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中央構造線の旅(3)-和歌山県----山の自然学シリーズ(11)

 「地学」は地味な学問である。 気象のように日常生活に直接関係するものは別として、ジュラ紀の恐竜の化石であるとか、超新星爆発だとかいうのは、あまりにも浮世離れしている。

 しかし、山に登ると、どうしてこの山は出来たのだろうかという素朴な疑問が沸いてくる。 この疑問を手繰っていくと辿り着くところが、「日本列島誕生の謎」である。 日本列島が現在の形になるまでにはいろいろな時期にいろいろな出来事があったが、最も大きな出来事を1つといわれれば、「中央構造線の形成」を挙げたい。
中央構造線は日本列島の屋台骨であるからだ。

 我々、(社)日本山岳会の「山の自然学研究会」の仲間は、毎年
11月に中央構造線を東から順に訪ねることにしている。 今年は、紀ノ川に沿った和歌山県の巻である。    (2005年11月)
やっと見つけた根来断層露頭



中央構造線とは?

中央構造線博物館ホームページより 7000万年ほど前に、すでにアジア大陸の東の端にできていた日本列島の大陸側半分に、南からやって来きた太平洋側の半分がくっ付いて、日本列島が完成した。その接合面が中央構造線である。

1450万年ほど前に日本海ができて、日本列島は
大陸から離れた。そのとき糸魚川・静岡構造線の東側が陥没した。ここをフォッサマグナという。

中央構造線を境に、日本海側を内帯、太平洋側を外帯と呼ぶ。

関東と九州では中央構造線は地表面に現れていないので、その位置は明確ではない。
 
 
私が参加した「中央構造線とその地域の地学見学
の旅」は、次の4回である。

クリックするとそのページをご覧になれます

第1回 長野県
    
(中央構造線と日本列島の誕生も説明)

第2回 愛知県・三重県

第3回 和歌山県 (現在ご覧の頁)

第4回 徳島県・愛媛県・高知県



今回の旅の見学地と中央構造線の位置




(1日目) 新大阪駅→橋本市→菖蒲谷断層露頭→国民宿舎・紀伊見荘(泊)

新大阪に集合した「構造線五人衆」は、レンタカーを駆って、一路和歌山県橋本市へ。今回の中央構造線探訪の旅はここから始まった。

菖蒲谷断層露頭

中央構造線には、ほぼ並行して走るいくつかの副断層がある。菖蒲谷断層もその1つで、橋本市菖蒲谷付近にあるという。

橋本市郷土資料館に立ち寄る この辺りが菖蒲谷らしいが、露頭は見当たらない

菖蒲谷に所在する普賢寺は真言宗の寺院で隣接する熊野権現神社の別当寺といわれる 社寺に願かけた甲斐あってか、近くに露頭が
見つかったが、中央構造線の露頭かどうか疑わしい

今日はあまり成果がなく、国民宿舎・紀伊見荘に辿り着く

紀伊見荘の部屋から南方を見ると、なんとなく構造線が走っていそうな山と谷の景観である!



(2日目) 菖蒲谷断層・胡麻生露頭→慈尊院と丹生官省符神社
     根来断層・露頭1根来寺
根来断層・露頭2→新大阪駅

今日2日目は、いくつかの露頭を観察し、新大阪を経て東京に帰るという忙しい一日である。

菖蒲谷断層・胡麻生露頭

8:00には宿を出発し、8:30には菖蒲谷断層の胡麻生露頭があるはずの場所に着く。

地質調査所発行の「中央構造線活断層系(近畿地域)ストリップマップ」を
片手に菖蒲谷断層・胡麻生露頭を探す。この大造成地のこの付近らしい。

菖蒲谷断層・胡麻生露頭はこの貯水池の周辺で、直接露頭を観察できない。残念である。



慈尊院と丹生官省符神社

紀ノ川と中央構造線が展望できる場所を求めて、高野山にゆかりの慈尊院と丹生(にう)官省符神社を訪ねた。

慈尊院は、弘仁7年(816年)、弘法大師(空海)が
高野山開創に際し、高野山参詣の要所に当るこの地に草創したもの。女人禁制の高野山に対して、
こちらは「女人高野」と呼ばれた。大塔(多宝塔)は
県指定建造物
 
慈尊院に隣接する丹生官省符神社は、弘法大師が
慈尊院を開創した時、その守り神として地元にゆかりのある丹生都比売・高野御子の二神を祀ったもの。
官省符とは、太政官が発給する官符、民部省が発給する省符のこと。丹生官省符神社は、金剛峯寺の荘
園であった官省符荘の鎮守社として建立された。

慈尊院の上の果樹園の中の細い道を登り詰めると、展望のいいところに出た。 右にスクロールしてご覧下さい →→→

柿やミカンが実り、紀州の秋は豊かだった



根来断層・露頭1

小黒谷川を遡ると砂防工事をしているところに出くわした。ちょうど断層の露頭であった。

左側の層は黒い岩、右側の層は淡緑色の岩であるが、ここが中央構造線であるkとは確認できなかった



根来寺

根来断層の由来となった根来寺(ねごろじ)は、大治元年(1126)興業大師が鎮守の祠を作ったのが始まりという。室町時代には高野山内衆徒と対立した鉄砲隊を持つ「根来衆」は数万に及んだが、天正13年(1585)の秀吉の「根来攻め」で大塔などを除きほとんど焼失した。

大塔(国宝)と大伝法堂(県指定建造物) 光明真言殿(県指定建造物)



根来断層・露頭2

我々の中央構造線探訪の旅は、基本的には地質調査所発行の「中央構造線活断層系ストリップマップ」を頼りに露頭を探すのであるが、土砂崩れなどの自然災害、最近の大型造成などのため現地を確認できないことが多い。今回の根来露頭も諦めかけていたときに偶然見つかった。

根来露頭が見つからず諦めていたとき、道路わきに防水シートがかけられているところを見つけた 車を止めて調べてみると、中央構造線・根来露頭であった。かすれた説明版も見つかった。

 長野県などの中央構造線の内帯は領家帯であるが、ここの内帯は白亜紀の和泉層で、
 この下に新しい外帯の三波川帯が潜り込んでいる。

やっと中央構造線・根来露頭に巡り合い、
満足して帰途に着いた


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