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すばる天文台とハワイ4島(2)----
       
カウアイ島・オアフ島で植物・地学の観察のトレッキング


すばる天文台とハワイ4島(1)は、いかがでしたか。

すばる天文台とハワイ4島(2)は、カウアイ島とオアフ島です。
ハワイ島には4つの大きな島がある。 北西から南東にかけて順に、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島である。 カウアイ島は誕生が最も古く、したがって植生が古く、大地の侵食も進んでいる。 一方、ハワイ島は誕生が最も新しく現在も火山が噴火している。 それぞれの島の特徴を観察しながらトレッキングするのは大変楽しい。

なぜ数百万年もかけて一列に並んだ島ができたのだろうか。 この謎は、プレートテクトニクス理論によって説明されるという。 この理論によると、地球上の大陸移動や日本列島の誕生もうまく説明できる。 ハワイ4島をトレッキングして、プレートテクトニクス理論を体感できるとはなんと気宇壮大な企画だろうか。

最後に訪ねるオアフ島では、ビショップ博物館で、ハワイの歴史を学ぶことができる。                   (2007年11月)

まだ、
すばる天文台とハワイ4島(1)を、ご覧になっていない方は、
ここをクリックしてご覧下さい。
オワフ島ワイキキビーチの夕陽

Wikipedia(ハワイ州)を改変



(4日目〜5日目) カウアイ島

ハワイ4日目は、南端のハワイ島から北端のカウアイ島へホノルル経由で移動する。カウアイ島では、プランテーション時代の大豪邸の見学、遊覧船によるワイルア川の探訪をする。 5日目は、カウアイ島のコーヒー園の見学の後、ワイメア渓谷のトレッキングを楽しむ。




プランテーション時代の大豪邸

1835年にハワイ最初の砂糖きび農園ができた。 19世紀後半にはハワイ全体で農業が最盛期を迎え、農場経営者たちは労働者不足に悩むようになり、多くの移民を受け入れた。 最初の移民は中国からで、1852年には、日本、ロシア、韓国など各国から移民してきた。

かつて、ハワイははアメリカ国内の砂糖とパイナップルの主な供給地であったが、その地位は時代とともに失なわれていった。 プランテーション時代
の大豪邸跡を訪ねた。

熱帯・亜熱帯地域で、近世の植民制度に始まった単一作物の大規模農業、
  およびその農園。 先住民、黒人奴隷の安い労働力により、綿花・砂糖・ ゴム
  ・コーヒーなどを栽培。(広辞苑)

馬車や御者もいてテーマパーク的雰囲気である

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素晴らしいウインドウ・ピクチャー
 
何故かヤマハのグランドピアノが--- いわゆる想定復元か? 和ダンスが---
 



ワイルア川探訪

ハワイ諸島で最も北に位置するカウアイ島の誕生は最も古く500万年前である。また、この島は最初に人が住み着いたのがワイルア川の河口だといわれている。多くの先住民の伝説や遺跡が残されている。

ワイルア川の河口から遊覧船に乗る。 カヤックや水上スキーを楽しむ人々とすれ違う。

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船内では両岸の風景を解説してくれる 船内でのフラの実演(写真をクリックしてご覧下さい

  遊覧船の終点の桟橋から10分ほど歩いたところに「シダの洞窟」がある。
  かつては洞窟に入ってシダを観察することができたが、現在は崩壊の危険
  のため閉鎖している。

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ここはポハク・ホオ・ハナウ(王の誕生石)という聖なる石で、ここで出産するとその子は王になると信じられていた。 「パンの木」はクワ科、属名の Artocarpus はギリシア語で「パンの果実」という意味で,果実を焼くとパンのようになることから名付けられた。 ジャガイモのような味がする.

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           ギンネム  ハワイ中どこでも見かけるギンネムのちょっとした物語

ギンネムは、ネムノキ科で、若葉や芽にミモシン という有毒アミノ酸を含有しているので、家畜がこれらを摂取し過ぎると脱毛、繁殖障害、成長阻害といった弊害が出る。 人に対しても同様で、小笠原に取り残された兵隊がギンネムの種子を食べ、全員残らず丸ハゲになったという話があるそうだ。 ギンネムキジラミという昆虫はミモシンを分解する酵素を有しているので、積極的にギンネムを食べる強力な天敵となっている。 沖縄戦で焦土と化した沖縄島の土壌流出防止用として、米軍がハワイ産種の種子を空中散布した事実もある。 小笠原でも太平洋戦争中の全島民離島を機に島中にはびこった。

だが近年になってミモシンを醗酵過程で除去する技術が開発され、それと同時にギンネムに含まれるカルシウム、カリウムといったミネラルやタンパク質、食物繊維などが注目されるようになった。現在ギンネムを原料に用いた茶などの健康食品が商品化されている。

なお、ギンネムが単年度あたりに生産するバイオマス量は他の植物に比較してケタ違いに多いという。 将来石油に代わってギンネムから生産したバイオガソリンやバイオディーゼルが使われるかもしれませんね。

                                                   Wikipediaを参考に作成


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落差20mのオバエカアの滝
 
遊覧船に乗ったワイルア川を地上から眺める
この平地はかつてタロイモ畑だったという

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ココヤシの実を割ってみせるガイドのボビーさん (写真をクリックすると、あっと驚くビデオをご覧になれます



朝のホテル

今日は出発が遅いので、ホテルの内外を散策した。

カウアイ島のホテルから見る日の出

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カウアイ島のホテルのロビーは浜風の入るオープンスペース、柱の装飾は熔岩



コーヒー園

この日。一番の見学先はコーヒー園。 カウアイ・コーヒー・カンパニーのパンフレットによると、穏やかな暖かい太陽、肥えた火山質の土壌、豊かな山水、涼しい貿易風、が最高級のコーヒーを育てるという。

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コーヒー園のゲスト・ルーム
ここで何十種ものコーヒーの試飲をした
 
 
     左はハワイ州の旗
8条はハワイの人の住む8つの島を表し、ユニオンフラッグはイギリスの保護領であることを示す。 これはハワイ王国の旗
ハワイ小史 (Wikipediaを改変)
1787年
1795年

1820年
1840年
1843年
1881年

1885年
1893年

1894年
1895年

1898年
1941年
1959年
イギリス人キャプテン・クックが来航したのをきっかけに白人との接触が始まる。
カメハメハ1世が白人が持ち込んだ銃器を利用してハワイ諸島を統一し、ハワイ王国を建国。
アメリカ人によるプランテーション農場のための土地の収奪が始まる。
憲法を公布して立憲君主制となる。
イギリスがハワイの領有を宣言。
カラカウア王が来日し、明治天皇と会見し、明治政府との間で移民協定が結ばれる。
初の官約移民が日本からハワイに渡る。
アメリカ人農場主らがクーデターを起こし、王政を打倒して臨時政府を樹立。
この時、日本は邦人保護を理由に軍艦2隻をハワイに派遣。
臨時政府は新憲法を発布し、ハワイ共和国を宣言。
ハワイ人が武装蜂起したが鎮圧され、リリウオカラニ女王が逮捕・幽閉される。
リリウオカラニ女王廃位(ハワイ王国滅亡)。
アメリカ合衆国、ハワイ共和国を併合、ハワイ準州(自治領)となる。
日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まる。
アメリカ合衆国の50番目の州に昇格。

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コーヒーの木は収穫機の入る幅を開けて植えられる 未熟な青い実

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黄色に色付いた実 赤く完熟した実

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収穫後の乾燥テント

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機械化された収穫機

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ハイビスカス プルメリアの花  香りがよくて長持ちするので婦人のレイや飾りに用いる

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ここにもコアの木が---

車窓から

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この木なんの木? ハワイでところどころで見かける仏寺



ワイメア峡谷

カウアイ島の西海岸にあるワイメア渓谷(峡谷)は、ハワイで最も誕生の古い島に相応しい、数百万年をかけて風雨で侵食された大地の彫刻である。 作家マーク・トウェインが「太平洋のグランドキャニオン」と呼んだのが肯ける。


地層が全く水平であるのに驚く。 日本の山なら傾いているのが普通である。 日本列島はユーラシア、北米、太平洋、フィリピン海の4つのプレートが押し合っている場所だから、どうしても地層は傾く。 ハワイは、太平洋プレートの上にある大海の島であるから働く力が均等で、地層が傾かないのであろう。 見事な地層ができているのは、100万年ほどの間に何回か大噴火があり、その都度噴組成の異なる熔岩が流れ出したが、熔岩の粘度が小さいため流れやすく水平に広がったのであろう。 この景色を眺めていると飽きることはない。

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このトレッキングルートの地面は火山噴出物スコリアである。風化して褐色になっている。

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カララウ展望台(4000フィート、1219m)
 
  
バナナ・ポカは、とても甘い蜜を持つが、恐ろしい外来種。 トケイソウの仲間。 南米原産で、ハワイ島に持ち込まれたのは1926年。その後、爆発的に勢力を拡大し、ハワイ原生種を脅かしている。

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大峡谷は島のウエスト・コーストで終わっている 絶滅危惧種の鳥だというが、名前は?

尾根伝いにトレッキング・ルートは続く

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コアの林を歩く

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モキハナ  葉の香りがいいのでレイに使う ランタン・プランツ

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ブラック・ベリーの花(左)と実(右)

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小さな滝があるが、生水と泥に注意! レプトスピラ病(スピロヘータ感染症)の警告の標識

「ザイルがあれば、山頂から降りられるのに」と、山岳家のFさんは溜息

夕陽が、ますます彫刻の彫を深める

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ビャクダンの枝葉 ナイフで削る シガーライタで焼く
ビャクダン(白檀)とハワイの物語
ビャクダン(白檀)は香木の一種。 ビャクダン科の半寄生の熱帯性常緑樹で、原産地はインドネシア東部とされる。 産出国はインド、インドネシア、オーストラリアなど。 ハワイの白檀は香りが少ないという。

置物である仏像、数珠等の仏具をはじめとして、日本では扇子の骨に使って仰ぐことで香りを発散させたり、匂い袋の香料の一つに利用するなど、身近なところで多種多様に使われている。 線香の原料の中では最も一般的である。

1810年頃からハワイ産のビャクダンが中国で珍重されるようになり、カメハメハはイギリスと結びビャクダン貿易を独占し、ビャクダンの木を輸出し財をなすと火器を手に入れ1795年ハワイ全土を支配下に置いた。



(6日目) オアフ島

今日は、今回の旅の最後の島「オアフ島」である。 毎回島間を移動する際に、オアフ島を中継していたので、上空からは何度も眺めていた。 オアフ島の楽しみは、ビショップ博物館、ダイアモンドヘッド、ワイキキ・ビーチである。




ビショップ博物館

ビショップ博物館は、ハワイ最大級の総合博物館で、ハワイの歴史と火山などの自然を学ぶことができる。

ビショップ博物館 ここでも建物の外装は熔岩である。

内部はカメハメハ王家の歴史、ポリネシア文化などが展示されている(一部は改装中)

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カメハメハ大王(1世) 2世 3世 4世

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チャールズ・リード・ビショップ氏
 
ビショップ氏の妻パウアヒ王女
カメハメハ王家最後の直系子孫
ビショップ博物館は、ビショップ氏により妻の追悼記念として、1989年に設立された。


(科学冒険博物館)

ビショップ博物館の庭を挟んだ反対側にある科学冒険博物館は、ハワイの火山の模型やビデオが展示してあり、とても面白い。 見学する人がほとんどいないのは残念である。

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博物館のビデオ
溶岩トンネルのできるまで
博物館ビデオ
ハワイ島の噴火の歴史
ビショップ博物館に付属した科学冒険博物館には火山に関するビデオ展示などがある 画像をクリックしてご覧下さい

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  ブーゲンビリアの花は何色でしょうか



              

すべて白です。
色づいた花びらに見える部分は、花を取り巻く葉(包葉)です。


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ホノルル港に係留された帆船の廃船 憧れの島巡りの客船



ダイアモンドヘッド

ハワイ最後の行程は、山屋らしくダイアモンドヘッドの登山である。ここも、ハワイに数ある噴火口の1つであう。 地学の勉強で旅を締めくくるとことが、いかにも「山の自然学クラブ」らしい。

バスでクレータの中に到着し、記念写真

さー、ダイアモンドヘッドへ登るぞ! 左端が最高峰(標高232m)

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比高は200m足らずで、30分程度で登れる ギンネム  この辺ではギンネムが優先している
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熔岩を切り開いて作られた道を登る。
この道は、大戦中に日本軍が攻めてくるというので、山頂に砲台を作るために大急ぎで建設されたという。

ダイアモンドヘッドの山頂から眺める南国の海

航空機から撮影したダイアモンドヘッド (たまたま晴れたときに、見える側の窓際に座れた!)



ワイキキ

かつて海外渡航が制限されていた50年代には、ワイキキ・ビーチといえば日本人にとって羨望の的であったが、渡航制限撤廃と高度成長のお陰で、誰でも行けるようになって久しい。 旅程の最後の日の午後をビーチの散策で過ごした。

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ワイキキで泊まったホテル(左から2つ目) バニヤン・ツリー  著名人が自分の記念に植える

ワイキキ・ビーチから眺めるダイアモンドヘッド

南国の海に沈む夕日

大満足の旅をを終えて打ち上げの乾杯!



7泊8日(現地活動日6日間)の、「すばる天文台とハワイ4島めぐり」を終えて、改めてハワイの自然の素晴らしさを認識した。 100kmずつ離れた4つの島は100万年ごとの大噴火で生まれ、順次北西に移動したという。 まさに、プレートテクトニクス理論を実感できる旅であった。 マウナケア山の「すばる天文台」の見学は今回の旅の白眉であった。 最先端の科学と技術に触れることができた満足感に浸った。

旅を企画して下さったクラブのFさん、手配をして下さったSさん、有難うございました。


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