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中央構造線の旅(4)-徳島県・愛媛県・高知県----山の自然学シリーズ(12)

日本山岳会の中の研究会「山の自然学研究会」の一大テーマは、「山はなぜ高くなったか」である。それは日本列島の誕生に絡む。当然の結果として、中央構造線を観察しようということになる。

まず、長野県大鹿村の中央構造線露頭を訪ね、翌年愛知県と三重県を観察し、昨年は紀ノ川に沿った和歌山県を見学した。いよいよ今年は四国の番である。

我々の中央構造線探訪の旅は、必ずしも中央構造線に拘らない。中央構造線にかこつけて、地学的にあるいは文化的に面白いものは「何でも見てやろう!」という旅である。その意味では「四国は面白い!」 何しろわが国におけるプレートテクトニクス実証の地であるからだ。
                             (2006年10月)
河床を横切る砥部衝上断層は、中央構造線の露頭の1つ



中央構造線とは?

中央構造線博物館ホームページより 7000万年ほど前に、すでにアジア大陸の東の端にできていた日本列島の大陸側半分に、南からやって来きた太平洋側の半分がくっ付いて、日本列島が完成した。その接合面が中央構造線である。

1450万年ほど前に日本海ができて、日本列島は
大陸から離れた。そのとき糸魚川・静岡構造線の東側が陥没した。ここをフォッサマグナという。

中央構造線を境に、日本海側を内帯、太平洋側を外帯と呼ぶ。

関東と九州では中央構造線は地表面に現れていないので、その位置は明確ではない。
 
 
私が参加した「中央構造線とその地域の地学見学
の旅」は、次の4回である。

クリックするとそのページをご覧になれます

第1回 長野県
    
(中央構造線と日本列島の誕生も説明)

第2回 愛知県・三重県

第3回 和歌山県

第4回 徳島県・愛媛県・高知県

     (現在ご覧の頁)


今回の旅の見学地と中央構造線の位置


四国地質調査業協会HPから引用した
四国の地層図
中央構造線の北側の内帯は古い地層、南側の外帯は何度か南からやってきた新しい付加体からなることが分る




(前日) 鳥取県・大山→香川県・高松(泊)

鳥取県の大山で開催された日本山岳会の自然保護全国集会に参加した後、
中国山脈を横断し、瀬戸大橋を渡って、香川県高松市へ向かった。

米子から高速道路を走ると、左手に見える大山の形の変化が面白い

瀬戸大橋で本州から四国へ 讃岐にはビュートと呼ばれる富士山型の山が多い

与島パーキングエリアに掲示された瀬戸大橋の大説明板
瀬戸中央自動車道海峡部のほぼ中央に位置する与島パーキングエリアは、絶好のビュ一ポイント。
展望台からは、行き交う船舶をパノラマで展望でき、雄大な南・北備讃瀬戸大橋を眺めることができる。


瀬戸大橋のケーブルの実物大モデル 与島に設けられた1A橋台(アンカー)



(1日目) 香川県・高松→徳島県・大歩危→かずら橋→高知県・桂浜(泊)

先発組は高松市の国民宿舎栗林荘に泊まり、翌朝高松空港で現地参加組と合流した。ここから、徳島県の大歩危、かずら橋を経て、高知県の桂浜に至る四国縦貫の旅で第1日目は始まった。

徳島県・大歩危

徳島県の名勝の1つである「大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)」は、大股で歩くと危険、小股で歩いても危険という意味。 両岸の岩石は、変成岩である三波川結晶片岩(砂質片岩と礫質片岩)で、日本列島の背骨を作っている岩の1つといってもいいだろう。 

ただし、ここは中央構造線ではない。 中央構造線は大歩危よりもずっと北方を西に向かって流れている。 大歩危付近で北上している吉野川は中央構造線とぶつかるところで直角に西に流れの方向を変える。

大歩危を遊覧船上から観察する 船着き場の近くに石の博物館がある

石の博物館の詳細をご覧になる方は、ここをクリックして下さい



徳島県・西祖谷かずら橋

かずら橋は、サルナシ(しらくちかずら)などの葛類を使って架けられた原始的な吊り橋で、東祖谷菅生などにもあるが、我々が訪ねた徳島県三好市西祖谷山村善徳にあるものが有名である。

祖谷のかずら橋の場合、古文書によると、最古のものは、1646年(正保3年)の「阿波国図」にかずら橋が7つ存在したと記録されている。起源はその昔、弘法大師が祖谷に来たとき困っている村民のために架けたとか、あるいは平家の落人がこの地に潜み、追手が迫ってもすぐ切り落とせるように葛を使って架設したとの伝説もあるが定かではない。

現在の西祖谷山村善徳のかずら橋は長さ45m、幅2m、谷からの高さ14mで日本三奇橋の一つであり、重要有形民俗文化財である。大正時代に一度、ワイヤーを使った吊り橋に架け替えられたが、1928年(昭和3年)、地域振興目的でかずら橋が復活された。ただし安全のためワイヤーによる補強は現在も行われている。 3年に一度架け替えが行われており、約2週間を要する。材料である太いかずらの調達は年々困難になってきており細いかずらを撚り合わせて使用しているという。(Wikipediaより)

かずら橋は吉野川の支流「祖谷川に架かる 谷からの高さが14mもあり、揺れるので結構怖い



高知県・桂浜

急いで車を走らせて日没に間に合うように桂浜に着く。桂浜の竜頭岬の小高い丘の上には、遥か太平洋を見据える龍馬の銅像がある。像の高さは台座を含め約13.4m。

和服姿にブーツという姿で立つ坂本龍馬 桂浜から眺める夕陽

桂浜を望む絶景の地に建つ国民宿舎「桂浜荘」での祝宴



(2日目) 高知県・五色の浜→愛媛県・城川地質館→黒瀬川→松山(泊)

2日目は、地学の博物館のような高知県の五色の浜、世界最古の岩石を展示する愛媛県の城川地質館、日本最古の地層のある黒瀬川を見学する。

高知県・五色の浜

当初、高知県の住吉海岸を見学したいと思ったが、最近漁港の整備で観察しにくくなったので、高知大学の吉倉副学長さんから五色の浜をお勧め頂いた。
住吉海岸をご覧になる方はここをクリックして下さい
ブロードバンドの方はすぐにご覧になれますが、
ナローバンドの方は数分お待ち下さい。

車を停めて道路から五色の浜に入る 五色の浜に出て左手(北方)に須崎層の砂岩が見える

早速、高知大学の橋本善幸先生の
レクチャーが始まる
 
 
 砂岩のブロックが泥岩の中に入ったメランジュ
 シュードタキライトと呼ばれ地震の化石だという
メランジュとはフランス語でmeringue「かき混ぜる」の意で、洋菓子材料のメレンゲである。

岩を伝わって南に移動  大学の巡検では毎年誰かが海に落ちるという

赤色頁岩 こんな風に力が働いて- - -

砂岩、泥岩、赤色・緑色の火山灰、チャート、ライムストーン、玄武岩、赤色頁岩などが見られ、海底で堆積により付加体ができた過程を髣髴させる 泥岩の中に平行四辺形の砂岩が入っている
 
 
 

板状の岩 枕状熔岩、ということは海洋起源の玄武岩!

チャートの壁
 
 
左の拡大写真
チャート*1(ガラス質)と薄い赤色頁岩*2
(粘土層)が、数cmの互層になっているらしい

*1 チャートは堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素(SiO2、石英)で、この成分を持つ放散虫などの動物の殻が海底に堆積してできた岩石。非常に硬い岩石で、層状をなすことが多い。チャートには赤色、緑色、淡緑灰色、淡青灰色、灰色、黒色など様々な色のものがある。暖色系のものは、酸化鉱物に起因し、暗色系のものは硫化鉄や炭素化合物に起因するという。

*2 頁岩(けつがん、シェール)は堆積岩の一種。1/16mm以下の泥が水中で堆積したものが脱水・固結してできた岩石のうち、堆積面に沿って薄く層状に割れやすい性質があるもの。粘板岩(スレート)とも呼ばれる。「頁」の字は本のページを意味し、この薄く割れる性質から命名された。泥が堆積してできた岩石のうち、薄く割れる性質を持たないものを泥岩(シルト岩、粘土岩)と呼ぶ。


ハマナデシコ アシズリノジギク

無事、五色の浜の巡検を終え、橋本先生と一緒に記念写真



愛媛県・城川地質館

日本列島に、日本列島よりも古い地層があるという。 それが黒瀬川帯である。 愛媛県の城川地質館でその説明を聞き、近くの黒瀬川で実地検分しよう。 中央構造線と直接の関係はないが、今回の旅の1つの目玉である。 ここでは西予市教育委員会の高橋司さんにいろいろとお世話になった。

城川地質館はこじんまりとしているが、神奈川県立生命の星・地球博物館の協力で展示は魅力的だ。休日にもかかわらず我々のために開館してくれた  シルル紀(ゴトランド紀ともいう)の石灰岩
愛媛県指定天然記念物であるこの石灰岩は、
県内で最も古い地層である黒瀬川帯から発見された

ストロマトライト石灰岩(10億年前、ネパール産)
植物の藍藻が砂粒などを取り込んで
作った岩石。藍藻は光合成を行ない、
大量の酸素を大気に供給した。
グリーンランド片麻岩(38億年前、クリーンランド産)
地球で最も古いクラスの岩石の1つ
 
 

黒瀬川帯は中央構造線の少し南に、レンズ状に
分布する周囲よりも古い地層である。
 
黒瀬川帯は、4億万年前に大陸移動説で有名な
ゴンドワナ大陸の1箇所にあったものが、
日本列島に付加体としてくっ付いたものである

黒瀬川帯の歴史は、古生代の4億2000万年前に遡る



愛媛県・黒瀬川

城川地質館の近くで、黒瀬川の川原に出て黒瀬川帯の石を探す

いかにも古そうな岩石、あれかこれか?

地質学が専門のSさんのお蔭で、黒瀬川帯の石を発見



(3日目) 愛媛県・砥部断層→徳島県・三野断層→徳島空港

愛媛県松山市の道後温泉で一夜を楽しんだ翌日、松山市から南下して中央構造線上の砥部断層を見学。そこから中央構造線沿いに東に進み、徳島県の三野断層を見学する。

愛媛県・中央構造線・砥部断層

まず、四国内で観察できる中央構造線の露頭として、愛媛大学の高橋治郎先生にご紹介頂いた砥部の衝上断層を見学する

断層公園となっている現地の案内板
中央構造線の露頭は1938年(昭和13年)に
国の天然記念物に指定された
左の図で右に向かって撮った写真
砥部川の河床の「かすが淵」付近
 

断層の断面が見える
左が古い地層、右が新しい地層、
中央がマグマが貫入した最も新しい地層
 
 
現地の案内板には次のように記されている
古い岩石(砂岩、頁岩は中生代白亜紀)は6000万年前、新しい岩石(礫岩は新生代古第三紀)は
4000万年前で、断層はそれより後に生じた。新しい岩石の上に古い岩石が重なっている逆断層である。
その後1200万年前に断層面A-Bに沿ってマグマが貫入して新しい火成岩が出来た。このことから
断層が生じたのは1200万年前から4000万年前の間であると推定される。(誤字を訂正した)



徳島県・中央構造線・三野断層

最近の台風による吉野川の増水で吉野川沿いの中央構造線の露頭が荒れてしまい、見学が困難なところが多い。やっと見つけた徳島県三野断層(太刀野の中央構造線)はいかがであろうか。

道の駅三野の観光マップにも中央構造線が出ている 断層は中央構造線橋の下にある

ここも荒れていて、わずかに断層粘土層が認められる。
放射年代(K-Ar法)測定によれば、断層運動は
約6000万年前に始まったと推定されている。




鳥取県の大山からスタートし、徳島空港で現地参加のメンバーと合流して始まった四国地学の旅は、中央構造線に限らず黒瀬川帯・五色の浜などの付加体を含めて縦横に駆け巡り、四国の西端、徳島空港でフィナーレを迎えた。

いろいろお世話になった先生方に、厚くお礼申し上げます。


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