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中央構造線の旅(2)-愛知県・三重県----山の自然学シリーズ(10)

 私が属している(社)日本山岳会には、いくつかの同好会や研究会があり、山登り以外のことも楽しんでいる。その研究会の1つに「山の自然学研究会」がある。

 「山の自然学研究会」は、「この山はどうしてできたのか」、「この高山植物はなぜここに咲いているのか」など、山に関する自然科学的な疑問を探求するクラブである。合せて自然保護活動を行っている。毎年十数回の山行・研修会を行う。

 昨年は、長野県大鹿村の中央構造線博物館を訪ね、付近の中央構造線の露頭(地表から観察できる場所)を見学した。今年はそこから西に進んで、愛知県と三重県の中央構造線を観察する。
同好の士にとって、とても楽しい旅である。  (2004年11月)
中央構造線・三重県月出露頭



中央構造線とは?

中央構造線博物館ホームページより 7000万年ほど前に、すでにアジア大陸の東の端にできていた日本列島の大陸側半分に、南からやって来きた太平洋側の半分がくっ付いて、日本列島が完成した。その接合面が中央構造線である。

1450万年ほど前に日本海ができて、日本列島は
大陸から離れた。そのとき糸魚川・静岡構造線の東側が陥没した。ここをフォッサマグナという。

中央構造線を境に、日本海側を内帯、太平洋側を外帯と呼ぶ。

関東と九州では中央構造線は地表面に現れていないので、その位置は明確ではない。
 
 
私が参加した「中央構造線とその地域の地学見学
の旅」は、次の4回である。

クリックするとそのページをご覧になれます

第1回 長野県
    
(中央構造線と日本列島の誕生も説明)

第2回 愛知県・三重県 (現在ご覧の頁)

第3回 和歌山県

第4回 徳島県・愛媛県・高知県

今回の旅の見学地と中央構造線の位置




(1日目) 名古屋駅→鳳来寺山自然科学博物館→中央構造線・向林露頭→三重県飯高町(泊)

鳳来寺山自然科学博物館

鳳来寺山自然科学博物館には、近くにある中央構造線露頭のレプリカがあり、動物・植物・地学関係の標本も多い。特に地元のコノハズクの特別展示室がある。

博物館は2階から入る 玄関を飾るのは、中央構造線・鳳来寺山露頭(向林露頭)のレプリカである

ブッポウソウとは コノハズクとは

せっかく鳳来寺山に来たのだから、ぜひ見たいもの聞きたいもの!
ブッポウソウの剥製 コノハズクの剥製



中央構造線・向林露頭

鳳来寺山自然科学博物館から近い中央構造線・鳳来寺山露頭
(向林露頭)を訪ねる。現地は草に覆われていて見落としそうであるが、分かりやすい案内板に助けられる。

大井川に架かる大井橋の上から眺めた中央構造線・向林露頭
構造線(断層)は露出した2つの岩の間に斜めに走っている
左上の岩は領家変成帯(内帯)、右下の岩石は三波川変成帯(外帯)
この断層は活断層でないので、真上に民家がある

大井橋の袂に、簡単な案内板がある



長篠城址

中央構造線を見学した後、近くの愛知県新城市にある長篠城址を訪ねた。
長篠城は、いうまでもなく、織田軍鉄砲隊が武田騎馬軍団に勝利した「長篠の戦い」(天正3年1575年)の舞台である。

なぜか中央構造線に沿って、神社、寺院、史跡、鉱山跡などが多くある。
必ずしもすべてではないが、地学的に説明がつきそうなものも少なくない。



長篠城址史跡保存館


本丸跡は植栽された広場になっており
往時を偲ぶよすがはない 
長篠城の西側の天然の堀となっている深い谷は、中央構造線の活動によって岩が弱くなったためにできたもの



名無しの露頭

丹生に近いところにあるユーエム産業(株)三重工場の、和歌山街道を
挟んだ反対側の採石場に露頭が出ているのを、通りがかりに見つけた。
近づいてみると、古そうな地層で、褶曲しており、断層も見られた。中央構造線はこのあたりを通過しているから、その一部が露出しているのかもしれないが確認できなかった。

ユーエム産業(株)三重工場の、和歌山街道を挟んだ反対側の採石場に露頭を見つけた

地層は古そうで、褶曲しており、断層も見られた

和歌山街道を西に走って奈良県との県境に近い飯高長波瀬にある
森林総合利用施設「グリーンライフ山林舎」に泊まった。



(2日目) 中央構造線・月出露頭→丹生の水銀鉱山跡→名古屋駅

中央構造線・月出露頭

三重県の西の端、奈良県に近い飯高町月出にある中央構造線・月出露頭は国指定の天然記念物である。

駐車場から1kmほど、よく間伐されたスギの植林地を登って行く やがて月出露頭が見えてきた

AA
中央構造線の左側(北側)は、領家帯の圧砕岩(マイロナイト)で、アジア大陸の東の端に古くからあったもの(内帯)
一方、右側(南側)は、三波川帯の黒色片岩で、7000万年ほど前に南からプレートに乗ってやって来たもの(外帯)
2つの帯が、断層粘土帯を挟んでくっ付いている。これが中央構造線である。

中央構造線五人衆の記念写真


スギの間伐がよくなされていて日光が入るためか、林床には木本・草本の種類が多かった
ウラジロガシ クロモジ ムラサキシキブ

ウラジロ アケボノソウ コウヤホウキ

ホソエカエデ?
櫛田川の川辺でコンビニ弁当を食べる
櫛田川は、三重県中部の中央構造線沿いを西から東に流れ伊勢湾に注ぐ一級河川。
鎌倉時代に書かれた「倭姫命世記」に、倭姫命が櫛を落とした地を櫛田と名付けたとあり、
これが川名の由来となった。



丹生の水銀鉱山跡

車で走行中、「丹生(にう)」という地名に引かれて車窓を眺めていて、丹生大師と丹生神社を見つけた。社務所の立札にしたがって水銀鉱山へ。思いがけない歴史探訪になった。

       丹生大師(神宮寺)の仁王門
宝亀5年(774)、弘法大師(空海)の師である勤操大徳が開山したという。
丹生神社の左隣にある丹生大師は女性に解放されていたので、女人禁制の高野山に対して、女人高野と呼ばれた。丹生神社とは水銀を通じて縁が深い。
         丹生神社の一の鳥居
延喜式の神名帳に名を連ねる由緒ある神社で、継体天皇16年(523)の創建という。
天照大神の妹神の稚日女尊は、水銀の女神。その娘である丹生都比売が率いる氏族は
水銀鉱脈を求めて中央構造線上を移動したという。

水銀鉱山跡への道
 
坑道の入口は鉄格子で閉鎖されている
昭和48年まで採掘されていたという
鉄格子の隙間から撮影した坑道
 

なぜかこの山には
アサマリンドウが目立つ
残された水銀の製造設備
水銀蒸気を冷却して水銀を作る装置は、アマルガムを作らない鉄でできている
丹生(にう)とは、丹(に)を産出する所の意味で、地名として各地にある。丹は硫化水銀の赤土のことで、丹砂朱砂辰砂ともいう。辰砂を空気中で 400–600 ℃ に加熱すると、水銀蒸気と亜硫酸ガスが生じる。この水銀蒸気を冷却凝縮させることで水銀を精製する。

東大寺大仏像の金鍍金(金メッキ)は金アマルガムを大仏に塗った後、水銀を加熱して蒸発させることにより行われた。また丹は朱色の塗料として、古来古墳内の石室・神社・朱墨などに使われた。


なお、
鉄丹は酸化第二鉄、鉛丹は四三酸化鉛である。ともに赤色塗料として使われる。



今回の見学旅行の主な目的は、愛知県と三重県の中央構造線露頭であったが、
それに加えて、長篠城址、丹生大師と丹生神社、丹生鉱山跡などの歴史遺産・産業遺産を訪ねることができ、興味深かった。 次の目標は紀伊半島の西半分である奈良県・和歌山県と、四国の中央構造線である。


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