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西部トルコ(2)----エーゲ海・地中海沿岸
ギリシア・ローマ時代の遺跡を訪ねる
  
 東西文明の十字路、イスタンブールを見学した後、マルマラ海をフェリーで渡り、エーゲ海・地中海沿岸の都市を訪ねることになった。 この地域は、古くはギリシア文化圏(ヘレニズム)にあり、その後ローマ帝国の版図に入る。 ギリシア以上にギリシア的、ローマ以上にローマ的な色彩の遺跡もあり、文明の高さとともに驚かされる。

この地域は、
   
西部トルコ(1) イスタンブール
   
西部トルコ(2) エーゲ海・地中海沿岸
   
西部トルコ(3) 中部アナトリア
中の第2部である。                      (2002年5月)
  メドゥーサの像
  トルコ共和国
首都 アンカラ
政治 議会制民主主義
面積 77万km2 日本の2.1倍
人口 6,566万人
トルコ人86%、グルド人11%
言語 トルコ語(公用語) グルド語
産業 農業(小麦、綿花、オリーブ)、牧畜業(羊、山羊)、繊維工業
1人当GNP 2,900ドル/年 日本の1/10
 
西部トルコ(2)の旅行ルート (赤い部分)
  

  
ト ロ イ
  
どうしてもトロイを陥落できないギリシア軍は、戦いを諦めたように見せかけて巨大な木馬を残して船に引き上げた。 戦いは終ったと思って木馬を城内に引き入れ、大宴会を始めたトロイ軍に、木馬に潜んでいたギリシア兵が飛び出し、引き返してきたギリシア軍と呼応して、トロイを陥落させた。

ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩「イーリアス」に描かれたトロイ戦争の舞台が正にここである。 伝説と思われていた叙事詩を信じて、ここを発掘したドイツ人のシュリーマン(1822-1890)は、ついに金銀財宝を掘り当てた。 考古学の手法が確立していなかった当時の発掘は、さながら「宝探し」で、後世非難されることになる。

僅か東西240m、南北180mのトロイの遺跡は9
層に分かれており、トロイ戦争の舞台はZa層(前1275-1240)である。 めぼしい建造物のない遺跡は、かえって伝説の場面を想像するに相応しい。
シュリーマン
 
東の門と城壁(前1800-1275)
トロイの遺跡への入口である。
            アテネ神殿跡
この高台に上るとエーゲ海から吹く風が心地よい。ギリシア時代にエーゲ海から黒海へ行く船が、南風が吹くのをここで待った。お蔭で町が繁栄したという。
  
聖域跡 小劇場(オデオン)跡
  
いくつかの層が露出している場所 層の説明パネル
  
     多くの金製品が発見されたU層
シュリーマンはここがトロイ戦争の舞台であったと考えたが、実際はZa層が舞台であった。
    復元されたトロイの木馬
1974年に復元された木馬は、40人くらい入れる大きさで、伝説を想像させる。
  

  
ベ ル ガ マ
  
アソスのホテルから見る入日 目の前のレスポス島はギリシア領。トルコはエーゲ海沿岸航路でもギリシアの領海を通らねばならない
  
      干し果物や瓶詰を売る露天商
予想に反しトルコ人は実直で穏やかな眼差しである。
すずかけの木陰の喫茶店でチャイを飲むと、向かいのモスクからコーランが聞こえてきた。
  
          ゼウス神殿跡
かつてこの基壇の上に建っていたイオニア式の神殿はドイツのベルリン博物館に運ばれた。
           トラヤヌス神殿
古代ローマのトラヤヌス皇帝の死後、ハドリアヌス
皇帝(在位117-138)が建立した神殿である。
ベルリン博物館に運ばれた「ゼウスの神殿」に、7年後の2009年に対面出来ました。
西田のホームページでご覧になれます。 [クリック]
  
       ヘレニズム時代の円形劇場
古代劇場の中で最も傾斜がきつい。1万人収容。劇場の上部に設けたアーチの上にトラヤヌス神殿が建てられている。アーチの頑丈さを示す例。
トラヤヌス神殿、円形劇場などのある上の町からこの道を下ってくると、医療施設や体育場のある下の町に着く。
  
        アスクレピオン
アスクレピオスは神話に登場する医学の神様。再生のシンボルとして蛇の浮き彫りがほどこされている。アスクレピオンは医療施設である。
             聖なる地下道
聖なる泉と治療棟を結ぶ80mの地下道。精神的な病の人が通るときに、上の換気口から暗示を掛けて治療したという。
  
  
植物・農作物
 
散歩のとき、あるいは車窓から、その土地の植物や農作物を観察するのは、旅のつれづれの慰めである。

エーゲ海や地中海の沿岸は、どこへ行ってもオリーブだらけだ。こんなに沢山のオリーブの実をどうやって収穫するのか、他所ごとながら心配になる。それから多いのは柑橘類はじめ果物の木である。よく見ると灌漑用の井戸と水路が設けられている。

海岸から離れたアナトリア高原に入ると、オリーブは見かけなくなり、一見よく似たスナナツメの木が現れる。気候風土と植生の関係が面白い。
  
オリーブ オリーブの花 イチジクの中央分離帯 イチジク葉
柑橘類 モモ類 地中海沿岸に多い イスタンブールのマロニエ
街路樹のアップ
植樹にもトルコ人の
几帳面さがうかがえる
スナナツメ ムギ(小麦? 大麦?) 井戸と灌漑水路
 
  
ミ レ ト ス
  
ギリシア文化圏で、ターレスなどの最初の哲学者や自然科学者が生まれたのが、ここミレトスである。 かつて劇場の直下に港があったので、「劇場の港」とも呼ばれたという。
 
ミレトスの円形劇場
へレニズム時代の前4世紀に作られた。ローマ時代に改築されて、高さ40m、
直径140mとなり、1500人を収容できるようになった。 (3枚合成パノラマ)
 
ファウスティーナの浴場
ローマ時代の1世紀に建築された。
通りかかった羊の群れ
  

  
デ ィ デ ィ マ
  
                  アポロン神殿
前5世紀以来、ディディマは
ギリシアのデルフィと並ぶ神託のメッカとして栄えた。
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デルフィについて知りたい方は、上の赤い文字をクリックして下さい。ご覧の後、ウインドウを閉じて、このページにお戻り下さい。
 アポロン神殿のプラン
幅20m、奥行109mに、120本の石柱が並んでいた。
 
巫女が神託を告げた聖泉の跡
今も残る直径2mの石柱3本が当時の偉容を伝えている。 正面奥の壁には、「メドゥーサの首」が睨みをきかせている。
  

  
エフェソス
  
エーゲ海最大の遺跡群が眠るエフェソスは前11世紀から建設された都市。私は2年前にエーゲ海クルーズの際に立ち寄った。 今回は陸路から入ったわけであるが、重複を避けるため、ここでは簡単な紹介にとどめる。
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エフェソスについて知りたい方は、上の赤い文字をクリックして下さい。ご覧の後、ウインドウを閉じて、このページにお戻り下さい。
  
ヘラクレスの門 ハドリアヌス神殿
  
 エフェソスのマーブル通りの下水の蓋

(下左) 大理石の敷石が幾つか置きに持ち上げられる構造になっている。下水道はこの写真で右から左へ流れる。

(下右) 敷石を開けて中が見えるようにしてある部分。鉄製の網は現代のもの
セルシスの図書館 ローマ時代から下水道があった
  
2万4000人を収容できる野外劇場は現在も使われる
  
聖母マリアの家
  
エフェソスの遺跡から6kmほど離れたブルブル山の中に、聖母マリアの家といわれる所がある。 18世紀にマリナ・カテリーナという尼僧が天啓を受けてこの場所を語り始め、探し当てられたという。 1967年にローマ法王パウロ6世がここでミサを行い、この家が認知された。 イエス亡き後、聖母マリアが余生を送った所といわれ、信者にとっては貴重な聖地であろう。
  
ブルブル山 聖母マリアの家
  

  
  
トルコでの食事
  
朝食と夕食はビュッフェ・スタイルが多いので、昼食に何が出るかが楽しみになる。気付いたことを二、三記そう。

@副菜として飯がほぼ毎食出た。松の実などが入ったバタ−ライスで、
 隣の席の欧米人も同じだったから、日本人向けメニューというわけではない。
A 魚はよく出た。焼き魚かフライ、天麩羅もあり美味かった。
B 回転する肉(牛肉と子羊の背脂)を削って皿に盛るドネル・ケバブの味は格別。 
  
食卓に国旗が出されることも 昼食はスープなしのときが
多かった
野菜サラダは毎食たっぷり ブドウの葉で米と肉を包んで、
蒸したもの
春巻きのようなもの
美味しかった
トルコ風ピザ
ガーリックが香ばしい
スズキのグリル 魚のフライ
シシ・ケバブ 肉とマッシュルーム チキン 果物は豊富だった
(同行のN氏の撮影)
蒸留酒ラク(左)は水で割ると
右のように乳白色になる
EFESの遺跡の名をもつ
さっぱりしたドラフトビール
オレンジジュースは注文を
受けてから搾る本物フレッシュ
トルコ・コーヒーは
粉を沈殿させながら飲む
  
アフロディシアス
  
広々とした盆地にある遺跡
アフロディシアスの町は前1世紀にアッシリア人が移住して造った。
考古学博物館前の石棺
ここの彫刻家はローマで高く評価された。
  
アフロディーテ神殿 カモミール ザクロ
  
とてつもなく広い競技場 (3枚合成パノラマでやっと撮影できた)
1から2世紀に造られたローマ式の競技場は長さ262m、幅59m、3万人を収容できる。
  

  
アナトリア高原を走る列車(バスの車窓より)
  
ギリシア・ローマ時代の遺跡の宝庫であるエーゲ海・地中海沿岸の町から、西の方へ移動してアナトリア高原に向かう。

引き続き、西部トルコ(3)をご覧下さい。
  

 
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