| マダガスカルの旅(2)---- サザンクロス街道からバオバブの並木道へ ラヌマファナ国立公園、モロンダヴァ(バオバブの並木道とベタニア漁村)、 首都アンタナナリヴ、帰路に立ち寄ったタイ・バンコク | 
| マダガスカルに人間が定住したのは他の大陸や島に比べると大変遅く、西暦500年頃だという。1500年代にはヨーロッパ人が島を訪れている。1643年にはフランスが南部沿岸のフォール・ドーファンに要塞を建設した。1808年には原住民のメリナ王が島を統一し、フランスの進出に敵対した。その後一時イギリスの支配を受けた後、フランスの植民地となった。マダガスカルがフランスから独立したのは、1960年である。 独立当時は共和国であったが、その後1975年に民主共和国(社会主義国)となったが、1992年に再び共和国となった。2009年には反政府デモ指導者が大統領就任宣言をし、協働大統領2人制という不安定な状況が続いている。 マダガスカル共和国は農業国で、国民一人当たりのGNI(国民総収入)は日本の1/90に過ぎない(2008年)。 2007年の主要援助国と援助額は下記の通りである。(百万ドル) (1)仏(142)、(2)日本(112)、(3)米(67)、(4)ノルウェー(20)、 (5)独(14) このように政治経済的には恵まれない国であるが、人々の表情は明るい。美しい海岸風景は心を癒してくれたし、ベタニア漁村の婦人たちの陽気さはまだ目に浮かぶ。マダガスカルの自然には、オーストラリア、ガラパゴスに劣らぬ動植物の特異性があり、訪ねる者に驚異を感じさせる。このホームページを通じて、自然の不思議さの一端をお伝えできれば幸いだと思う。 マダガスカルの旅(1)は、サザンクロス街道を行く マダガスカルの旅(2)は、バオバブ並木を訪ねる である。 合せてご覧下さい。 (2010年10月) 
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| バオバブの並木道から見る夕陽 | |||||||||||||||||||
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| マダガスカル旅行の全ルート | 
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| ● 主な訪問地、  ● 経由地、  ━ 陸路、  ━ 空路 マダガスカル(2) : ラヌマファナ〜アンタナナリヴ〜ムルンダヴァ 〜アンタナナリヴ〜バンコク(経由)〜成田 | 
| 6日目 (9月30日) | ラヌマファナ→アンブシチャ→アンツィラベ(泊) | 
| 今日は、ラヌマファナ国立公園で動植物を観察し、アンブシチャの町で木工芸品の店を訪ね、アンツィラベまで行く長い一日である。 | 
| ラヌマファナ国立公園 | 
| ラヌマファナ国立公園は、1991年に国立公園に指定された面積4万ヘクタールの熱帯雨林。2007年には周囲の5つの国立公園とともに、「アツィナナナの熱帯雨林」として世界遺産に登録された。新種のキツネザルをはじめアイアイなど13種のキツネザルのほか、68種の固有種を含む115種の鳥類、13種のカメレオンを含む36種の爬虫類、14種のカエル、350種のクモを含む昆虫などが生息しているという。 広い公園の見学には、数日かけるコースもあるが、我々は早朝の3時間コースで見学した。 | 
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| ラヌマファナ国立公園の入口のパネル | フロントで入園手続き | 
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| マダガスカルではよくお目にかかる「旅人の木」 | マダガスカル航空のマークは「旅人の木」」 | 
| 旅人の木(タビビトノキ)は、ショウガ目 ゴクラクチョウカ科 タビビトノキ属。バショウ科 ラベナラ属に分類されることもあるようである(分類のことはよく分らぬ!)。マダガスカル原産。茎に雨水を溜めるため非常用飲料として利用され、この名前が付いたという。 これには異論がある。この種はたいてい湿地に生えるので、旅人が水に困って飲んだという伝承にそぐわない。しかし、地元民は葉で屋根をふき、葉柄を並べて壁にする。(湯浅浩史「マダガスカル 異端植物紀行」日経サイエンス社) エリマキキツネザルがタビビトノキの送粉者として知られており、花序の大きさや構造、及びキツネザルの選択性や摂食方法、鼻口部の長さなどを考え合わせると、彼らの間で共進化が起きたとみられる。 | 
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| ガイドの案内で、熱帯雨林に入る。 | 手の届くところにバナナの木 | 
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| 橋を渡るところで待たされ、ガイドが許可証を提示する。 下流に日本の援助で作られた水力発電所があるという。 | 古そうな地層が露出する河床 | 
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| 小さな滝があり、日本の低山を歩いている感じ | この花の名は? | 
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| コーヒーの仲間 | オオエニアという名のラン | 
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| シノルキスという名のラン | これは寄生ランのようだ | 
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| 公園内の幹線(?)は歩きやすい | フランスの植物学者のラボラトリ | 幹線を外れるとチョットした藪漕ぎ | 
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| ゴールデンバンブーキツネザル? | ゴールデンバンブーキツネザル? 上の画像をクリックすると、ビデオをご覧になれます | 
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| レッドバンブーキツネザル? | インドリ科シファカ? | 
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| 山頂にある展望台 | ||
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| 展望台から公園の入口が見える | 展望台に掲示された統計表の一部 見学者が多い月は、8月と9月(乾季) 2009年の見学者の国籍は、マダガスカル(4682人)、フランス(3897人)、 イタリア(774人)、イギリス(622人)、日本は19人で21位 | 
| アンブシチャを経てアンツィラベへ | 
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| ここでも棚田が美しい | 
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| 島はどこへ行っても焼畑だ | この地方の家は皆2階建、1階は倉庫と家畜小屋だという | 
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| アンブシチャの町では、ザフィマニリ村で作られた木工芸品(2003年ユネスコ世界無形遺産に登録)を 売っている。工房を見せてもらった。 | ||||
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| ここにも集積所がある。多分木炭だろう。 | アンツィラベのハシナホテルに着く | 
| 7日目 (10月1日) | アンツィラベ→アンタナナリヴ(泊) | 
| 今日は、アンツィラベの町を見学してアンタナナリヴまで行く。因みにアンツィラベには曽野綾子の小説「時の止まった赤ん坊」で知られる邦人シスターの勤める産院があるという。残念ながら訪ねられなかった。 | 
| アンツィラベの町 | 
| アンツィラベは標高1500mの高原地帯に位置する人口18万人のマダガスカル第3の都市である。1872年にノルウェー人宣教師が建設したが、フランス植民地時代は温泉リゾートとして発展した。その数6000台ともいわれるブスブスという名の人力車で、大聖堂、市場などを巡った。この町は、ピンクサファイアなどを産する鉱山が近くにあることから、宝石の町としても知られている。 | 
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| 画像をクリックすると、プスプス(人力車) で町を観光するビデオをご覧になれます | 50年の歳月をかけて1948年に完成した大聖堂 | ||||
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| 立ち寄った宝石商 | 原石から宝飾品までいろいろ | 
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| 庭は原石の山、マダガスカルホシガメも一緒に | 女性には紙が渡されて、欲しいだけ取って下さい | 
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| 直径30cmほどの超特大のアンモナイト | 珪化木、炭素Cが珪素Siに置き換わった木の化石 | 
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| 1本のシャベルで耕すマダガスカルの農夫 | マダガスカル鉄道の立派な橋、遠方は炭焼きの煙 | 
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| 国道沿いの玩具屋さん | 玩具屋さんの子供達 | 
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| 国道沿いの楽器屋さん | 楽器屋さんの子供達 | 
| レミューズ・パーク | 
| レミューズパークは、首都アンタナナリヴから車で30分ほどの所にあるキツネザル公園である。フェンスと自然の川の間に挟まれたところに幾種類かのキツネザル(レムール)が放し飼いされている。餌付けされていて、人間を恐れない。決して自然の状態ではないが、熱帯雨林で見れなかったキツネザルを見られるのは有難い。 | 
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| レミューズパークの入口 | インドリ科のシファカ? | シファカ? | 
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| ワオキツネザル科のワオキツネザル | ワオキツネザル | 
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| ワオキツネザル | ワオキツネザル | 
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| キツネザル科のクロシロエリマキキツネザルの親子 | キツネザル科のマングースキツネザル? | 
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| 上の画像をクリックすると、レミューズ・パークの 様々なサルたちの7分間のビデオをご覧になれます | イグアナの1種 | 
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| 首都アンタナナリヴへ | 
| サザンクロス街道北上の旅の最後、首都アンタナナリヴに帰ってきた。 | 
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| 道端でキャサバかサツマイモを焼いて売っている姉弟。マダガスカルでは、幼い弟の面倒をみている姉をよく見かけたような気がする。女の子がよく働くようだ。 | 都市に近づいても、牛の放牧地は多い。 草が見えないほどの過放牧である。 | 
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| アンタナナリヴに戻ってきた。この駅のすぐ前に宿泊したホテルがある。 | 
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| タナ・プラザ・ホテルの正面 | ホテルの前の賑わい。治安がよくないので、一人歩きは禁止。 | 
| 8日目 (10月2日) | アンタナナリヴ→ムルンダヴァ(泊) | 
| 今日は、アンタナナリヴから東海岸の町ムルンダヴァへ飛び、お待ちかねのバオバブの並木道を見学する。 | 
| アンタナナリヴからムルンダヴァへ | 
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| アンタナナリヴ空港からマダガスカル航空MD702便 ATR72-500機でムルンダヴァ空港に着く | ムルンダヴァの宿レナラは、 沢山のバンガローからなるリーゾト気分のロッジだ | 
| ATR72は、フランスとイタリアの合弁会社ATR製のターボプロップ双発旅客機(定員最大74席)である。1984年8月16日に初飛行したATR 42のストレッチ型で、1988年に初飛行。その後も開発が進められ、1996年1月にATR 72-500が初飛行。エンジン出力の向上などのほか、プロペラに6枚翅のものが採用され、騒音と振動が軽減、快適性が向上している。 Wikipediaより | 
| バオバブを求めてドライブ | 
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| モザンビーク海峡を挟んでアフリカに面している海岸で工事が行われていた。 マダガスカルの西海岸は沈降しているため、住宅に浸水があるので、堤防を築くのだという。 | ||
|  | A |  | 
| 国道7号を除けばマダガスカルの道路は悪い。特にムルンダヴァからバオバブの並木道への道は折角の舗装道路が破壊されても補修しないので、未舗装道路よりも劣悪だ。 | こぶ牛に引かせた地元の車も、 我々の四輪駆動車を退避してくれる | 
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| バオバブの木が見えてきた。草を食むのは羊のようだ。 マダガスカルでは「こぶ牛」が幅を利かせているが、肉用のヒツジも飼っているという。 | 
|  | A |  | 
| ある自然保護NPOの会長から、「バオバブの木の寸法を測って来てくれ」といわれたが、 通りすがりの旅人には寸法を測るすべも時間もない。そこで、携行したレーザー距離計で 樹高と見かけの幹直径を測定した。撮影地点の緯度経度はGPSで測定した。誤差は大きい かもしれないが、おおよその見当が着く。もし10年後くらいに同じ条件で測定する人がいたら、 10年間のバオバブの木の成長が分るだろう。 | ||
| (左の写真) 北緯20°16′36.7″、東経44°24′09.6″の地点から 西方102m先に生えている木を撮影したもの(午後なので逆光) | (右の写真) 北緯20°16′37.0″、東経44°24′10.1″の地点から 東方318m先に生えている木を撮影したもの(午後なので順光) | |
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| 水田とバオバブ バオバブは種類によっては水辺を好む | 
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| バオバブと少年 マダガスカルの少年は、カメラを向けると微笑んでファイティング・ポーズをとる | 
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| バオバブの並木道を車が行く | 
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| バオバブの高さが分る | バオバブの太さが分る | 
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| バオバブの並木道の撮影ポイントは、いつも人だかりである | 
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| バイバブの並木道で集合写真 | 
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| バオバオの木に登る人 金を取って客に登らせるのか、地元の人が実を採るために登るのか、尋ね忘れた。 後で聞いた話では、夕景を撮るカメラマンだという。 | ||
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| 愛し合うバオバブ | 
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| バオバブの並木道の夕陽 | 
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| バオバブの並木道の落日 | 
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| 画像をクリックすると、 バオバブの並木道を走る車から撮影したビデオをご覧になれます | 
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| 9日目 (10月3日) | ムルンダヴァ→ベタニア漁村→アンタナナリヴ(泊) | 
| マダガスカル滞在最後の日となった。お昼を挟んでゆっくりとムルンダヴァのベタニア漁村で遊び、夕刻には首都アンタナナリヴに戻る、明日はマダガスカルを発つ予定だ。 | 
| ベタニア漁村 | 
| 動植物と地学の現地観察(これを巡検といっている)の毎日であったが、主な見学先が終了し、今日は最後の日曜日である。旅行社の計らいで、近くのベタニア漁村をカヌーで訪ねることにいなった。 | 
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| 戻ってきたムルンダヴァのバンガロー | 部屋を通り抜ける浜風 | 
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| ロッキングチェアでゆったりと眺める砂浜 | 身近に見るヤシの実 | 
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| ラグーン(潟湖)で朝の漁をする夫婦、遠目にも幸せそうだ | 買い物の帰りだろうか、陽気な人達 | 
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| リゾート気分で朝食 | 特別にキャッサバを煮てくれた。日本のサツマイモと変わらない。サツマイモよりもキメが細かい。甘味は少な目。 | おまけにマダガスカル産のサツマイモも蒸かしてくれた。サツマイモはキャッサバよりも繊維が多い。それほどキャッサバは滑らかだ。 | 
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| 我々とガイドの9人が3艘のカヌーに分乗して、ラグーンに在るベタニア漁村を探訪。 ここは、モザンビーク海峡を挟んでアフリカ大陸と対峙している海岸であるが、 砂洲の発達によってできたラグーン(潟湖)のため、海水ではあるが外洋からの波が遮られ、 絶好のカヌー遊覧ができる場所である。 | ||
|  | A | 
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| マダガスカルでは、アウトリガー・カヌーが使われる | カヌーは漕ぎ手で決まる。このお兄さん逞しい。 画像をクリックすると、ベタニア漁村(その1)の ビデオをご覧になれます | 
| アウトリガー・カヌー (Outrigger canoe)は、南太平洋などで用いられるカヌーの一種。安定性を増すために、カヌー本体の片脇あるいは両脇にアウトリガーとも呼ばれる浮子(ウキ)が張り出した形状をしている。外洋航海が盛んになる過程で、ウネリによる破損を防ぐためにアウトリガーを片側だけにつけたシングル・アウトリガーカヌーが考案されたと推測される。ダブル・アウトリガーカヌーの場合、波のウネリの間で両方のアウトリガーが持ち上げられると、腕木に宙に浮いたカヌー本体の重量がかかって、腕木が破損してしまう。シングル・アウトリガーであれば全体が傾くだけで、破損につながるような負荷がかからない。 カナダでカヤック(アウトリガーのないクローズドデッキのタイプのカヌー)を漕いだことがあるが、安定性が悪く苦労した。今回は乗せてもらうだけだったが、アウトリガーの安定性を実感できた。 | 
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| ベタニア漁村に到着して上陸 日曜礼拝で教会に集まる人達 | 浜辺の井戸 塩水が出るのではないかと思ったが、確めなかった | 
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| 若いお母さんと3人の子供 | 闊歩する若い女性 画像をクリックすると、ベタニア漁村(その2)の ビデオをご覧になれます | 
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| 昼食を食べたレストラン | 海と帆船を眺めながら食事をする幸せなひととき | 
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| レストランから眺める帆船 画像をクリックすると、ベタニア漁村(その3)のビデオをご覧になれます | 
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| SHF衛星パラボラ | VHFパラボラ?(左)と UHF八木アンテナ(右) | 日本にはない VHF円形アンテナ | 一番普及しているのは VHF円形アンテナ | 
| アンタナナリヴへ戻る | 
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| 一昨日着いたモロンダヴァの空港から マダガスカル航空のMD702便でアンタナナリブ空港へ戻る | 
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| 空から見える痛ましい野焼きの跡 しかし、これが畑作、放牧、炭焼きなどの生活を支えている | マダガスカルでは珍しい灌漑スプリンクラーによる 円形パターンも見られる | 
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| 無事アンタナナリヴに帰還し、安堵の晩餐 このモダンなレストランは、その名も「クーデター」。 旧日本大使館に近いので、政府高官も来るそうだ。 給仕から"Bona Appetit !"といわれて、"Merci Beaucoup"と 応えるような雰囲気。味もよかった。 | 
| 10日目 (10月4日) | アンタナナリヴ市内観光→機中泊 | 
| 今日はマダガスカル最後の日。午前中首都アンタナナリヴを散策して、土産物屋さんに行き、最後の滞在を惜しむ。夕刻中継地バンコクへ向けて発つ。 | 
| アンタナナリヴの散策 | 
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| 独立大通りから駅方向を見る。満開間近のジャカランダ。 | ||
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| 独立大通りから駅と反対方向を見る。 | 
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| マダガスカルを描いた絵を並べる道端の画商 | 独立広場への階段から見おろす | 
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| 独立広場には、マダガスカル共和国の初代大統領フィリベール・ツィラナナの石像がある。 フランス語ではなく、英語で、「独立の父」と讃えられているのが、興味深い。。 | ||||
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| アンタナナリヴ市民の憩いの場、アヌシ湖の中央に浮かぶ小島に フランスが建てた第1次世界大戦の戦没者慰霊塔 Monument aux Morts がある | 
| 郊外の土産物屋 | 
| アンタナナリヴ近郊のお土産物屋さんに行く。沿道300mにわたって店が並んでいる。同じような店だが、値段を交渉しながら歩くのは面白い。 | 
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| お土産物屋さんの裏は水田。「旅人の木」が見える。 | 居並ぶお店 | 
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| 帽子・バッグ・玩具 | 絵と雑貨 | 
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| 楽器 | 木工芸品 | 
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| 道路を挟んだ土手で、ミニ・マージャンのようなパイで遊ぶ男たち | 
| 11日目 (10月5日) | バンコク市内観光→機中泊 | 
| マダガスカルのアンタナナリヴをマダガスカル航空の夜行のMD018便で出発して、レユニオンで中継の後、タイのバンコクに翌早朝着く。それから、仮眠する予定だったホテルを飛び出して、現地ガイドの案内で駆け足のバンコク市内観光に行く。「タクシン派」と「反タクシン派」の政治的内紛が伝えられるが、このときは市内の治安は問題なさそうだった。 | 
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| インペリアル・クイーンズパークホテル | ロビーもなかなか立派 | タイ風のティールーム | 
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| 町の交通標識は、タイ語と英語 | 日本からの出店も多い | ラーマ9世国王の肖像 | 
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| 見どころの多いエメラルド寺 | ||||
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| 王宮の一部 | 迎賓館? | 
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| 涅槃像で有名なワット・ポー寺は、 1788年にラーマ1世によって建立された | 涅槃像は長さ46m、高さ15mの仏像 悟りを開いたお顔と伺う | 
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| 涅槃像が大きなお堂の空間を占めている | 足の裏には、108面の絵が描かれているというが、もっと多い? 4枚パノラマ撮影でやっとカメラに収まった | 
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| 仏像をぐるりと一周する | 最後に、1ドルを専用のコイン108枚に替えて、1枚づつ賽銭入れに入れる。これで願いごとが叶うという。 | 
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| 近代的なバンコク空港に着く | 丸の内に支店がある「マンゴー・ツリー」でタイ料理の夕食 | 
| 12日目 (10月6日) | 成田着 | 
| バンコクから、タイ航空TG640便で成田に到着。思い出多いマダガスカルの旅は無事終わった。 今回の研修ツアーを催行して下さったユーラスツアーズの坂田社長、旅行中我儘な我々の面倒を見て下さった添乗員の杉原さんにお礼申し上げます。 | 
| マダガスカルの旅(2)は、「バオバブの並木道を訪ねる」でした。いかがでしたか。 マダガスカルの旅(1)は、「サザンクロス街道を行く」です。 まだご覧になっていないお方は、ここをクリックしてご覧下さい。 | 
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