも離れたニームまで水を導く。 その間の高低差は17mしかない。 これは1kmあたり34cmの勾配で、ローマ帝国の土木技術が非常に高水準であったことがわかる。
橋の全長は275m、高さは49m、使われた石は推定5万トン、 これを西暦38年から52年までの15年間で完成したという。 |
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ガルドン川の上流側から見るポン・デュ・ガール水道橋 |
下流側に設けられた人馬橋を歩く人から橋の大きさが分かる |
6日目 | アルル→ニーム→カルカソンヌ |
ニーム |
ニームには、アルルと同様ローマ遺跡が多いが、こちらの方が古くフランス最古のローマ都市である。 アルルと異なり、こちらはほとんどがプロテスタント(新教徒)。宗教改革時代にカソリック(旧教徒)を虐殺したユグノー派(プロテスタント)の根拠地となり、ナントの勅令が廃止されたとき、プロテスタントの亡命地にもなったという。 |
ナントの勅令 1598年4月13日にアンリ4世が発布。 プロテスタントに対してカソリックとほぼ同じ権利を与え、近代ヨーロッパでは初めて個人の信仰の自由を認めた。
この勅令によって、フランスの宗教戦争(ユグノー戦争)は急速に収まりを見せ、フランスの国家統一に役立った。 国家財政も安定し、17世紀のフランスの大国時代を作り上げた。 |
ニームの町の車窓から見えた特異な建物は、黒川紀章氏の作品だという |
メゾン・カレ |
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1世紀アウグストゥス帝の時代に建てられたローマの神殿。 これを見ると、ローマ美術がギリシャの模倣 だといわれても仕方がない。 現在修復中で、清掃すると美しいコリント式の柱頭が現れる。 |
旧市街 |
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ニームの町の市章は「ワニ」と「ヤシの木」 市庁舎の天井にも噴水にも幅を利かしている |
ローマ遺跡「円形闘技場」 収容人員2.5万人、長径133m、短径101m |
天幕を張るためのロープを取りつける支柱の穴もある |
ニームからカルカソンヌへの車中から見た風力発電 |
カルカソンヌ |
カルカソンヌはオード川を挟んだ町。右岸は二重の城壁に囲まれたシティ、左岸はカルカソンヌ駅のある下町。 町の名前カルカソンヌは、カール大帝がこの都市の攻略をあきらめ退散するときに、当時町を治めていた女性カルカス (Carcas) が勝利の鐘を鳴らした (sonner) ことに由来するという。 |
コンタル城 |
二重の城壁の中にシティはある。シティで昼食。 |
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前菜は、パテとサラダ | 主菜は、牛肉のワイン煮 |
シティから空濠を渡り、城内へ |
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物見櫓から城外の町を眺める |
物見櫓の内部には 結構木材も使われている |
城壁にある劇場、夏にはコンサートやオペラが行われるという |
サン・ナゼール・バジリカ聖堂 |
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城壁内にあるサン・ナゼール・バジリカ聖堂は、ロマネスク様式とゴシック様式が融合している |
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13世紀の美しいバラ窓 | 16世紀の国宝級のパイプオルガン |
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城外のカルカソンヌ駅の近くを流れるミディ運河の水門 |
イルミネーションの美しいコンタル城 |
7日目 | カルカソンヌ→トゥールーズ→サンテミリオン→ボルドー |
トゥールーズ |
旧市街にレンガ造りの建物が並ぶので、「バラ色の街」と呼ばれるトゥールーズは、今ではエアバス、アリアンロケットなどの航空・宇宙産業の中心地である。 |
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教会と風力発電 古いものと新しいものの組合は いかにもフランス的である。 |
車窓から見るアリアンロケットのモニュメント アリアンロケットはEUが誇る実用衛星打ち上げ実績最多のロケット。取りまとめの会社がトゥールーズにある。 |
サン・セルナン・バジリカ聖堂 |
サン・セルナン・バジリカ聖堂は、3世紀にトゥルーズにキリスト教を広めた聖セルナンに奉献された。 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路沿いの教会として、多くの巡礼者をピレネーへ送り出した。 |
早朝の市場でストッキングを売る店が 聖堂正面を陣取っているのが、何とも面白い |
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珍しい5廊式の聖堂 主祭壇に向かって、中央が身廊、両側に2つづつあるのが側廊、多くの聖堂は単廊式または3廊式 |
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試食したスミレの花の砂糖漬け (お土産に買ったら珍しがられた) |
ジャコバン修道院 |
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1215年に設立されたドミニコ修道士会が 最初に建てた修道院 |
修道院の中庭 |
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折からの朝日で、幻想的な雰囲気があった |
主祭壇下には聖トマス・アクイナスの遺骨が 納められているという |
市庁舎 |
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ベルニュイ館 当時藍染料で富を得た商人の大邸宅(現在は中学校) |
市庁舎の正面 |
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入口を入ると、中央上部にフランス王アンリ4世の像がある | 市庁舎ながら、ベルサイユ宮殿のような豪華さ |
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市庁舎前広場は、航空路の交差点であろうか | 昼食の前菜はフォアグラ |
サンテミリオン |
ボルドーに程近いサテミリオンは、なだらかなブドウ畑に囲まれた小高い丘の上の小さな町。 良質のワインの産地である。 |
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種子を収穫する前のヒマワリ畑 | トウモロコシ畑 | ブドー畑とシャトー |
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PETRUS赤のビンテージの価格表 2003年は3700EU | モノリス教会は一枚岩の教会ともいわれる |
モノリス教会の上からの眺め |
シャトー・フランメイン |
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シャトー・フランメインは、2005年からベルギー人が所有者になったグラン・クリュ・クラッセ格付けのシャトー | 第1次アルコール発酵用のオーク製(高級用)とステンレス製(普通用)のタンク、ここで1か月 |
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第2次アロマクテック発酵用オーク製たる、ここで 6か月 |
元石切り場のセラー、ここで12か月 |
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セラーの中で試飲する | ブドウ畑に植えられたバラ |
バラについてのクイズ ブドウ畑にバラが植えている理由のうち、正しいものはどれか。 @バラはブドウに代わって病気になってくれる (身代り説) Aバラは病気に罹りやすいので病気の兆候がつかめる (兆候説) B景観を良くするため。 (バラとワインのイメージの重視説) 本当はBらしい。 |
サンテミリオンからボルドーへの途中の車窓から、発電所の冷却塔が見えた。多分原子力発電所であろう。 発電所は多量の冷却水が必要であるので、日本では海岸に建設される。 フランスは大陸であるので、大きな河川沿いに建設される。我が国の電力の中の原子力の割合は約30%であるが、フランスは電力の70%以上を原発に頼る原発大国である。 |
8日目 | ボルドー→ポワティエ→トゥール |
ボルドー |
ローマ時代から良港を持つ町として栄えたボルドーは、フランス革命の引き金となったジロンド派を生み出したり、モンテスキューやモンテーニュを世に送り出したり、歴史的にも興味深い街である。 しかし一番馴染み深いのは、ワインの話題であろう。 |
カイヨー門は16世紀にできた町の正門、続く大通りがビクトル・ユゴー通り |
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ガロンヌ河に架かるピエール橋 尖塔はサン・ミッシェル聖堂(高さ114m) 橋の袂はカイヨー門 |
市庁舎は18世紀の大司教館 ボルドー市長アランジュペ氏は、 環境大臣であるという |
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ゴシックのサンタンドレ大聖堂 | 北門の扉の上のタンパンには、最後の審判、キリスト昇天の彫刻がある |
大劇場 18世紀にビクトル・ルイが建造、12本の円柱の上には12の女神の彫像がある |
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カンコンス広場に建つジロンド派記念碑 ジロンド派はフランス革命時にできたフランスの政治クラブの一つである。 名称は、ジロンド県出身者の上流ブルジョワ階級が多数を占めたことに由来する。 ジロンド派のお蔭で第3共和政が成立したが、 |
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ノートルダム教会 1828年にゴヤの葬儀が行われた |
経済や軍事面でのジロンド派の失政により、中央政界での基盤を失うことになった。 |
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この路面電車は、郊外では架線から電気を取るが、風致地区の旧市街に入ると架線はなくなる。 ボルドーでは、バッテリー方式ではなく、地面から電磁誘導(トランスの原理)で電気を取る方式を採用 している。 この方式では、ニースのバッテリー方式のように架線なしで走行できる距離が制約されない。 |
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ヴィクトル・ユゴー通りから脇道に入る | 10分ほど歩いたところに、モンテーニュが住んでいた家を見つけた |
モンテーニュは、ボルドーに近いモンテーニュ城で生まれた。実家は商業を営み富裕であった。 父は政治にも熱心でボルドーの市長を務めたことがある。 トゥールーズで法学を学び、フランスの法官になった。
1557年、ボルドーの高等裁判所に務めた 。1568年、父の死によりモンテーニュ城を相続した。 1570年、37歳で法官を辞任して故郷に戻り、やがて『エセー(随想録)』の執筆を初めた。 フランス宗教戦争(1562-1598年)の時代にあって、モンテーニュ自身はローマ・カトリックの立場であったが、プロテスタントにも人脈を持ち、穏健派として両派の融和に努めた。 主著『エセー(随想録)』を1580年に刊行した。 フランスのモラリスト文学の基礎を築いたとも評されこの主著は、体系的な哲学書ではなく、自分自身の経験や古典の引用を元にした考察を語っている。 宗教戦争の狂乱の時代の中で、寛容の精神に立ち、正義を振りかざす者に懐疑の目を向けた。 プラトン、アリストテレスなど古典の文献からの引用が多く、聖書からの引用はほとんどない点が特徴的である。 (Wikipediaより引用) |
ポワティエ |
古くからこの町は多くの征服者たちを誘ってきた。 イスラム教徒を撃退したトゥール・ポワティエの戦い。 「神のお告げ」を聞いたジャンヌを疑っていた聖職者たちが、3週間に渡る審理の結果、ジャンヌを認めたのも、ここポワティエ。 十数年前フランス政府が日本製ビデオデッキの輸入を制限するため税関事務所をここに設け、日仏貿易摩擦の象徴となったことがある。 |
ノートルダム・ラ・グランド教会 |
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ノートルダム・ラ・グランド教会は、松ぼっくりのような屋根が印象的な12世紀の教会 |
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12世紀ロマネスク彫刻がほどこされた正面 左から、アダムとイブ、バビロニア王、4人の預言者、、受胎告知、 エッサイの樹、キリスト降誕、子供の洗礼、ヨセフの瞑想、救い主キリストを喜ぶ人たち、などだという。 |
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宗教戦争で 顔を破損されたキリスト像 |
内部の彩色幾何学模様の柱 |
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奇跡の鍵を持つ聖母子像 |
市内散策 |
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行き先別の3色の線に沿って歩く | 教会の周辺には、木組の古い家が並ぶ |
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ポワトゥー伯アキテーヌ公宮殿(今は裁判所) の前に建つジャンヌ・ダルク像 |
ジャンヌ・ダルクは、1429年シノン城 からポワティエに移され、審問を受けた |
ジャンヌ・ダルク(1412年 - 1431年)は、「オルレアンの乙女」とも呼ばれ、フランスの国民的英雄であり、カトリック教会の聖女。 英仏間の百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされる。
コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になった。 ジャンヌは1425年に初めて「オルレアンの包囲を解いてフランスを救へという神のお告げ」を聞いた。 ジャンヌを疑っていた聖職者たちも、ここポワティエでの3週間に渡る審理の結果、ジャンヌを認めた。 |
おやつは、ポワティエの菓子マカロン |
9日目 | トゥール (ロワール古城巡り) |
それぞれの古城には、愛と憎しみ、血みどろの権力闘争の物語があるが、ここでは、ただロマンティックな外観を楽しむことにしよう。 |
アンボワーズ城 |
ロワール河の中州から遠望するアンボワーズ城 |
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フランソワ1世に招かれたレオナルド・ダ・ビンチが晩年を過ごした。 |
シュノンソー城 |
アプローチは長いプラタナス並木道 |
A | ||
樹下にシクラメンが咲いていた |
A | ||
城内の菜園 | 城内の農家の家 |
やっと現れたシュノンソー城 |
シャンボール城 |
シャンボール城はフランソワ1世の狩りの別荘、ロワールで最大規模の城 |
A | |||
見事な左右対称 |
ダビンチが設計したという2重らせん階段 2つの入口から入った2人は決して途中で顔を合わせない。 多くの城に「らせん階段」があるが、2重らせんはここだけ。 |
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帰り際に車窓から見た騎馬警官 |
メナール城 |
車窓から見たメナール城 ルイ15世の公妾、美貌の女傑ポンパドゥール侯爵夫人が所有していた |
ブロワ城 |
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ブロワ城の入口のある建物 | 入口の上のルイ12世の騎馬像 |
中庭から見る異なる時代の3つの棟 右に、らせん階段が見える(もちろん1重らせん) |
プチ・トランで市内観光 |
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トゥールの町に戻り、プチ・トランで市内観光 上の画像をクリックすると、プチ・トランのビデオをご覧になれます |
フランスの旅(1)は、いかがでしたか。 フランスの旅(2)は、モン・サン・ミッシェル、ベルサイユ、パリなどの旅です。 引き続き、下の [次へ] をクリックして、フランスの旅(2)をご覧下さい。 |
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