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米国西部国立公園巡り(2)----グランドキャニオンNP、アンテロープキャニオン、ブライスキャニオンNP、
              ザイオンNP、ラスベガス、デスバレーNP
、ヨセミテNP、サンフランシスコ
(NPは国立公園)


 米国西部国立公園巡り(1)はいかがでしたか。
ここからは、米国西部国立公園巡り(2)をお楽しみ下さい。

前半の米国西部国立公園巡り(1)では、
   イエローストーン国立公園
   グランドティトン国立公園
   ソルトレイクシティ
   キャニオンランズ国立公園
   アーチーズ国立公園
   モニュメントバレー
   メサベルデ国立公園
を訪ねた。


後半の米国西部国立公園巡り(2)では、
   グランドキャニオン国立公園
   アンテロープキャニオン
   ブライスキャニオン国立公園
   ザイオン国立公園
   ラスベガス
   デスバレー国立公園
   ヨセミテ国立公園
   サンフランシスコ
を訪ねる。

 前半でもそうだったが、米国の国立公園は景観の雄大さはいうまでもなく、さらに地質、動物、植物にも見るべきものが多い。特に、グランドキャニオン国立公園は20億年の地質を一望のもとに見渡せる。ヨセミテ国立公園では、花崗岩の大ドーム、個性豊かな数多くの滝、氷河による浸食の跡、セコイヤの巨木の森などを見ることができる。

少々長いホームページであるが、どうぞ最後までご覧下さい。

                                (2010年6月)

           お願いとお断り
このホームページに、誤りや不適切な記載がありましたら、お手数ですが、下記にメールでお知らせ願います。
       メール

現地語の日本語表記にはいつも悩むところです。原則的にはVとBおよびRとLの発音は区別しませんでしたが、慣用的に区別した場合もあります。
ヨセミテ国立公園の
巨大な花崗岩ハーフドーム


米国西部国立公園など訪問地
赤字は国立公園、  青字は国立公園以外(名勝地、都市等)、  シアン色は主要な三河川を示す



8日目
(6月19日)
グランドキャニオン国立公園(滞在)

米国西部国立公園巡りの後半は、グランドキャニオン国立公園から始まる。この日は終日国立公園に滞在して、地球の歴史の18億年分を見学する地学三昧の1日である。

グランドキャニオン国立公園

ヤバパイ・ポイントの日の出

グランドキャニオン内にあるヤバパイ・ロッジを4:30に出発して
シャトルバスでヤバパイ・ポイントへ

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朝日に染まる18億年間の地層

エル・タバ・ホテルまでのリム・トレイル

A
写真の中央部にコロラド川が見える。コロラド川の岸辺が約18億年前の地層、手前および向う岸の高いところが約2億年前の地層である。 右の写真と同じ所から望遠レンズで捉えたコロラド川と橋。
コロラド川の川岸の地層は一番低いところだから、一番古いというわけだ。

コロラド川は、コロラド高原を上から順に浸蝕し、最大1600mも切り込んでいる。地上に現れている地層は、
現在を含めると18.4億年間分ある。つまり地球誕生から46億年間の2.5分の1が見えることになる。


ここから見える地層は、地球の歴史の中でどんな時代だったのか

 地球の誕生                      46億年前
 生命の誕生                      38億年前
 生物種の多様化(カンブリアの大爆発)      5億年前
 植物が陸に上がる                   4億年前
 爬虫類・恐竜の時代                  2.3億年〜0.65億年前
 人類の祖先の誕生
                  0.06億年前



リム・トレイルは、20億年の「時間の道」(Trail of Time)

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ヤバパイ・ポイントの博物館(現在)から、ビジターセンター(20億年前)までの間を20億年の時間と考えて、
道沿いのそれぞれの場所に、それぞれの時代に出来た岩石が展示してある

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6.5億年前の礫岩
 
7.5億年前の石灰岩
 
12億年前の礫岩
 

A A
17.13億年前の花崗岩
 
18.4億年前の片麻岩
一番古い地層に到着した
到着したところに、「Congratulations!」
と書いてある

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インデアンペイントブラッシ サボテンの花



エルトバー・ホテルとブライト・エンジェル・トレイル

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このホテルは、昭和天皇やクリントン大統領など、歴代のVIPも利用された歴史あるホテルである。
木造のビクトリアン・ゴシック建築で、太い木造柱のエントランスを入ると、その重厚な作りのロビーに驚かされる。

A A
エルトバー・ホテルからブライト・エンジェル・トレイルをほんの少し下ったところに岩絵の遺跡がある。(左・中)
ここからさらに標高差1338mのコロラド川まで往復すると6〜10時間かかるというので、少しだけ下って引き返す。(右)



ウェスト・リムへ

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午後はウェスト・リムへ、コロラド川が見える 望遠レンズで見るコロラド川  川の周辺は18.4億年前の地層

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夕日を眺める若い二人



9日目
(6月20日)
  グランドキャニオン国立公園アンテロープキャニオン
   →パウエル湖ブライスキャニオン国立公園(泊)

グランドキャニオンのデザート・ビューポイント

昨日回ったグランドキャニオンのイースト・リムの東の端にあるデザート・ビュー・
ポイントを訪ねる。これがグランドキャニオンの見納め。

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このウォッチタワーは、先住民の遺跡からデザインを写して
1932年に造られたもの。
内部は、先住民の壁画で飾られている
 

ウォッチタワーからコロラド川を見る。右手からリトルコロラド川が合流しているというが、よく見えない。



アンテロープキャニオン

アンテロープキャニオンの入り口近くに火力発電所があった
この火力発電所は、パウエル湖の水力発電所の近くにあるナバホ火力発電所で、ナバホの人々が独力で作り上げたそうである。使われる石炭はソルトレイクシティーやモニュメントバレーの近くから列車で運ばれてきている。ダムの建設時はナバホ人たちも大勢働いた。彼らは当然自分達にも電気がもらえると思い込んでの低賃金協力だったが、実際動き出したら、彼らには一切電気を与えられなかった。頭に来たナバホ人は自分達の力で巨大な火力発電所をパウエル湖のすぐ側に建設したという。この火力発電所はまわりの景色を台なしにしているが、歴史的な背景を考えると彼らだけを責めるわけにはいかない。
                                 (いくつかのウェブサイトを参考にした)

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ロウアーアンテロープキャニオンの入場料は20ドル、ナバホの人は6ドル。
ナバホ族居留区だから当然!
     突然の鉄砲水に注意!
アンテロープキャニオンは渓谷である。日常は涸れているが・・・
1997年8月12日、鉄砲水で、11名が命を落とした。
フランス人7名、米国人2名、英国人1名、スウェーデン人1名
 

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割れ目から入り、ゆっくりと下りながら鑑賞する

幻想的な美しさに圧倒される。

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色のグラデーションは、どうして生じるのだろう 床の砂を掘り投げると、光の柱が現れる

A A A
面白いことに水の流れは一様でなく、2つ以上の流れ方のパターンが切り替えられていると想像される。 渓谷の底に砂が溜まっていた。砂の中に1〜5cmの丸い礫が見つかった。ラッキー・マーブルと称してこれを見つけると幸せになるという。
 
壁面にいたトカゲらしき動物
 

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流れが壁面を削り、壁面が流れを変える、不思議な関係 渓谷というより洞窟のような感じ。出口が近い。

出口を出ると、そこは砂漠の中の涸れ沢だった。キャニオン内の見学時間は約50分。

         アンテロープ・キャニオンはどうして出来た?
アンテロープ・キャニオンはスロット・キャニオン(細く深く削られた谷)の1つで、周囲の砂岩(ここではナバホ砂岩)が、鉄砲水のほか、風で侵食されて出来たといわれている。
このアンテロープキャニオンを発見したのは、ナバホ族の少女で、羊飼いをしていて、見失った羊を探していたところこの谷を偶然に発見したとか。アンテロープ(ウシ科アンテロープ亜科の動物)が入るのを見て発見したとかいわれている。観光地化されたのは1990年代に入ってからである。



パウエル湖・グレンキャニオン・ダム

アンテロープ・キャニオンを出て、近くのコロラド川に造られたパウエル湖を訪ねた。湖に架かるグレンキャニオン・ダムは高さ216m、幅475mで、1956年に建設が始まり1966年に完成した。(完成時期には諸説がある)

パウエル湖は1966年に完成した世界で2番目に大きな人造湖。湖が満水になるのに17年もかかったという。(4枚パノラマで撮影)

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水力発電機用の水車のランナー5分の1モデル



西部劇セット博物館

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トイレ休憩のお土産物屋で、通り抜けた屋外が展示場 西部開拓時代の住居がある

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幌馬車で記念写真を撮る人も すっかり西部の男の気分



ブライスキャニオン国立公園

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ブライスキャニオンの標識 ブライスポイントから見たグロット

インスピレーションポイントからの眺め・・・トルコのカッパドキアも真っ青というところ

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宿泊したのがルビーズ・イン 1916年に最初の牧場を拓いたルビーズ夫妻の写真のマット



10日目
(6月21日)
ブライスキャニオン国立公園ザイオン国立公園ラスベガス(泊)

ブライスキャニオン国立公園(2日目)

サンセット・ポイントから見る朝のブライスキャニオン。逆光の朝日が神秘的な風景を作る(3枚パノラマ撮影)

ナバホ・ループ・トレイルへ向かっていく

神秘的なナバホ・ループ・トレイル。残念ながら時間がなくて降りなかった。

この透明感が出るのは、なぜだろうか?



ブライスキャニオンはどのようにして出来たのか

          巨大な階段(グランド・ステアケース)状の台地
コロラド高原は、1,000万年から1,500万年前に隆起し、異なる高原に分けられた。それぞれの高原は、断層によって隣の高原と分けられ、隆起率も異なる。縦方向の節理がこの隆起により生じ、結局優先的に浸食され、そしてまだ優先的に浸食を受けている。浸食を受けやすいクラロン層のピンク・クリフは、土柱と呼ばれる悪地に支柱なしで立っている尖塔を形成し、一方より浸食抵抗性を持つホワイト・クリフは、一枚岩を形成している。また、アーチ、自然橋、壁、窓も生み出された。土柱は、柔らかい堆積岩で構成され、風雨から土柱を守っているより硬く簡単に浸食されない石片をかぶっている。ブライス・キャニオンは、地球上で最も土柱が集中している場所の1つである。   http://en.wikipedia.org/wiki/Grand_Staircase より

A 左の図は、ブライスキャニオンで土柱ができるメカニズムを分りやすく説明している。

http://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_the_Bryce_Canyon_areaによる



ブライスキャニオン国立公園からザイオン国立公園へ

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随所で見られるスプリンクラが米国の牧草地を支えている ここは、どちらかというと珍しい溶岩台地



ザイオン国立公園

この国立公園はモルモン教信者が発見し定住した土地で、聖書のエピソードにちなんでザイオン(シオン)と名づけたようである。シオンはイスラエルのエルサレム地方の歴史的地名。もと、ダビデの支配下に入ったエブス人の町として登場する地名だが、神殿の丘の別名となり、のちにエルサレム全体、さらにイスラエルの地全体への形容詞ともなった。シオニズムの語源となった地名である。。

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ザイオン国立公園の標識
 
下の標識は当地の火災危険度を示している 天井が開いた公園内シャトルバスに乗る
 

司教の宮殿と呼ばれる3つの巨大な岩峰 左からエイブラハム、イサーク、ヤコブ

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バージン川の散歩道 ビーバーか噛んで倒した木 鳥の名は? 鳥の名は?

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エンジェルス・ランディングは、「天使の舞い降りるところ」 エンジェルス・ランディングの岩の上にいる人

グレート・ホワイト・スローンは、ヨセミテ公園のエルキャピタンに次いで、世界2番目の高さを誇る一枚岩。
ナバホ砂岩層で構成されており、バージン川からの高さは732m。オーストラリアのエアーズロックの2倍。



ザイオン国立公園からラスベガスへ

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ラスベガスは砂漠の中にある。
写真はサボテンではないが、サボテンのような木
ラスベガスに入ると急に大きな建物が増える。高層ビルの屋上のタワーに
絶叫マシンが見える。人間はどうしてこのような刺激を求めるのだろうか。



ラスベガス

贅沢にも連日の国立公園の大自然に飽きてきた頃に、ラスベガスで一夜を楽しむように仕組まれている。ラスベガスは、カジノは一部であって、全体としては「大人のディズニーランド」という印象であった。

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ラスベガスの自由の女神? ピラミッドとラムセス2世像

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エッフェル塔 凱旋門

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ジャパニーズ・レストラン
やっぱり、和食はいいね
ビル内に造られたパリの街並み
画像をクリックすると動画をご覧になれます
噴水ショー
画像をクリックすると動画をご覧になれます



11日目
(6月22日)
  ラスベガスデスバレー国立公園(泊)

ラスベガスからデスバレー国立公園

ラスベガスの有名なホテル「フラミンゴ」で、遅い朝食を採り、再び砂漠を走ってデスバレー国立公園に向かう。

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ホテルの名のとおりフラミンゴが飼われている庭を眺めながら朝食

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ラスベガスの歓楽街を離れると粗末な家並み
これはホテルの従業員などの住まいだという
 
 
再び、サボテンまがいの生えている砂漠を走る
 
 
 
バスの運転手は、旅の後半から女性に交代。マージさんは、何人かのお孫さんを持つ60歳のタフガイならぬタフレディである。



デスバレー国立公園

デスイバレー「死の谷」とはよく言ったものである。夏の気温は50℃を越えるという。国立公園は、ネバダ州とカリフォルニア州の州境に沿って約200kmにわたるが、観光地としては、Badwater Basin(悪水の盆地)とFurnace Creek(灼熱の小川)など。

バッドウォータ・ベイズン

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デスバレー国立公園の標識 Badwater Basinと呼ばれる干上がった塩湖(海抜−85.5m)

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不思議な6角形のパターンのある塩湖の上を歩く
 
塩の結晶が析出している
 
塩湖に植物はない。
これは近くの山に生えていた。

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振り返ると、溶岩でできた山の3分の1ほどの高さの所に、SEA LEVELを示す標識が見える。 GPSによると、塩湖の上の標高は−87m



ザブラスキー・ポイント

ラスベガスから北上して行くと、Badwater Basinを過ぎてFurnace Creekへの途中にZabriskie Pointがある。ここは硼砂(硼酸塩)の鉱山があったところという。

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車窓から見ていると、この辺りは溶岩が帯状に貫入している 地層の褶曲が見られ、造山活動の激しいところだということが分る

車窓を楽しんでいると、黄金色の山ひだの見えるところで停車した。ここがザブラスキー・ポイントである。

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デスバレーには、ホウ素(硼素、Boron)の原料になるホウ砂(硼砂、borax)の豊富な層があり、1882年に鉱山ができた。 Zabriskieは、Pacific Coast Borax Co.の副社長だった 硼砂を手に入れたが、
国立公園のため持ち帰れない

ホウ砂は、ホウ素の原料鉱石として工業的に使用されるほか、以下のような用途がある。
 多くの金属酸化物を融解する性質を持つため、融剤として使われるほか、このとき金属により
 特有の色を呈するため、定性分析や陶芸用の釉薬溶解剤として使われる。

 
ホウケイ酸ガラスとなるため、耐熱ガラスなどの原料となる。
 洗浄作用・消毒作用があるため洗剤や防腐剤、目の洗浄・消毒などに使われる。

ホウ素
は、原子番号5の元素。元素記号はB、単体元素としてはダイヤモンドに次いで硬い。
 ホウ素を微量添加することでP型半導体が作製でき、ICに欠かすことができない材料となる。
 原子炉内において中性子の吸収のため制御棒に使われる。
                                             Wikipediaほかによる



ファーネス・クリーク・ビジターセンター

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デスバレー博物館
ファーネスクリーク・ビジターセンターの標識 博物館は海面下190フィート(58m) 戸外日蔭の気温は110°F(43℃)

デスバレーは、地球上でいつも一番熱い。
  1913年7月10日、ファーネスクリークの気象庁の水銀温度計は
  134°F(57°C)を示した。これは長年の間世界記録である。
  7月、8月には120°F(49°C)は普通である。
A
デスバレーは、なぜ熱い?
  空は晴れて、太陽光を遮る雲がほとんどない。
  蔭を作り水蒸気を発散させる植物がほとんどない。
  暖かい空気は上昇し、膨張して冷却され始めるが、熱い谷底と
  谷壁から放射される熱を吸収してしまう。
  高い谷壁に閉じ込められているので、熱せられた空気は上昇し
  重い冷たい空気と入れ替わるが、冷たい空気も圧縮されて
  熱が発生する。太陽が沈むまで、この過程が続く。
博物館の展示の1つ



ボラックス・ミュージアム&ロッジ

デスバレー国立公園の中のファーネス・クリークのボラックス・ミュージアムに隣接しているFurnace Creek Ranch(灼熱の小川牧場)というロッジに泊まった。

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Borax Museum(1883年の建物)があるが、閉館のため、館外を見る 幌馬車を間近で見る。スプリングなど不備で、乗り心地は悪そう。

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この60トン油炊き蒸気機関車は、1916年から鉄道が廃止される1931年まで、ホウ砂鉱石を運ぶのに使われた。その後は他の場所で使われ、1956年から博物館に置かれている。 木材搬出用の荷車らしい。何とデカイこと。
 
 

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マメ科の木のようだが、木の名前は? これは松の仲間だという

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三色揃い踏みのキョウチクトウ(夾竹桃)  キョウチクトウは公害に強いので工場緑化によく使われるが、高温にも強いようだ。

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ロッジのテラスで、 夕食は、ハーフチキンとポテト



12日目
(6月23日)
  デスバレー国立公園ヨセミテ国立公園(泊)

砂丘を越えて走る

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砂丘の見えるところで写真ストップ トカゲの足跡だろうか

面白い風紋  こんな風景に出合うと、時間の許すかぎりどこまでも行きたくなる。

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車に戻って、真っすぐな道を走る オーエンズ・バレー  白い平原は塩ではなく石灰岩だそうだ

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ビショップの町から見るシエラネバダ山脈
中央の山は、アラスカを除く全米の最高峰ホイットニー山(4418m)
 
町で見かけたサッサー・ワールドカップの成績表
この掲示は、日本がカメルーンに勝ち、オランダに負けた時点のもの。その後、デンマークに勝ってEグループ2位で、決勝リーグに進んだ。
なお、この掲示の下部に近隣都市の最高・最低気温は書いてある。



マンザナ収容所

マンザナ強制収容所が車窓から見えた。
団体ツアーのため下車できなかったが、ガイドの西山さんの説明に熱がこもっていた。

                  マンザナ強制収容所
第二次世界大戦中に日系アメリカ人が収容された収容所の一つ。収容所は最大10,046名を収容した。アメリカ全土で日系人110,000名以上が大統領令9066号によって強制的に抑留され、多くはその財産全てを失った。米国に対する敵国人であるドイツ系アメリカ人とイタリア系アメリカ人に対しても監視の目がむけられたが、殆どのドイツ系やイタリア系移民は釈放されたものの、日系移民についてはその多くが釈放されないままであっただけでなく、その後の財産の放棄や、強制収容所への収容が行われた。現在、ここはマンザナ国定歴史史跡となっている。

1960年代の公民権法施行以降に広まった、過去のアメリカ政府による差別政策に対する自己批判の動きと日系アメリカ人議員や日系アメリカ人団体の地道な活動を受け、1976年にジェラルド・R・フォード大統領が強制収容は「間違い」であり「決して繰り返してはいけない」と公式に発言した。


1988年にロナルド・レーガン大統領は、「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)に署名することとなり、「日系アメリカ人の市民としての基本的自由と憲法で保障された権利を侵害したことに対して、連邦議会は国を代表して謝罪する」 として、強制収容された日系アメリカ人に謝罪し、現存者に限って1人当たり2万ドルの損害賠償を行った。また、日系アメリカ人や日本人に対する強制収容についての教育をアメリカ国内の学校で行うために、総額12億5千万ドルの教育基金が設立された。

  なお、マンザナ収容所のほとんどの写真は宮武東洋(家族とともに収容された)と
アンセル・アダムズによって撮影された。アダムズはヨセミテやグランドティトンの写真で知られているが、彼は収容所を訪れるうちに宮武と親しくなり、彼を手助けした。宮武はレンズ、フィルム、フィルムホルダーを隠して持ち込み、後で収容所内の職人に扉のついた木箱を作らせ、その中にレンズを隠した。宮武の持ち込んだカメラは結局見つかり没収されたが、収容所長は宮武を所内の公式カメラマンに指定した。宮武は収容所内で自由に写真を撮ることができるようになった。
                                        Wikipediaを改変



モノ湖からティオガ峠へ

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モノ湖の標識 展望台から眺めるモノ湖と周辺の山

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車は坂道を登ってティオガ峠に近付く ティオガ峠にあるティオガ湖



ヨセミテ国立公園

ヨセミテ国立公園は広い。今日は公園の北東端のティオガ峠入口から入り、ダナ・メドウ、オルムステッド・ポイントを探勝して、シダー・ロッジに泊まる。

ダナ・メドウ

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ヨセミテ国立公園のティオガ峠入口(公園の北東端) マンモスピーク  ティオガ峠入口は雪が深いので6月にならないと入れない

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ダナ・メドウ(ダナ湿原) 湿原で石を拾うと花崗岩だった

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マツカサと一緒にマツの幼木があった。 ちゃんと更新している。



オルムステッド・ポイント

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今から2万年前の最終氷期には、ここは氷河に覆われていた。後氷期になって氷河がなくなると、これらの石は置き忘れられた。迷子石といわれる。遠方に見えるのは裏から見るハーフドーム。 基盤の花崗岩の表面に無数の筋が付いている。氷河が擦って出来た擦痕である。「擦痕」は「迷子石」とともに氷河があった証拠といわれる。もう1つの証拠の「モレーン」は渓谷の下流にある。

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花崗岩の巨大な岩山ハーフドーム
グレイシャー・ポイントから見るのを表とすれば、ここから見るのは裏に当たる。
岩の割れ目に根を張った松の木
 



カスケード滝を見てロッジへ

ロッジへの途中、駐車場からカスケード滝を見に行く

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宿泊するロッジはシダー・ロッジ。 Merced Riverに沿って公園から少し出たところにある。 気持ちのいい部屋だった

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夕食は、スープ、パン、サラダに続いて、主菜は焼きトラウト(マス)



13日目
(6月24日)
ヨセミテ国立公園(滞在)

今日は終日ヨセミテ国立公園に滞在して、グレイシャー・ポイントからの展望パノラマを楽しむ、セコイアの森、いくつもの滝などを見学する。今回の国立公園巡りのハイライトである。

ヨセミテ国立公園(2日目)

朝のうちに車窓から滝見物

朝は早く起きて、グランドツアーの始まる前に滝見物をする。

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リボン滝 ヨセミテ・アッパー滝

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カテドラル・ロック? ブライダルベール滝?



シャトルバスの中から

シャトルバスに乗り換えて、グランドツアーのトラムが出発するヨセミテ・ロッジまで行く

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ヨセミテの花崗岩はしっかりしていて風化しないのかと思ったが、やはり風化するようだ。ただヨセミテの花崗岩は、日本の花崗岩と違って亀裂が少ないので風化が進みにくいようだ。 花崗岩が風化すると砂状になり、さらに風化が進むと粘土状になる。日本ではこれをマサと呼んでいるが、ヨセミテの花崗岩もマサになることが分った。(車窓から)

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Sarcodes sanguinea
(snow-plant)

 

 

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トラムでセコイアの森へ

ヨセミテ・ロッジでシャトルバスからトラムに乗り換えてグランド・ツアーに出かける。

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観光バスの駐車場から、
無料のシャトルバスでヨセミテ・ロッジまで行く
  
ヨセミテ・ロッジでグランドツアー切符を購入し、多言語のガイド付きのトラムで、セコイアの森とグレイシャー・ポイントを一周する グランドツアーは団体券で75ドル、結構高い。

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トラムに乗って出発
上の画像をクリックすると動画をご覧になれます
Fallen Monarch
立派な木は倒れても名がつく

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現在のTunnel Treeを車窓から Faithful Couple(誠実な夫婦)

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Clothespin Tree(洗濯挟みツリー) Mariposa Tree Galen Clark Tree

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名無しの倒木(生前の行いが悪いと名前を付けてもらえない?) Fallen Tunnel Tree(生前はトンネルを開けられて、車が通った)

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Mariposa Grove Museum 博物館の内部

帰路は、現在のTunnel Treeで記念写真ストップ

昼食は、瀟洒なワオナ・ホテルで



Glacier Pointグレイシャー・ポイント)

グレイシャー・ポイントからの展望パノラマ  下の写真をクリックすると拡大されます  左右上下にスクロールしてご覧下さい
  ヨセミテ滝(アッパー滝とロウアー滝)                   ノースドーム   ミラー湖とテナヤクリーク  ハーフドーム      バーナル滝(下)とネバダ滝(上)

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2万年前の最終氷期には、ここに氷河が流れていて、花崗岩の山肌を削っていた。
削られた跡は現在U字谷になっている。
グレイシャー・ポイントの
足元にもシマリスが現れる

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ヨセミテ滝はアッパー滝、カスケード滝、ロウアー滝に分れているが、合わせると世界3位の落差 巨大な花崗岩のハーフドーム
 
 
バーナル滝(下)とネバダ滝(上)
 
 



滝と岩を見て回る

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リボン滝 ヨセミテ滝(アッパー滝だけが見えている)

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ヨセミテ滝(アッパーとロアー)) ヨセミテ滝に近づき過ぎる、ロアー滝だけが見える 足元に現れたエルク

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ここに2人
夕方のエルキャピタンを登攀中のクライマーを4人見つけた。 ここに2人
                   エルキャピタンの壁の登攀
日本人ロッククライマーの平山ユージと、地元のHans Florineのチームが、ヨセミテのエルキャピタンの登頂スピードの自己記録を更新しした。今回の記録は2時間37分で二人が7月にドイツ人チームの記録を破り達成した新記録をさらに6分30秒縮めた。一般的なクライマーがエルキャピタンの登頂にかかる平均時間は5日間といわれている。今回の挑戦は日本のテレビ番組の企画によるもので、時期的に気温が低かったため、アタック開始を日の出から10時まで送らせてのスタートとなったが、途中で指先の感覚が鈍る寒さだったと言う。    Daily Local News From Silicon Valley 2008.10.16 より

エル・キャピタンはヨセミテ渓谷の北側にそそり立つ。渓谷の谷床からは約1000mあり、花崗岩の一枚岩(モノリス)としては世界一の大きさである。南西壁及び南東壁には数多くのクライミングルートが切り開かれており、ロッククライミングの名所として非常に人気がある。1950年代後半からロッククライミングが始まった。1958年、ウォレン・ハーディングらが、南西壁と南東壁の境目である突端部のルート、「ノーズ (The Nose)」の初登頂に成功した。最短では約2時間、長い場合は200日という記録があるが、平均的に上りにかかる時間は、4日から6日である。高度が比較的低いことと、天候に恵まれていることから、エル・キャピタンは、世界のより難しい山のクライミングに向けた格好の練習場所となっている。    Wikipediaより



14日目
(6月25日)
  ヨセミテ国立公園サンフランシスコ(泊)

米国西部国立公園巡りを終わり、今日はサンフランシスコ経由で帰国の途に就く。

ヨセミテ国立公園からサンフランシスコへ

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シエラネバダ山脈を越えて西海岸側に出ると、カリフォルニアらしい風景になる。左から、トウモロコシ畑、果樹園、ブドウ畑

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突然日本的風景に出会い、びっくり 果物の販売店に立ち寄る これだけのオレンジが5ドルとは、安い!

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鉄道沿いの道路を走る。この鉄道は農作物出荷用というが、客車も走っている。カリフォルニアまで来ると気分も明るくなる。

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砂漠地帯では風力発電は見かけなかったが、ここでは高速道路から見えるところに風力発電所が沢山ある。

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世界風力エネルギ協会(GWEC)によると、風力発電の累積導入量において米国はダントツの1位。(20010年7月22日の朝日新聞夕刊)
一見温室効果ガス対策に消極的に見える米国だが、経済的に採算が取れる形で、自然エネルギーを導入している点は評価できる。一方我国は「挙国一致の国民運動」で温暖化を克服しようとしている。体質は60年前と変わらない。
右上の写真を拡大してみると、風車の支柱などは極く簡単にして、
経済的に採算の合う形で自然エネルギーを導入していることが窺える。



サンフランシスコ

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ベイブリッジを渡ってサンフランシスコに入る ゴールデンゲート・ブリッジを見に行く。名物の霧が晴れるのを待つ

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ゴールデンゲート・ブリッジを支えているメインロープの実物展示 細いワイヤーを束ねてある ジョセフ・シュトラウスの像

            ゴールデンゲート・ブリッジを創った男ジョセフ・シュトラウス
シュトラウスは小柄だったが運動神経に自信があった。学生時代にフットボールで、相手の選手にボールのように抱えられてタッチダウンされて、大怪我をした。「自分のように体の小さな人間でも、何か偉大な世界にチャレンジできるだろうか」と考えているうちに、数学や科学の才能と芸術家の血(父は画家、母は音楽家だった)を生かし、人々に感動を与えられる橋梁技術者になろうと決心した。
シュトラウスは、ゴールデンゲート・ブリッジを創るという夢の実現のために私財を注ぎ込み、地域の人々を説得し続けた。橋の建設は、世界恐慌の最中の1933年に始まり、1937年に完成した。主塔間の長さ1,280m、全長2,737m、主塔の高さは水面から227m。主塔間の長さは当時世界最長であった。
シュトラウスは、ブリッジの完成のちょうど1年後の1938年5月16日、冠状動脈血栓を患って68歳の生涯を閉じた。彼の銅像は今もゴールデンゲート・ブリッジを見守っている。
                     中川良隆著 「ゴールデンゲート物語」 鹿島出版会 より抜粋


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サンフランシスコ名物のケーブルカー
上の写真をクリックすると、動画をご覧になれます。
サンフランシスコは坂の多い町
カメラ好きの人にとって絶好の被写体

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サンフランシスコ湾ミニクルーズに出かける
父ちゃん甲板長、母ちゃん船長の小舟である。
 
アルカトラズ島はサンフランシスコ湾に浮かぶ面積0.08km2の小島。昔は灯台、軍事要塞、軍事監獄、1963年まで連邦刑務所として使用され、監獄島とも呼ばれている。1972年国立レクリエーション地域となり、観光フェリーが毎日30分ごとに出発しいる。

                              フィッシャーマンズワーフ
「漁師の波止場」の名の通り、この周辺は19世紀半ばのゴールドラッシュでサンフランシスコが大きな町になった時期以来の漁港である。新鮮な魚介類を提供するレストランや軽食店で有名である。夕食は各自銘々に・・・

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15〜16日目
(6月26〜27日)
サンフランシスコ機中泊成田

サンフランシスコ空港を午後のデルタ635便 B767機で発った。日付変更線を越えて、翌日夕刻成田空港に着いた。

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米国西部国立公園巡りは、16日間に及ぶ感動の旅であった。国立公園を10箇所、州立公園など3箇所を訪ねたわけであるが、ここで、誤解を恐れず、私が気に入った6箇所を選定してみよう。

国立公園(お勧め)
 イエローストーン国立公園 世界最初の国立公園。カルストのテラス、色鮮やかな泉、正確な間欠泉など多様な温泉には、温泉国の日本人も驚く。いろいろな野生動物や高山植物にも出会える。
 
 グランドキャニオン国立公園 20億年の地球の歴史を刻むコロラド川の渓谷に驚異を感じる。次回は谷底まで降りて渓谷の深さ(20億年の堆積物の厚さ)を実感したい。地質学ファンには欠かせない。
 
 ヨセミテ国立公園 花崗岩の大ドーム、個性豊かな数多くの滝、氷河による浸食の跡、セコイヤの巨木の森など、自然景観のバランスの良さは、数ある国立公園の雄といえる。
 
 ブライスキャニオン国立公園 無数のナバホ砂岩の塔が演じる透明感あふれるパノラマは、この世のものとは思えない。唯一の欠点は「ブライスキャニオン」という名前にパンチ力がないこと。
 
国立公園以外(お勧め)
 モニュメントバレー 朝日・夕日に映える沢山のメサ(台地)とビュート(孤立丘)の間を幌馬車ならぬジープで巡る。西部劇ファンならずとも大満足間違いなし。宿泊はThe View Hotelがお勧め。
 
 アンテロープキャニオン 半地下の渓谷の砂岩の側壁が、鉄砲水や風で侵食されて出来たオレンジ色に輝く幻想的な不思議な世界。観光化されて日が浅いが、不思議な世界を体験したい人には一番。




米国西部国立公園巡り(2)は、グランドキャニオン、デスバレー、ヨセミテなどの旅」でした。
      いかがでしたか。

米国西部国立公園巡り(1)
は、「イエローストーン、アーチーズ、モニュメントバレーなどの旅」です。
      まだご覧になっていないお方は、ここをクリックしてご覧下さい。


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