米国西部国立公園巡り(1)----イエローストーンNP、グランドティトンNP、ソルトレークシティ、 キャニオンランズNP、アーチーズNP、モニュメントバレー、メサベルデNP (NPは国立公園) |
米国には観光旅行をしたいとは思っていなかった。米国建国の聖地である東部を除いて歴史的に興味がなかったからである。しかし国立公園といえば話は別である。今までに訪ねた米国の国立公園はハワイのハレアカラ国立公園とハワイ火山国立公園だけだ。 もともと米国はやりたい放題の国であったと思う。(今でもそうだという人も多いだろう) 西部開拓時代に数千万頭いたというバッファロー(アメリカバイソン)は、猟銃による狩猟が行われるようになると、1000頭未満にまで減少した。現在は保護され、数十万頭まで回復したとされる。 米国は国立公園発祥の国である。国立公園は、「自然を保護すること」と「自然の恩恵を国民のために利用すること」を見事に両立させている。どこかの国のように「山は交通の便を悪くして、人が入りにくいようにした方が保護できる」などと真剣に議論する国とは違うようだ。 一方、フロンティアを求めて西へ進んだ「西部開拓魂」は、西海岸に着いたとたん行き場を失って黒船に乗って日本を開国させるというお節介になった。しかしフロンティア精神は宇宙開発など科学技術の面でいかんなく発揮されている。徳川時代260年間鎖国して、限られた土地と資源の中で緻密な文化を咲かせてきた日本人とは伝統が全く異なる。 今回の旅では、米国の自然そのものを見、自然の恩恵を国民のためにどのように利用しているかを見、さらに西部開拓魂の一端を垣間見ることができればと、期待している。米国を個人で旅行するにはレンタカーは必須で、小生には無理である。幸い、ユーラシア旅行社のグループ旅行に私の好みに合うものが見つかり、妻と一緒に出かけた。 米国西部国立公園巡り(1) は、「イエローストーン、アーチーズ、モニュメントバレーなどの旅 米国西部国立公園巡り(2) は、グランドキャニオン、デスバレー、ヨセミテなどの旅 である。 合せてご覧下さい。 (2010年6月)
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米国西部国立公園など訪問地 |
赤字は国立公園、 青字は国立公園以外(名勝地、都市等)、 シアン色は主要な三河川を示す |
1日目 (6月12日) |
成田→シアトル経由→ビリングス(泊) |
成田空港を、デルタ航空のDL296便A330型機で出発し、シアトル空港で アラスカ航空AS2434便に乗り換え、夕刻ビリングス空港に着いた。 |
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アラスカ航空AS2434便は、 76席のボンバルディア製のQ400型プロペラ機 |
離陸するとすぐに、ワシントン州のレーニア山が見える レーニア山は、カスケード山脈の最高峰である成層火山(4,392 m) |
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地上に見える円形のパターンはスプリンクラーで灌漑された牧草地 |
ストライプ状のパターンもスプリンクラーで灌漑された牧草地だろうが、なぜ一行置きに散水するのだろうか。 |
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蛇行する川。アメリカは広いので、田舎の川は蛇行するままに放置されている。右下に蛇行から出来た三日月湖らしいものが見える。 | 面白い地形が見えたが、どうして出来たのか分らない。 |
2日目 (6月13日) |
ビリングス→イエローストーン国立公園(泊) |
ビリングスからイエローストーン国立公園へ |
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ビリングスからイエローストーン川を遡ってイエローストーン国立公園に向かう。川と鉄道と道路が並行して走っていて、西部開拓史の一端を見ることができる。 | 川沿いに沢山のキャンプ場がある。アメリカでは定年後、大きなキャンピングカーで国中を旅するのを楽しみにしている人が多い。このために定年を早める人もいるという。 |
西部開拓の際に、先ず馬に乗って、川に沿って狩や漁をしながら遡行し、定住するようになった。やがて川に沿って鉄道が敷かれ、鉄道を保守するための道が作られた。現在はさらに高速道路が作られている。 |
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アメリカは何でも規模が大きい。 (左)10mほどの高さに積まれた木材、(右)保存されている牧草 |
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直線的に移動するスプリンクラ | 円形(ここでは半円形)に移動するスプリンクラ |
イエローストーン国立公園 |
イエローストーン国立公園は1872年に出来た世界最初の国立公園。とてつもなく広い。面積8,987km2というから四国の半分くらいある。2日がかりで見学する。 |
北門から入る |
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国立公園の入り口近くに必ずある標識 | この公園には大きなアーチがある |
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あ | ||
アーチの表には「名称」と共に「歴史」が刻まれている→ アーチの裏には「人々の恩恵と娯楽のために」と書かれている↑ |
1872年に大統領がイエローストーン公園法に署名し、 イエローストーンは世界で初めての国立公園となった |
看板にインタープリテーション(自然解説活動)部門とある | ||||
北門から入ったところのビジターセンターは、公園の本部でもある | 木の化石「桂化木」 | 庭先にプレーリードッグ |
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ビジタセンターには、国立公園発足時は軍隊が担当していたとある | 本部の近くにはかつての兵舎らしき建物も残されている |
マンモス・ホットスプリングス |
北門から入って最初の温泉地帯が、マンモス・ホットスプリングスである。 |
マンモス・ホットスプリングスの入り口に、デンと構える石灰岩の壁 |
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テラスマウンテンはトルコのパムッカレのようなもの。 温泉に溶けたカルシウムが沈澱し、テラスを作っている。 |
リバティ・キャップ 温泉の沈殿物が溜まったもの |
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アンテロープの群れ | エルク | バイソン |
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ジュニパの実「ジュニパー・ベリー」 ジンの香り付けにつに使われる |
ブルーバードだという |
この鳥の名は? |
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Arabis lyrata(ハタザオの仲間) | Delphinium tricorne(ヒエンソウ) | ? |
峠を越えて滝の展望台へ |
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イエローストーンで一番高い標高2700mの峠を越えると、黄色い大峡谷が現れる。鉄分を含む黄色い石の存在から、インディアン達に“Mitzi-a-dazi”(「黄色い石のある川」の意)として知られていた。黄色い色は一般に信じられているように硫黄分の色ではなく、熱水作用によって変色した鉄分の色である。 | 黄色い層の間には溶岩の柱状節理が見られる |
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タワーフォール. | 滝見台にシマリスがチョロチョロ現れる |
アーティスト・ポイント |
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アーティスト・ポイントからロワー滝 | ロワー滝の全景が見えるところに移動 |
アッパー滝 |
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さらに移動してアッパー滝を見る | 帰路にバイソンの大群に出会う |
マッド・ボルケーノ |
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泥状の温泉をマッド・ボルケーノという。別府温泉の坊主地獄のようなもので、日本人には珍しくない。 |
グランド・ビレッジ・ロッジ |
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ロッジとレストランはちょっと離れていて、散歩気分 | 夕食はハーフチキン |
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夕食後イエローストーン湖まで、散歩に出る |
3日目 (6月14日) |
イエローストーン国立公園(滞在) |
大陸分水界のアイサ湖 |
朝一番で、Continental Divide(大陸分水界)を見に行く。Divideは一般には「分水嶺」と訳されるが、必ずしも嶺ではないので地理学用語では「分水界」という。ここでは珍しく湖が分水界になっている。 |
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アイサ湖の西端(左手)は、ファイアホール川、マディソン川、ミズリー川、ミシシッピ川と名が変わり、メキシコ湾に注ぐ。 | GPSによると、ここは 北緯44°26′31.0″ 西経110°43′06.3″ 標高2537m |
アイサ湖の東端(右手)は、ルイス川、スネーク川、コロンビア川と名が変わり、太平洋に注ぐ。 |
オールド・フェイスフル・イン |
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1904年に完成した世界最大のログキャビン。近くで山火事があったときは消防士は必死で火災から守ったという。 |
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ログキャビンの内部は、吹き抜けのロビーと巨大な暖炉が古き良き開拓時代を思い起こさせる。 ロビーにはオールド・フェイスフル・ガイザーの、次の噴出予定時刻が掲示されている。 |
オールド・フェイスフル・ガイザー |
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噴出を待つ人達。 間欠泉は約65分ごとに噴き上げる。その時間が正確なので、Fathful(忠実な)Geyserといわれる。 |
イエローストーン カルデラ |
イエローストーンには古いカルデラが見られるという。オールド・フェイスフル・ハイキングコースの西側に、 カルデラの壁と思われる玄武岩の山脈が見えたので、パノラマ写真を撮る。 |
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望遠レンズでも撮影。カルデラの壁と思われるところに柱状節理が確認された。 帰宅後GoogleEarthにより計測した撮影地点の標高は2200m、山脈の標高は 最高2900mであるから、比高約700mのカルデラ壁が見えたことになる。 |
http://scienceblogs.com/eruptions/2010/02 |
イエローストーン地区の火山活動について Wikipediaを改変 イエローストーン地区は北アメリカ大陸最大の火山地帯である。巨大カルデラの形成を伴う超巨大な噴火が約220万年前、約130万年前、約64万年前の計3回起こり、それ以外にも小規模な噴火は約7万年前まで続いていた。現在でも地下には非常に大量のマグマが溜まっており、近い将来(数十万年以内)にまた破局噴火を起こす可能性が高いとされている。地下のマグマだまりのサイズは様々な研究の結果、ほぼイエローストーン国立公園全体の面積に等しい途方もない大きさであることが確認されており、一部の地殻が破壊されただけで急激な減圧が発生し、地下のマグマから大量のガスが発生することを引き金に、人類の生存を左右するほどの気候変動を起こしかねない噴火が起こりうると危惧されている。現在 マグマが噴出している場所はないが、地殻が活発に隆起したり沈降したりしていることが確認されており、地下のマグマの移動によるものとされている。 1806年にルイス・アンド・クラーク探検隊を離れて猟師達に加わった元隊員のジョン・コルターが、非インディアンとして初めてこの地域を訪れたとされている。その後、クロウ族とブラックフット族の戦いに巻き込まれて負った重傷の床で、彼はこの地を「火と硫黄」の地であると述懐した。しかしこの記述は熱に冒されていたためのうわごとだと捉えられ、人々はその土地の事を「コルターの地獄」と呼んだ。 1857年にイエローストーン地区を探検したジム・ブリッジャー は沸騰する泉や空高く飛び出す水、ガラスや黄色い石で出来た山の事を人々に話したが、ブリッジャーは法螺吹きとして通っていた為にほとんど信じてもらえなかった。しかし彼の話に興味を持った探険家兼地質学者のファーディナンド・ヘイデン は、1859年にブリッジャーとアメリカ陸軍測量官のレイノルズを伴って2年の予定でミズーリ川上流の測量の旅に出かけた。一行はイエローストーン地区の入り口まで達したが、豪雪のために先に進めなかった。更に南北戦争のために探検は中止を余儀なくされ、ヘイデンが探検を再開するのは11年後になる。 モンタナ州測量長官ヘンリー・ウォシュバーン 率いる探検隊は、後にイエローストーン国立公園初代管理官となったナサニエル・ラングフォード や陸軍派遣隊司令官グスタフ・ドーンと共に1870年に1ヶ月間イエローストーン地区を探検。地域の山などを名付け、標本を持ち帰った。 1871年、ヘイデンは政府支援により大規模な2度目の探検隊を率いてイエローストーン地区に赴いた。ヘイデンはイエローストーンの総括報告書をまとめ、その中にはウィリアム・ヘンリー・ジャクソン による写真や、トーマス・モラン による絵が含まれていた。このレポートによって議会はイエローストーン地区をオークションにかけて売却する案を変更し、1872年3月1日にユリシーズ・グラント大統領はイエローストーン国立公園を設立する法案に署名した。 1872年に世界で最初の国立公園に指定され、1978年に世界遺産に登録された。 |
オールド・フェイスフル・ハイキング |
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野生動物に近づかないようにとの警告。バイソンは草食動物だから、ある程度距離を取っておれば人を襲うことはない。バイソンの糞は大きい。 |
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サイクリングする人 | Castle-Geyser | Grotto-Geyser |
Morning Glory Pool(朝顔プール) |
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Giant Geyser | Chromatic Pool(色彩のプール) |
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Beauty Pool | Wave Spring |
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Spasmodic Geyser(不規則間欠泉) | Scalloped Spring(縁取されたプール) |
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Firehole Riverに架かる橋を渡って対岸へ | Crested Pool(羽飾りのプール) |
ビーハイブ・ガイザー 上の写真をクリックすると動画をご覧になれます。 |
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この川には温泉の湯が流れ込むが、硫黄分か少ないためか、トラウト(マス)が釣れる。 釣りにはライセンスが必要で、監視員が見回っている。 |
Excelsior Geyser(カンナ屑の間欠泉) 「クッション材のカンナ屑」であるが、「大理石」と言いたい。 |
Grand Prismatic Spring(大虹色の泉) |
A | 左のパネルを翻訳すると・・・ Grand Prismatic Spring: 光のプリズム、生命のスペクトル Grand Prismatic Springはイエローストーンの数ある温泉の中でも最も大きく、最も華々しいものの1つである。直径は61m。湯温は70℃、毎分2m3の熱湯がFirehole Riverに注がれる。 熱水に溶け込んでいたミネラルが沈澱し、泉の肩の部分に美しいテラスができる。泉の中心の濃いブルーの部分は、水中に浮遊する微粒子によって太陽光が散乱されて生じる。 泉を取り囲み、雨水の通路となっている黄色、オレンジ色、ブラウン色の部分は、好熱菌が原因でできる。カラフルな色素を含むこの微生物は、太陽光からエネルギーを得て、温泉の厳しい条件の中で成長する。 |
Turquoise Pool(トルコ石色のプール) |
オールド・フェイスフルの植物と小動物 |
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この松はここまで成長するのに10年はかかっただろう。 良寛さんなら、椅子を移してやるだろうに・・・ |
松の実は食べられる |
プレーリードッグ |
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Fragaria virginiana (ワイルド・ストロベリー) |
Mimulus guttatus (モンキーフラワー) |
Mouse-Ear Chickweed (ミミナグサ) |
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Delphinium occidentale (ヒエンソウ) |
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Gentianopsis crinita (リンドウの仲間) |
タンポポの綿毛 |
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温泉が流れ込む川の岸辺にも草花が咲いている。匂いはない。 |
水中にはバイカモのような水草が |
Dodecatheon pulchellum (シューティングスター) |
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? | Drada lemmonii(イヌナズナ属) | ? | ? |
ウエスト・サム |
オールドフェイスフルから東の方にあるイエローストーン湖は巨人が親指を上げている形をしている。その親指に当たるところは、ウエスト・サムといわれる。 |
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Seismograph Pool(地震計プール?)の湯温は何と75℃ |
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湧き出した温水が波紋を作る | Big Cone(大きな円錐)という名の可愛い円錐形火山 |
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Black Pool | ウエスト・サムは二重カルデラの中になるらしい |
グランド・ビレッジ・ロッジで夕食 |
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ロッジのレストランからイエローストーン湖が見え、いい雰囲気だ | この日の夕食は、鱒のムニエル |
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以下は、Wikipediaを改変した |
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表記法はWikipediaによる | ||
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4日目 (6月15日) |
イエローストーン国立公園→グランドティトン国立公園 →ソルトレイクシティ(泊) |
イエローストーン国立公園を出発して、グランド・ティトン国立公園を見学し、ソルトレイクシティまで行く。途中いくつかの有名な撮影ポイントも見逃さない。 |
グランド・ティトン国立公園 |
西部劇の名作「シェーン」をご記憶だろうか。その舞台がグランド・ティトンの山麓である。今は静かな観光地となっている。 |
コルターベイ・ビジターセンター |
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インディアン・アート博物館の裏のジャクソン湖のコルターベイから眺めるグランドティトン山が素晴らしい。 |
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博物館の内部 | 道具類 | 靴 |
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笛 | 籠 | 衣服 |
ジャクソンレイク・ロッジ |
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ガイドの西山さんが、「階段を上ったロビーからの眺めが最高です」と・・・ |
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ウインドウ・ピクチャーは、ティトン山脈の山々でした。 | ロッジの庭先に銀ギツネが・・・ |
ティトン山脈のパノラマ風景 上の写真をクリックすると拡大されます |
下の写真は、食うものと食われるもの3分間のドラマです |
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鶴ほどの大きさの2羽のガンの番 | コヨーテらしき動物が現れた | 鳥は懸命にコヨーテを追っ払う | ついにコヨーテは諦めて退散 |
映画シェーンの舞台 |
ここは西部劇映画の名作「シェーン」の舞台となったところ |
映画「シェーン」のあらすじ 流れ者のガンファイター、シェーンがたどり着いたワイオミング州の開拓地は、悪徳牧畜業者のライカー一味の暴虐に苦しめられていた。シェーンは、当初スターレットらの開拓農民たちから疎まれるが、やがて和解する。スターレットやその息子ジョーイと友情を結ぶシェーンだったが、スターレットの妻マリアンは彼に惹かれ、またシェーンも彼女に惹かれてゆく。 ライカー一味たちの弾圧はエスカレートし、その暴虐に、農民達は結束して立ち向かうことを決意する。この抗争に終止符を打つため、シェーンは独りライカー一味の元へ向かう。ライカー一味とのガンファイトに、シェーンは勝利する。しかし、シェーンもまた撃たれていた。「シェーン! カムバック!」必死でひきとめる少年ジョーイの叫びを背景に、シェーンはワイオミングの山へと去っていった。 Wikipediaを改変 |
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お誂え向きに、3人の男が馬で現れた | バー「Flying U」の門柱の向うにグランドティトン山 |
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「シェーン! カンバック!」という少年の声が聞こえてきそうだ。 | グランドティトン山が真正面に見える小屋の窓 |
Adamsの写真ストップ |
アンセル・アダムス(Ansel Adams, 1902年 - 1984年)はアメリカの写真家。「ヨセミテ渓谷」や「ティトン山とスネークリバー」のモノクロ写真で有名。 17歳の時、自然保護団体シエラクラブに入会し、妻と共に一生涯会員であった。若い頃は熱心な登山家として毎年恒例の高山登山に参加、シエラネバダ山脈の登山を行った。1927年にハーフ・ドームを撮影した。その後、環境保護主義を唱え、彼の作品は人の手が入る前のアメリカの国立公園の記録として、シエラクラブの活動を支え、環境問題への注目のきっかけとなった。第二次世界大戦中は内務省のために記録写真の撮影に取り組んだ。しかし、アダムスは真珠湾攻撃後の日系人抑留にショックを受け、シエラネバダ山脈のふもとにあるマンザナール強制収容所を訪問した。 |
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アンセル・アダムスが1942年撮影のTHE TETON AND THE SNAKE RIVER 購入した絵葉書から複写 |
左の写真を撮影したと思われる地点で撮影した。 68年間に河畔の針葉樹が成長して、 スネーク川がほとんど見えなくなってしまった。 |
トランス・フィギュレーション教会 |
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1925年に建てられた草原の中の丸木作りの素朴な礼拝堂。 |
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夏の風景のステンドグラス | 礼拝堂の正面に見えるティトン山 | 冬の風景のステンドグラス |
アフトン村を通過 |
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幅の広い火成岩が貫入した面白い地質 | アフトンの村は毛皮を採るためのエルク狩で栄えた町(角のアーチ) |
ソルトレイクシティ |
こソルトレイクシティはユタ州の州都。近くにある塩湖ソルトレイクに由来する。モルモン教の総本山があることでも有名である。2002年には冬季オリンピックが開催された。 |
レストラン紅花で夕食 |
紅花の創設者ロッキー青木(本名青木 廣彰(1938年 - 2008年)は、日本の実業家、冒険家。東京都出身。米国で鉄板焼き一大レストランチェーン「BENIHANA」を成功させ、アメリカン・ドリームを実現した。 |
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店内に、来店した有名人の写真が掲げてある。政治家、芸能人プロスポーツ人などである。その中から6枚を紹介。いくつ分りますか? |
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料理を作る様子をパフォーマンスにしたところがアイデア。これが米国人に受けて、全米に80店を展開するようになったという。 |
モルモン教のTemple Square を見学 |
夕食後、閉館間近のモルモン教のTemple Squareを見学した。 |
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モルモン教大聖堂(Salt Lake Temple) | 集会場(Assembly Hall) |
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モルモン教大聖堂の内部 | 集会場の内部 |
モルモン教とは 正式には、末日聖徒イエス・キリスト教会(Church of Jesus Christ of Latter-day Saints; LDS.)という。1830年アメリカ合衆国にてジョセフ・スミスによって創始されたイエス・キリストを信じる教会。本部は、ユタ州のソルトレイクシティ。宗教学上はキリスト教系の新宗教に分類されている。 モルモン教は、イエス・キリストの教会がキリストと十二使徒の死後、背教の道をたどり、頽廃、分派を繰り返し、神権という神の権能が失われたと信じている。ジョセフ・スミスは、教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、キリストの教会がどの教会であるかについて神に祈り求め、神の啓示を得た。その啓示に基づくと、キリストはジョセフ・スミスに古代に建てられたキリストの教会を回復するように命じ、末日聖徒イエス・キリスト教会の設立に至った。 モルモン教では、救われるためには、「イエス・キリストへの信仰」「キリストの期待に応えた人生であったか」「戒めの尊守および神殿で授かる儀式」が必要であると信じている。 従ってモルモン教にとって戒律である戒めは「あるべき理想像」そのものではなく、救いにとって必要条件であるが、戒めを守っているだけでは救われないと信じている。 ○モーセの十戒は古代イスラエルにおいて預言者モーセにより与えられた。これは現代でも有効であり、 信仰生活の基本となる原則が含まれていると信じている。 ○コーヒー、紅茶、茶(麦茶など茶葉を使わないものはかまわない)、タバコ、アルコール飲料、麻薬類 (医師の処方を除く)を禁じている。 過度の肉食を控えるように教えているが、菜食主義は奨励して いない。 Wikipediaを改変 |
5日目 (6月16日) |
ソルトレイクシティ→キャニオンランズ国立公園 →アーチーズ国立公園→モアブ(泊) |
ソルトレイク・シティーからキャニオンランズへ |
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1500mの峠を越える頃、車窓の山に、黒と白の互層が見えた。黒い層は石炭だそうで、 ここで採掘して、500kmほど離れたパウエル湖の近くの火力発電所まで列車で送っている。 火力発電には蒸気を冷やすための水が必要で、日本では海岸に火力発電所を設けるが、米国では湖に設置。 |
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コロラド川の支流の1つグリーン川(あまり緑には見えないが)。グリーンリバー層には世界最大のオイルシェールが埋蔵されているという。 | グリーン川の原因が分った。緑の地層があるからだ。 しかしこの緑の地層は何だろうか。 |
キャニオンランズ国立公園 |
キャニオンランズ国立公園は、グランドキャニオンのミニチュア版のようなものだが、狭いだけに見学しやすい。下の「3つの世界」という説明も気が利いている。 |
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キャニオンランズ国立公園の標識 |
「Island in the Sky」という名のビジターセンターがある | ビジターセンターの中に「波の化石」がおいてあり、「ご自由にお触り下さい」とある。 |
ここから3つの世界が見えるという。下の看板を参考にして、写真に書きこんでみた。 |
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Cardamine (タネツケバナ属) |
Geraea (desert sunflower) |
Sphaeralcea angustifolia (ゼニアオイ) |
Xylorhiza tortifolia (desert aster) |
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(モルモン・ティー) 茎は充血抑止剤・利尿剤、根は風邪薬 |
ユッカ? |
デッドホースポイント州立公園 |
ボデッドホースポイント州立公園の名は、カウボーイに追い立てられた野生馬(ムスタング)が、水を求めて崖の上から落ちたことに由来するという。コロラド川が180度方向を変える風景は素晴らしい。 |
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州立公園の標識 | 砂漠の中のトイレ用の電力供給に、多結晶太陽電池を使っている |
多結晶太陽電池は、日本で多く使われている単結晶太陽電池に比べると面積あたりの出力(変換効率)は落ちるが、生産に必要なエネルギーは少なく、価格も安い。設置面積に制約されない米国向きである。米国では何でも経済性第一だ。 |
コロラド川が180度方向を変える所 コロラド川がこのように身近に俯瞰で見られるところは少ない |
アーチーズ国立公園 |
世の中には不思議な光景があるものだ。ここには大小1500のアーチが294km2(東京23区の半分)に集まっているという。 |
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アーチーズ国立公園の標識 |
左側のバランス・ロックはアーチーズ国立公園のシンボル。直径17m、重さ3500トンの巨岩が、今にも落ちそうである。全体の高さは39m。右下隅の人と比べて下さい。 |
ランドスケープ・アーチは、世界一長い(89m)アーチだという。 |
デリケート・アーチは、時間がなくて近づけなかったが、望遠レンズのお蔭で、歩いている人まで見えた。 |
ダブル・アーチは、1箇所から2本のアーチがかかっている珍しいアーチである |
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タレット・アーチは、逆光になってしまったが、少し離れたところにある |
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セイブクビワトカゲ | Prairie Aster(シオン属) |
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? | ? | Penstemon aetonii(ヒゲシタ) | ? |
アーチはどのようにして出来たのか |
A | American Institute of Professional Geologist, 2010 http://www.professionalgeologist.org/forms/2010%20 Guidebook.pdfより 岩稜に垂直に入った割目に沿って崩壊し、最後に残った 岩板の中央が崩壊するとアーチができる。 非常に分りやすい説明である。 |
A | The Field Guide to Geology,David Lambert and The Diagram Group, 2006 より 最初 a のように蛇行する川があった。川の側面が浸蝕され、岩板の正面に穴があいて、b のように川が直進するようになると、アーチ c ができる。 奇抜な発想であるが、アーチの中を川が流れているか、川が流れていた痕跡がなければならない。 岩に出来た穴はすべてホールというが、上記のメカニズムで出来た穴に限ってブリッジといって区別する人もいる。 一般に、縦に空いた穴をウインドウ、大きな穴をアーチという。 |
6日目 (6月17日) |
モアブ→モニュメントバレー(泊) |
モアブのホテルを早朝出発して、ナバホ族の自治区に入り、モニュメントバレーを目指す。モニュメントバレーで1泊して、夕日と朝日を眺めるのが楽しみである。 |
モアブからモニュメントバレーへ |
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モアブのホテルに駐車している車のナンバープレートにユタ州のものがあった。アーチーズ国立公園のデリケート・アーチがデザインされていた。 |
A | ||
モニュメントバレーへの途中、サンジュワン川を越えると ナバホ族の自治区に入る。 |
米国国旗とジョンウエインの人形で呼び込む。 ナバホ族も生活が掛っている。 |
ナバホ・ネイションの中を通じる一直線の道 |
ナバホ族について ナバホ族は、アメリカの南西部に先住するインディアン部族の1つ。彼ら自身は自分たちのことを「人々」をあらわす自称である「ディネ」と呼ぶが、好戦的で知られるアパッチ族との混同を避けるため「ナバホ族」の呼称が使われている。 ナバホ族はアリゾナ州の北東部からニューメキシコ州にまたがる沙漠地帯に、一定の自治権を保有した「ナバホ・ネイション(Navajo Nation)」として、アメリカ最大の保留地(Reservation)を領有している。ナバホ族が南西部から追い出された間に、彼らの土地にはホピ族の一部が定住した。このため、現在ではナバホ族の保留地の中に、ホピ族の保留地が存在するという状況となっている。 |
モニュメントバレー |
ジョン・ウェイン主演の西部劇映画「駅馬車」の撮影地として有名なモニュメントバレーは、国立公園ではない。ここはナバホ族の保留地(Reservation)で、国立公園にするとナバホの人たちの生活に制約が加わるからだという。 |
ビュー・ホテル |
A | ||
モニュメントバレーのビュー・ホテルの立地と外観は、 地層の1つかと見まごうばかりで、自然の中に溶け込んでいる。 |
ホテルのオーナーはメキシコ系の米国人だが、 このホテルはナバホ族の雇用に役立っているという。 |
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ロビーにはナバホ族の工芸品が飾られている | ここはジョン・ウェイン主演の西部劇映画「駅馬車」の撮影地 |
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客室のカーテンを開くと・・・ | モニュメントバレーの風景が飛び込んでくる |
ホテルからの眺め (左)ウェスト・ミント・ビュート、(中央)イースト・ミント・ビュート、(右)メリック・ビュート |
メサとビュート Wikipediaを改変 メサ (Mesa) とは、差別浸食によって形成されたテーブル状の台地のことである。 Mesaはスペイン語であり、テーブルを意味する。上位に硬い水平な地層があり、下位に浸食されやすい柔らかい地層がある場合に、下の地層が浸食されて、急崖を形成し、上部は浸食されないためにテーブル状の台地となる。 日本では四国の屋島などがこの例である。 メサからさらに浸食が進み、孤立丘となったものはビュート(Butte)と呼ばれる。日本では四国の飯野山(讃岐冨士)などがこの例である。決して成層火山ではない。 メサとビュートがどのようにして出来るかについては、小生のホームページをご覧下さい。 |
モニュメントバレー・ジープツアー |
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我々のジープの運転手はナバホ族の人。一度町に出たが馴染めず、 居留地に帰って来て、今の仕事をしているという。 |
屋根の付いた大型ジープで ラフロードを走る 西部開拓時代に駅馬車が通った道だ |
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スリー・シスターズ(3人の修道女) |
ジョン・ウェインズ・ポイント 崖から2フィートは離れよと書いてあるのに・・・ |
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王様の椅子 | トーテム・ポール |
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横たわる巨人 左側を回って右側の足の裏まで行く |
大きな巨人の足の裏 右下に人がいる |
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ナバホ族の生活 |
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ホーガンと呼ばれるナバホ族の住宅 左が男用、右が女用 | 男用のホーガンの内部 |
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踊るナバホ族の男と女 もちろん「チップ入れ」が置いてある |
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ナバホの織物 | ここでもナバホ風タコス 蜂蜜を塗って食べる |
夕焼けと夜空 |
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のんびりと夕焼けを眺める人達 | 3つのビュートが赤く染まっていく |
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空気が澄んでいるので、望遠レンズで上手く月が撮影できた | 星空観察には、ホテルの灯がチョット明る過ぎた |
7日目 (6月18日) |
モニュメントバレー→メサベルデ国立公園 →グランドキャニオン国立公園(泊) |
モニュメントバレーの朝焼け |
朝5時に起きてモニュメントバレーの朝焼けを眺めてから、メサベルデへ出発した。 |
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日の出直前のウェスト・ミント・ビュート | 日の出直前のイースト・ミント・ビュート、 |
3つのビュートと日の出 |
メサ・ベルデ国立公園 |
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メサベルデ国立公園の標識 | クリフパレスの標識 クリフパレスとは絶壁にある住居遺跡のこと |
展望台から見た住居遺跡 この渓谷には、このような隠れた遺跡がいくつかある |
この遺跡は最高4階建で、部屋が217室もある。しかし不思議なことに、出入りする窓が高さ60cmくらいと小さい。 小人族がいたという伝説もあるという。住居の中心部には、Kivaと呼ばれる火を焚く場所があり、 儀式の会場や人々の集会所として使わていたようだ。空気穴や換気口もあり、よく考えられた作りになっている。 |
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メサ(台地)が軒先になり、雨も降り込まない | 天井が煤けている。地下に貯蔵庫がある。 | 入ってみると、貯蔵庫は結構広い |
メサ・ヴェルデ遺跡の存在は、1874年には知られていたが、本格的な考古学的調査の契機になったのは、1888年に 当地の牧場主リチャード・ウェザーリルによって「クリフ・パレス」が発見されて以来である。1891年に、考古学者であるジェズ・ウオルター・ヒュークス(J.W.Fewkes)とスウェーデン出身の 地質学者グスタフ・ノルデンショルによって初めて本格的な発掘調査がされた。 1世紀ごろから、この地に農耕民であるアナサジ族が住み始めたと推測されている。アナサジ族は、8世紀ころまでバスケット・メーカー文化と呼ばれる独特なかご作りで知られる文化を築いていたが、9世紀ころからKivaという儀式を行う施設を伴う日干し煉瓦の壁によって区画された集落遺跡を築くようになる。 12世紀頃になると、外敵の襲来に備えた、本格的な「岩窟住居」を作り、そこに住み始めたと考えられている。 メサ・ヴェルデの住居遺跡がメサ上に少ないのは保安のための他に、農耕に適したメサ(台地)上を農耕に優先したとのこともある。14世紀になると、とつぜん放棄されたと推測されており、行く方は謎となっている。 この地域は1906年に国立公園として制定され、1978年に世界遺産 (文化遺産) に登録された。 |
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サボテンの花 |
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Sphaeralcea angustifolia (ゼニアオイ) |
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博物館に掲げられた顕彰碑 National Park Serviceの創立に貢献 | 博物館には、土器、独特なかご、石器などが展示されている |
メサ・ベルデからグランドキャニオンへ |
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ナバホ山(ナバホ族にとって富士山のような山) | ||
砂漠に貫入した溶岩。ここはそのようなところが多い。 | 夕食は揚げパンのようなものとナバホ・シチュー |
16日間の米国西部国立公園巡りの旅は、ちょうど前半が終わった。後半はグランドキャニオンから始まる。期待以上に印象深かった前半の印象は、後半の印象と合わせて、国立公園巡り(2)の最後で述べることにしよう。 |
米国西部国立公園巡り(1)は、「イエローストーン、アーチーズ、モニュメントバレーなどの旅」でした。 いかがでしたか。 米国西部国立公園巡り(2)は、グランドキャニオン、デスバレー、ヨセミテなどの旅です。 引き続き、下の [次へ] をクリックして、国立公園巡り(2)をご覧下さい。 |
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